4 純白の豪華客船
僕は、スーツ姿の乗組員にチケットを見せて、「太平洋の白鳥」と謳われたその純白の豪華客船に一歩、足を踏み入れた。
(おお……)
廊下は、豪華絢爛そのものだった。白と黒の幾何学的な模様の絨毯を敷き詰めたような床、よく磨かれているような光沢の美しい木製の枠と扉、クリーム色の壁紙、高そうなエジプト風の壺が飾られていた。そして、それらは暖かい風合いのほの灯りに照らし出されているのだった。
僕は、その廊下を突き進んで、三階まで吹き抜けになっている巨大なロビーに出た。このロビーもまた豪勢極まりなかった。
(ああ、こいつはすごいな……)
吹き抜けの天井からは、葡萄のようなシャンデリアが垂れ下がっていて、その灯りに一帯は包まれていた。正面には、タイタニック号を彷彿とさせる裾の広がった純白の階段が二階へと通じ、ロビーの両側には、美しい曲線を描いた螺旋階段が三階まで通じていた。それらの階段には、目が覚めるような青色のカーペットが敷かれているのだった。このロビーといったら、木製の手すりも、大理石のような床も、全てのものが光り輝いているように見えるのだった。
(しかし、人殺しには不似合いだな……)
ロビーの中心には、ギリシア彫刻風な黒い女神像が、その両側には、ハワイをイメージした椰子の木が飾られていた。この奇妙な取り合わせが、日本人の僕の目にはさほど違和感ではなかった。けれども、ハワイの人はこれをなんと言って嘲笑するのだろう。
しかし、そんなものを見て楽しむ心の余裕はなかった。今の僕の仕事と言えば、フロントから船室の鍵を受け取ることだった。
その時、この旅を心から楽しもうとしている老夫婦が僕の脇をゆったりと通り抜けていった。彼らと僕の運命の違いを感じて、あまり快く思えない。当たり前だ。僕はこれから、人を殺そうとしているのだから。
その老夫婦が変な顔をして僕を見ていた。僕は慌てて顔を整えた。いけない。こんな暗い表情では周囲にばればれだ。僕は俳優にならなければならないんだ。
(今日の僕は俳優だ。決して、犯罪者などではない……)
僕は再び、紳士らしく振舞った。周囲の人に訳もなく笑顔を振りまきながら、ロビーを出ると、僕はデッキへと向かった。なんとなく、屋内にいることが息苦しく感じられたからだった。デッキは白を基調とした清楚な感じだった。それが、フローリングの床のブラウン色と海の青さを一段と引き立たせていた。
僕は、苦しげに息を吐くと、手すりに寄りかかり海をじっと眺めた。これからどうなるのか。青い海には一点の曇りもなかった。そればかりが僕の運命とあまりにもかけ離れていた……。
「ご旅行ですか?」
低くて太い声が響いた。僕は隣を見る。そこには、大柄で強面の、それでいて目元と口元に僅かに優しさをたたえた中年の男が、やはり僕と同じように海を眺めていた。片手に缶ビールを握りしめている。
「旅行です」
「そうですか、それは良いなぁ。それにしても、海は清々しいものですねぇ。まあ、あまり良い思い出もないが……」
何をごにょごにょと言っているのだろう。
「ご旅行ですか?」
僕は男に同じことを聞き返した。男はちょっと黙ると、少し困ったように、
「ええ。旅行ですよ」
と苦笑いしながら言った。なんだか、ひどく胡散臭い。男はこちらに向き直ると右手を差し出した。
「どうも、根来です。根っこが来ると書いて根来。病院の受付員からはネライと間違えられやすくて、その度にネゴロと訂正しています」
「なんですって? 根っこが来る? ネゴロ?」
そう言われてもピンと来なかった。僕は仕方なく根来と握手をした。しかし、名乗られてしまっては都合が悪い。僕はあまり会話をしたくないのだ。かと言って、ここで嘘をつくと後々面倒なことになると思ったので、正直に、
「黒田 倫助です」
と小さな声で答えた。
「そうですか。まあ、長い船旅ですから、またどこかでお会いするかもしれませんな。ははは。すいません。ちょっと用事がありますので、ここらで失礼します」
根来と名乗ったその男はそう言うと、笑いながら立ち去った。