情報
no.13
* 情報 *
「よくおとなしく帰って来たもんだな…」
我ながら驚いた…とプラチナブロンドの髪を揺らしながら自分の住処へと戻って来たグエルは、ポケットに入れていた1センチ程の小さな部品をつまみ出した。
「しかも、あのヒスイの頼み事まで受けるとは…俺様も寛大だよなあ。まったく、アレで中身が別人ときたもんだ…」
ルーペを取り出し、照明を当てて隅々まで観察する。
「やっぱりダラス製。シリアルコードは…あった」
読み取れた小さな数列を、起動したパソコンの画面に打ち込んでいく。検索先は巨大IT企業『ダラスコーポレーション』のメインサーバー。小さなウィンドウが現れ、打ち込まれた数列に関係する情報をを片っ端から列挙していく。
長い睫毛に覆われた、澄んだペールブルーの瞳がその全ての情報を猛烈な早さで読み取り、彼の脳がその情報を取捨選択する。その妖艶な美貌は凛々しく引き締められていた。
フォーブスやクレイルの説明によると、彼の行動は少々風変わりで突飛であったが、ことコンピューターに関してはソウと肩を並べる程の知識と情報量を持っており、周囲からも一目置かれる存在であった。従って、天敵である筈のヒスイがグエルにこの手の依頼をするという事は、すなわちソウの不在を顕著に表しており、グエルが洞窟で見たソウの姿はそれがただの容れ物と化している事を証明していた。
パソコンに繋がれた掌程の装置にカチリとマイクロチップをはめ込み、スキャンを開始すると、あらかじめハッキングされたアクセスコードによって現在の所有者のデータが薄いガラス板のモニタ画面に現れる。
こういうロボットというモノは、販売される時に様々な契約事項をクリアした上で購入者を主人として仕える為に、購入者のあらゆる情報がインプットされるのだ。更に、仕える過程で生じた種々の出来事も全て自動的に記録されていく。
「ほ、データに干渉させず巧く取り出したな。猫にしちゃ、いい仕事しやがる。ダテにソウの周りうろつくだけあるな」
ふん、と感心したように息を漏らす。
記録された情報には勿論、セキュリティがかかっており、破壊されたり悪用されたりするのを防ぐ為にある程度の情報漏洩の条件が揃うと、ロボットが自発的に記録媒体に干渉し消去する仕組みになっているのだ。しかしその逆もあり、条件によっては消去せずにそこへ繋がる回路を絶って記録を護る場合もある。ヒスイはソウの教育でその辺も熟知している為、ロボットが彼の存在を感知する前に電源をショートさせて保護機能の方を起動させていたのだった。
画面に現れたのは、黒髪の中年の男。名前はマシュー・ダラス。
「な、ダラスコーポレーションのボスじゃないか!直属の偵察部隊を送り込んだのか!?まさか…」
更に情報を読み解こうと操作するが、任務直前にインプットされたらしい情報は、捕獲対象であるソウの身体的特徴の他には放たれた場所からの軌跡しか他になかった。
「くそ!」
今度は再度ダラスコーポレーションのメインサーバーに侵入し、マシュー・ダラスの情報を引き出す。さすがに巨大企業のトップの情報となると頑丈に保護されており、いくつものアクセスコードが必要だったが、グエルにはただの知能ゲーム攻略に過ぎなかった。ものの1分で全てのアクセスコードを解除すると、画面に大きなダラスコーポレーションのロゴを背景にマシュー・ダラスのプロフィールと経歴が現れる。
ダラスコーポレーションはファミリー型の経営体系をとっている。トップは勿論世襲制で、21世紀後半に創業されてから今までに実に8名の代替わりが行われた。その8代目が現社長のマシュー・ダラスであった。
「巨大企業だとは認識していたが…意外と老舗なんだな。第2氷河期を越えて存続しているとは…2055年6月、カイ・T・ダラスによりトーキョーで設立…日系なのか…?」
創世紀以降の地球上では確かな国籍などもはや存在しない。第2氷河期以来、荒れ狂う地球上に国境というものは存在意義をなくしてしまった。ただ、いつの世にも統治者という者は必要で、管理社会に生きてきた『ダブル』は各々の居住区であるコロニーを管理する巨大企業に統治を任せていた。
その最大手がダラスコーポレーションである。
創設者の名前をクリックすると、画面にその人物画像が映し出された。
端正な顔立ちの青年で、まだ30代程に見える。意志の強そうな凛々しい顔立ちにグエルは僅かな既視感を覚えた。
「へえ、俺好みな顔だな。ソウに似ていやがる」
ふと興味が湧いて、そのバイオグラフィーにページを進める。
「え、ちょっと…待てよ…」
グエルの顔が僅かに歪む。
「カイ・T・ダラス、46歳の時に設立…?」
確かに画面にはそう書いてあった。しかし、本人画像はかなり若い。こんな社会的資料に若かりし頃の画像など有り得ない。慌ててその他の項目を読み進める。
生年月日は2009年8月3日。医療系の家庭に誕生している。明晰な頭脳により20歳でIT会社を経営。25歳の時に実父の経営する病院のあるアメリカに渡り最先端医療による研究を開始。37歳で自らの専門分野であるIT研究と実父の残した遺伝子研究を合わせて、AI開発に乗り出す。
「そしてその傍ら、自らを実験体として遺伝子研究を進めた結果、2043年、身体機能の老化速度を著しく遅らせる事に成功……なるほど、そういうこと。2049年にアメリカの大手投資家の令嬢ジュリアン・ダラスと結婚。2055年ダラスコーポレーションを設立って…やたらとポジティブなアタマしてたんだな。しかしその直後に地球が気候変動に直面、著しい磁場変動の中を地下シェルターで過ごしながら研究を進める…か」
呆れたように溜息をついて、創設者の画像を眺める。
「初期段階から遺伝子研究は進めていたんだな。第2氷河期の200年間はろくに進まなかったとはいえ、500年経って未だに研究が引き継がれているとは恐れ入った。それでも、俺ら『マルチ』のスピードには追いつけなかったのか…?」
おそらく今のダラスコーポレーションには、この創設者程の情熱は無くなっているだろう。現に開発される商品の多くは機械に重点を置いたAIばかりで、生身の人間を使ったものはほとんど公になっていない。
「いや、ただ表に出ていないだけだろうな。現に今、俺たちがこれだけ狙われるのも遺伝子研究の為だし…」
テーブルの端に足を乗せてグッと伸びをして、グエルは左腕の袖を捲った。トラップに掛かってしまった際に広範囲に骨が見えるまで抉れていた傷はもうほとんどわからなくなっていた。
袖を戻してチラ、と部屋の壁際に置かれた保冷ボックスを見遣る。
触れてもいないのにガタリ、とボックスの蓋が開き、中に並べられた飲料ボトルがふわりと浮き上がった。グエルが空中に伸ばした手に、吸い込まれるようにごく自然にボトルが治まった。
これがグエルの能力のひとつ’念動’である。その有効範囲は周囲100m程。
ボトルからミント水を一口飲み、三つ編みにした長い髪を解いた。プラチナブロンドのそれは金属めいた艶を持ち、光の当たり具合によっては虹色の煌めきを見せ、彼の美しい顔立ちを一層際立たせていた。
『ダブル』からの遺伝子の欲求の的となるのは万能遺伝子を持つソウだけではない。グエルのように群を抜いた美貌と明晰な頭脳の持ち主であるとか、身体的・能力的特徴の顕著な者は少なからず欲求の対象となる。そういった意味では、発火能力のクレイル、白の遺伝子のフォーブスも十分な対象であった。ヒスイもまた、グエルとは違った美貌と特殊な喉を持ってはいたが、常にソウの近くに控えていた為に表向きは目立つ事もなく、これまでをやり過ごしてきていた。
しかし、やはりソウの増え続ける’能力’と超人的な身体機能は『ダブル』『マルチ』双方からの欲求の的であった。
「ソウ……」
グエルは呟いて瞳を閉じる。
ヒスイとは先述のように顔を合わせる度にぶつかり合う仲ではあるが、ソウとグエルは実際は仲が良かった。幼い頃に施設で出逢ってから、二人はなにかと行動を共にしていた。同じように明晰な頭脳を持ち、向こう見ずな性格が二人の利害を一致させていたのだろう。ソウがヒスイを救い、側に置き始めても、また例の夜這い未遂事件の後も、その信頼関係は崩れる事はなかった。それほどにソウの彼に対する信頼は深く、それに応えるように彼はソウに執着していた。
クレイルやフォーブスをはじめ他の仲間たちも、表向きは悪態をついてはいるが、彼ら二人の関係には暗黙の理解を示しており、それが厄介者扱いの彼が同エリア内に居住出来ている理由だった。
「あのアオイって、何者なんだよ…?ソウじゃないなんて…」
ソウがあの事故でポータルに堕ちた時、グエルはちょうどその場所に向かっている途中だった。始めから同行する予定だったのだが、ドクターに用事を頼まれて渋々後から参加する事になったのだ。
現場についた時には、隕石の側に大きな磁場変動が起こっていて怪しげな色に光るポータルが開いており、呆然とそれを見つめるフォーブスとクレイルの姿があった。慌てて事情を聞いているうちに、ポータルはみるみる縮小していき、全ての事情が飲み込めた時には後を追う事が出来なかった。
……ヒスイがためらわずに後を追ってくれて良かったとは思ったが…連れ帰ったのがソウじゃないとなると、アイツは今どこにいるんだ?
開いた視線をパソコンのモニタに移す。
何気なく’カイ・T・ダラス’の名をサーバーの検索に掛けた。画面が変わり、検索結果の見出しが列挙されていく。ぼんやりと眺めるペールブルーの瞳に、やがて同じ文字が何列も映り込んだ。
『ツヅキ・メディカル・ラボ ツヅキリョウ 21世紀の遺伝子研究の最先端』
「………ツヅキリョウ?」
ガラスモニタのその項目に指先を触れると、かなり昔のニュース記事が現れた。
『2028年11月24日NNBニュース
女子高生がエアタクシーに撥ねられ重傷――――23日夜、東京都○○区で近くの私立高校に通う都築蒼さん(15)がエアタクシーに撥ねられ重傷。蒼さんは遺伝子研究で有名な都筑メディカルラボの都筑涼氏の長女で、メディカルラボ直営の都築メディカルセンターで治療を受けている。事故現場は見通しの良い交差点で、数十メートル手前からエアタクシーのオイル漏れが確認されており、エアタクシーの故障によりブレーキが作動しなかった事が原因とされる。』
「なんだ?これとダラスと何の関係が…」
更に関連記事を読み進める。
『日本経済サーチ 2034年5月号 特集:世界に誇る技術者
都築涼(51)――――遺伝子研究の最先端技術を誇る都筑メディカルラボの研究所長。――(中略)――家族構成は妻の鈴さん、長男の快さん、長女の蒼さんの4人家族だが、長女蒼さんについては、2030年に亡くなっており現在は3人となっている。―――』
「…アオイ?これアオイって読むのか…」
『―――同じ年に快さんが20歳の若さでIT系のツヅキコーポレーションを設立。更に今年、都筑メディカルラボを米国に移した涼氏と共同で遺伝子工学に挑んでいる。』
なにかが引っかかった。
「…カイ・Tsuzuki・ダラス…か」
父親譲りの頭脳とそれに勝る処理能力。そしてその遺伝子を持つ子孫が今ここで『マルチ』を追い回している。しかも遺伝子研究の老舗だ。自らの遺伝子にも何らかの仕掛けを施しているに違いない。そうでなければこの絶滅をも危惧されてきた環境の中で500年もの間、一企業が継続出来よう筈もない。
グエルは徐に立ち上がり、パソコンのロックを掛けると、シャワールームへと向かった。
グエルの居住する建物は、ソウのガラスブロック部屋とは違い、この時代でいうごく一般的なものだ。
ドクター・ユアンの研究所とよく似ており、外側にメタル加工のされたドーム型。グエルはこれに電磁迷彩を掛けており、この仕組みはソウから教わったシステムだ。間取りはワンルームと言っていい。部屋の真ん中に大きなテーブルとパソコン、一番奥にベッドが置かれ、壁際に彼のコレクションである様々な部品を収めるボックスがずらりと並んでいる。後はシャワールームとトイレがあるだけで、キッチンはない。食事はドクターやエリア内の仲間の所で摂ったり、野外で仕留めた獣をその場で調理したりする。これもまた彼に限った事ではなく、一般的な『マルチ』の生活なのだ。
シャワーを終えたグエルが部屋に戻ると、そこに珍しい光景があった。
思わず眼を見開く。
「よお、ヒスイ。どうしたんだ?お前がここに来るなんて初めてじゃないか」
何かとグエルに噛み付く、ソウの飼い猫ヒスイ―――月色の瞳をした美しい少年が、先程までグエルの座っていたパソコンの前に腰掛けていた。無表情に佇むその瞳からは感情を読み取る事は出来なかった。
「……何かわかった?」
言葉短く用件のみを尋ねてくる。その手元にはスキャンシステムに掛けたままのマイクロチップ。偵察ロボットから引き出せた情報を聞きにわざわざやって来たようだった。陽はすでに落ちる時刻だ。
「こんな時間にわざわざ聞きにきたのか?ソウ…アオイはひとりにしてて大丈夫なのか?」
「部屋は苔の洞窟に移したんだ。内容聞いたらすぐに戻る」
「苔の洞窟か…確かにあそこならある程度安全だな」
キラキラと水滴を光らせる髪をぞんざいに拭いて、グエルはベッドに腰掛けた。
顔を合わせれば執拗なまでに容赦なく攻撃を仕掛けてくるヒスイを正直邪魔だとは思っていたが、彼のソウに対する情の深さは自分と変わらない事も十分に理解している。従って今、ソウの為に不本意にも天敵に情報解析を依頼し、その結果を人知れず聞きにやって来ている彼の姿は、グエルの心をくすぐっていた。
「で、わかったの?」
「ああ、ある程度な」
「ある程度?」
どうでもいい情報だったら許さない、とでも言いたげな鋭い視線が投げられる。
「急かすな。もっと詳しく知るとなるともう少し時間がかかるんだ」
「……で、製造元は?」
「予想通りダラスだ。そして所有者もダラスだ」
「どういうこと?」
「今回ソウを追っているのは、ただの金持ちの道楽者じゃないってことだ。ダラスコーポレーションが組織的にソウを追っている。しかもマシュー・ダラス本人がだ」
「えっ…」
「どこから放たれたかはわかるが、チップに入れられた情報は他にはソウの特徴位だ。お前の攻撃の仕方が良かったから、こちらの映像情報はほとんど漏れていない」
それ以上の情報がないと聞いて、ヒスイは黙り込んでしまった。なんとなく気の毒な気がして、グエルは話題を振る。
「そう落ち込むな。俺を誰だと思ってんだ?ダラスのメインサーバーには侵入済みだ。そこからもっと有益な情報を拾い出してやるよ。ソウが元に戻る情報も何かあるかもしれないしな」
ハッとヒスイが顔を上げた。そこに浮かぶのは明らかに悲痛な色だった。
「早く元に戻ってくれないとな。俺らの繁栄に差し障るからな〜」
「………」
いつものように煽ってみたが、反応はいつものように返らなかった。ここまで落ち込むヒスイを見るのは初めてで、正直持て余してしまう。
「〜〜〜〜ッ、お前もう帰れ。そんな顔されちゃこっちが調子狂っちまうんだよ」
ドサリとベッドに横たえて、猫を追い払うような仕草をしてみせると、意外にもヒスイがそれに従ってドアの方に向かう。
「あ、そうだ」
ふと思い出してヒスイを呼び止める。
ヒスイは無言で振り向いた。
「アオイってのは、ファーストネームってやつか?あの時代はもっと長いんだろ?」
「ファーストネーム…ああ、ツヅキだよ。ツヅキアオイっていうんだ」
上の空でそれだけ答えると、ヒスイはふらりと出て行った。
「ツヅキアオイ…」
今度はグエルの顔色が変わる番だった。




