32 バイキング
二人の会話は劇的であったが、僕はひどく気落ちする一方だった。事件解決への大きな一歩を踏み出したような、なにか、そんな輝かしい雰囲気に包まれていたのだ。それはつまり、ゆくゆく僕が逮捕されるということを意味しているのだ。反吐が出そうだ。
食欲はあまりなかったが、二人の話をじっと座って聞いているのがしんどかったので、僕は立ち上がって、大皿が並んだテーブルへと歩いていった。その時、母さんの言葉をふと思い出した。「バイキングは、一つのお皿を使い回しなさい」ところが、僕は久しぶりに母さんに反抗した。なんで、豪華客船でそんな貧乏臭いことをしなくちゃいけないんだ。バイキングなんだぞ。皿は何枚使ったっていいんだ。
お盆に新しい皿を乗せて……それはピカピカの白い皿だった……そこに食べたくもないポテトサラダをよそる。その次に、食べたくもないローストビーフがよそられた皿を、目の前で包丁を振るって、牛肉を切り分けている料理人から受け取った。
そして僕は、食べたくもない料理が盛られた大皿の間をふらふらと彷徨い歩きながら、羽黒とメイが一体何を話しているのか気になって、ふたりの様子を盗み見ていた。ふたりは和気藹々と話し込んでいるようだった。打ち解けたのだろうか。しかし、会話は聞こえなかった。
見れば、中国人の料理人が衆人環視の中で、北京ダックをつくっていた。そして、そのテーブルには、北京ダックはもちろんのこと、海老チリや、餃子、麻婆豆腐の皿が並び、肉まんも香り高い湯気を立てている。その湯気は中華文明の妖気であり、豪華絢爛な荘厳だった。幻惑の絵巻物か、天女の彷徨う虚空に違いない。僕の目には、万里の長城が広大な大地に築かれてゆく光景がありありと浮かんだ。我に返ってみれば、その隣には、小籠包や焼売といった点心の入った蒸篭が積まれていた。
ドイツのソーセージも、チョリソーからバジルの混じったものまで、大皿にこれでもかというほど盛り付けられていた。フライドポテトがケースから溢れ出すほど盛り付けられていて、トングを突っ込めば、忽ち雪崩が起きて、僕はフライドポテトの下に埋もれて遭難するに違いないだろう。その隣には、ロシア料理のピロシキなどが目に付いた。ロシアか。ロシアの冬は寒かろうと思った。寒かったら、ボルシチを飲めば良い。そうすれば僕の凍りついた心も溶けるだろう。
日本食では、まず白飯の入った炊飯器があった。米は二種類あって、コシヒカリとつや姫だった。その隣には味噌汁、豚汁の入った鍋が二つ拵えてある。それに、本マグロの握り寿司が下駄のような板の上でてかてかと輝いている。赤身はない。すべて大トロと思われた。僕はそれが嫌だった。僕にとってはマグロといえばさっぱりとした赤身。だけれど、今日だけは血肉の色を避けているから、大トロの方がマシに思える。
外国人を意識しているのか、日本食のテーブルには天ぷら、たこ焼き、お好み焼きといった庶民的な食べものも置かれている。見れば、外国人旅行客がたこ焼きを皿に取っている。外国人の口が動いた。なんと言ったか聞こえないが、僕は知っている。アメージング、と言ったのだ。しかし僕は少なくとも、バイキングでたこ焼きを食べたいとは思わない。それならば、その隣の分厚い玉子焼きを取るだろう。これは美しい黄色だった。
僕は、そんなものを眺めながら、時々、二人の様子を伺っていた。羽黒は、大きなジェスチャーを交えて、メイと会話をしていた。彼はメイの前で外国人ぶりたいのだろうか。
僕は観念して、皿に玉子焼きをよそって席に戻った。すると、すぐさま羽黒は笑った。
「やはり、メイさんの言う通りだ。倫助さんは玉子焼きを取ってきた」
「なんですって……」
僕は何のことか分からなかった。
「いえね、倫助さんが何の料理を取ってくるか、当てっこをしてたんですよ。やっぱり、玉子焼きを取ってきましたね」
僕は不思議な気分だった。どうしてこの二人はわかったのだろう。すると、メイが羽黒の方をちらっと見る。
「私が勝ったのだから、この依頼は無しですね」
「そうはいきませんよ。あなたが勝ったということは、それだけの推理力があるということですから、捜査に参加して頂きませんと、実に惜しいですからね」
「たまたまですよ」と彼女は言った。「ほら、卵焼きが好きそうな人っているでしょう? ただの偏見です」
僕は帰りたいと思った……。




