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私説・webに一人称小説が多いわけ ~RPGとFPS~


 web小説には一人称小説が多い、なんて話を聞いたことがあります。

 とても調査する気になれませんが、個人的には「わかる」ような気がします。

 少なくとも私個人としては一人称小説のほうが書きやすいです、「web小説に限っては」。


 三人称小説のほうが技術が要るから、なんて話を聞いたりもします。

 だがちょっと待ってほしい……一気にうさんくさくなりましたが、ともあれ。


 だいたいの日本人がなんらか文章書いてきた(書かされた)と思うのです。

 で、そのだいたいがすなわちまたこれ三人称、ではありませんでしたか?


 中学高校の宿題、大学生ならレポートに論文、社会人なら始末書報告書。

 中身が主観であったとしても、体裁は三人称ではないかなと。

 英作文すら「私は~思う」を I think~ で書くものじゃないと指導され。

 

 ですからふつうに文章書くなら三人称のほうが簡単に決まっている(はず)。

 でも「webで」小説書く場合に限っては一人称が圧倒的に楽。

 

 これはなぜかとある日ふと思い立ち、またある日ふと思いついたんです。

 ゲームに喩えるなら、三人称小説とはFPSじゃないかなって。

 その視点から見直すと、一人称小説はRPGじゃないかなって。

 


 たとえば私が今書いてる一人称小説、主人公の名前がヒロなんですけど。

 これを三人称で書くとして。


 ――ロシウの拳が震えている。

 ――鈍色の直衣に寄る皺からヒロはそっと目を逸らした。

 

 上の二行を書いたのは作者です。

 ロシウの行動、ヒロがそれに目を留め逸らしたこと……何を描写するか、いかに表現するか。三人称小説においてそれを選択するのは作者です。

 その行いはFPSにおける射撃、「ある射線を通じて作中の人物をスコープする」行為に似てはいないかなと。

 「作者の視点から描写する」という表現自体、まさしく主観視点ファーストパースンからのシューティングではないでしょうか。

 

 それでですね、FPSでよく言いません? 「一発撃ったら場所変えろ」って。射線で居場所がバレるからって。

 一発だけなら誤射……じゃ困るんですけどともかく、ひとつの描写だけならまだわかりにくい。

 でも前述の例えばヒロを描写して、ロシウを描写して、何かあるたび誰彼を描写して……それぞれをいわば「一ヶ所から撃ち抜く」ことを繰り返せば、発砲地点丸分かりですよね。作者の「思想」、「ひととなり」、「ありよう」があからさまにされてしまう。

 つまり三人称小説では描写のたび素の自分(作者)が現れざるを得ないのです。



 これが一人称小説ならば、描写対象ならびに表現態様の選択は主人公に依拠する……作中人物に視線を代行させることができます。


 ――ロシウの拳が震えている。

 ――鈍色の直衣に寄る皺から俺はそっと目を逸らした。

 

 上の二行を書いたのはヒロ(主人公)です。

 これはまさしくロールプレイ、作者は主人公ヒロなる人物の陰に隠れています。

 「自分とは違うヒロならばこの角度からものを見る。だからこういう描写にしよう」と考えながら書いている、というわけです。

 つまり「俺は」のひと言を挟むことにより、作者は自身と主人公とを不断に切り分けることができるのです。

  

 匿名性維持におけるこの気楽さこそweb小説に一人称小説が多い理由ではないでしょうか。



 いやいや、何が違うのかと。

 だいたい作者の「ありよう」「人となり」を言うのであれば、RPGや一人称小説の主人公こそが作者そのもの、分身にして投影でしょう? という見方もあるとは思うんですけれど……RPGの主人公に自分の名前つけるって感覚がどうしても備わらない人間に言わせれば、むしろ投影するほうが難しくないですかと。


 名作の呼び声高いドラクエ5を例に取れば、5だから主人公は「ぺんた」(流れで息子はぽんた、娘はべる)……ノリはともかく自分以外の名前をつける方のほうが多くありませんか? ていうかビアンカだフローラだってどうでも良くありません? あの物語のヒロインは、ずっと隣にいてほしいのはピエールです(断言)。

 世界樹の迷宮でも「名づけ談義」に加われなくて。モンクは「もんこ(もんた)」ファランクスは「ふぁらこ(ふぁらお)」ですよ。そこまでしないとわけわからん。

 FFなら至高は9じゃないかなって。ビビかわいい。イケメンファンタジーとかキャラ動かしてる感じがしなくてすぐ飽きちゃう。

 ドラクエとかおっさんかよポケモンに喩えろって? もちろん後述しますから。



 一人称小説であってもなお、小説における登場人物とはどうしたって作者の影響を受けざるを得ないわけで、すると最も描写されることになる主人公が作者に似てくる寄ってくるという危険――本稿の問題意識に沿うならば「その結果、作者自身のありようが浮き彫りになる」危険――はもちろん感じます。


 でもそれを避ける手段、いくらでもありはしませんか?

 例えば異世界王朝物語ではそれこそ私の分身・投影を脇役として出すことにしました。手塚治虫のマンガに出てくるベレー帽かぶった鼻の大きいおじさん役と申しますか。その人物をときおり主人公と絡ませておけば、描き分けの都合で――むしろ主人公に描写させることで、すなわち主人公自身の手によって客体化させることで――必然的にキャラの立ち位置を修正できる、作者と主人公(ほか主要登場人物)の間に距離を置くことができるわけです。


 なお反論もあろうかとは思います。

 小説なるものはどうしたって作者の人生の反映じゃ! とか。

 なんでそんなに「反映」を避けたがるの、自意識過剰じゃない? とか。

 わかります、少なからず自意識過剰な部分があることは。

 

 しかしそれって、心の動きとして無理からぬところではないかなと。


 冒頭に戻りますが、申し上げているのはあくまでweb小説の話です。

 web小説すなわち「webに公開する」小説とそう申し上げれば、あるいは。

 リテラシーとかそれ一番言われてるから……身バレやらにまつわる危機意識が不断に働いて当然ではありませんかと。


 つまり三人称小説は記述の視線そのすべてが作者自身に拠るだけに、行間からひととなりが匂い立たざるを得ない。それゆえwebすなわち「不特定多数の目に触れる場所」に出す前提として、推敲に神経使わざるを得ないのです。

 描写するたび思惟を立ち位置を(FPSで言う射線を発砲地点を)変えて、あるいは痕跡消しながら……難しいというよりめんどくさい、書いてられないって感覚に陥ることありませんか?

 

 ……などとつらつら記すうち、ぐずぐずの仮説をひとつ思いつきました。

 三人称小説をwebで書きつつ身バレの危険推敲のストレスを避けようとするならば、作者自身に小説主人公の役割を担わせざるを得ないのかもしれないと。

 いわゆるキャラ立てキャラ作りです。素の自分とは違う人格を小説家(えらそうってんなら物書きとでもしときますか)としての自分に背負わせたうえで、その主観視点から描写する。

 見るからにアタマおか……もとい個性に溢れる作家さんとか、たぶんそうした心の動きが身に染み付いちゃった人なんじゃないかなって。物書きがペンネームを使う所以も、ひとつにはそういうところにありそうな気がします。



 なおこの小咄エッセイをものした動機ですが、以前いただいたメッセージにあります。

 一人称小説の主人公――私の場合は「ヒロ」ですが――と作者(私)は決して重なるものではないと、そのことは申し上げておく必要を感じたもので。


 ですから例えば――メッセージの内容とは関係ありませんが、一番無難なところを挙げるとして――主人公のヒロが恵体好きだと言って、その描写は私といっさい関係がないのです。

 この際ですので断言しますが、つまりポケモンと言ったらルリナなんです。



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