新種
no.3
* 新種 *
「君は『マルチ』だ。僕も。どうやらポータルの磁場が強すぎたんだね…」
私の顔を両手で包み込んだヒスイが、少し悲しそうに見つめる。
『マルチ』……?私が?
思いがけず告げられた言葉は、にわかに信じることが出来なかった。
特異な能力、超人的身体能力…ヒトの新種…?
「だって、私には何の特殊能力もない…」
21世紀で生きていた私には、その場を平凡にやり過ごす力しかなかった。
学力も体力もほぼ平均点。そんな私の遺伝子が多重螺旋であるはずがない。
「今は記憶とともに閉じ込められているからね。それに意図的ではなく、ポータル…時間枠の出入り口で強い磁場を通り抜けているから、戻るのにはかなり時間がかかるのかもしれない」
「意図的でなく?」
「うん。君が時間を超えてしまったのは、アクシデントだったんだ。仲間と数人で、墜落した隕石を調査していたときに、君が立っていた足場が崩れて隕石の周りに出来ていた『歪み』の中に落ちてしまった…。この世界はまだとても不安定なんだ。だから、隕石の墜落のような強い衝撃が起きるとその周辺の磁場が乱れて時空の歪みが出来てしまう。僕もすぐに飛び込んで追い掛けたんだけど、君の流れに間に合わなくて、1年遅れた時間に辿り着いたんだよ」
ヒスイが私の手を優しく握った。
「そして、僕らは身体に防衛機能を働かせることが出来る。防衛機能って言っても、なにかスイッチがあるわけじゃない。強く意識すれば良いだけなんだ。この場合、意識するべきことは『自己』だね。『自分が自分であること』を意識するだけで、自分の意識を乱そうとするものから、守ることが出来る。僕は君を追い掛けるときに、それを行った。だけど、君は足場が崩れて落ちるときに地面に一度叩きつけられていて、そのときに気を失っていた可能性が高い。無意識で『歪み』に入ってしまったから、自分を守ることが出来なかったんだ」
「意識するだけって…信じるものは救われる…みたいな話?」
「そうだね。ヒトのカラダなんて単純なんだよ。『こうありたい』と強く意識することで、理想を現実に出来るんだ。想像妊娠なんか、その最たるものだよ」
クスクスと少年は笑って、握った手の指を絡ませて遊ぶ。
表情がくるくる変わるので、知らないうちに見とれていた。
「僕ら『マルチ』の能力は個人差がかなりあるんだけど、じつはそのほとんどが、その『意識すること』から始まってる。出来る、ってハナから思い込んでいるからね。そうやって育てられて、何代も重ねることで、僕らの力はどんどん進化したんだ。この世界には、21世紀では超人とかサイキックとか言われた輩がゴロゴロしているよ」
そう言いながら、彼はベッドの上から水に両足をつけ、そのままトプンと水に入ってしまった。どこまでも透明な水中を覗き込むと、どんどん水に沈みながらヒスイが手を振っている。天使が舞い降りるように底の砂地まで降りると、それから彼はゆっくりと歩き始めた。
部屋の壁に沿って、水中を歩く。少しずつステップを踏むような動きになり、砂の地面から、水中に舞い上がった。アイススケートのリンクを滑るような、滑らかな動きでゆっくりと水中を部屋いっぱいに旋回している。
「まさか…息が続いてるの?」
もう1分は悠に過ぎただろう。それでも彼は頭上の私に微笑みながら潜水したままだ。部屋を何周か旋回して、また底に降り立ち、こんどはペタリと座り込んだ。
そのまま砂を掻き集めて山を作り、そこにトンネルを掘り始める。
水の中の小さな砂山にめでたくトンネルが開通するわけもなく、掘った側から砂山はボロボロと崩れてしまった。その様子に首を傾げた少年は身体を大の字にして寝転がる。
「ぇえ?」
手元の腕時計とヒスイを交互に見ながら5分が過ぎていた…。
私の驚いた声が聞こえたのか、彼はニコッと笑顔を見せて水底から起き上がって、そのまま一気に私の目の前まで上昇した。
ザパッ
「こういうこと」
「な…ありえない…」
「だいたい20分間くらいは保つよ。個人差はあるけど、訓練次第でもっといける」
「私にも?」
「あたりまえ。ソウは潜水が得意なんだよ。僕の倍は潜っていられる」
「はぁ?」
どんなに記憶を辿ってみても、水に入るのが特別好きだったわけでもなく、人並みに泳げはしたが、自らプールに通ったり海水浴に出かけた思い出はない。
「別人…では…?」
「だね」
そう言ってニコッと笑う。
「確かに別人だよ。ソウの記憶も、身体能力も、アオイにはないからね」
「えっそんな…!こんなところまで連れて来ておいて、人違い…!?」
「いや、君は間違いなくソウだよ。僕が見つけたんだからね」
「意味が分かんないよ…。その自信は…根拠は何?」
「それはこれから君の身体に現れる変化が証明してくれる」
「変化?」
「そ。こっちに来た時から、すでに君の身体は元に戻ろうとしているんだよ」
私は自分の手を見た。掌と甲とをよく見てみたけれど、何の兆候もなかった。
次にその手をおそるおそる顔に這わせる。皮膚の感覚や耳の形を改めてみても、変化があるとは思えなかった。そのまま髪を触る。長さも感触も変わりないように感じるが…
「!?」
間近でハッキリとは判らないが、光に透かした黒髪が…
「青い…?」
黒いのは黒いが、光を浴びると青いのだ。
ヒスイが会心の笑みを浮かべている。
「その髪の色は、ソウだ」
『擬態』
ということになるのだという。
身の周りの危険から己を守るために、姿を周りのものに似せることだ。
「防衛機能の一種だよ。この世界の姿では過去では目立ってしまうから、本能的に身体が変化したんだ。僕みたいな栗毛はあの時代の日本では珍しくないけど、さすがに21世紀で天然で蒼い髪はまだいないからね。ほら、蒼いバラがやっと出来た頃なんだから」
「それでもヒスイは十分目立ってたよ?」
「そうかな?いるでしょ、これくらい。茶髪はフツーに」
「ていうか、眼の色がね…。純粋な日本人にはまずいないよ」
そして、人形のような顔立ち。
「でも、気味悪がられたりしたことはなかったよ?」
「そりゃ、それだけ綺麗な顔してりゃ、気味が悪いって言うより先に見蕩れますもの。月の王子様…」
「月の王子様?」
きょとん、と自分の顔を指差してヒスイが放心した。
その様子を見て、吹き出しそうになった。
にい、と彼がはにかんだ笑顔を見せる。
「きみも?僕に見蕩れたの?」
「うッ…そりゃあ…私も一応女の子の部類に入ってるし…」
なぜか、動悸が…なんでこんなに恥ずかしいんだ…?
「女の子の部類…ソウが……。でもいつも女の子にモテてたよね?」
「な、なんで知って…?」
「そりゃ、いつも観てたもの」
ドクン…
ヤバい、なんか顔が赤くなった気がする。いつも観られてたのか…。
「捜しに来てたんだから、それくらいの観察はするよ?」
「え、あ?ああ、そういうことね!」
なんだ、そうだよね。わざわざ捜しに来てたんだからね…。
なぜかほっとしたような、寂しいような…。
「何?顔赤いよ?」
「え?や、いやいや…」
「もしかして、ソウ、僕に惚れてた?」
ニヤリと笑いながら、王子様の顔が近づいてくる。
「な!違うよ!」
「そうだよね、こっちでだって、僕のこと大好きだったんだし、やっぱり本能的にわかるんだねぇ。うれしいなぁ〜」
ぇええ?そうなの?
ていうか、近いよ!ど、動悸が!
口をパクパクして動揺しているすぐ目の前に、綺麗な月色の瞳が迫っていた。
「ふふ、なんてね!」
グシャグシャと頭を撫でて破顔する。
「まあ、そんなわけで、君の身体はどんどん元に戻るよ。記憶が伴うかはわからないけど、とにかく、明日にはドクターに診てもらうから」
「ドクター…」
先ほどの動揺がまだ治まりきらないうちに、ヒスイがまた水の中に足を浸けた。
「帰ったばかりなのに、ややこしい話ばっかりでごめんね。疲れてきただろうから、また明日続きを話すよ。今日はもうゆっくり休んで」
首元まで水に入りながらそう言う。
「え、明日って、まだ空は明るい…」
そう言われれば、少しばかり身体がだるい気がする。
だが、ガラスブロックからは青空がしっかり見えている。まだ陽は傾いてもいない。しかも、腕時計は15時を少し回ったところだ。
「ああ、このブロックから見えてるのは、映像だよ。この部屋は地下洞窟の湖にあるんだ」
「え!?」
映像?
「まあ、部屋ごと大画面TVだと思って。ソウは青空とか、雲とかが好きなんだよ。地下洞窟だから空は見えないし、本物の空だって…見たらわかるよ」
「そうなんだ…映像…」
地下洞窟にプライベートシアター型の寝室…?おまけに水に浮かぶベッド…。
一体この世界での私って、どんなやつなんだろう?
「それに、地軸の傾きや自転速度が変わってるから、以前のタイムゾーンは通用しないよ。……じゃあ、明日の朝、また迎えにくるから」
にっこり笑うと、また人魚のように水底の出入り口まで泳いでいってしまった。
その様子を見送りながら、水面に映る自分の顔に気づいた。
まじまじとよく観察してみると、ほんとに蒼い髪だった…。
「あれ?」
蒼い髪に、ずいぶん白くなった肌…こころなしか、眼も…
「青い…?」
しまった、本来の自分の姿をヒスイに訊いておくべきだった。
どんどん戻る、ということは、まだどこか変化するんだろうか?
鏡を見るたびに別人が見えるのはなんとなく不安だ…。
まてよ。
変わるのは顔だけ?身体も?
ここに至って、始めて自分の身体に手を沿わせた。
制服は着たままで、別にサイズが変わっている風でもない。大して差のない身体の凹凸を確かめて、ちょっとほっとした。
「性別変わってたりしたらたまんないなあ…」
それこそマンガみたいだ。
ただでさえ、学校一の美形王子と時間を超えて来て、自分は未来人でしかも新種だとか言われてるのに。
サラリとする肌触りの良いシーツにくるまって横になると、身体の力が抜けて、案外疲れていることがわかった。
さっきまで聞いていたこの世界の説明を反芻しながら、しかしすぐに眠りに落ちてしまった。
青空の映像は、いつの間にか星空に変わっていた…。




