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グレゴール・キング殺人事件  作者: ナツ & Kan
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1 夜明け

 母さんが死んだときの夢を見ていた。そこはボロ小屋同然の一室で、立て付けの悪い窓や破れた障子があった。そこで母さんが布団の上で干物みたいにくたばっている。僕は一匹の蝿になって、それをじっくり観察していた。母さんの周りをうろちょろ飛び回り、どこに止まるべきか迷っている感じだ。しかしその目はずっと母さんを捉えていた。痩せていて、外見から骨の形がわかる顔を一瞬たりとも見失いはしなかった。他に視界に入ったのは、中学生の頃の小さな僕だった。彼は糸のほつれた毛布を手繰り寄せながら咽び泣いていた。僕はあの憎い母の夫を恨み、また自分の無力さが虚しくなった。中学生の僕は何度も、母さん、母さん、と叫んでいた。なんてちっぽけ存在なのだろうか。それに対して、裏切られてさえ、最後まで夫を愛し続け、脆弱な僕を守ろうとした母は、なんて偉大だったろうか。彼女の涙は死んだ後にも記憶がない。

 

 ――目が覚めた。

 

 ベッドから起き上がると、シャツが汗でびしょ濡れになっていた。僕は居間まで頼りなく歩くと、冷蔵庫から牛乳の瓶を取り出し、ぽん、と栓を開けて飲んだ。それからシャワーを浴びて、小綺麗なスーツを着てからアパートを出た。

 

 外は晴れていた。僕は下の駐車場に行くと、真っ赤な車に乗り込んだ。そして、ハンドルをこつこつと指で叩きながら、この悪夢もそろそろ終わりだな、と僕は思った。これからはぐっすり眠れるはずだ。僕はポケットに手を突っ込み、三枚のチケットを取り出した。それを額に押し付けると、上手くいきますように、と三回願って元の場所に戻した。うん、これで間違いない、と細い声で呟き、僕は車を発進させた。

 

 二時間後、高層ビルの前で車を停めると、平然さを装ってその中に入った。エレベーターの脇にいる受け付け係の女は、視線を手元に下ろしていたが、僕に気づくとさっと顔を上げて、曖昧な挨拶をすると、また下にやった。僕は自分が歓迎されていないことを知っていたから、すぐにエレベーターのボタンを押して、最上階まで行った。そして数ある部屋の扉で、一番奥の扉を開けた。

 

 「またお前か」としわがれた声が聞こえた。

 

 見ると、黒田 清蔵が仕事机に座っていた。彼は顎の白髭を擦りながら、眉間にぐっと皺を寄せていた。あまりに眉が寄っていたから、そのままピタリとくっついて、一本の線になりそうだった。タワシみたいに太くて荒々しい眉毛だ。今まで色んな人間と出会ったが、こういう人間はそう見つからないだろう。

 

 「ええ、父さん」と僕は言った。「倫助です」

 

 「別に呼んでいない」

 

 「僕は息子ですよ? 」

 

 「黙れ」と彼は唐突に言った。「俺はお前には少しだって、渡すものはない。それは全て俺のものだろうが? 」

 

 「……誰も金の話なんてしていませんよ」

 

 「お前の母の遺産だって、お前のものではない。もし、そんなものがあるのだとしたらね」

 

 「遺物ぐらいはあるでしょうよ」

 

 「どちらにせよ」と彼は言った。「それは俺が買ってやったものだ」

 

 「まあ」と僕は言って、ポケットからチケットを二枚取り出した。「今回はその話をやめましょう。これを渡しにきたんです」

 

 「……なんだこれは? 」

 

 彼は目をしかめて、差し出されたそれを睨むように見つめていた。組んでいる腕が、チケットを取るべきか、取らないでおくべきか、忙しなくそわそわしていた。

 

 「ハワイまでの豪華客船チケットです」

 

 「そいつを俺に? 」

 

 「ただの誕生日プレゼントですよ。もうすぐでしょ? 」

 

 「……なぜ二枚なんだ? 」

 

 「今の父さんの恋人の分です。たしか、理彩さんだったかな? せっかくだから気を利かせただけですよ」

 

 「からかってるのか? 」

 

 「息子がプレゼントをあげてるだけです。普通のことです」

 

 「……お前が俺に何だと? 」

 

 清蔵はゲラゲラ笑った。しかし、その手は二枚のチケットをしっかり掴んでいた。あまりに力強く、おかげでもう引っ込めることはできそうになかった。

 

 「……つまりだ」と彼は言った。「お前は俺と仲良くする気なんだね? 」

 

 「ええ」

 

 「俺とお前の母親のこともすっかり忘れるということだ。もう恨んではないし、諦めた。そういうことだな? 」

 

 「まあ、概ねそうですよ。あなたが理沙さんに恋をしたことで恨んではいません。もちろん、それで僕と母を無一文で追い出したことは忘れられそうになりませんが、それも致し方ないことです。それについては母も納得してました」

 

 「信じられんな。……あんなにしつこいお前が諦めたなんて」

 

 「じゃあ、チケットはいりませんか? 」

 

 「いや」と彼は神経質そうに言って、胸ポケットにチケットを入れた。「もうこれは俺のものだ」


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