33 もう一人の容疑者
食事を終えると、自分の部屋に戻った。ほとんどの料理を皿に置いてきてしまった。 羽黒たちの話を聞いているうちに、食欲もすっかりなくなっていた。眠くもないし、やる気もない。考えは鈍くなっている。僕はだらんとベットの端に座った。そのまま、10分ぐらいそうしていた。
インターフォンの鳴る音が部屋に響いた。
「黒田さん? 」と静かな女の声が聞こえた。「メイです」
僕はドアを視線を移すだけで、動こうとはしなかった。分厚くて、色が濃くて、冷たいドアだ。牢屋みたいだな、と思った。それからのろのろと重い腰を上げた。ドアを開き、彼女を部屋の中に招いた。横にいた鬼のような大男も一緒に。
「どうしました? 」と僕は訝りながら言った。「二人はなぜここに? 」
メイはにやっと笑った。少しだけ困ったような笑みだった。
「……まんまとあの坊っちゃんに騙されちまいましたよ。もう逃げられそうにない」
根来はふんと鼻鳴らした。その右手ではメイの腕をがっしり掴んでいた。それは彼女にとって、かなり苛立つことらしく、根来を視界にさえ入れようともしなかった。しかし、根来はそれを気にする様子もなく、そういう仕草もなかった。あるいは、本当に気にしてないだけかもしれない。
「もう一人の容疑者です」と根来は疲れたように言った。「秘密を知っているものとして、あなたのところにも連れてきました。長倉 理沙の監視は羽黒が代わりにしてくれています」
「まさか」と僕はびっくりして言った。「なにも関係がない」
「自分だってそう思ってますよ。しかし、困ったことに色々と問題がありまして。一つは船内でのアリバイです。殺人が起こったであろう時間に、彼女が303号室の側を通ったという船員の目撃者がいたんです。目付きが異様に鋭かったから、印象深く残っているとか。……まあ、これだけでは事情聴取ぐらいで済ましてないましたがね、彼女の経歴がそうさせてくれなかった。というのも、過去に人を撃ち殺しかけたことがあったらしい。清蔵さんの死体を見て、自らペラペラ喋ってましたよ。羽黒にネットで調べてもらうと、たしかにこの探偵の地元の新聞社に、そういうニュースの記事が隅っこにありました。こいつは殆ど人殺しだ」
「目付きは元々だよ」と彼女は言った。「こんな顔に生まれちまったのが運の尽きだったのかな? 」
根来はきつく彼女を睨んだ。眉がぎゅっと寄って、見事に逆立った。しかし、声だけは落ち着いていた。そうしようと、なんとか自制をしていた。
「……そしてこの人を馬鹿にした態度。殺人現場でも顔一つさえ変わりませんでした。羽黒は違うと言ってたが、こいつは疑わない方が不自然だ」
「まいるね」
メイは大袈裟にため息をついた。そしておどけた風に言った。
「でも、なんにも否定できないや。全部、事実なわけだし。ここで人を殺したということを除けばだが」
「本当に彼女が殺した可能性があるとおもっているんですか? 」
根来はそれに頷く。なんとも曖昧な顎の引き方だ。
「それはどちらだって構わないんです。しかし、あらゆることを想定しなければならない。我々は最善を尽くす必要があるのです」
「そのためにはどんな調査でも免罪符がもらえるらしい。楽しくて、愉快な日本の刑事だ」メイは気だるげに言った。「この手合いが一番やりにくい。自分が正しいと信じて疑わないのだから。本当の話、どうにもできない」
根来の眉がぴくりと動いた。
「……俺がどんな調査をしたと? 」
「警察手帳は見せくれよ」
「そいつは忘れてたな」
彼はそう言って、胸ポケットから取り出した。メイは慎重に顔と写真を見比べた。その結果、一致していると判断したのか、興味をなくしたように視線をさっと外した。
「つまり、偶然ではないお仕事というわけだ? 」と彼女は言った。「そんなもの持ち歩いてるとはね」
根来は黙った。目だけは野獣のように爛々と輝いていた。拳がきつく固まって、肌にうっすらと血管が浮き出ていた。だが、何もせず去っていった。言葉という例外を除いて。
「とにかく、容疑者としてある程度の事情聴取は覚悟しておいてもらう」
その言葉尻が聞こえる前にドアが先に閉まった。メイは顔をむすっとさせた。そして僕の顔を見て、同情を求めるように肩をすくめた。
「こうなったのも、あの探偵が殺人現場に私を連れていったせいだ。そうしたら、もう構わないと言われてたのですが、殺人現場であの刑事を怒らせちまいました。本当、うまく乗せられたな」
「どうするのですか? 」
「自分で身の潔白するしかないでしょうよ。刑事は守ってくれそうにないし」




