『失楽園』と「後楽園」と未畫齋と。
『失楽園』。
聖書でも現代小説でもない、ミルトンの『失楽園』ですが。
世界史の教科書にも載るだけのことはある、名作です。
ファンタジー小説が好きな方ならば、一気に読めます。ほぼ間違いなく。
『失楽園』は、面白いというだけではありません。
以前、別のところで書いたことがあるのですが……。
「くじけそうな時に、元気をもらえる。やる気が出てくる」。
そういう効能があります。
「文学に効能を求めるな!」というお叱りの声が飛んでくるかもしれませんが。
読めば元気が出てくるのだから、仕方無い。許してください。
しかし、17世紀という時代を考えると、よく書けたなあと思います。
悪魔達が男前すぎ。
あんなイケメンな生き方、なかなかできるもんじゃないと思いつつ、でも励まされるんです。
私はあの本を読むと励まされるのですが。
「学生運動の闘士」だった世代の人で、「甘く苦い思い出を呼び覚まされる」と言っている人がいました。
青春の挫折と重なるのだそうです。
実際、ミルトンも革命家で、自らの挫折を小説化したという説もあるとかないとか。
『失楽園』を読んで気持ちが奮い立つならば。
その読者は、何かを、まだ諦めていません。
それはそれ、ひとつの話としまして。
今回のテーマ(?)は、『失楽園』というタイトルであります。
『失楽園』という名前を聞いたのは、中学生の時だったか、高校生の時だったか。
ともかく、世界史の授業だったかと思います。
で、初めて聞いてから、しばらくの間。
『失楽園』という、「庭園」の話だと思っていました。
「後楽園」みたいな。
でもこれ、違うんですよね。
きっと同じ中高生でも、例えばミッションスクールに通っていた(いる)方なら、一発で分かったと思うのですが。
『楽園を失う』という意味のはずです。
そしてそれは、『後楽園』も同じことでして。
「後に(おくれて)楽しむ園」という意味なのであります。
『後楽園』の語源は、范仲淹(はん・ちゅうえん)の『岳陽楼記』。
「天下を以て己が任となし、天下の憂いに先んじて憂え、天下の楽しみに後れて楽しむ」の一節です。
范仲淹、北宋初期の人。
悪名高い科挙が、制度として確立し始めたころの時代の人です。
どんな制度だって、できた当初は高い志もあり、立派に機能するわけでありまして。
「これからは家柄じゃない。能力重視で官僚や政治家を育てるのだ。」というのが、科挙のもともとの起こりでありました。
范仲淹の『岳陽楼記』は、まさにそうした時代の精神を体現した作品だったというわけです。
「天下を動かすことこそ、私の仕事だ。天下の誰よりも先に心を砕き、治世のうま味を楽しむのは誰よりも後にするんだ。」
なかなか言えるもんじゃない、イケメンな文章。
そういうところは、『失楽園』とも通底するところがあるんじゃないかな、と思ってみたりもするわけです。
と、いうわけで。
『失楽園』にしても、「後楽園」にしても、動詞句が絡んでいるのですが。
これ、非常に漢語(中国古典文語)的なのです。
『失楽園』の原題は、”Paradise Lost”。
直訳すれば「失われた楽園」かと思うのですが。
『失楽園』(楽園を失う)とするほうが、古格の味わいが出る……のではないかと。
ともかく。
小説のタイトル、庭園の名前。そういうものには、動詞句が絡んでいないと座りが悪い。
それが、漢語の感覚です。
いや、動詞句じゃなくて述語句かも。実のところ、そこは自信がありません。
齋名(ペンネーム)にしても、そういうところがあります。
これも別のところに書いたところなのですが。
「ナントカ齋」という、ペンネームがあります。
有名なところでは、「柳生石舟齋」とか、最近なら「緋村抜刀齋」とか。
この、「齋」。
類似のものとして、「軒」や、「庵」があります。
「『ナントカ齋』という建物・部屋の、主人(齋主)」という意味です。
軒→庵→齋の順で、右側が偉くなります。
自分で「ナントカ齋」とか名乗っちゃうなんて、エラそうだけど気にしない。
六畳一間に住んでいる学生さんだって、名乗っていいんです!
で。
私の、未畫齋。
これもいちおう、「未だ畫(画)さざる」齋、という文法構造になっています。
『失楽園』や「後楽園」と、かたちだけは一緒。
偉そうだけど、そういうわけなのであります。