気配
no.9
* 気配 *
本日2度目の麻酔は、フォーブスの訓練での疲れに相乗して、よく効いたようだった。視界がぼんやりとしていて、物の輪郭がはっきりしない。
気がつくと、どうやら検体の後奥の自室に移されていたようで、それを頭の隅で理解すると再び眠気が支配してきた。
今は何時頃なんだろうか。ヒスイとグエルはあれからどうしたんだろうか…。
そんな疑問も浮かんではくるが、身体を完全に支配している睡魔によって、微睡みの淵へと引きずり込まれていく。
どれくらい経っただろうか…
バタン!ガタッ!
ドサリ。
寝ているベッドが撓む。
騒音と振動で、意識が引き上げられた。
「……アオイ……」
この声は、ヒスイ。
まだ麻酔の余韻でスッキリしない頭で、ぼんやりとその声を捉えた。
重い瞼をかすかに開いて声の主を見ようとしたが、いつの間にか部屋の照明が消されていたらしく、暗闇にそれらしい影しかわからない。
「ん…ヒスイ…?」
「アオイ…僕は…」
髪に彼の指が掛かる。優しく髪を梳きながら、言葉の続きは一向に聞こえてこなかった。心地よい感触に、そのまま眼を閉じた。
そのまま何時間が経過しただろうか。
実に清々しい目覚め――――。
のはずだが――――違和感―――――右手が何かによって拘束されている…?
空いている左手による手探りでベッドサイドの間接照明を点ける。
眼を開けると、そこには栗毛。
私の手を握り、穏やかに眠るヒスイが居た。
「――――!?」
思わず飛び起きた。
昨夜のわずかな記憶を反芻しても、なぜここにヒスイが、なぜ私の手を握って寝ているのかわからなかった。
「ひ、ヒスイ…?」
疑問の主は、未だぐっすりと眠っていて、起きる気配がない。
そっと握られた手を解放して立ち上がり、ドアの横にある照明のスイッチを押した。
ベッドの隅に、ヒスイが寝ている。
明かりの下でよく見ると、あちこち傷だらけだった。グエルとの戦闘でついた傷だろう。もうそのほとんどが治りかけている。一体、あれからいつまで続いたんだろうか…。
「ん……」
僅かに身じろいで、すう、と心地良さげな寝息をたてる。
―――――あ…。
そこまで経過して気がついた。
自分が何も着ていない事に――――――。
「!!!!?!」
検体の時に脱ぎ捨てて、おそらくそのまま部屋に運ばれたのだ。
シーツはかけられたままだったようで、寝ている時は被っていただろう。
しかし…起き上がって部屋に立っている今は、間違いなく全裸…。
慌てて手近に畳まれていた服を着る。
「起こさなくて良かった…」
いくら無性体とはいえ、この状況下では複雑だ。
当の青年は余程疲れているのか、軽く揺すった程度では覚醒の様子がない。
これ以上起こすのも無粋か、と思い直して再度明かりを消し、部屋を出た。
「おはようアオイ。よく眠れたかい?」
「おはようドクター。麻酔のおかげでぐっすりですよ」
「そりゃあ良かったじゃないか」
多少含みのある言い回しにもドクターはケロッと応える。
こういう人には正直、救われる気がする。
「シャワーを借ります」
「ほいほい。ヒスイはまだかな?」
別にそう感じる必要もないのに、ギクリとした。
「ああ…まだ寝ています」
「そうか。疲れたかな?」
鼻歌まじりにコーヒーを飲む彼女をあとに、バスルームへ向かおうとキッチンを出る…。
「あ〜、アオイ!」
キッチンから呼び止められた。
「はい?」
「しばらく下には下りないでくれ。今、来客中だから」
……下……研究室のことか。
「わかりました」
来客中って、客人を置いてキッチンでコーヒーなんか飲んでていいのか?
という素朴な疑問が喉元まで出掛けたが、まあ、ここは彼女の家だ。
主人がそう言うのだから居候にとやかく言う権利はない。
シャワーを浴びて、キッチンに戻ろうとした所で、階下から話し声が聞こえた。
…客人の元へ戻ったらしいドクターの声。
たった1日で板についてしまった方法で、気配を探る。
「あれ…この感じは…?」
記憶に新しい。しかも、昨日覚えたての技術で、覚えのある人物は限られる。この敷地に居合わせた全員。その中でも取り立てて注目していた気配の人物。
―――グエル?
まさか、敵認証の人物がここにいるとは思わなかったが、考えてみれば、彼を純粋に敵としているのはヒスイただ1人。ドクターにとっては研究対象の患者である。
そうか…ヒスイとの戦闘で深手を負ったから、治療を受けてるのか。
クレイルやフォーブスに忠告されてはいたが、好奇心が勝ってしまう。
せめて会話の内容だけでも聴き取りたくて、階下に繋がる螺旋階段の降り口までそっと近づいた。
「……るんだろう?どこに隠している?」
「さてね。何の話だか?」
「とぼけるなよ。あのヒスイが手ぶらで帰ってくるとは思えないぜ」
「へえ、そこは認めてるんだな」
―――私の話か。
「洞窟の部屋には、明らかに乱れがあった。あの部屋を使ったのは確かなんだから、どこか近くにいる筈だ。なあ、ドクター、正直に言えよ」
「ヒスイに訊かなかったのか?」
「あいつが教えるわけないだろう…俺はあいつに嫌われてるからな。まったく、ほんとに可愛げのない猫だぜ」
呆れたような調子でグエルがぼやく。そこには、昨日感じられた殺気や嫌悪といった感情は感じ取れなかった。
「しかたねえな…他のやつにあたるか…」
「他?心当たりがあるのか?」
「ここにはもうひとりいるだろう?あんたとヒスイの他にも」
……?
「おい、そこの。ドクターの預かり者とやら。お前知らないか?ソウっていう蒼い髪の奴」
「「―――――!」」
しまった。気配の消し方くらい教わっておくべきだった…。
ドクターもさすがに固まってる。
「おい?聞こえてるだろ?」
こちらに向かってくる様子はない。おそらくベッドに横になって治療中なのだろう。
「………」
何も言わずにそっとその場を離れる。
「あ、なんだよ?向こうに行きやがった…」
「…あの子は人見知りなんだよ」
事情を察したドクターがうまく言い訳する。
「昨日はヒスイとの戦闘を観戦しにきてたぜ?まあ、確かにろくに喋りもしなかったが」
「ああ、お前が美人だって聞いて見に行きたがったんだよ」
「お?そうか。良い情報だ」
少々気を良くしたようだ。そのままおとなしく治療を受けていたそうだ。
「全く、ヒヤヒヤさせないでくれよ」
グエルが治療を終えて帰ったあと、リビングのモニターでこちらのネット放送を観ている私にドクターがぼやいた。
「ああ、終わったんですね。ごめんなさい、近づいたりして…でもまさかグエルだと思わなくてつい…」
「まあ、気配が難なく探れるようになったのは良い事なんだがな」
「それなんですけど、逆に消す方法ってあるんですか?」
「あるよ。もっとも、完全に消えるわけではないらしいがね」
「…?限界があるってこと?」
「そんなとこかな。軸を作り出すのに、この惑星のコアと繋がっただろう?そこがポイントなんだ。この方法は地球上にある全てのモノに反応する。周りの植物や動物、小さな石ころ、大気までも。その中で目当ての対象に意識を向ける事で、探り出す気配を絞り込むんだよ。眼の焦点を合わせる事と似ているな」
「あ、なるほど」
「だから、そういう術を持って探っている者を相手に、存在を全くの”無”にする事は出来ない。出来るのは”成り済ます”事だ。そこらの樹や石ころのように…」
「そ…れは…難しい…」
思わず唸ってしまった。気配を石ころに?
「難しそうだよな…確かに…」
ドクターも苦笑する。
だが、と彼女は続けた。
『マルチ』の思念ならばそれが易々と可能になるらしい。
「フォーブスやヒスイに習う事だね。私には、無理」
お手上げのポーズで、ドクターはまた階下に下りて行った。大方、グエルから何かサンプリングしたんだろう。
フォーブスに聞いた所によると、ドクターは『マルチ』の治療に代金を請求しないらしい。
――――「代わりに身体で払うんだぜ」
「は?」
ニヤニヤ笑っている白い男。
「アオイ、細胞、細胞だから!」
たまらず、といった様子でヒスイが横槍を入れた。
「あ、ああ、サンプル提供…」
「なんだよ、ヒスイ〜…間違ってはないだろう?」
「語弊が甚だしいんだって!」―――――
そういえば、ヒスイはまだ起きてこない…。
あれから3時間は経った。昨夜からとなると、もう起きていい筈なんだけど…。
リビングを出て、部屋へ向かう。もちろん、ヒスイの部屋ではなく、彼が寝ている部屋、だ。
カチャ…
「ヒスイ」
静かにドアを開けて呼んでみる。
「ん……」
衣擦れの音と共に、影が起き上がった。
照明を点けると、眩しそうに眼を瞬かせてぼんやりと覚醒していた。
身体中にあった傷はもう痕形無く癒えている。
「よく眠れた?」
「あれ、ここ…?」
自室でない事に気付いたらしく、少々困惑した眼を私に向ける。
「いや…私に訊かれても…」
私が覚える限りの事情を説明すると、目の前の侵入者は顔を真っ赤にして謝った。
「ほんっとごめん!僕、フラフラで、でもアオイの事考えながら戻ったから、無意識にここで寝ちゃったんだと思う…」
「ははは、びっくりしたけど、別に何かあったわけでもないし、気にしないで」
心配してくれたんだし、元をたどれば、グエルが私を追って来たのを防いでくれたのがそもそもの原因。私に彼を責める気が起きる訳も無く。
「でも、でも、いくらsexless[セクスレス]でも、中身は女の子なんだし…」
「いやいや、ほんとに、そこらへんも気にしないで!意識されると、こっちも居場所がなくなっちゃうから…」
――――ほんとに。そう女の子扱いされると、嫌でも意識してしまうから。
「…そうか、そうだよね。ああ〜もうほんと僕、最低…」
赤面して頭を抱え込むヒスイ。
その姿がなんとも可愛くて、気にしないで、と彼の頭を撫でる。
「でも…」
その手首をヒスイが掴み、真剣な瞳でこちらを見上げた。
彼の思わぬ行動に、心臓が急激に拍動を始める。
掴まれた手首に血液が集中していくようだ。
合わせた視線は囚われて逸らす事が出来ない。
「僕は…」
端麗な眉を寄せて、哀しげな表情に変わる。
「………」
その続きの言葉は、またしても出てこなかった。
神経を集中させて彼を探ってみようかと試みたけれど、眼前の瞳に囚われたままの状態ではそれも不可能だった。
そっと手首が解放されて、哀しげな表情のままヒスイが笑う。
「ごめん。何でもないや…」
「ヒスイ…?」
「不法侵入と安眠妨害、ホントごめんね」
彼は気を取り直したようににっこりと微笑んでベッドから立ち上がると、すれ違い様に私の肩をポンと叩いて部屋を出て行った。自室の方向には向かわなかったから、おそらくシャワーを浴びに行ったのだろう。
僕は―――
昨夜に続いて、2度言いかけた言葉。
その先に続くのはどんな言葉なんだろう…?
ひとり頭を捻ってみても、答えらしきものに辿り着ける訳でもなく。
その言葉と共に浮かぶあの哀しげな瞳に、また囚われてしまうのだった。
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