30 国際探偵クラブ
彼女は絶世の美人だった。しかし、世の美人がむやみによくするような安っぽい愛想は一切振りまかずに、ただ冷静な眼差しでワインの色を見つめていた。それは淀みなき、ニヒルな美しさなのだった。
そこに羽黒が戻ってきた。羽黒は、僕とそのメイという女探偵が話し込んでいたらしいことを感じ取ると、再び彼女を見つめて、
「失礼ですが、どこかでお会いしませんでしたか?」
と尋ねた。メイは、その拍子抜けな羽黒の問いかけにやれやれという様子で、伏せ目がちに顔を上げると、
「さあ、どうだったかな? 」
と言って、僕に目配りをした。
羽黒は、そう言われて、ちょっと気まずそうに黙った。しかし、急に何かを思い出したように顔がぱっと明るくなった。そして、メイのテーブル寄りに椅子をひょいと動かすと、横向きに座った。
「もしかして、国際探偵クラブの時の?」
「そうですね。あの会場には私もいたような気がします」
「じゃあ、メイさんですね?」
「メイです」
それは照れとも、訂正とも取れない簡潔な返事だった。
「そうですか。でも、豪華客船でこうして再会できるなんて、素晴らしい偶然ですね」
メイはふっと笑みを浮かべた。
「その悪気のない言葉は、たちが悪い」
「どうして?」
メイは、答えなかった。羽黒のせいで落選したことをあまり喋りたくないのかもしれない。しかし、羽黒はこのニヒルな女探偵に出会えたことが嬉しいらしく、懐いた犬みたいな状態になっていた。羽黒は、僕の方に向き直った。
「倫助さん、彼女にも是非、事件のことをお話しした方がいいですよ。メイさんは、探偵同士の間に流れている噂では、確か相当タフらしいですし」
僕は、それが恐ろしいリスクだと知っていた。名探偵がふたりもこの事件の捜査に乗り出した日には、僕に勝ち目なんて残されているだろうか。しかし、断ろうにも、羽黒の爛々とした瞳は、もはや異論を寄せ付けない雰囲気があった。
「そんな宣伝をした覚えはありません」
メイは、そう冷徹に言って、またワインを一口含んだ。
「でも、噂は勝手に流れるものですよ」
「ええ、根も葉もない噂が」
「でも、有能な探偵だとお聞きしています。それで、お話ししますが、実は昨夜、この船内で殺人事件が起こったんです」
「悪いね、私は酒を飲むのは、仕事の後と決めてるんです。今から事件の依頼を受けるのは私にとって少しばかり不服だな。ただ、ここは行きつけのバーではないですが」
「お酒なら、すぐに覚めるでしょう」
「そんな夜もあったり、覚めない夜もあったりします。その時の体調です。最近は酒を欠かさず飲んでいるから、四六時中酔っぱらっています」
メイは、そう冷たく言いながらも、どこか事件に興味を持っているらしく、話だけでも聞こうということなのか、それでどんな話なんだ、と言わんばかりに羽黒の方をちらりと見つめた。しかし、羽黒はそれに気づかず、まだメイを説得できていないと見て、いきなり演説を始めた。
「メイさん。僕もあなたと同じく探偵です。あなたの気持ちは分かるつもりだ。勿論、あなたも当初は平和なバカンスを望んで、この豪華客船に乗り込んだのでしょう。でも、やはり僕たち探偵にとっては、この日常は日常ではないんだ。あまりのんびりバカンスしていると、麻薬患者が薬が切れたみたいな気持ちになるんだ。まったく嫌な話ですけどね。職業病なんですよ、これは。だから、あなたも本当は事件の話を聞きたいはずですよ」
メイは、眠っているかのような薄目で、その話を黙って聞いていたが、話が終わると羽黒の方をそっと見据えた。
「君の演説の半分は当たってるよ」
「残りの半分は? 」
「私はバカンスを望んでいません。ただ、ささやかな一日を求めているだけで」
僕はなんだか、ふたりの相性が、ひどくでこぼこに感じられた……。




