坊主・法事・名字
記憶のがらくた箱から不意に飛び出してきた思い出がありまして。
もう何年になりますか、大学に通っていた時分。
必修の間に空き時間があったもので「民法四部」を入れたのですが。
ええ、空き時間があったからです。離婚とか相続とか面白そうじゃん? なんてゲスな気持ちは一切ございません。
そうしたわけで階段教室の片隅からのんびり眺めていたところが。
「ここのところ『夫婦同姓』制度が問題になっていますが」
ほーん、と。
そりゃ親族相続の講義ですものねと。
「『夫婦同姓』は不便だ、問題がある。それはひとつの主張でしょう」
その頃にもまあ、今と同じようなことが言われていました。
同性カップルの問題が大きく取り沙汰されてなかったぐらいで。
「ならば『夫婦別姓』を主張すれば良いはずです。『選択的別姓』ではなくて」
まだまだ「ほーん」でしたけれど。
階段教室の上から眺めるあほはともかく、前列に詰めかけた熱心な友人たちにしてあほ面さらしていたのかもしれません。
「『夫婦同姓』に対置されるべきは『夫婦別姓』です。『選択的別姓』と言いますが、『選択的』なんてものは法制や国家の制度としてあり得ないんですよ。議論の対象としておかしい」
それこそ顔真っ赤、声を荒げられたのに驚かされたという次第。
何せこの先生、穏やかな語り口とまろやかな声質の持ち主で。およそ激したところを見たことがありませんでした。目が笑っているのを見たこともないけれど……いえ、やめておきます。
ともかく珍しいできごとに「これはおもしろい話が聞けそうですなあ」と身を乗り出したところが、それでおしまい。講義……「先週の続き」に入ってしまいました。
その時はどうおかしいのか、国の制度とか法制って何じゃろかって気になったものですけれど……そこで突っ込んで質問に行かないあたりがダメ学生のダメ学生たるゆえんでありまして。
今になって思い返せば「それ、民法そのものからは少しズレていくかなあ」というあたりで遠慮(?)されたのかな、なんて。怒っていたのは法制とかそっちに関わっていたからかもなあ、なんて。
ともかく顔を赤くし声を荒げていた、そのことばかりが印象に残っていたのでありますが……なぜそんなことを今さら思い出したかと申しますと。
先週法事があったのですが、お坊さんがその顔から体格までこの先生に似ていたのです。
顔かたちが似ていると声まで似るなんて話もありますが、それはまあその、お坊さんですし。語り口が柔らかいのはお墨付き。
これだけではイメージも湧きませんので、先生について補足いたしますと。
女子が当時「ジャン○ノに似てる」ときゃあきゃあ言ってて。
「いや崔洋○だろ」とツッコミが入ったのですが、うんまあ……確かにそっちのほうが近いかなって。
「失礼だよ!」ってそれ、同じ映画関係なのに崔○一に失礼だろとか、考え方によってはジャンレ○であれ先生に失礼だろとか、思っても言わない奥床しき若者だった私はにこにこしていたのですが。
先週会ったお坊さんがこの先生に似ていたと。
これだけ配慮を重ねればポリティカルにもコレクトでしょう。
そこに最近、選択的夫婦別姓について議論があったなと。
そのあたりで記憶が悪魔合体したのだと思います。
で、スライムなみにあやふやな記憶が飛び出して来たところで。
そういや「夫婦別姓」(選択的別姓でない)の議論、最近とんと聞かないなあと。
かりにいつか違憲判決出たとして(そっちで争うのは筋悪じゃないかと思いつつ)、その意味は「夫婦同姓はいけません」……ですよね。
その際「別姓」制度にするか「選択的別姓」制度にするか(第三第四の道を探るか)はひとつの議論になっても良い……わけですよね。
ところが「夫婦別姓」制度は無視されている(ように見える)。
かりにも専門家が顔色変えて主張されたレベルの話なのに。
この現状はどうなのかなと。
だいぶ昔の話ですし、議論の状況や先生の持論にも変化があるかもしれませんが。
ともあれ。
お坊さん正座しても足しびれない問題と同じぐらいには個人的解決が望まれる疑問が生まれたと、そうした次第なのであります。
それといちおう……「小説」ですので作り話かもしれませんですよと。
ソースもグダなら記憶もモヤ、そこは確証持って言えますけども。