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蒼sou  作者: 櫻木 馨
12/14

苔の洞窟

no.12



* 苔の洞窟 *



木の根元から這い出して歩く事30分…



「久々にまともに歩くと疲れるな…」


ふう、とフォーブスが息をつく。彼の肩には、1メートル程もある荷物が載っている。


「え、普段歩かないの?」


「うん。いつもはね、何と言うか…飛び跳ねてる…?」


「そうそう。ちまちま歩くよりも‘跳躍’使って距離と時間を省いてんだよ」


「じゃあ、今歩いているのは私に合わせてくれてるってことか」


「それだけって事もないけどな。新しい住処の周囲をチェックしながら歩いてるから」


所々にロボット対策のトラップを掛けたり、獣道を探して辿ったり。丹念にチェックを入れながら歩いているので、普通に歩くよりもゆっくり進んでいた。追っ手は元の洞窟からはこちらに気付いていないようで、勝手が分からない私は、護衛となっている3人の動きを楽しく眺めながら実にのんびりとここまで歩いて来たのだった。


「それにしても、『ダブル』以外にも外敵っているんだよね?ほら、フォブが私の訓練の時に見せた思念みたいなヤツ…」


「ああ、いるぜ。今も俺たちの周りを遠巻きに警戒していやがる」


「ああ、この気配がそうなんだね?それにしても、襲って来たりしないもんなんだな。とても穏便とは言えない気配の割に…」


「そりゃ、ヒスイとクレイルのお陰だ」


「ヒト用ではないから判らないでしょうけど、表に出てからずっと、ヒスイは獣たちに向けて警戒音を出し続けているんですよ。周囲200メートルは結界のようになって、この辺りにいる獣のレベルではとても近づいてくる事は出来ません」


え、と驚いてヒスイを見るが、その口は閉じられていて、私に向かってニッと笑いかけてきた。それにさっきから普通に会話もしているのだが…?


「詳しい事はややこしいから企業秘密ってことで。とりあえず、僕の喉は空気を震わすだけの独立した気管もあるとだけ言っときます」


ヒスイは喉と鼻の中間辺りを指差して、またニッと笑った。


「そしてクレイルは、炎の使い手だからな。獣にとって火は恐怖だ。火を使えるヤツはその気配の種類も違っていて、獣たちはそいつを敏感に察知するんだと」


「へえ…じゃあクレイルは普段から獣に襲われる心配がないんだね」


「そう言う事ですね。炎の使い手だから怖がられるってことは、ソウの場合は翼の使い手だからトリ認定で、アオイは喰われるかもしれませんね」


「ぇええ〜〜?」


ザックリとシャレにならない仮説を立てられてしまった。ああ…。


「でもまあ、この辺りは前のエリアと違って、多少は獣との交流もあるだろう。そんなにレベルの高いヤツはいないし、アオイの練習相手にはいいんじゃないか?」


「そうですね。少しずつ生き抜く訓練を積んでおくにはいい場所だと言えます」


「へえ…」


一応納得してみたものの、野生動物と対面するなんて今まで未体験だ。烏と眼が合っただけでギクリとしたのに…。

いつしかここの生活にもすっかり順応してしまうのか、それとも身体の持ち主が戻って来るのが早いか。どちらにしても、当面はこの野生の中での”交流”は必須科目という所だな…。


「フォブとクレイルはどの辺に?この近く?」


「いや、俺はここからは10キロ程東だ。クレイルは元の洞窟の近くだけどな」


「10キロ?このあとその道のりを歩いて…跳んで帰るわけ?」


「まあそんなようなものだ。普通なんだぜ?」


「ふうん…ほかの『マルチ』もこの近くには住んでいるの?」


「ああ。俺らにも縄張りっぽいものがあって、わりと仲のいい者で小さなエリアに散らばって暮らしている。だからこのエリアには100キロ程の範囲に俺らとグエル、あと5人。トマス、ユゲ、タマル、ティッティート、ラナータが住んでる。今はお前の状況を知らされてて、お前がこちらに慣れるまでと気を使ってくれている。近いうちに会えるさ。みんなソウに惹かれて集まってきた変人だらけだ」


「フフ…じゃあ、私たちはその変人の中でも最たる者、ですね」


「いや、一番の変人はドクター・ユアンじゃないかな。わざわざソウのデータ欲しさに『ダブル』の女独りで『マルチ』のエリアにまで潜り込んで来たんだから」


どっと笑いが溢れた。


「違いないな。……と、ついたぜ。ここがお前らの新しいねぐらだ」




歩が止まり、今までずっと切れ目なく続いていたジャングルが目の前で途切れ、眼下には岩場が広がった。研究所の岸壁から見た空が、そこにはあった。ゴツゴツとした岩が凸凹に広がり、いくつかの切り立った岸壁がある。そこに身を隠しながら進むと、岸壁のひとつに深い切れ目のある場所が現れた。


「すごい…ここは空が見えるんだね」


「ああ、ここは『マルチ』じゃないと宇宙線にやられちまう。『ダブル』は防護服が必要だが、この足場ではそれじゃ動きづらい。まあ、ロボットには無効だろうが、それでも折り重なる岸壁には磁場があって、機械は狂っちまうヤツもあるんだ


「ま、ある程度は安全という事だね」


それからその深い切れ目の中に進んだ。

入り口は2メートル程の高さで、しばらく進むと天井が急に高くなった。自生している苔が青く光って辺りをうっすらと照らし、まるで聖域のような、荘厳な雰囲気さえ漂ってくる。


「ふうん、入ったのは初めてですけど、さすがソウが隠れ家に選ぶだけありますね」


クレイルが感心した。

前の洞窟のように奥深く続くような枝道はなく、突き当たりに丸く広がる大きな空間には、青く光る苔に照らされた湖面が静かに私たちを迎えていた。

大きさは以前のそれと比べると半分程度だが、その美しさは比ではなかった。


「よし、じゃあ始めよう。クレイル、焼成開始してくれ」


ガラスブロックを作る為に、フォブが肩の荷をドサリと降ろし、包みを解いた。

だが、持って来たのは鉱石の結晶のみ。ガラスの原料はどう調達するのだろうか。


「承知しました。アオイ、離れていて下さいね」


クレイルが長い上着を脱いで窟内の壁際へ歩いていく。

苔の生えていない壁を徐に彼の両掌が滑ると、その跡がじんわりと溶け出し、岩盤の表面が濡れたように光りだした。掌と壁の間には白い炎がかなりの勢いで存在しているらしく、辺りにはなにかを溶かしているジュウゥという音が響く。

ある程度の範囲を掌が滑り終えると、壁一面がガラスコーティングされたようにピカピカになった。どうやら、岩の中に含まれる成分を抽出したようだ。


壁面に張り付いたガラスはすぐに冷えて固くなってしまった。

そこへフォーブスが歩み寄り、ひと息整えてから盛大に蹴りを繰り出すと、そのガラスはけたたましい音をたてて足元に崩れ落ちた。


「あいかわらず、いい音って気はしねぇもんだな」


そう言いながら、落ちた破片を更に踏み割り、粉々に砕いていく。

砕いた破片をひとまとめにしてその中央へ運んで来た鉱石の結晶を置くと、再度クレイルが調合を始めた。大きな結晶が彼の手によってみるみる溶け出していく。

溶けた結晶は、下の粉末状のガラスを飲み込み、大きな水溜りのようになってしまい、そのまますぐに冷えて固まった。


「冷やせる人がいたら、もっと簡単なんですけどねぇ。こんな風に塊になる前に粉末状にしてくれたら…」


「そうは言っても、この界隈にゃ氷の手を持ったヤツはいねえからな」


またもフォーブスが豪快に蹴りを繰り出して鉱石を溶かし込んだガラスの塊を粉砕する。溶かしては砕き、溶かしては砕き、わりと手間のかかる作業だった。

念入りに破片を砕いてサラサラにすると、それまで作業を楽しそうに傍観していたヒスイが立ち上がった。あのベッド脇に付いていたボタンのパネルを取り出して、何か小さな欠片を粉砕された中に放り投げた。


「これが、電極の核」


しげしげと眺めている私に、そういって微笑んだ。


「そして、電源をON!」


ブウ…ンと、鈍く音をたてながら原料の粒子が虹色に光り始め、サラサラと動いていく。


「…何か、演算式とか流してあるの?」


「うわ、さすがアオイ。ご名答。あらかじめ形状と動きのプログラムをインプットしてあるんだよ。まあ、入れたのはソウだから、プログラムの内容までは僕わかんないけどね」


「まったく、やたらに野性味溢れてるかと思えば、こんな風に未来人らしく発明したり…本当に不思議なヤツですね…」


心底感心してクレイルが呟くと、うんうん、とフォーブスが頷いて同意した。

まさに万能遺伝子。皆が欲しがる筈である。


そんなやり取りの間に、目の前の粒子は次々とブロックの形状へと姿を整え、早速湖の真ん中へと滑り出していく。そしてものの10分程で、新しい湖の部屋が出来上がってしまった。

仕上げに外側のブロックに迷彩が掛けられると、完成だった。


「出来ちゃったよ。引っ越し終了!二人とも、協力ありがとう」


「いえ、楽しかったですし。ここは今までにない環境で新鮮ですね」


「そうだな。肉体労働のツケはいつかソウにでも払わせよう」


いたずらにフォーブスが笑った。


「さて、新居も出来たし、俺らはドクターの所に行って、ここの位置をデータに登録してもらってからそのまま帰るわ。あとはよろしくやってくれ」


「あ、ありがとう」


そのまま二人とも実にあっさりと出口に向かい始めたものだから、慌ててお礼を言うと、ちょっと振り向いて微笑み、ひらひらと手を振って本当にあっさりと帰っていった。


「どしたのー?部屋に入らないの?」


もう水の中に半身を沈めたヒスイが呼ぶ。


「いや、お礼に何か…と思ったんだけど」


「ははは、今はねそんな習慣ないんだ。それぞれが役割をこなせば、あとは自分の身を護る事に徹しているからね」


「そうなのか…なんか切ないなあ」


「こんなご時世だからね。もっと平和になれば、そんな余裕もあるんだろうけど」





新しい湖は直径500メートル程、最深部で15メートルもあり、以前のように底を歩くまで下りる事はなかった。

どんなに戦闘手段を身につけた所で、相変わらず’潜水’出来るようにはならなかった。ヒスイに部屋の下部まで運んでもらい、その入り口から浮力に任せて水面まで浮上すると、定位置にベッドが配されていた。

浮かぶベッドによじ上り、一息ついたところにヒスイが浮上した。同じくベッドに上って息を吐く。


「今回の部屋には、樹がないんだね」


そう。まったく同じ作りの部屋ではあったが、以前とは決定的に視界が違っていた。あの部屋のシンボル的な存在であった大樹が、ここにはなかったのだ。


「ああ、あの樹ね。欲しいの?」


「や、欲しいというか…なんか部屋の一部みたいだったから、何か仕掛けがあって持って来れるのかと思ってたんだ」


「ははは、小さくしといてレンジで戻す感じ?」


「そうそう。あはは」


我ながら単純な考えに少し恥ずかしくなって、笑ってごまかした。


「あながち外れてもないよ。あれはね、今から育てるんだ」


「は…?」


ごまかした私の意図を知ってか知らずか、にっこりと彼は微笑んでジャケットの胸ポケットから小瓶を取り出した。確か前は同じ所から、呼吸用フィルターが出て来たな、とぼんやり思った。


「この瓶の中身を好きな位置で零すんだよ」


密閉された蓋をポンと開けて、私に差し出す。小さな小瓶を恐る恐る受け取り、怪訝な視線をその中身と、渡した青年に送る。


瓶の中には緑色の液体と、底の方に種のようなものが沈んでいる。まさか、種から育てるのだろうか…あの大樹になるまでに、ここでは何年かかるのだろう?


「好きな所に」


どうぞ、と部屋の中を手でぐるりと示された。

その手の先を視線でぐるりと追いながら、思考は全くついていけなかった。とりあえず、純粋にここがいいなと思える場所を選び、ベッドのすぐ側の水面に瓶の中身を全て零した。

未だ理解できないという視線をヒスイに向けると、彼は満足そうに微笑んでいた。


「よし、これで全てが整った。今日はもうおしまいだ。お腹空いただろう?食事にしよう」


例のごとく、パネルのボタンを操作し始め、水面は床で覆われてテーブルとベンチ、そしてヒスイ用の寝台が作られた。全く不思議でならないのだが、壁から抜け出てくるブロックの中のどこからともなく、シーツやレンジ、食器が取り出される

様はマジックだとしか言いようがなかった。だって、さっきまでそのガラスブロックはただのキラキラした粒だったのに。中を覗くと、きちんとそれらは存在していた。


「仕組みが知りたそうだね」


怪訝な顔でブロックを覗く私に苦笑しながら、ヒスイは中身を取り出している。


「異次元…?」


ボソリと呟いた私の予想は、彼の美しい眼を驚きの色に染めるのに十分だったようだ。


「そうだよ!よくわかったね!すごいなあ…」


ヒスイによると、このブロックは常に電極による磁場が作られていて、異空間へのポケットとなっているのだそうだ。時間や空間を操作できる辺り、紛れもなくここが4次元の世界であるという実感が湧く。


「この場合、全ての生活必需品があらかじめ異空間のストックルームに保管されていると思ってくれたらいいよ」


「ふうん…やっぱり緊急時に逃げ易くしてあるの?」


「まあ、そんなとこかな。ソウは常に身軽で居たがる質でね。他人より危険に晒される事が多い分、なるべくそこに居た形跡を残さないようにできる方法を考えた結果がこのシステムだったってわけ」


「なるほど…。ってことは、こんな部屋は皆持ってる訳じゃないってこと?」


「うん。たぶんここだけだと思うよ。完全にソウのオリジナルデータだし」


「オリジナルでこんなモノ作れるの?これだけの頭脳があるんなら、何もこんな森の中でコソコソ暮らさなくても『ダブル』相手にビジネスが出来るんじゃないの?」


「うん、まあシンプルに考えればそれが普通なんだろうけどね」


言外にソウを取り巻く環境がとても複雑なのだ、とヒスイの表情が語っている。

まだまだ理解できない事だらけだった。まだこちらに来てひと月も経っていない。出逢った人間もごく少数で、時間と次元を越えてやってきた者としての隔離された生活が、情報量を極端に絞り込んでいた。


会話の最中に用意された食事をぼんやりと口に運びながら、何だかモヤモヤとした気分だった。


「ヒスイ」


「ん?」


クレープのような生地に肉や野菜を巻きながら、ヒスイはこちらに眼を向ける。


「明日からは、ここの人間として生活したい」


「え…」


大きく開けた口に料理を運ぼうとした動作が止まる。ついでに大きな瞳も見開いた。両の掌をぎゅっと握り込んで、正面の料理を見据えたまま、私は淡々と意見をのべた。


「もう護身術も習ったし、気配も常時探れる。’能力’がないから特別扱いなのも理解できてる。でも、実際に環境に慣れていかないと…私はソウには戻らないと思うんだ」


「………」


ヒスイは料理を皿に置いて、真剣な顔で私を見つめるが、言葉は出てこない。

少し苛々した。


「―――ヒス「キミは、いいの?」


待ちかねて次の言葉を紡ごうとした時、ヒスイの声が重なった。


「――え?私?」


「アオイは、ソウに戻りたくないんだろう?消えてしまいたくないから、ソウを閉じ込めているんだろう?…それなのに、環境を戻す荒療治を望むの?」


ギクリとした。

ソウを閉じ込めている…確かにその通りだった。時折頭の中に響く声に気付かない振りをして、彼が目覚めようとするのを、私の意志で必至に抑えていた。こういうのも思念、の内に入るのかもしれない。


「本当は、時々ソウの意識が戻ろうとしているんだろう?でも今、キミの存在は身体という個体を失っている。意識という極めて曖昧な形でしか存在していない。そこから消えてしまうのを恐れていたよね?」


身体中の血液が音を立てて引いていくのを感じた。耳の中でザーザーと流れる音がする。指先がしびれていく。


「確かに、ここまで具体的に予測も立てないで、キミを連れて来てしまった責任は僕にある。だから、自然発生的にソウの意識が戻るとか、そんなどうしようもない状態にならない限り、僕はアオイという存在を護るつもりだったんだけど…」


「あ…えっと…」


確かにヒスイの言う通りだった。






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