37 いつも一人
落ち着こうとしてバーに寄った。船内の屋上に抜ける前にそれはあった。やけに広かったが、少し古臭くて、空虚な感じがあった。綺麗に清掃もされて、酒も一級品なのに、いかがわしい雰囲気が漂っている。そこには古いラジオがあり、タバコが似合いそうな女の店主がいた。年は五十代ぐらいで、気が強そうな目付きをしていた。これまで男の財布から金を払わせたことはありませんよ、というような男性的なごつごつした手をしている。ひょっとすると僕の首だって、彼女の手に掛かればポキリと折ることも可能かもしれない。彼女はラジオのスイッチを入れると、ボブ・ディランの『風に吹かれて』が流れた。他に客がいないせいか、寂しさだけが部屋を埋めていた。
僕はピーナッツとジンを頼むと、タバコを吸いながら待った。そして、ごつい女の店主にもタバコを一本勧めてみた。ありがとうございます、と彼女は礼を言って、タバコをくわえた。そうする際に、思ったよりも礼儀正しく、マナーに乗っ取った角度で頭も下げていた。そして口紅で艶やかな唇がイソギンチャクみたいにしてくわえたのだ。僕はそれを不思議に思いながら、彼女がくわえているタバコの先端にマッチで火を点けてやった。
「お客さん、旅は一人で? 」と彼女は訊いた。
「うん」と僕は答えた。「いつも一人なんだ」
それだけで、会話はもう続かなかった。僕はやってきたジンを飲みながら、ピーナッツを五つほど口の中に放り込んだ。いつの間にか、ラジオでボブ・ディランの歌は終わっていた。次にはニュースが流れ、若い男が教科書を読み流すように話していた。聞いてる方も、言っている方も、頭に入ってこない喋り方だった。誰々容疑者が誰々さんを殺したのだとか、何々川を綺麗にするためにナントカ亀を放流しましたとか、そんな具合だ。そのあと、コメンテーターが持論を持ち出し、次の話題へとせかせか進ませる。次第にそのニュースは話題のゴミ山の一つと化して、すぐに記憶からふっ飛ぶ。しかしゴミ山だけは消えずに存在していわけで、また新しいゴミになる前のニュースによって掘り返される。そしてまたゴミ山に捨てられる。そんなことが永遠と続いていているのだ。
もし、僕が警察に捕まったら、この一連の滑稽な物事の一つとして出演されてしまうのだろうか? それは何だか面白くないことだった。そんなことをするぐらいなら、拳銃で撃たれて死んでも構わないかもしれない。少なくとも、それで僕がそのニュースを聞くことは無いのだ。




