26 出刃包丁の指紋
部屋に根来が入ってきた。その顔をちらりと見ると、僕はなんとなく恐ろしくなってきて、思わず俯いてしまった。この男は僕に不幸をもたらす。そんな悪魔的な存在なのだ。いや、よっぽど僕の方が悪魔的所業を成し遂げたわけだけれど……。
根来は、僕の顔をじろりと睨みつけると、すぐに長倉 理彩の方に向き直った。そして、
「長倉 理彩さん、あなただけは別の部屋に移動していただきましょう」
と言った。
「なぜ、私だけが……」
長倉 理彩の悲痛な叫びを耳にして、僕は復讐が果たせることの喜びと罪悪感の入り混じった感情が喉の底から込み上げてきて、思わず目を伏せた。根来の声が聞こえてくる。
「現場は密室だった。だから、あなたしか殺害をすることはできない。それだけではありません。先ほど、凶器の出刃包丁の指紋を採取したところ、そこから、あなたの指紋が検出されたのです。あなたの指紋だけがね」
その言葉に、長倉 理彩は目を大きく見開いて、唇は小刻みに震えていた。
「出刃包丁に触った記憶は?」
「そんな記憶はありませんけど……、でも、私は誓って殺していません」
根来は、長倉 理彩を睨みつけながら、どんどん鬼の形相へと筋肉が硬く引きつっていった。それから、凄まじい怒号が弾けた。
「うるさい! つべこべ言わず、俺に付いて来い!」
この声に、一番震え上がったのはカールさんだった。カールさんは、風に吹き飛ばされたように、椅子から立ち上がると、二、三歩窓際に向かって歩き出した。
これはまったく滑稽なシーンだったが、笑える心境のものはいなかった。僕も、背もたれがなかったら、後ろに後ずさっていたかもしれない。
長倉 理彩は震えた足で立つと、無意味に部屋を逃げ回るように周回して、それで壁に背を打ち付けてぶるぶると震えた。
根来は、憐れなものを見るように彼女を見つめていた。
「全てが終わりを告げようとしている……」
根来は、ぼそりとそう呟くと、静かに彼女に歩み寄り、何事かそっと耳元で説き伏せて、二人は部屋を出て行った。
「彼女は、なぜあなたのお父さんを殺したのでしょうか」
カールさんはさも恐ろしそうにそう呟くと、なにやら、助けを求めるような目で僕を見つめた。
「さあ、でも、これで僕たちは自由になりますよ」
「お父さんが亡くなられたのに悲しくないのですか?」
「あまりね。それよりも自由になってよかった。ところで、根来さんは鑑識でもないし、今日は休暇のはずなのに、なぜ指紋採取用の道具を持っていたのでしょうか」
アルミの粉みたいなもので調べるんだっけな、と僕はうろ覚えな知識を探った。
「彼が休暇中だと誰か、あなたに言いましたか?」
カールさんはそう言って、それ以上はあまり話したくなさそうであった。
「まさか、休暇中ですよ。そうに決まっている」
僕は根拠のないことを言って、それから、しばらくひどく胸がもやもやとしていた。煙草を吸いたいと思った……。




