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蒼sou  作者: 櫻木 馨
14/14

思念

no.14



* 思念 *



暗闇を跳び、ヒスイは新しい洞窟へと一路戻っていた。

途中、雑多な獣が彼を喰いに現れたが、ヒスイに触れる事も叶わず暗闇に沈む事となった。累々と残される屍に、取り巻いていた獣がありつく。


太陽の沈まぬ地域とはいえ、分厚い雲に覆われ夜の時分にもなるとさすがに陽も傾く。その所為で空の見えないジャングルは不気味な程に暗く、夜行性の性質を受け継いできた獣共にとってはこの時間帯が食事時となる。






「……ヒスイ?」


眠りが浅くなり目を覚ますと、隣の寝台にはヒスイの影が無くなっていた。

外に出たのだろうか…。


ベッド脇に手を這わせて、部屋の照明を点け、ヒスイが書いてくれたメモに従い更にパネルのボタンを操作する。

パ、と天井に部屋の外の洞窟内の様子が映し出された。前回の偵察ロボット侵入事件によって、ずっと使用されていなかった監視モニタシステムを使う事になったのだ。普段は気配を探る事で事足りていたし、ソウとヒスイの2人だったら万が一でも大事には至らない、という判断で設計時には既に組み込まれていた機能ではあったが、今まで使われずにいたのだそうだ。


青い苔はずっと光り続けて窟内を照らし、そこに人影がない事を知らせてくれる。ひとつボタンを変えると洞窟外の入り口付近の様子に切り替わる。


「ここでもない、か。出掛けたのかな…」


ひとり置いてけぼりだ…。なんとなくそう思ってしまって、寂しくなった。


「はあ…なんかネガティブだな…」


深く溜息をついて、立ち上がった。図らずも、先刻のヒスイとのやり取りが思い出された。眼が冴えてしまって、じっとしていられない。

ボタンを操作して水上に入り口を開き、ブロックのひとつに乗って湖から陸へ移動した。濡れずに外へ出る方法はないか、と訊ねた時にヒスイが教えてくれたのだ。


青い苔の光る窟内に降り、出入り口である開口部へ向かう。

少し外の空気が吸いたかった。


――やっと居場所を見つけたと思ったのに。


ここでも私は私でない事に悩まされるのか。皆の足手まといにはなりたくなかったので提案した考えは、それまでの自分の主張と矛盾していて…。


「どうしてここまで入り込む前に消えてしまわなかったんだろう…」


残りたいと、アオイとして生きたいと望んだ事が、結果的に皆を振り回してしまっている。



慎重に入り口のトラップを潜り抜け、洞窟の外に出た。窟内にはない、緑と砂の匂いが心地よい。入り口脇の岩に腰掛けて、雲で覆われたままの空を見上げた。


「ソウとして、生きた方が良いんだろうな…」


喉の奥が熱くなり、涙が込み上げてきた。そのまま静かにそこに座り、ヒスイの戻りを待つ事にした。


傾いた太陽の他に、小さい2つの光るものが空には浮かんでいる。月は軌道を外れたと言っていたから、おそらく新たに軌道に囚われた衛星なのだろう。陽の光を受け、分厚い雲を通して存在を示していた。


天を覆われたジャングルと違い、空の見えるこの場所は夜でも幾分明るい。あちらこちらで切り立つ岩壁が影を作れる程だった。

そういえば、ここの周辺はまだ全く散策できていなかったので、首を巡らして辺りを観察してみた。


この洞窟は、切り立った岩壁の地上10メートル程の所に大きな亀裂があり、それが今自分が座っている入り口だった。足元は急ではあるが、それらしき足場が刻まれており、岩壁に沿って登ってくる形となっている。

すぐ目の前には別の岩盤が幾重にも立ち上がっていて、さながらアコーディオンのような様相でこの入り口を隠している。視線を下に向けると、それら岩盤が切り立つ足場は普通に歩くのも困難な位に凹凸が激しく、ヒトであれ獣であれ、歩く者を拒絶しているかのようだ。所々に亀裂もあり、余程慣れていないとここを跳び回るのは危険だろう。


凄い所だな…。


ゴロゴロと遠くで鳴っている雷が、ピンクとも紫とも黒ともつかない色に染まった分厚い雲を切り裂くように照らしている。

そのまま視線を右手に移すと、


あれ…?


デコボコとした足場の向こうに、緩やかな傾斜を持つ丘のような岩場があり、その斜面に窪んだ部分がある。ここからではよく見えないが、薄暗くできた影の具合から言って2人くらいの大人が隠れられる位はあるだろう。


「……デジャヴかな。どっかで見た覚えがある気がする」


まあ、ここは結構前からヒスイ達も知っていたようだし、ソウである自分も当然知っていた場所であろうからデジャヴなんて不思議な訳ではない。

それでも、なぜかつい最近見たような気がした。


「へんなの」


然程執着する事もなく、視線を反対に向けようとしたそのとき―――



ザワリ…



「!!」



何者かの気配を感じ取った。知っている気配ではない。

身体に緊張が走り、叩き込まれた通りに身体が構えをとる。気配の方向に集中して、更に情報を拾い出していく。


ヒトであれば立っている事が多いので、少なくとも気配の形は縦長になる。だが、この場合、地面に近い所で丸く這うようにそれは動いていた。


「――獣?」


昼間の移動中に遠巻きに感じていた幾つもの気配に似た形をしている。

一体どんな形をしているのか。フォーブスが特訓の際に見せてくれた様々な獣の幻影を思い出す。全身に冷や汗がつたう。


気配はじりじりと近寄ってくるが、肝心な形は未だ捕らえる事が出来ない。先程まで見ていた窪地の向こうに感じられてはいるのだが…。


どうしようか…中に逃げた方がいいんだろうけど…。


ごくりと生唾を飲み込み、そう考えるが、身体がガチガチに固まりまるで動かない。訓練自体は何度もやっていたが、実戦は初めてなのだ。フォーブスやクレイルを相手にした時のように、手加減してくれる筈がない。実際、今こちらに向けられているのは突き刺すような殺気だ。


頭で考えれば考える程に、身体は強張ってしまった。

徐々に間合いが詰められてくる。


「うう…」


小さく呻いて、じり、と後ずさりした瞬間、前方に黒い影が姿を現し、そのてっぺんに紅く光る三つの眼が見えた。


ギクリ、と心臓が引き締まった気がした。


め、が多くないか…!?


明らかに影はひとつなのに、ぎらりと光る赤い眼は三つある。

フォーブスに見せられた幻影の中に、三つ眼のものがいただろうかと慌てて記憶を辿りながら、足を後ろに大きく引いた。


影の獣は三つ眼をこちらに向けたまま、でこぼこした足場を這うように向かってくる。


逃げないと…!


素早く振り向いて洞窟の中へと駆け込もうとした瞬間、




バリ!!


「ぅああッーーー!!」


電流が身体をはじき跳ばし、宙に投げ出された。



しまった…!トラップ…



対外敵用トラップの”電壁”が作動してしまったのだ。


「がハッ…!」


岸壁からはじき跳ばされた私は、そのまま凹凸の激しい岩場に背中から叩きつけられた。背骨に鈍い痛みが走り、身体中が痺れ、皮膚が焦げる匂いが鼻につく。

かつて体験した事のない痛みに、頭の中はパニックだった。


獣…は…


もはやはっきりとしない視界の中に、必死で三つ眼の影を捜す。

はっきり言って、もう気絶してしまいたかった。それでも、意識を保とうとしている自分もいた。


この身体が真に自分のものであれば、このまま喰われても良かったのかもしれない。しかし、現実はそうではない。この身体は護らねばならない存在であった。私にとって例えただの容れ物だとしても、意識の奥底に眠る持ち主の覚醒を、この世界は望んでいるのだ。


「ヒス…イ…」


そうだ、あの人を哀しませる訳にはいかない。クレイル、フォーブス、グエル、ドクター…他にも多くの人の未来を奪う訳にはいかない。


視界の端に、紅いものを捉えた。トラップの発動に驚いたのか、少し距離をとってはいたが、獲物が落ちてきた事は理解しているのだろう。その三つ眼は依然ぎらぎらと私を目指している。


「うあ…あ…」


起き上がりたくても指先さえも力が入らない。


やばい…喰われる…。


三つ眼の獣は、もうだいぶ近くまで来ていた。黒く艶やかな毛皮を纏い、豹のような姿をしている。その顔にはこちらを見据える三つの赤い眼。長く鋭利な牙を剥き出しにして、そろりと近づいてくる。


身体が焼けるように熱い。いや、実際トラップの電流で焼けてしまっているのだ。その上この凸凹の激しい岩場に10メートルもの高さから落ちたというのに、こうしてかろうじて意識がある事が我ながら信じられなかった。背中の痛みも相当なもので、間違いなく背骨は折れているだろう。

呼吸も侭ならなくなり、視界はもう物の形を捉える事が出来なくなってきた。



ああ…おとなしく部屋で寝ていれば良かったんだ。



今更ながら、自分の浅はかさに呆れてしまう。こんなに簡単に死にかけているのに、どうして「ここの人間として生活したい」なんて言ったんだろう。ちょっと護身術を習ったくらいで。それを操る力なんて、このソウの身体任せなのに。



私には、ここで出来る事なんて何ひとつ無い…!



朦朧とした意識の中で、一筋の涙が頬をつたう温度が感じられた。


ひたり…と獣の気配が間近に迫る。もう息づかいも感じ取れる。ぼたぼたと私の上に獣の涎が落ちている。

こんな時に、肝心のソウは意識の奥で眠ったままのようだ。いつもは思わぬ時に頭の内側で声を響かせるのに。



「グ……」


ソウ!起きてよ!


ダメもとで頭の中に呼びかけてみても、何の反応もない。



ミシ…ッ


「う…ああ!」


獣の重い前足が、私の胸の上に置かれ、肋骨が軋む。

絶体絶命の危機に瀕しても、相変わらず指一本動かない。

投げ出された左足に、鋭い痛みが走った。



「あああああああああ――――――――!!!!!!」



獣の牙が、左の太腿に深く突き刺さったのだ。その痛みは、更に肉を引き裂く痛みに変わっていく。



―――――――ヒスイ!!!!



頭の中に浮かぶのは、その存在のみだった。




ヒスイ!ヒスイ!ヒスイ!ヒスイ!ヒスイ!ヒスイ!ヒスイ―――――!!!!




「うるさいッ!!!」




――――――え?


今のは…私の声?



不意に視界が戻り、身体が勝手に動き出す。

今の今まで指一本動かなかった腕が、身体を押さえつける獣の脚を掴む。動かしている感覚は全くない。なのに、確かに獣の脚を掴み、半身を起こし始める。


「グルル…」


太腿に刺さっていたものが引き抜かれ、血液が熱く流れ出すのがわかる。


そして、


身体の内側から溢れ出るエネルギーの波。


背骨が折れている筈の身体は起き上がり、獣の姿を正面から見据えた。

体長は4mはあろうかという、大きな黒豹。長い尾をしなやかに打ち付けながら、顔の両側と額にある三つの赤い眼でこちらを伺っている。



な…なんで…ソウが?



先程まで呼んでも反応しなかった、この身体の主が、私を意識の中に閉じ込めて身体に戻っている。


「チ…」


軽く舌打ちして、その手が太腿の傷口を押さえる。獣が喰らいついたそこは、獣の牙が貫通してしまっていて、脚の表と裏から夥しい量の血液が流れ出ている。身体中が熱く、傷口の痛みも麻痺してしまっている。


「おまえ…俺の身体に何て事してくれてんだ?」


――どっちに言ってるんだろう?獣?


「お前だお前!アオイ!寝ぼけてんじゃねえぞ」


――えっ


「頭ん中で繋がってんだからな。煩くするなよ」


そう言って、目の前の獣を視界に入れながらも、意識を脚の傷に集中させていく。脳裏に大量のイメージが流れていくのが見える。細胞の再生、正常な皮膚状態、浸食されていく植物のリバース映像…。


――これは…?


徐々に太腿の熱が冷めていく。流れ出していた血液が治まり、貫通していた傷がみるみる塞がってきているのを感じ取る事が出来た。


「これが‘思念’の使い方だ。覚えとけ」


――まさか、‘思念’で傷を治癒させたのか?この一瞬で?


こちらの驚きには応えず、ソウの意識は視界に捉えたままの獣に戻った。

彼の瞳に戻ったエネルギーを感じてか、それまで様子を伺っていた黒豹はピクリと身じろいで、後脚を後退させ始める。


「よお、俺を喰いてえのか?」


その声に籠る強いエネルギー。身体中から発せられる眼に見えぬ何かが、明らかに彼よりも大きな獣を圧倒している。

ソウは絡めとった視線を外す事なく、獣の鼻先までズカズカと歩み寄る。圧倒されたままの黒豹は、逃げる事も出来ずにガタガタと震え始めた。


ブワッと、再び脳裏に膨大なイメージが浮かび上がった。流れ行くのは、おとなしく従順な子犬や、奴隷、王に跪く者達の姿――。


――な、にを?


そう思った瞬間、強い光が脳裏を駆け抜け、合わせた視線を介して獣の眼に辿り着いたような気がした。


ガクリ、と脚を折る黒豹。今にも喰いちぎらんと私に襲いかかったあの獣が、今ソウの前に恭しく頭を垂れて、彼を神だといわんばかりにかしずいている。


「これでこいつは俺たちの意のままに動くぜ」


――何をした?


「俺の‘能力’を使っただけだ。俺は対象と視線を直接合わす事で、そいつの意識を思いのままに操る事が出来る。便利だろう?」


――思念操作…?


「ああ。もっとも、お前が俺と同じ‘能力’を使えるのかは判らないけどな。あまりにもお前の行動が単細胞過ぎるから‘思念’の使い方を教えたんだ。俺の身体をこれ以上傷つけるな……と、帰って来たか…」


ふ、と違う気配が遠くに感じられて、私の意識が表に押し出されるような感覚が起きた。ソウが意識を入れ替えたのだ。


――ま、待って!」


咄嗟の叫びが途中から音を持った。代わって頭の中に響くのは、ソウの声。


――なんだ?


「どうして、出てこないんだ?今まで何を?」


――俺には俺の事情がある。それにお前を巻き込んだ事は悪いとは思うが、どうやら俺たちは元々こうなる運命にあったと思うしかないようだぜ。その為に俺はお前と入れ替わった。潔く諦めてこの身体を使え。


「え?何を言ってるんだ?」


――この時代を護る為の、俺たちは犠牲だ。


それだけ言うと、彼は存在を消すかのようにスッと意識を消した。


「あっ!待て!」


呼びかけてももう何の返答もなく、頭の中は完全に私の意識だけになった。

彼の事情とは一体何なのか、本当は自由に表に出て来れるのならば、頭の中で一体何をしているのだろうか?


呆然と空を見つめる背後に、先程感じた気配が近づいてきた。


ヒスイが戻ったのだ。


洞窟の入り口でなく、その下の岩場に立ち尽くす私を見つけ、ひと跳びにこちらに向かってきた。


「アオイ!どうしたの!?何でトラップを?」


ヒスイが真っ青な顔で私に駆け寄る。

そして、影に控えた大きな黒豹を見遣り、睨みつける。


「…あいつは?」


獣が攻撃する気配ではないから、余計に怪しいのだろう。


「…心配ない」


虚ろな眼で私が答えると、ヒスイは徐に私を抱え上げ、洞窟の入り口に跳んだ。中に入ってから再び入り口のトラップのスイッチを入れ、ガラスブロックの部屋へと戻った。


照明を点けたままの部屋の中で、改めて身体を見ると、全身にひどい火傷を負っていた。背骨も折れている。太腿には肉が抉れた、黒豹の牙が刺さった痕がまだ消えずに残っている。衣服に滲んだ大量の血の跡を見て、ヒスイが眉を寄せた。


「アオイ、何があったのか、教えてくれないかな…。何故洞窟の外に出たの?この“傷跡”と、側にいた黒豹の理由も…」


ベッドに横たえた私の身体を、水を浸したタオルで癒しながら訊かれた。

いつもは優しく朗らかな月色の瞳が、鋭く突き刺すように私を見ている。


「……」


ソウの事をどこまで話すべきだろうか?

黒豹の状態と、太腿の傷の状態からみて、全く伏せてしまう事は出来ないだろう。


「…ソウが何か…したとか?」


黙り込む私に、ヒスイが息を詰める様にして問いかけてきた。


「あ…」


ビクリと身震いしてしまった事で、その質問に肯定の返事をしたも同然だった。

ごくり、とヒスイが息を呑んで、じっとこちらを伺う。


「た、すけて、くれたんだ。ヒスイがいなくて…外に出たら、あの黒豹が…。戻ろうとしたらトラップに掛かってしまって、下に落ちて…」


色々考えすぎて、しどろもどろになってしまったのだが、幸いにもヒスイは余程ひどい目に遭って混乱しているのだと受け取ってくれたようだった。優しく頭を撫でながら、つたない説明を根気よく聴こうとしてくれる。


「ソウが、傷を治してくれたの?あの黒豹も大人しくさせて?」


「うん」


「それで?ソウは、何か言ってた?なんか、誰かと話してた感じだったけど」


ぎくり、とした。

そうか、私をここに残しているから、‘集音’しながら戻ってきたのだろう。これではごまかすのは無理だ。ソウと話していた頃には遠くにヒスイの気配が感じられていたから、おそらく私が声に出したほとんどは聴き取られているに違いない。侮れない‘能力’だ。



まぁもともと、この人にソウの事を隠す方が罪なのだ。



そう考えると全てを話しておくべきだと思い至る。

少しずつ、ゆっくりと正確に私はソウとのやり取りをヒスイに伝えた。






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