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グレゴール・キング殺人事件  作者: ナツ & Kan
12/64

12 裏切りの涙

 僕は、息を整える為にデッキに出た。気がつけば、すでに日は暮れていた。海は暗闇と静寂に包まれている。そして、期待している時刻は、刻々と近付いて来ている。


 実は、僕と清蔵と長倉 理彩の三人で酒を飲んでいた時に、睡眠薬入りのラム酒を一本、部屋に残してきた。あのラム酒を誰が飲むのだろうか。清蔵はラム酒が嫌いだ。だから、彼は飲まないだろう。これに対し、長倉 理彩はラム酒が好きで、眠る前によく飲むということだった。つまり、そういうことだ。長倉 理彩はおそらく今晩、その睡眠薬によって深い眠りにつく。そのため、彼女は清蔵が刺し殺されても気づかない。そして、彼女は知らず知らずのうちに、303号室に残された唯一の容疑者となるのだ。


 考えられる範囲の最善は尽くした。しかし、この完璧すぎる計画が失敗するはずはないとしても、僕は怖くて仕方がなかった。酔いというものは、覚めるから嫌いだ。僕は覚めたくなかった。ああ、こんなにも手が震えていて、人が刺し殺せるものか。覚めてくれるな。


 静かなる海が今の僕には優しく思えた。でも、その優しさは僕の残虐性と対になって存在するものだ。僕が行うとしていることが残虐なら残虐なほど、この海の沈黙が無垢に感じられてくるのだ。


 ああ、この広い世界の中で、自分ほど不恰好で惨めで残酷な人間はいないことだろう。心の底から、そんな風に思うのだ。なぜって、そんな風に自虐をする方が、僕の強張った心は慰められるのだから。卑劣で無価値な存在だと、無情に切り捨てられる方が、よっぽど葛藤が慰められる気がした。君の中にはまだ善意が残されているなんていう甘い言葉をかけられた時には、どうしたら良いか分からなくなる。その方がよっぽど恐ろしいことなんだ。


 だから、歴史を紐解いて、かつて世界にはもっと残酷な王様がいたなんていう話を聞かされて、君はまだ善良だなんて言われたら、僕は苦しくなる。悪意と善意の中間に投げ出されてしまう。つまり、今度は、僕の内面の善意に咎められる。自己を嫌悪する。生きていけないような葛藤に苛まれなければならなくなるわけだ。


 そんなのはもう嫌だ。僕はもう極悪人で良い。それで良いから、善意なんてはじめから無かったものにしてくれ。そうでなくて、殺人なんてことができるものか。


 悪魔が悪魔を殺したぐらいじゃ、神は問題にしないだろう。これがそれなんだ。僕は悪魔だ。しかし、清蔵も悪魔だ。長倉 理彩も悪魔なんだ。こんな三人はこの世からいなくなった方がよっぽどすっきりするというものさ。そうだ。これは倫理的な問題ではない。そんな次元で論じられるのには値しない悪魔たちの駆除活動に過ぎないのだ。だから、だから、僕はもう良心の呵責に苦しめられる必要がないんだ。


 そう思っていても、涙ばかりは正直なのか。頬を伝う。この涙は裏切り者だ。僕は確かに怖いのだ。それでも、こんなに気持ちを振り切ろうとしているのに、涙ばかりは未練がましい。そんなに泣きたければ泣けば良い。でも、僕はもう止まるつもりはない。この犯罪計画に命を賭けると決心したんだ!


 僕は、涙を拭うとデッキを後にした……。

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