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蒼sou  作者: 櫻木 馨
1/14

no.1


* 序 *




あのとき

確かに誰かに話しかけられたんだ…






「ん…朝…?」


なにかひどく疲れる夢を見たな…


気がつくと朝で、自分の部屋で、いつもと変わらない一日が始まった。





「アオイ、おはよう」


「おはよう、ひな」


「…どうしたの?体調悪い?」


ひなが私の顔をじっと見ながら訊いた。

この子は仲の良いクラスメイトで、学校では大抵一緒にいる。


「いや?べつになんとも?」


「そお?なんか元気ない気がしたから…」


「そうかな?元気ですけど…?」


その後も他のクラスメイトに何人か同じことを訊かれた。

実際、身体の調子が悪いことなんてないし、鏡を見ても十人並みの見慣れたいつもの顔が映っているだけで、なぜそんなに心配されるのかが不思議だった。


まあ、考え事があると言えば、それが原因なのかもしれないけれど。






「都築、それ何?また新種仕入れたの?」


「ん、ちょっと試してみてるだけ…」


放課後、ここはPCルーム。

私は都筑蒼つづき あおい。高校2年生の化学部員。

成績中の上、容姿十人並、運動能力はちょっと反射神経が良い程度。得意教科は数学、理科学系。趣味はデータをいじること。俗にいうとオタク系に入るのだと思う。

彼氏イナイ歴17年。実を言えば、男女の性別の違いというものが人生においてそれほど重要とは思っていないので、ひなとかクラスの女の子が男の子の話で盛り上がることについていけないというのが本音。

しかも、年に数回「女の子から」告白を受けることがあったりもするので、自分の性別意識は年々低くなる一方。

学校生活では、授業を受けること以外はそんなに楽しいとは思えなくて、むしろ実験やプログラムに夢中な人間ばかりが寄っているこの化学部の活動のほうが自分らしく振る舞えて良いと思う。


「どういう内容なんだ?ゲームか?」


「…私も知らないんだ。なんとなく頭に浮かんで消えなくて」


「へえ〜何の申し子だよ、お前、プログラムが降臨するんだな」


「ヒトを電波系にするのはやめてくれない?」


「実際、電波系だろ?時々遠く見ながら放心してるかと思えば、急に鬼のような早さで打ち込み始めるじゃないか」


「な……ウルッサイな!じゃあ怪電波発信してやるよ!もう、あっち行ってて!」


ははは、と笑いながらゲーム部の大木がからかう。

化学部の活動は本来、第一理科室で行うのだが、プログラムや実験データの分析はゲーム部の部室であるPCルームのパソコンの一部を借りて行っている。

だから、ゲーム部の部員ともわりとよく喋るし、プログラミングの用語や情報を教え合ったりもしているのだ。


大木はひとしきりからかって気が済んだのか、他のゲーム部員と帰って行った。

おそらくいつものように「日常生活におけるゲームの存在意義とそれがもたらすヒトへの影響を研究する会」と銘打って誰かの家でゲームに興じるのだろう。

ゲーム部はほとんどの活動をその研究に費やしているようで、PCルームは待ち合わせの場所として使われているだけなのだ。

その結果、ここを使うのはもっぱら化学部員で、その中でもプログラムとデータ処理を得意とする私と1年生の暁月翠あかつき みどりの2人だけだった。今日は、暁月君がまだ来ていないので、ここには私一人になった。


「まったく、どこまで入れたかわからないじゃないか…」


私はさっきまで入れたコードと記憶とを照らし合わせながらパソコンのモニタを見直した。

今打ち込んでいるのは、今日一日私を「元気がない」と言わしめた原因となった、とある記憶。目が覚めた時から、いや、多分夢の中での記憶になるのだと思うけれど、ずっと頭にこびりついて気になっていた、意味があるのかも判らない記号の羅列。


「ええと、θpva4δの…よく覚えてるな…我ながら…」


カチャカチャとキーボードを叩いて思い出す限りの記号を入力した。




ガラッ



「あ、先輩、来てたんですね」


ゲーム部員がいなくなって10分後、いつもと同じ台詞で、暁月君がやって来た。


「ん、今日もかわいいね」


私もいつもと同じ台詞で迎えた。

彼は無表情をニコッと変えて見せると、夏服の胸ポケットから持ち歩いているフラッシュメモリを取り出し、いつも使っているパソコンへと向かった。


暁月君は、そこいらの男子とはちょっと異質の雰囲気で、実際女の子のような顔をしている。生粋の日本人だと言っているけども、きれいな二重の眼が隠れるくらいの長めの髪は真新しい10円玉のようなツヤのある栗色で、色素の薄い瞳は角度によっては月のように見えることもある。背はそんなに高くはないが、低くもない。165センチの私がちょっと見上げる程度なので175センチくらいだと思う。

運動能力がどうだかは知らないけれど、成績は優秀で、学校中の女の子の間では「月の王子」という呼び名で毎日の話題に上っている。

本人の反応はといえば、毎日欠かさず部活に顔を出し、その後も彼女らしき子とデートしている様子もないので、同じ括りにするのは気が咎めるけれどもどうやら「電波系オタク」に属するのではないかと。


「今日もかわいいね」という台詞は、彼が新入生として化学部に入部した時に生まれた。

4月。ただ一人の新入部員の、日本人離れしたその綺麗な顔に、当然部員は皆驚いた。

もちろん私も例外ではなく、そのとき持っていた整理しかけの数十枚のCD−ROMをすべて床に落としてしまった。

生まれながらにその顔を持つ彼にとっては、新しく出会いがあるたびに見せ物のように晒されることは避けて通れず、判りきったうんざりするような反応だったと思う。

だが彼は、しまった、と慌てて拾う私に一歩近づいてしゃがみ込み、CD-ROMを一枚拾って私に差し出したと思うと、それまでの無表情を一変させ、見とれるほどの満面の笑みを浮かべて


「今日もかわいいでしょ?」


と言い放ったのだ。


あまりのことに全員が放心していると、「ね?」という顔を向けてくる。

なにやら期待を込めてきらきらと見つめてくるので、私は思わず


「ん、今日もかわいいね」


と汗だくで応えた。

その場にいた全員が、初対面なのになぜ今日「も」なのか、ものすごく疑問に思ったが、彼が私の応えに心底満足しているようだったのでどうにも訊くことが出来なかった。

そして、次の日も、また次の日も、無表情で部室のドアを開けては期待を込めた笑顔に変えて私の方を見るようになったのだ。

私もすぐに学習したので、彼が部活に来たらまずこの台詞を言うようになった。

なぜ今日「も」なのかは未だに訊けていないんだけど。




二人とも干渉しない性格なので、思春期の学生にはいささか危険かと思われる環境の男女二人きりのPCルームには話し声もなく、ただ黙々とモニタに向かいキーボードを叩く音だけが響く。

そうやって部活動終了までの2時間をほぼ無言で過ごすのは私にとってなんら変わらない、いつものことだった。



「=、108……load」


夢の中の記憶をすべて打ち込み終えながらそう呟いて、’enter’キーに指を掛けようとした瞬間、視界の隅にいた暁君の肩がピクリと動き、それまで休むことなく動いていたキーボードを叩く指が止まった。

彼が入部してから三ヶ月の間、数えるほどしか彼の指が止まることはなかったので、私はキーに掛けた指を止めて暁君を見た。


眼を向けると、彼は少しばかり驚いたような表情でこちらを振り向いており、初めて見る表情に「どうかした?」と声を掛けようとした瞬間、彼は立ち上がり月色の瞳を潤ませながら私の席のモニタを覗き込んだ。


「ソウ…!!思い出してくれたんだね!」


「…!?」


モニタと私を交互に見ながら、月の王子は瞳に涙をいっぱいに溜めて満面の笑みでそう叫んだ。



…ソウ?ソウって何だ?

ていうか、何この展開?

なんで王子泣いてるの?

このコードなんかヤバいやつ?

私なにか地雷踏んだのか?

enter押さなくて良かった…

王子は泣き顔もかわいいなあ…

そもそもコードを思い出す約束なんかしたっけ?



一気に頭の中がパニックになって、眼を見開けるだけ見開いて、私は目の前で泣く美しい王子様を凝視した。


「良かった!こっちに入って君を捜し出すのも相当苦労したんだ!逢えたのは良いけど君、すっかり記憶ないみたいだし、もしかしたら何十年後に迎えが来るまでこのままこっちの時間で過ごすハメになるんじゃないかと思ってたんだ。そしたらよく調べたらこっちの寿命ってせいぜい100年弱だって知って、この’入れ物’が死んでしまったら’中身’はどこに行ってしまうんだろうかと思って絶望しかけていたんだ……何してんのソウ、早くキーを押して!早く帰ろう!」


絶句する私にそう畳み掛けて、互いの鼻先が触れるほどまで美しい顔をぐいっと近づけて、私の手を取り、コードを起動させる’enter'キーを押せと懇願する王子。

なんだなんだ!?なんだこの展開!?



「近い近い近い近いーーーーーーー!!!!!」


ベシーーーーー!


あろうことか全校女生徒が恋焦がれる王子様の顔面に、思いっきり掌を押し当て、首が折れるんじゃないかと思うくらい目一杯腕を伸ばして美しい顔を遠ざけた。

干渉されるのが嫌いなので、人とはある程度の距離がないと落ち着かないのだ。そのうえ、近づいてくるのがこれだけの’美人’だとなると、動揺もかなりのものだ。

落ち着け!私!


私の左手をしっかり握りしめた両手のおかげで、強烈な右の張り手を受けた王子は後ろにのけぞった形となり、あわや壁まで吹っ飛んで後頭部を強打→失神という惨事は免れた。


しばらくそのコントのような体勢のまま固まり、互いに正気を取り戻すまで数秒かかった。



「あ………ごめん………」


「う……」


握りしめた両手がはらりと崩れ落ち、私の右手から剥がれた顔には焦点を必死で合わせようとする鈍い色の瞳がパチパチと瞬いていた。


「脳が…揺れた…」


「ごっごめん!ちょっと…展開についていけなくて…!」


「や、僕こそごめん…ちょっと興奮しちゃって…そうだった、翠だった…」


「え…?あ、あの…あああ、暁月君?」


「キーを押すまで待ってりゃ良かったのに…何やってんだろ…」


栗色の髪をワシワシと掻いて、やっと焦点の合った視線をこちらに向ける。

脳が揺れたので気分が悪くなったのだろう、制服のネクタイを緩めてボタンを二つ外す。

そして椅子にもたれて片膝を立て、ふうっと大きく溜息をついた。


張り手のせいで顔が腫れかけているが、普段こぎれいにきちんと佇んでいる彼がここまで乱れた姿を見るのは初めてで、その妖艶ともいえる姿に思わず息をのんだ。


輝きを取り戻した月色の瞳が私を射抜く。


「都築先輩」


「な、なに?」


「錯乱させてごめんなさい。至近距離も苦手なのに、急に近づいたりして…」


「や、こっちこそ、思いっきり張り手かましちゃったし…その、大丈夫?」


フッと王子が微笑みを取り戻した。


「この程度は慣れてるから大丈夫」


「な、慣れてるんだ…意外だね…」


私の怪訝な表情を見て、彼はまたフッと笑う。

そしてゆっくりとモニタに視線を向けて、またゆっくりと私に戻す。


「説明はあとできちんとするから、今はとにかく’enter'を押してくれませんか?」


「な…んで?このコード、なにかあるの?」


「今は答えられない。答えて振り出しに戻ったら、もうきっと元には戻れないと思うから」


「戻る?…さっき’帰ろう’って…言ったよね?…’捜してた’って」


「言ったよ。でも答えられない」


「………じゃあ、ソウって…?」


「…それは、君の名前。こっちではアオイだけれど」


「………」



キーーーンコーーーーーーンカーーーンコーーーーーン



「!!」


ふいに部活動終了を知らせるチャイムが鳴り、廊下に早くも下校を始めた生徒たちの声が響く。

少し焦りを見せた彼は、キッと瞳に力を込めて、再び私を射抜く。



「時間がないよ。お願いだから、キーを押して下さい…先輩…」


「…押すと、どうなるの?」


「押したらわかる」


「教えてくれないのね」


「必ず後で説明はします」


「後でって、手遅れにならないの?」


「思いません」


「押して人生終わりなんて…」


「終わらない…むしろ始まります」


「!?…はじまるの?」


「まだ僕らはそんなに生きていない。いくらでも変えられますよ。先輩が空虚に過ごしていた毎日をね」


「な…」


唐突に私の17年を見抜かれた気がして、私は動揺した。


私は自分の過去に自信がなかった。特にいじめられていたとか病気だったとかそういうものではなく、ただ、記憶が曖昧なのだ。それまでの出来事を覚えてはいるが、どうにもリアルさに欠けているというか、ぼんやりとしか思い出せないのだ。特に、この高校に入学する以前の、15歳より前のことは。


心の隅にはいつも穴が空いていて、そこから何かが零れ落ちている気がしていた。

しかし、それは妄想による錯覚で、平和ぼけなのだと自分に言い聞かせて来たので、今ここで他人である後輩にグサリと的を得られてしまったことにより、懸命に固めてきた自己はポロポロと角から崩れ始めたようだった。


変えられる?今を?

新しい私を?

このプログラムコードを起動させることで?


目の前の王子は得たり顔で微笑んでいる。


「たしかに…この生活に執着はないけれど…でも」


「でも?」


「零れ落ちた何かは…見つかるのかな…」


いつの間にかキレイに身を整えた王子が満面の笑みを溢れさせた。

あああ、世の女子生徒はこの笑顔に堕ちるんだろうな…などと思いがけず見とれる。


「見つかるよ。望むままにね」


そう囁いて、私の右手を取り、キーボードの'enter'の上にかざす。



「騙されてたりして…ドッキリでした〜とか?」


「…先輩?」


少し近づいた顔が、何ふざけてんだ、という視線をよこして、正面から見据える。


「僕が信用できない?」


それは綺麗な顔を、まじめに引き締めて私を見る。


「う、いや…ごめん」


「僕はこんなふざけ方しないよ。よく知ってると思ってたけど?」


え……


ドクン、と心臓が大きく脈打った。


急にキーの上の指が震えだしたのを、彼の手が優しく覆っている。

なぜか気恥ずかしくなって話題をそらした。


「わ、私に違う名前があるのなら、あ、暁君にも?」


「あるよ」


「おしえて…」


「ヒスイ」


ああ…翠というんだったな


そう思いながらかざした指を重力に任せてキーの上に下ろした。








ピッ





プログラムが起動し、無数の記号が走り出す。モニタの画面が色を変える。

眩しいほどの光の波に眼を覆うと、隣に立つ少年にガッシリと抱えられた。



意識が遠のく―――――――








ピチャン……


水滴の音に眼を開けると、蒼い光の中に立っていた。




目の前には小さな水溜り。



ピチャン……



天を仰ぐと、どこまでも続いている光の中から、一滴ずつ水が墜ちてくる。



ピチャン……



「ソウ…」


後ろから肩を抱いたまま、ヒスイが囁く…



ピチャン……


「帰ろう…」


頷いて、水溜りに足を進める。









ガラッ


PCルームのドアが開いて、合唱部の活動を終えたひなが顔を出した。


「アオイーーー帰ろーう」




シン…とした教室には誰も居ず、主のいないパソコンが2台起動していた。


「あ、あれ?」


1台のパソコンのモニタが光っている。

吸い寄せられるようにひなはモニタを覗き込んだ。


パチ!


光が弾け、眼がくらむ。


「わッ」


少しずつ眼が慣れて、焦点が合ってくる…。


「え…と…、あたし、誰さがしてるんだろ?」


キョロキョロと辺りを見回して、


「パソコンつきっぱなしじゃん!誰よう、最後に使ったのは!?」


まったくもう、と2台のパソコンの電源を落とし、女生徒はPCルームをパタパタと出て行った。









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