二人
no.10
* 二人 *
それから何事も無く、4日間が過ぎた。
ドクターとフォーブスからそれぞれに護身術を習ったが、一度身に付けていたらしいソウの身体は何の苦労もなく、全てを思い出すように、それらの情報をあっという間に吸収してしまった。
あまりの習得速度に、アオイの頭では追い付くのがやっとだった。
結果、考えるより先に身体が反応してしまう事となる。
ガタッ
「おわッ!!」
「あ、フォブ、ごめん…」
「危ねえ!急に立ち上がるな!」
「ごめん!なんか…!」
あの気配を感じる前に、身体が動いた。
昼食を終えてキッチンの椅子に座ってくつろいでいたのに、急に緊張が走り、立ち上がる。コーヒーを飲みながら後ろをうろうろしていたフォーブスにぶつかりそうになって、怒られたのだ。
「ああ!また来る!」
咄嗟にそれしか言えなくて、バタバタと自室に戻ってロックした。
おそらくキッチンにいたフォブとヒスイはきょとんとしている事だろう。
それから3分程後…
バタバタと暴れる音が聞こえてくる。
「ヒスイ!いい加減に教えろ!」
「だから!ソウは見つからなかったんだよ!」
「嘘つけ!じゃあ、なんでお前はあの部屋に戻らないで、ここで寝泊まりしている!?毎日のようにフォブとクレイルも集まっている!?」
「うるせえな〜俺たちは仲良しなんだよ〜。お前みたく孤独じゃないからな!」
「黙れフォブ!最近ドクターもソウについてあちこちで聞き回っている。何かあるだろ?何隠してるんだ?」
「おい!研究室には下りるな!今は…!」
ドタバタと足音が階下へ向かう。
ガターーーン!!
「ぬあああ!あっちい!てめ、クレイル!」
「勝手に入って来ておいて逆切れとは良い度胸ですね」
―――ああ、今はクレイルが検体を受けている最中だったっけ…。
彼は他人に肌を見せる事を極端に嫌うらしい。以前に、出先での怪我の為にヒスイが服を脱がそうとしたら、怒ったクレイルに焼かれそうになったので、やむなく彼を担いでここまで跳んで戻ったのだそうで…。
「悪かったよ!うわ!アチ!ヒスイ、消してくれ!」
「部屋が燃えちゃうから、出てってくれる?」
氷のような冷たさでヒスイが吐き捨てた。
「畜生!ヒスイ!」
バタバタと走る足音が遠ざかってゆく。
「行ったぜ〜アオイ〜」
気配が遠ざかったのを確認してから、部屋を出た。
「グエル、燃えてた?」
「おお。凄かったぜ。クレイルの’発火’」
「相変わらずおっかない能力だよね…」
困ったもんだ、とでも言うようにヒスイが苦笑した…が、
「いや、ヒスイの冷たさも十分おっかないよ…?」
「えっ…僕?…そう?」
ケロッとした様子でヒスイは眼を丸くした。
今度はそれを見たフォーブスが、苦笑した。
こと、グエルに関しては、無意識でどこまでも黒くなれるらしい。本能で敵認定しているんだろう。
「俺もヒスイにだけは嫌われたくねぇな…」
真顔でフォーブスが零した。
森の中の戦闘からこっち、2日に一度はグエルが押し掛けてくるようになった。もっとも、気配は毎日感じている。朝と夕方には近くをうろつくので、必然的に私はその時間帯を避けて外に出るハメになった。
「まあ、それだけあいつの気配への反応が早ければ、もうここで匿う必要もないかな?武術も銃も使えるようになったし」
クレイルの検体後に、事の顛末を聞いたドクターが言った。
「そうだね。僕らよりも反応早いし、あの部屋には隠れる場所もある。気配を消すのもだいぶうまくなったしね」
ヒスイが賛同した。フォーブスとクレイルも納得顔だ。
「え…じゃあ、あの洞窟に戻るの…?」
ということは、これからあの空間で独りで過ごすということか。
「不安ですか?」
やんわりと微笑みながら、クレイルが優しい口調で問う。とてもグエルに火を放った同一人物とは思えない。
「え…そりゃ、まあ…。潜水も出来ないし、気配を察知できても外見はソウだから…見つかったらアウトでしょう?」
「大丈夫ですよ。ヒスイが一緒ですから」
「「えっ」」
声が重なった。ヒスイと眼が合う。
「だって、ソウがいた時は一緒だったじゃないですか。アオイはソウより危険が多い。当然でしょう?」
………いま、なんと?
「だ、だからって、アオイはソウとは違うんだよ?『ダブル』の女の子と感覚は一緒なんだ!」
「でも、身体機能はsexlessです。アオイは擬態化の思念は使えないし、間違いが起きるわけもないでしょう」
「そうだよ。だいたいソウと2人で寝ててsexual化しなかった事に、むしろ俺たちは驚いてたんだぜ?」
「いや!あの!ぇえ?」
ヒスイが完全に混乱してしまった…。
しばしの沈黙…。
「ヒスイ…は、ソウと寝起きしてたの?」
思い切って聞き直す。
「え、あ、えと…」
「そうですよ。仲良しですから」
しどろもどろなヒスイに変わって、あっさりとクレイルが肯定してくれた。
「ほら、ソウがこいつを拾って来た時に、怪我が治るまでって側で寝起きしてたって言っただろう?怪我なんかすぐ治ったのにベッタリなんだよ、こいつら」
こいつら、と指差されたヒスイは…微妙な苦笑いを浮かべて頷いた。
「ああ…ああ〜…。そういう事…」
ここはもう、無理矢理それで納得しておいた方が良いだろう。これ以上掘り下げると、この身体の主が表に出て来てしまうかもしれない。
しかしこれは…間違いなく遺伝子交配前提のペア…と言う他ないだろう。
「とにかく!僕とソウだったから、それで良かったんだってば!この場合、ソウじゃなくて、アオイだから!」
私の心配をして、ヒスイが引き続き抗議を始める。
でも、そういう事なら―――。
「わかった。私は構わない。ヒスイにいてもらったほうがなにかと面倒がなくていいかもしれないし」
「え?アオイ!」
「よし、決まりですね。じゃあ、今夜からはあの部屋に戻るという事で」
何日か前に通ったジャングルの抜け道を、ザクザクと進む。
「…アオイ?」
前を行くヒスイが問いかける。
「なに?」
「ホントに、良かったの?僕と一緒で?」
問う声色は、まだ戸惑っているようだ。
「うん。ヒスイなら安心だし。連れて来た責任あるから、放って逃げたりしないでしょ?」
「まあ、それは勿論だけど。でも、21世紀の考え方だと…」
「ヒスイ、もうここに来てしまったし外見も変わってしまった。ここで生きるしかないんだから、慣れるしかないよ」
そう、慣れるしかないんだ。もう何もかも変わってしまったんだから。
「そっか…」
それきりヒスイは黙り込んでしまい、ひたすらザクザクと草を踏み分けて先へ進んだ。
洞窟の入り口に着くと、ヒスイが振り向いた。
また、少し哀しそうな顔をしている。
「アオイ、僕は…――――――ッ!」
言いかけて、険しい表情に変わった。
視線を追って脇の大木の上を見上げると、そこには少年が座っていた。
「え、気配なんかなかったのに―――?」
ヒスイが身体の位置を入れ替えて盾になる。
「中の岩場に隠れて!」
放たれた声が、グエルとの戦闘時よりも厳しい色になる。まっすぐに指差された岩場の影に走り込んだ。
木の上の少年は、無表情にこちらを伺い、音もなく地面へ飛び降り―――地面に足をおいた次の瞬間、真正面からヒスイに襲いかかった。
一見した限りでは、私たちよりもずいぶんと小さく、おそらく14、5歳といったところか。ブロンドの髪にブルーアイ。肌の色は21世紀でいうと白人のそれだった。ヘッドホンのような機械が耳につけられている。
『ダブル』か?
しかし、それにしては恐ろしい怪力だった。
正面から打撃を受け止めるヒスイが一旦地面に足をめり込ませて耐えた。迫撃が起こり、2人の間の空気が弾け、互いに飛び退ってそれをやり過ごす。
チラ、とヒスイが私の位置を確認して少年に向かって水平に跳躍した。水平距離約20m―――アジア映画のワイヤーアクションさながらに前方へ移動し、相手を腕に絡めとり拘束する。
そして2人の動きが止まり、キン、と音がした後…
バン!!
ヒスイの腕の中が爆発した。
辺り一面に、金属片が飛び散る…
―――金属片?
ゴト、と目の前に欠片が落ちてきた。少年の腕の一部のようにも見えるが、ヒトの皮膚の内側に収められているのは、無数のコードと関節部品、マイクロチップ…。
「これは……」
「アオイ、無事?」
戦闘を終えたヒスイが小走りに寄ってくる。
呆然とその顔を見上げると、彼は苦笑した。
「驚いた?『ダブル』が寄越した戦闘ロボットだよ」
「戦闘ロボット!?今のが?完全に人間みたいだったよ!気配もない!」
「よく出来てるよね。年々バージョンを上げてくる。ちょっとこっちを離れてる間にまたバージョンアップしてたみたい。破壊力が上がった」
感心したように散らばる欠片を見渡している。
「そ、れで?なんで爆発したの…?」
「ん、アレだよ。僕の超音波。至近距離で思いっきり核にぶつけてやった」
口をパクリと開けてニヤリと笑った。
背筋を冷や汗が伝った…。
洞窟を進み、湖の真ん中の部屋へ戻ってくると、部屋に浮かぶベッドに2人で腰掛けた。
「ヒスイ…強いんだね…」
グエルとの戦闘でも思ったが、先程のそれは、前回を上回る迫力とスピードだった。戦闘ロボットというからには、それ専用の作りになっているに違いない。現に、最初の打撃は相当なものだった。それが原因で迫撃が起こった程だ。それを生身の身体で受け止め、次の瞬間には拘束して破壊してしまったのだ。
完全に想像を超えていた。
「そう?まあ、21世紀からは考えられないよね」
笑いながら、ベッド脇のボタンを操作している。壁に積まれたガラスブロックが水面を滑って位置を変え、積み重なって形を作っていく。
「でも、これが僕らの真の姿だよ。生身で戦えるような身体になっているんだ」
「人間が、素手で機械を破壊するなんて…」
「初めてだから驚くのも無理はないけど、君の身体も同じ作りなんだよ?」
ふと我に返って、ヒスイを見た。
「しかも、君は僕とは桁違いに強い。おそらく、さっきと同じ場面だと、一撃目で返り討ちに出来る」
…言葉が出なかった。いや、出せなかった。
『ダブル』が恐れる理由を身をもって体感してしまったから。
自分の手のひらをじっと見つめた。
この手ひとつで、あの少年ロボットを破壊してしまう程の力がこの身体にはある。
実感は湧かなかったが、おそらくそうなのだろうと確信できた。
「できたよ。この作りならいちいち水に浸からないし、自由に動ける」
その言葉に、室内に視線を移す。
先程まで水面だった足元に、ガラスブロックの床が出来ていた。積み上げたブロックでテーブルとベンチもあった。自生しているらしい大樹の足元まで床が覆い、常規を逸する構造だった部屋は、形だけは一般的な部屋になっていた。
「わあ、ありがとう」
立ち上がり、部屋を歩き回る。大樹にもたれ掛かって、その根元に腰掛けた。
「クロゼットはこの丸いボタン、出入り口は赤いボタンで現れるよ。トイレは緑色、シャワールームは黄色」
ベッド脇のボタンの列を指差しながら、操作方法を説明してくれる。
どうやら、本当に一緒にこの部屋で暮らしていたらしく、建物全ての構造を理解している。
あれ?
「ねえ、私がここで寝てた間は、どこにいたの?」
毎回、泳いで現れていたけれど…。
「ドクターのところだよ。僕も21世紀で過ごした貴重な『マルチ』だからって、サンプリングされてた」
なるほど。
「ヒスイの家は、ここから遠いの?」
「え?」
「いや、ここで寝泊まりしてたんなら、遠いのかなって…」
ヒスイは少し困惑したような視線を投げてきた。
なにかを言い淀むようにこちらの様子を伺っている。
腰掛けたベッドの上で膝を抱えて頭を乗せ、木の根元に寄りかかる私をじっと見ていた。
「…ここは僕の家でもあるんだ」
ややあって、ヒスイは口を開く。
「え?」
「僕には他に行く場所はない。この部屋が、僕の部屋でもあるんだ。この土地に来てからはソウと一緒に暮らしてた」
「では、ここに来る前は?家族とか、故郷とか…」
親や兄弟が住む場所があるだろう、と思った。
「家族はいない」
何かを決めたようなはっきりとした意思が伝わってきた。
「この次元では、『マルチ』はヒトであっても野生だ。ある程度の年齢になると、『マルチ』の親は子供を自分の庇護の元から野生の中に放つ。そして放たれた子供は、2度と親元へ戻る事はない。たとえ戻っても、もう親に会う事は出来ないんだ」
「…どういうこと?」
「僕らは生物の発展上に存在する一種のフリーク。安定した優秀な遺伝子を残す事を目的に生きている。その分、広く異なる遺伝子を求めているんだ。だから、間違っても血縁と混ざる事の無いように、親の記憶が曖昧なうちになるべく遠い外界へ放り出される。僕も物心がついた頃には、独りで生きていた」
ガラスブロックの床を透かして、魚が泳いでいるのをぼんやりと眼で追いながら、ヒスイは淡々と話してくれた。
「そう言う訳で、親の顔もうろ覚えだし、家がどこにあったかなんて覚えてないんだよ」
ニコッと笑ってそう締めくくった。
いやいやいや…そこまで爽やかに当然のごとく…。
何と言っていいのか…、気の毒…な訳でも哀れな訳でもない。それが彼らの常識なのだろう。超人的な戦闘センスは、それぞれの生い立ちの上で必要に駆られて磨かれたものだという事がよくわかった。
「じゃあ、ここでは私も私の本当の親に会う事は出来ないってことか」
「そうなるね」
「なんだか、寂しいな…」
「君のいた時代では考えられないよね。”虐待”にあたるんだろうなあ…」
確かに。
「7〜8歳で、たぶん僕は外界に出た。外界って言っても荒野ではなく、ちゃんと世話好きの『マルチ』がそういう子供を集めて面倒を見ている”マルチ・ガーデン”というボランティア施設が何カ所かあって、そこで生きるのに必要な’能力’を養い、ある程度の知識を得る事が出来るようになっているんだ。昼間はそこに通い、それ以外はそれぞれ自分の住処を作って独りで過ごす。好きなだけその暮らしは続けられるんだけど、大抵の者は準備が整ったら、さらに広い世界へと独り立ちするんだよ」
「準備って?独りで生きる準備?」
「うん。本来『マルチ』は個人主義なんだよ。自分の遺伝子を護り育て、これだという遺伝子の持ち主を捜さなくちゃならないからね。独りの方が動き易いのさ。それに、群れていると『ダブル』に捕まり易いしね」
そろそろ寝る準備を、とヒスイはベッド脇のボタンを操作してブロックで寝台を作った。そこに毛布をひとつ持って包まりながら移動した。どうやらベッドは私に譲ってくれるようだ。意を察して、私も樹の根元からベッドの上に移った。
「それで?ヒスイは何歳でそこを出たの?」
ベッドに横になると、部屋の照明となっている天井の青空の映像が夜空に変わり、室内は暗くなった。きらきらといくつもの星が、ガラスブロックの天井を覆い尽くしていてとても美しい。
「10歳で。僕は外見が『ダブル』と似ていたから、必要な時は’擬態’で肌の色を変えてやり過ごす事ができたし、ある人を捜していたから、他の仲間よりも少し早くそこを出た」
「ある人…」
「うん。施設に通い始めた頃に一度だけ見かけたんだけど、とても印象的で、忘れられなくて…でも施設内でその人を見たのはその一度きりだった。通っている間中、そこにいる連中や、周辺一帯を捜したんだけど見つからなくて」
「どんな人だったのか、聞いてもいい?」
暗闇に暫しの沈黙が流れ、ゆっくりと思い出すように彼は教えてくれた。
「ちょうど食事の時間で、配給所は子供たちでいっぱいだった。僕も腹ぺこで、順番待ちの列に並んで自分の番を待ってたんだけど…並んでいた列の少し前に、彼は居たんだ。初めて見る顔だったから、新入りだと思って物珍しく彼を眺めた。ただ眺めながら黙って列に並んで、話しかけもしなかった。
そのうちに列は進んで、彼が配給を受ける番になった。彼は配給のパンと飲み物を受け取ると、くるりと振り返り、僕をまっすぐ見ながら歩いて来たんだ。そして、少なくとも驚いてぽかんと開けていた僕の口に、持っていたパンを押し込んで言ったんだよ。
なんだよ、腹空かして見てるだけか?
って。
突然の事にびっくりして、しかも口はパンを押し込まれていたから、何も言えなかった。呆然と見つめる僕に、彼はニヤッと笑って、残った飲み物を飲みながら人混みに消えて行ったんだ」
「…そ、そりゃ、印象的だね…」
「でしょ?初対面の奴に、気配を読まれて施しまで受けたんだよ」
クスクスと彼は笑った。
「でも、印象的なのはそれだけじゃなかった。僕をまっすぐに見た強い芯のある瞳。それと同じ色の髪。子供心に、とても綺麗だと思ったんだ」
「綺麗な蒼い色だった。それまで、そんな色の髪をした人を見た事なかった。にたような色の青はいたけど、深い、ツヤのある、なにか宝石を溶かしたようにキラキラした蒼だったんだ。」
それは…
「それは、ソウだったの?」
「たぶん。僕はそう思っている。本人は覚えていなかったけどね。でも、髪の色は間違いないと思う」
しっかりとした声の響きに、ソウとヒスイというこの2人の運命を垣間みたような気がして、鳥肌が立った。




