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蒼sou  作者: 櫻木 馨
8/14

体軸

no.7


* 体軸 *




「まず、何事を行うにしても、身体の中心を常に感じていられるようになれ。そうすればこの惑星がお前を繋ぎ留めてくれる。たとえ空を飛んでいようとも、何万光年先の星にいようとも、時間を越えていようとも、必ずこの大地に還って来られるようにこの地球がお前と繋がっていてくれる」



「…ええと…む、難しいんだけど?」


「うるさい。さっき出来ただろ。中心を感じろ。それがお前の体軸だ」



静かに、低く淡々とフォーブスが指示する。

研究所の外、ヒスイと登った岩壁の側に円形に拓けた場所があり、高い木々に囲まれているそこは例えば激しく暴れ回ったとしても『ダブル』に見つからないように幾重ものトラップが仕掛けてあるという。

今はさらにヒスイが集音しながら警戒している為、絶対安全な場所となっていた。


私はまず、フォーブスに武術を習う事から始めた。

フォーブスは幼少の頃から戦いに長けていて、それも能力が少なかった為に生身で戦う方法を様々な情報を集めて学んだそうだ。結果、10歳の頃には大人の『ダブル』を一撃で伸してしまう程の術を身につけてしまっていた。

色素が足りず目立つ容姿を一度は隠そうとしたが、どんなに擬態しても元々ない色素を作り出す事は出来なかった。それ故、敵に出会えば戦うしかなかった。


「必要に駆られれば、出来ない事などないんだ。俺たちの身体はどんな状態にも適応していける。最初から出来ると思い込んでいればいいんだ」


「はあ…」


そう言われて、さっき呼吸機能を回復した時のように眼を閉じて耳を澄ます。

あの大樹のイメージのおかげで、今度は容易に集中できた。

身体の芯が熱く感じられ、両足が吸い付くように地面を捉えている。


「…驚くべき学習能力だな」


見ていて様子が変わった事がわかるらしい。フォーブスが素直に驚いた。


「それは、よく言われるよ」


なるべく集中を切らないように慎重に眼を開けた。


「よし。そのままだ。その状態を常に保てるように心掛けておけ」


言って、フォーブスは足元の小石を拾い上げて、こちらに投げた。


「――!」


思わず小石が当たらないように身体をよじる。全く油断していたので、すぐに集中が切れてしまった。


「ほら。すぐに立て直せよ」


なるほど。今日は体軸を叩き込んでくれると言っていたな。

意図を汲み取ると、すぐに眼を閉じて、イメージをやり直した。


次に眼を開けると、至近距離に大きな白蛇がいた。

といっても、実物ではなく、例のフォーブスの”思念視覚化”の能力によるものだったが。それでもかなりリアルに鎌首を持ち上げてこちらを威嚇する紅い瞳は見るものを萎縮させるのに十分な迫力を持っていた。



「〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」


声にならない叫びが、辺りに響いた。

心臓が破れるかと思う程に反応して、一瞬息が出来なかった。


「油断すんなよ。ここいらにはお前の常識を逸したモノが大量に居るんだからな。何事にも動じない経験が必要だ」


「だ、だからって…まだ始めたばっかなのに…」


「甘えるくらいなら、その身体、ソウに返した方がいいぜ」


グッと言葉に詰まった。彼の言う事は正しかった。

彼らだって同じように命懸けで毎日を暮らしているのだ。故にこんな中途半端な状態の私に構うことは、自らの危険が伴う事。消えたくなければ、この身体を一刻も早く自分のものにするしかない。


「ごめん。もう一回」


何度も何度も根気づよく、フォーブスは私の訓練につきあってくれた。

きっと私の為でなく、ソウの為なのだろうな、と思った。




しばらく同じ作業を続けていると、だいぶ状態を維持できるようになってきた。眼を開ける度に異形のモノが目の前に登場したが、慣れという奴なのか、ありのままの姿を受け入れる事が出来るようになった。

そのままの状態で、フォーブスと長い会話をする事も可能になった。


「ふん、なかなか飲み込みが早いな。今日はこれくらいにするか」


「ありがとう。フォーブス」


「礼を言うのはもっと後にしろ。こんなのはここで暮らす為の服みたいなものにすぎん。それよりも、日常、その状態は維持していろよ。それだけで、周囲の些細な変化を読み取る事が出来るんだからな」


「わかった」



「あ」


唐突に、ヒスイが声を上げた。それまで岩場に座って静かに周囲を警戒していたのだが、なにかに気づいたらしく立ち上がった。


「どうした?」


「クレイルだ。ソウの洞窟の入り口にトラップが仕掛けられたらしい」


「ソウの…?」


二人が私を見る。しかし、私にはなぜ座っていただけのヒスイにその情報が与えられたのかが疑問だった。クレイルと言う名前も初めてだし。


「もうすぐこっちに着くよ」


「アオイ、クレイルってのは俺たちの仲間の1人だ。俺らはだいたい4人で行動しているんだ」


新しい情報に戸惑っていた私にフォーブスが教えてくれた。


話しているうちに、ザワッと風が吹き抜けた。



「トラップは”スパイダー”でしたよ。すべて焼き払っておきました」


唐突に背後から声がした。

慌てて振り返ると、すぐ後ろに朱色の髪をした人物が立っていた。


「お帰りなさい…いや、初めまして、かな?アオイですね?」


す、と白い手が差し出され、反射的に私も手を差し伸べた。


「クレイルと言います。ふふ、なんだか妙ですね。ソウにしか見えないんですけど。」


「アオイです。よろしく」


にっこりと朗らかに笑うクレイルは、ヒスイと同じくらいの背丈で、頭のてっぺんでまとめた艶のある朱色の長い髪は、角度によって少し色が違って見えた。瞳の色は漆黒。黒眼がちなそれは、どこか色っぽい印象だった。


「やっと、いつものメンバーが揃ったな」


「あの、ヒスイ、なんでさっきクレイル…が来るってわかったの?」


「うん?クレイルがそう言ったからだよ?ほら僕、”集音”してたから。最大範囲にしてたから1キロ圏内は聞こえるよ」


「あ…そうか。そんなにハッキリ聞こえるもんなんだね…」


「私は事前にアオイたち3人がここで訓練する事を聞いていましたから。ここを使う時はヒスイがいつも”集音”しているので、それに向かって、独り言のように話せば良かったんです」


フォーブスと違って、丁寧な言い回しで喋るクレイルはとても穏やかだった。


「それで、トラップが”スパイダー”っていうのは?」


「その名の通りですよ。蜘蛛の糸を使って捕獲対象を絡めとるんです。もっとも、こちらの蜘蛛は平均で30センチ程の体長をしていますから、その糸の強度は21世紀のそれの比ではないですけれど」


「は……30センチ…。できればお目にかかりたくないなぁ…」


「大きいと3メートルのものもいますよ」


本当に穏やかな表情で、恐ろしい事をさらっと言って退ける。この人も、やはり『マルチ』なのだなぁ…としみじみ思い知らされた。


「入り口にトラップが掛かっていたってことは、ソウのあの部屋は?」


「ああ、あの闇の中でソウの部屋を識別できる程の視力を持っている『ダブル』はなかなかいませんよ。無事です。その前に、辿り着けたのかも不明ですがね」


クスクスとなにかを含んだように笑っている。

確かに、外までの迷路のような道のりは、慣れていないと確実に迷ってしまう。今の含み笑いを聞くと、他の道がどこへ続いているのかなんて、考えただけでも悪寒が走る。


「だがまあ、昨日の今日でソウの洞窟が狙われたって事は、奴らまだ近くにいるなあ。グエルもここに向かう途中にトラップに掛かってるしな」


「グエルが掛かったトラップは、南のシェルター付近のスクラップ場だそうですよ」


「スクラップ場?何でまたあんな所通ったんだ?」


「さあ、そこまでは…」


「グエルっていうのは?仲間?」


確か、さっきヒスイが真っ赤になって怒っていた人だ。


「ああ〜…いや、仲間っていうか…」


フォーブスが横目でちらりとヒスイを見遣って、やけに言葉を濁す。ヒスイを見ると、少し不機嫌そうに眼をそらした。聞いてはまずかったのか、とクレイルに助けを求めた。クレイルはニコリと微笑んで応えてくれた。


「グエルは『マルチ』ですよ。私たちとも、わりと交流がありますね。特に、ソウとは関わりが深いと言ってもいいんじゃないでしょうか…」


「クレイル!」


ヒスイの非難するような声がかかる。


「必要な情報ですよ、ヒスイ。何も知らなかったら、アオイが危険な目に遭うかもしれないんですから」


「う、まあ、そうなんだけど…でも…」


「ヒスイがついているんだから大丈夫でしょうけど、万が一、何も知らずにアオイが自ら近付いたらどうするんですか」


ぶう、と拗ねたような表情でヒスイがちらりと私を見た。


「…危険なヒトなの?」


「ま、ある意味危険です。早い話、あなたの貞操が」


「て……?…は?」


クスクスとこちらの反応を楽しむように、クレイルは続けた。


「グエルは幼少の頃からソウにご執心なんですよ。ヒスイと出逢う前から。そう言う意味では幼なじみという所でしょうか。彼はソウに強い憧れを抱いています。ソウは人並みはずれた野性的な力を持ち、どこにいても人を惹き付ける強いカリスマを持っている。それを側でずっと見ていて、その遺伝子が欲しくならないわけがない。グエルは常にソウの後を追い掛けていました。残念な事に、ソウがその気持ちに応えてあげる事はなかったんですがね」


「ソウの事が好きだったの?」


「似たようなものです。より強い子孫を残す事が私たちの生きる目的ですから」


「えっと…ちょっと待って。『マルチ』は、その、年齢的にどの位から、子孫を…その、行為を…?」


「ああ、貴方の居た所とそんなに変わらないんじゃないでしょうか?ドクターに聞いてみないと、はっきりした事はわからないのですが。ですから、幼少期はひたすらあとを着いて回る感じですよ」


「厄介なのは、そのあとだよ」


まだ嫌そうな顔のヒスイが心底嫌そうにそう言った。


「そうですね。ソウがヒスイと出逢ってからは、火がついたように猛アプローチを始めました」


「ヒスイと出逢ってから?」


「はい。ソウとヒスイの出逢いは、両者にとっても、私たち他の『マルチ』にとっても、運命的だったのです」


「ええと、瀕死のヒスイをソウが助けたってやつ?」


「はい、その運命の出逢いでヒスイがソウに翼を与えたんです」


「え?」


「違うよ。ソウの翼はソウが勝手に生やしたんだ。僕は死にかけてたんだから」


「まあまあ。ヒスイを助けようとした事で、ソウに翼が生えたんだから。結果としては同じ事ですよ」


「とにかく、ヒスイの救助の為に、翼を使えるようになったんだね?」


「そうです。それまで自分の意志ひとつで翼を出して、しかも滑空できた人間なんていないんですから、この出逢いは、人類の進化の歴史としては大いに意義のある事だったんです」


「…おおげさすぎるよ」


ボソッとヒスイがこぼした。

フォーブスがそんなヒスイの頭を撫でる。


「そんな歴史的人物がすぐ側にいて、しかも長年追い掛けている幼なじみですよ。年頃もちょうど交配が可能になる時期。グエルは一気に行動に移したんです」


「行動って…」


「女性化してソウの寝込みを襲ったんだよ」


フォーブスがニヤニヤして割り込んだ。


「ぇえぇええ?寝込みを…って!」


「でも失敗しました」


あっけらかんとクレイルが流れを取り戻す。


「ソウは、ヒスイを救ってからは怪我が完治するまで常にヒスイを側に置いていました。もちろん寝る時も。それはそれは飼い猫のように」


言ってちらりとヒスイを見遣る。

ヒスイは少し赤くなって腕に顔を埋めた。


「グエルが夜這いに挑んだ時も、ソウの隣にはヒスイが寝ていて、驚いた飼い猫が侵入者に襲いかかったのは当然の流れでしょう。それに、片方がsexual[セクシャル]に変化した所で、相手がsexless[セクスレス]であれば全く意味をなさないんです。そう言う事で、グエルの初の試みは無駄に終わったんです」


「それからは、毎日のようにヒスイと喧嘩。肝心のソウは、グエルには関心がない上に、飼い猫のヒスイを溺愛しているからな」


「で、きあい…」


ソウが、ヒスイを?


ざわ、と胸の辺りが騒がしくなった。


「フォーブス!よけいな事を!」


先程よりも真っ赤になったヒスイがフォーブスを睨みつけた。

フォーブスのニヤニヤが更に深くなった。



「おわったかい?」


研究所の入り口から、ドクターがこちらに向かって叫んだ。


「あ、ドクター。今日の分は終了したぜ」


フォブが応える。


「じゃあ…」


ドクターが手に持ったものをこちらに向けた。


「――!!」


周りの3人の緊張が読み取れた。


一瞬の後に、ビッビッと音がして、フォブ、ヒスイ、クレイルの順にその足元の土が舞った。三人が三様に宙を舞い、ドクターの手から放たれたものをかわした。

その隙に、ドクターの手は私の方に向けられる。


同様にビッと音がした瞬間、私の身体は強い衝撃と共に宙を舞った。元いた筈の場所に土埃が舞う。


「はは、上出来。さあ、始めようか」


ヒスイに抱えられた私は、彼と共に地面に降り立った。


「………」


言葉にならなかった。

目の前で銃を使われたのも、狙われたのも初めてだった。危険なものなのかという判断すら、その一瞬では不可能だった。


「ドクター…アオイ固まっちゃったよ?」


ヒスイの腕に支えられて立っているのがやっとだった。

目の前のドクターは、心底楽しそうに笑っている。


「大丈夫。アオイの学習能力は半端じゃないから、これくらい乱暴にしてもちゃんと情報は処理されている筈だ」


「確かにそうだろうけど…」


「おい、平気か?」


フォーブスが伺ってくるが、目を合わせるだけで、何も考えられなかった。


「おい…?」


フォーブスが心配そうに覗き込んでいる。

肩を支えるヒスイの腕に力がこもった。


「アオイ?」


ヒスイの声が、耳元に響く。

同時に、頭の中に音が聞こえてきた。


音…?というよりは声だろうか…。


――――……だ…のてい…で…


若い男の声?途切れ途切れで、聞こえづらい。

周囲の心配をよそに、眼を閉じてその声に集中する。


――――…まえ……を…ろす…か


何を言っているんだろう?というより、誰が…?


――――……たろ…うやるんだ!


最後の部分が叫びのようにはっきりと聞こえた瞬間、体中に電流が走ったように気が流れた。先程、フォーブスと訓練したよりもはっきりと体軸が意識できる。大地と繋がり、この惑星のコアと繋がっている感覚。繋がったコアから熱い気のようなものが、体中に立ちのぼった。


不意に視界が明瞭になって、取り囲むすべてのものの息づかいが感じられた。私を支えるヒスイの背後にクレイルが立っている事が、見なくてもわかった。


これは…おそらくソウの感覚だ。


「アオイ?本当に、具合が悪くなったのか?」


ドクターが気まずそうに近づいてくる。その手には、緑色の小型のレーザーガンのようなものが握られたままだ。

それが眼に留まると同時に、私はヒスイの腕を抜け、流れるような動作でドクターの右手からそのガンを抜き取った。そのままそのガンをドクターのこめかみに当てる。


「!!」


その場に居たものすべてが驚愕のあまり声を出せなかった。

私も、私自身のとった行動に驚いていた。だが、頭の中では冷静な自分が、今までの情報の処理を終わらせていた。


「周囲の些細な変化を読み取る事が出来る……こういうことか。フォーブスが教えてくれていたのは」


ドクターのこめかみを狙ったまま、呟く。

青ざめながらも、ドクターがニヤリと笑った。


「情報吸収完了、という所か。物騒な答え方だな」


「最初に物騒な方法をとったのはあなたの方でしょう?」


「違いない。荒療治とでも思ってくれ」


ふ、と笑って、ヒスイを見た。

彼は信じられないものを見たような顔で私を凝視していた。


「ヒスイ、身体の使い方がわかってきたよ」


笑顔で報告すると、ヒスイの顔が複雑な表情を作る。


「今のは、アオイが…?」


「え?」


「ソウみたいな動き方したよな…」


フォーブスも怪訝な顔つきだ。


「ネコ科の動物のような、野生のしなやかな身裁き…まさしくソウの…」


クレイルが呟く。


確かに、身体の感覚はソウのもだとわかった。しかし、動かそうと意識したのは私の意思だった。



「………ソウの身体を使ったんだから、当たり前じゃないか」


言葉が出ない私の代わりに、ドクターが言ってくれた。


「今この身体を動かしているのはアオイだよ。一体、お前たちはソウとアオイ、どちらに残ってほしいんだい?」


「!!」


再び微妙な沈黙がその場を包む。


ソウとアオイ、どちらに…?



そんな答え、聞きたくない。



「次は、ドクターの講習ですか?」


わざと話題を変え、狙いを定めていた銃をそっとドクターの手に返して訊ねる。


「……ああ。そう思ったんだがな」


「…?」


「予定変更だ。どうやらフォブに呼吸機能を治療されたようだね。今の動きも気になるし…」


「またサンプリング?」


訊くと、ニヤリとして頷いた。


「じゃあ、今日はもう解散だな。クレイル、トラップの事を詳しく聞かせてくれ」


フォーブスがやれやれといった様子で、クレイルを引き連れて研究所に戻っていく。

ヒスイはぐるりと辺りを見渡して、先に行ってて、と私たちを促す。

何か気にしている様子のヒスイを残し、4人で研究所に戻った。


「ヒスイ、どうしたんだろう?」


フォーブスに向かって問うた。

彼はクレイルと眼を合わせて、ほっとけ、と肩を竦めた。


「プライベートな事だよ」


そう言われると、放っておくしかない。

でも、何か気になるのだ。


そうだ、


周囲の変化を探るには、先程習った体軸の意識。ドクターの不意打ちと急なサンプリング提案の所為ですっかり忘れていた。


あの、ソウの感覚を使った時の感じ―――かなり詳細に周囲の様子が伺えた。

感覚がイメージできれば、あとは容易だった。


さっきまで居た広場に意識を向けてみる。


かすかにヒスイと思しき気配がある。感じられる限りでは、あまり穏やかな様子ではない。そして…そこからそう離れていない所に、もうひとつの気配があった。


……誰か居る?


無意識に立ち止まってしまった。並んでいたドクターが気づく。


「ん、なんだい?トイレ?」


ドクターの声に、前を行く2人が振り向いた。


広場を動く2つの気配が、近づいている。それも、かなり険悪な気配だ。


私の様子に気づいたのか、クレイルが眉を顰める。続いてフォーブスも。

その術がないドクターはきょとんとしている。


「アオイ、気にしてはいけない」


クレイルが制した。


「でも…誰かいる…」


「いいから、お前は検体が先だ!」


フォーブスが強引に腕を引いた。

とっさに、それを払い除けて踵を返す。


「アオイ!」


掴まれる肩を振って、元来た道を走った。




戻った場所に、ヒスイは居なかった。



身体の内側に意識を向けて気配を捜すと、広場から少し茂みの中に入った所に居るようだ。近づいた分、一層強く険悪な感情が感じ取れる。


「顔を見ておくいい機会ではあるな」


追い付いてきたフォーブスが背後で言った。


「しかし、もう気付かれている筈ですよ。こちらのメンツも」


「いや、気配の種類がソウとアオイでは違う。あいつに姿さえ見せなければ、悟られる事はない」


「ああ、なるほど」


2人がそう話しながら私の前に立つ。


「まったく、擬態出来ればもっと簡単なんだがなあ」


フォーブスがぼやいた。

くるりとこちらを向いたクレイルがにこりと微笑んで、着ていた上着を脱いで裏返し、私に被せた。


「頭から被っていて下さい。この服は辺りの景色を映し込んで、あなたの姿を隠してくれます」


「そして俺の作った思念を被せれば、全くの別人というわけだ」


目の前には、見知らぬ少年の幻影が現れ、私の前に立っている。


なぜ自分がカモフラージュされる必要があるのか、と眼で問えば、察しの良いクレイルは極上の微笑みで教えてくれた。


「あなたの貞操の危険があるからですよ」


ということは…




念のため、2人に前方を警戒されながら、少しずつ茂みの中の気配に近づいていく。



遠くに人の姿が見える位置まで来て、足を止めた。



「なんだ?今日は保護者付きか?」


初めて聞く声が、ヒスイに問いかける。

姿はこの位置から確認できない。が、ビリビリとした殺気がこちらにも向けられた。さすがに、身を縮める。


「は、お前の相手は僕だけで充分だろ?」


聞いた事がない声色で、ヒスイが答えた。ちら、と咎めるような目つきでこちらを伺い、チ、と舌打ちする。

普段の温和な彼からは想像もつかない形相。纏う気配は、



――激しい嫌悪。



「ようグエル、トラップに掛かったんだってなあ」


おもむろにフォーブスが問いかけた。


「ッ…うるさい!」


バシッと音がして、頭上の木の枝が折れ、降り掛かってきた。

クレイルが私を抱えて飛び退いた。フォーブスもひらりと避ける。


見ていたヒスイが前方の木陰に飛び掛かった。


「お前の相手は僕だと言ってるだろう!」


ヒスイの触れた木がドン、と破裂して、破片がその上に居た気配の主に襲いかかった。空中に木っ端の塊が浮かぶ。


一瞬の間を置いて、塊ごと、気配の主が地面に叩きつけられた。


「うグッ…!」


飛び散る破片の中に現れたのは、プラチナブロンドの青年。全身に細かな傷を負った彼は縮めた身体を起こし、ヒスイを睨みつけた。

背丈は今の私と同じ位か。ヒスイのようにしなやかな細身の身体つきで、背中まである長い髪は三つ編みでまとめられていた。瞳の色は淡いブルーで、その顔は…


「すごい美人…」


思わず感想がこぼれた。

ヒスイと同種の、人形のような美しさ。つり目がちな瞳に長い睫毛、細く通った鼻筋、ふっくらとした唇。例に漏れず、肌は透き通るように白い。


「はは、そっちの新顔は、俺の顔に一目惚れか?」


ギクリとした。

服の破片を払いながらグエルがこちらを見ている。

ソウである事はバレていないようだったが、見蕩れてしまっている事は気配で気付かれてしまっている。


咄嗟にクレイルとフォーブスが私の前に立ち、その視線を断ち切ってくれた。


「こいつはドクターからの預かりものだ。手を出すなよ」


「へえ、そうかい。まあ俺の目的はひとつだからな。『ダブル』に用はないね」


それを聞いたヒスイがグエルに歩み寄り、その左腕を掴んだ。


「ぐあッ!」


グエルの美しい顔が、痛みに歪む。


「トラップで腕を抉られたばかりだろう?まだ完治してないよね。これじゃ勝負にならないよ」


冷ややかな微笑みを向け、その腕を更に捻り上げた。


「ああああ!」


悲痛な叫びが響いた。

その隙に、フォーブスが私を担ぎ上げてその場から離れていく。なぜ、という私の抗議の声は、彼の手によって塞がれ、強引に茂みから連れ出されてしまった。


そのまま研究所まで運ばれ、扉を閉めた所で解放された。

被っていたクレイルの上着を脱いで、抗議した。


「なんで?フォーブス!」


「うるさい。見せてやっただけ感謝しろ」


「そうですよ、アオイ。まさか、あなたにグエルの意識が向くとは…。正直ヒヤリとさせられました」


「今のアオイの状態とドクターつながりで『ダブル』だと思ってくれたのが救いだな」


深いため息をつかれてしまった。


「……ごめん。ありがとう」


力もないくせに我侭な行動で2人を振り回してしまっていた事に気付き、そう謝罪した。ポンポン、とフォーブスが私の頭を撫でた。


「ソウの姿で謝られると、なんか気持ち悪いな」


……どうしろと?


確かに、とクスクス笑うクレイルの後ろから、ドクターが現れた。


「もう、早く検体させてくれないか?」


そう言いながら採血用の注射器をギラつかせている。


「あ、ごめんなさい。すぐ行きます」


くるりと向きを変え、スタスタ歩いていくドクターを追って、研究室に降りた。

遠くの2つの気配は、まだ同じ場所に居るようだった。






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