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決意―シドウ

 長方形のテーブルを挟んだ正面に座るのは、刺青の少女ウグイス。ウグイスの隣には、彼女の血の繋がらない家族だという赤毛の少年ベニ。そしてベニの向かい側には、紅い目に不機嫌そうな色を浮かべて頬杖をつく、ローヴェンことロー。僕、トーマはローの隣に座っている。


「……で、一体何だこれは」


 ローは苛立ちを隠すことなく、僕を睨みつけた。


「何って……交渉の席だけど」

「馬鹿かお前は。俺がお前を救出して、この小娘を倒した時点で、こちら側には交渉に望む理由はなくなるんだ。さっさと帰るぞ、墓参りに行くと言っただろう」

「わわっ、ちょっと待てよ」


 早々に席を立とうとするローを引きとめようとした所で、僕はふと、ローが大きな花束を持っていたことに気づく。


「何それ」

「何って花束だ。墓に手向けるためのな」


 ローが少し花束を傾けると、散った花弁がひらひらと舞い落ちた。

 ローによると、彼は『白兎の星時計亭』を出てすぐ、花屋に向かっていたらしい。何故僕を置いて行ったのかと主張すれば、曰く、


「墓参りに行くって言ったら花屋に行くって分かるだろう」


 いや、分からないだろ。そこまで頭働かないよ。

 そしてローが花を買った所で現れたのが、ジャックの子の一人である赤毛の少年、ベニだったらしい。ベニに僕を捕らえた、返してほしくば大人しくついてきてもらおうか、と脅されたローは指示に従い、ベニに着いてこのジャックの家まで来たのだという。そこで大人しく条件を飲む……かと思いきや、ローはそんな殊勝な性格をしていない。ジャックの家に着いた途端に暴れだし、僕が閉じ込められている部屋を見つけ、見張りをしていたウグイスに剣を突きつけた、というわけだ。


「トーマ、お前は本当に馬鹿だな」

「は?いきなり何だよ」


 突然のローからの罵倒に眉を顰める。今の状況でそんなことを言われるような筋合いはなかった筈だ。


「ほら、そういう所が馬鹿なんだ。何故馬鹿と言われたのかすら理解できていない馬鹿」

「だから何処が馬鹿なんだって?」

「お前、こいつらに同情してるだろう」

「え、」


 向かい側に座り、僕たちの会話を静観するウグイスたちを指さすロー。

 その言葉に僕の頭はがつん、と殴られたかのような錯覚を覚えた。

 同情している?僕がウグイスたちに?

 ウグイスたちの親代わりである血の繋がらない兄、ジャックは人身売買の商人、つまり奴隷商人に捕まった。このままでは、手の届かないほど遠い所へ行ってしまって二度と会えなくなるかもしれない。

確かに可哀想な状況だ。でも僕は、ときどき自分でも笑えてくるぐらいに利己的で薄情な人間だ。同情こそしても、だからといって何かをしようとは思わない。

 それなのに僕は今、ウグイスたちを救いたいと願っている。ローが動いて、現状の打破の手伝いをしてくれることを望んでいる。……それは何故か?


「トーマ、よく考えてみろ。こいつらは加害者で、お前は被害者だ。哀れむことは何もない。この頭の包帯は何だ?痛かっただろう?それはこいつらに受けた傷だ」


 ローが遠慮なく僕の頭に手を置く。するとじん、と頭部が痛み、思わず小さく呻いた。次いでナイフで切れた首の皮膚に触れようとしてきたので、その手を振り払う。そんな僕らを見ていたウグイスは陰鬱な表情で俯いた。彼女は僕を殴打したことに関して、けろっとして悪かったと告げたが、本当は人を怪我させたことで自分の心も怪我しているのだろう。先程僕にナイフを向けていたときも手が震えていたし、本来は人を傷つけることを良しとしていない優しい性格なのだと思う。

 ウグイスだけではない。コハクだって、ごく普通の無邪気で可愛らしい子供だ。きっと、そこに座っているベニという少年だって。

 そんな彼女たちが誘拐という罪に手を染めているのは他でもない、ジャックという大切な家族を取を戻すためだ。

 大切な人がいる。その人がいなくなったら、どんなことをしてでも取り戻したいと思うのは、自然なことだ。……僕だって、そうだ。


「……ロー」


 先程振り払ったローの手を逆に掴んで、その紅い目を見つめる。ローは訝しげに僕を見つめ返してきた。


「何だ」

「今日僕ら、墓参りに行く予定だった。そうだよな」

「ああ」

「もし、墓に眠ってるあの人たちが。大切な人たちが戻ってくるとしたら、僕はそのために何だってすると思うんだ。ローだって、そうだよな?」


 僕の問いかけに、ローは少し間を置いてから頷いた。


「それと同じなんだよ、ウグイスもコハクも。君も、そうだろ?」


 ベニの方を振り返って確認すると、急に話を振られて動揺しながらも、肯定した。


「え、あ。……はい、そうですね。僕たちの事情に貴方がたを巻き込んでしまったことは、本当に申し訳なく思っています。特にトーマさん、貴方には誘拐という暴挙の上に怪我までさせてしまい……何と詫びればいいのか」


 ベニは声を沈ませながらも、「でも」と続けた。


「トーマさんの言う通りなんです。僕らは必死だ、どうにかして兄さんを取り戻したい。それこそ、何を賭してもです。例えば兄さんを助けるために、今度は幼い女の子を誘拐しなければならなければ、僕らはまた罪を犯すことになるでしょう。僕ら兄弟にとって、兄さんは何よりも優先されるべき、絶対なんです」


 ベニはそう言って、隣に座る今にも泣きだしそうな顔をする義妹ウグイスの頭をくしゃりと撫でた。僕はローの方に向き直り、訴える。


「……なあ、ロー。似てる気がするんだよ、僕は。この子たちの兄を求める気持ちと、僕自身のあの人たちを求める気持ちが。僕には、今のベニの言葉を責める資格がない。僕も、あの人たちが戻ってくるなら何だってする。だから、協力したくなっちゃうんだよ。この子たちが救われれば、僕も救われる気がするんだ」


 ただ気がするだけで、本当は何も変わらないのだけれど。でももし、ジャックを取り戻すことができたなら、僕が引きこもる原因となったあの人たちの消失も解決する気がするのだ。気がする、だけだけれど。

 ローの紅い目を見つめる。ローの目に映る僕はやはり子供だったが、朝の僕ほど情けなくはなかった。

 ローは僕を見つめ続け、やがてすっと目を細めた。……そして、ベニがウグイスにしたように、僕の頭をくしゃくしゃに掻き回した。


「いって!痛い痛い痛いっつーの!頭触んなって!」


 椅子を蹴って立ち上がり、距離を取ってローを睨む。するとローは、ふっと薄く笑った。


「おいトーマ」

「何だよ」

「俺は引きこもりのお前と違って、ルーンベルト王国一の剣士だ」

「何そのいきなりの嫌味」

「まあ黙って聞け。その俺に仕事を依頼するには、それなりの金額が必要となる。いくらか知ってるか?」

「……いくらなんだ?」

「人身売買なんて面倒な案件なら、結構な額だ。大通りの屋台で売ってた英雄・赤の師団の外套、あれが五十着は買えるだろうな」

「ご……」


 すぐ側でウグイスが言葉を失った。僕もそこまでするのかと目を見張る。ローは僕の反応がお気に召したらしい、意地の悪い笑みを浮かべた。


「安心しろ、そんな額を無職に払わせる程俺は落ちぶれていない」

「さっきからちょいちょい嫌味入れてくるよなお前……って、え?」


 僕に払わせる?

 予想外の展開に唖然としていると、ローはそんな僕に花弁が散って無残になった花束を突きつけた。


「三千五百リド」

「……は?」

「この花束の値段が、三千五百リド。赤い外套五着分だ。……お前が誘拐されただのなんだのって騒ぎ立てたせいだ。乱雑に扱われて花弁が散った」


 鮮烈な赤い色をした花々は、その間もひらり、ひらりと自分の命を散らせている。


「身内割引で十分の一だ。この花束をお前が買い直すので、手を打ってやろう」


 ローは溜息まじりにそう告げて、すぐに部屋を出て行った。残された僕たちの沈黙を破ったのは、ウグイスの涙声。


「う、うそ……協力、してくれるの……?」


 ウグイスは顔を上げ、僕の方を見たかと思うと、こちらに駆け寄り抱きついてきた。


「うわっ!?」

「ありがとう!ほんっとに……ありがとね……!」


 嗚咽を漏らしながら、ぎゅっと僕の腰にしがみつくウグイス。力強すぎて痛いぐらいだ。この力強さが、彼女の想いの強さなのだろう。

 そのときのウグイスこそが、僕を拉致したときとも、コハクの前で姉をしていたときとも、強がって笑っていたときとも違う、本当のウグイスなんだろうな、と思った。

 兄の不在に泣くこの子に、この子たちに協力の手を差し伸べることは、きっと間違いじゃないよな。

 ローにそう言いたかったが、きっと「知るか。お人好しが」と悪態をつかれるだけだろうから、言わないでおこう。

 ――ともあれこれが、僕の脱・引きこもりの切っ掛けとなったのであった。




 ジャックの家は、清潔さを保たれている中とは裏腹に、外見は古くぼろく、空き家同然であった。何だか秘密基地みたいだ、と思った。

 僕が殴られ気絶している間、結構な時間が経ったらしい、太陽は既にやや西に傾いている。しかし、時間が経っても赤い外套の人口は減ることを知らない。通りから少し外れたジャックの家の前で辺りをぼんやりと眺めていると、例に漏れず赤い外套を着た子供たちが遊んでいるのが目に入った。


「えいゆーごっこする人この指とーまれっ!」

「おれ勇者アレン!」

「わたし女魔導師リリアーヌやる!」

「え、ええ〜っ?ぼくもアレンやりたいよぉ〜……」

「ダメだ!おれがやるんだよ!お前はあれだ、鳥やれよ鳥!神鳥な!」

「と、とり?それ動物じゃないかぁ」

「ごちゃごちゃ言うなよ!ほら、おれとリリアーヌを乗せて魔王の城まで行くんだっ」

「ちょ、痛い痛い!重いよ、降りてってばぁ〜!」


 子供たちのやりとりに頬が緩む。可愛らしいごっこ遊びだ。

 ……だけど、彼らは何も考えていない。分かってる?アレンもリリアーヌも、二人を背に乗せて飛んだ神鳥も、魔王の城に行ったきり戻ってきていないんだよ。それらになりきるってことは、死に役を演じるってことなんだよ。


「トーマ!」


 そのとき、向こうから僕の名を呼ぶ甲高い子供の声が聞こえてきた。見ると、そこには飴を持ってご機嫌そうなコハクがいて、丁度こちらに駆け寄ってくる所だった。


「ああ、コハク。お帰り」

「おいトーマ、縄解いちゃったのか?」


 どうしよう、トーマが逃げちゃう、とあわあわしだすコハク。思わず笑みが零れた。


「何笑ってるんだよっ?」

「ん、ごめん。大丈夫、ウグイスやベニと話し合いをして、協力することになったから解放されてるんだ」


 詳しい経緯を話すと少し違うが、大雑把に言えばまあ間違ってはいないだろう。

 それに、コハクに詳細を話すことは憚られる。先程ウグイスに聞いたのだが、どうもコハクはジャックが奴隷商人に連れ去られたことを知らないようなのだ。幼いコハクには知らせない方が良いと判断したのだろう。コハクの中でジャックは今、遠出の仕事に行っているという設定らしい。


「そうか!じゃあこれからは、オレとトーマは仲間ってことだな!」

「仲間?」

「おう!」


 仲間か。ローが聞いたら嫌な顔をされるだろうな。ローの仲間の基準はとても厳しいから。信頼、実力、様々な要素で高基準を満たしていないと、彼の仲間にはなれない。達したない者は自然と、庇護すべき対象かもしくはどうでもいい存在に分類されてしまう。僕も初めてローに会った頃は、信用されるまでとても大変だった。

 コハクのような子供は前者、庇護すべき対象に分類されるのだろうか。そんなことを思ってコハクを眺めていると、彼の視線がこちらに向けられていないことに気づいた。視線の先を追って行くと、行き着く所は先程の子供たち、えいゆーごっこ中の三人組だ。


「遊びたいのか?」


 声を掛けると、コハクはびくんっ、大きく形を跳ねさせ、慌てて弁解を始めた。


「ち、ちっげーし!そんなんじゃねーし!オレは大人だからな、ごっこ遊びなんてままごとみたいなことしねーし!オレはただな、」

「ただ?」

「……あの赤いやつ、いいなって思ってさ」


 少し頬を紅潮させ、照れながら指をさしたのは、子供たちが着ている赤い外套。屋台で売られている、赤の師団の外套だ。

 僕は知らぬ間に渋面を作っていたのだろう、僕の機嫌を伺ってコハクは必死に言葉を並べる。


「あ、別にトーマにおねだりしようとかじゃないかんな。そんなガキっぽいことしないし。うち貧乏で、ああいうのはウグイスが買わせてくれないから、ほら、無い物ねだり?でもかっこいいな、って思って、本当に!ただそれだけ!」

「……かっこいいと思うか?」

「え?」


 ぼそりと呟くように零した僕のそれを拾ったコハクは、首を傾げた。


「何でそんなこと訊くんだよ?かっこいいじゃんか、赤の師団のアレンとリリアーヌ。自分の命と引き換えに王国の青空を取り戻すんだぜ!」

「……それ、かっこいい?」

「かっこいいだろ!」

「自己犠牲って、そんなにかっこいいものか?王国の平和の礎となった二人を勝手に祭り上げてるだけだろ、結局」

「じこぎせい?いしずえ?」


 ……いけない。子供の前で何を言ってるんだ、僕は。

 意味を理解しきれずクエスチョンマークを浮かべるコハクに、取り繕うように笑いかけた。


「何でもない。悪いな、気にすんな」


 誤魔化しついでに頭をぐりぐりと力任せに撫でる。コハクは「ちょ、やめろよ力強い!ウグイスかよ!」と文句を言いながら僕から距離をおき、それから未だごっこ遊びを続ける子供たちを眺めながら口を開いた。


「……よくわかんねーけどさ。オレは好きだぜ。アレンもリリアーヌも、赤の師団も英雄譚も。あの赤い外套もさ……本音で言うとちょぴっと羨ましい。ちょぴっと、ちよぴっとだけだけどな!?勿論、かっこいいってのもあるけど、あの外套って赤の師団の仲間の証なんだろ?」


 仲間の証。脳裏に浮かんだのは、横を歩くローの顔、そして前を歩くあの人たちの後ろ姿。


「仲間とか、そーゆーのなんかいいじゃん。だからあの外套着ればさ、赤の師団の仲間の絆に、ややかる、あかやる……」

「あやかるって言いたいのか?」

「そうそれ!あやかれる気がすんだよ!」


 コハクの琥珀色の目に輝く憧憬はあまりにも純粋で、薄汚れた僕には少し眩しかった。眩しくて近づき難いが、愛しかった。弟とは、こういう存在のことを言うのだろうか。

 僕は何を思ったのか、何となしに自分のバッグへと手を伸ばした。


「なあコハク、ちょっと来てみ」

「んあ?何だよ?」


 訝しむコハクに悪戯っぽく笑って見せる。そしてコハクが近づいてきた途端、バッグから取り出したそれで彼の顔面をばさっと覆った。


「もがっ?んんっ、ぷはっ!はあっ……おいトーマ!いきなり何すんだよ……ってあれ?これって」


 自分の顔に被さっていたものを直視したコハクは一瞬の間を置いてから、「赤の師団の外套!うわぁあああ、すげぇえええ」と感嘆の声を上げた。僕がバックから取り出したもの――今朝、ローに無理矢理持たされた赤い外套は、コハクを喜ばせるには十分な代物だったらしい。


「何だよ、トーマも持ってたのかよ!?やっぱりかっこいい……!」

「まあな。ずっとクローゼットの奥底に仕舞ってたやつだから埃っぽいけど」

「すっげー……なあなあ、ちょぴっとだけ着てもいいか!?」


 期待の入り混じる視線を浴びせられ、微笑ましく思いながらも頷いてその外套をコハクに着せてやった。僕でさえ少しサイズが大きいそれは、コハクが着るとぶかぶかだ。

 それにしても、喜ばれるとは思っていたが、予想以上の好反応だ。やはり、英雄は国民の心を見事に掌握しているようだ。僕一人がどれだけ好きじゃない、反吐が出ると喚いてもその人気は揺るぎようがないのだろう。勇者アレンも女魔導師リリアーヌも、随分と偉くなったものだ。特に勇者アレンは、勇者に選ばれる前までは王城から追い出された聖騎士崩れと、後ろ指をさされていたというのに。

 そんな僕の想いなど露知らず、コハクはただひたすら嬉しそうに、赤い外套に身を包んで浮かれている。きっとあの外套も、自分を箪笥の肥やしにする僕のような持ち主より、嬉しそうに着てくれるコハクの元にあった方がいいのだろう。


「……コハク」

「何だっ?」

「その外套、金の刺繍が入ってるだろ?右胸の辺り」

「え?ああ、本当だ」


 右胸にある、金の糸で入れられた王冠を象る刺繍。それを見つめながら、僕はにやりと笑む。


「いいこと教えてやるよ。その刺繍な、赤の師団の紋章なんだ」

「紋章ぉ?そんな話聞いたことねえぞ?」

「当たり前だ、広まって真似されたら意味ないし。それは赤の師団のメンバーが決めた、秘密の印なんだよ」


 そう。この国に溢れている、あちこちの屋台で売られる赤い外套は全て模倣品、偽物だ。赤の師団のメンバーだけが、金の刺繍の入った外套を持っている

しかし、コハクは疑わしげに僕を見つめていた。


「じゃあ、何でその刺繍入りのやつをトーマが持ってんだよ?」

「それはな……」

「それは?」


 僕はしゃがんでコハクと目線を合わせて、言い放った。


「僕が赤の師団の元メンバーだから」

「嘘つけ!」

「いたっ!?」


 コハクが繰り出した頭突きは僕に相当なダメージを食らわせた。僕はそのまま後ろに倒れ込み、尻餅をついてしまう。コハクはそんな僕を見下ろして、キッと睨みつけた。


「嘘つくなよ!赤の師団のメンバーにニートがいるなんて聞いたことねえぞ!」

「ちょ……僕がニートって誰から聞いたんだよ」

「ベニから!ベニは今回の誘拐計画を立てるとき、ずっとトーマとローヴェンとかって奴を監視してたんだ!だからオレは知っている!お前の仕事は自分の部屋を延々と警備すること!」

「そこまで筒抜けか……」


 歳下のコハクにまで無職の引きこもりであることがばれていたとは、少々いたたまれない。というよりも、情けない。

 僕は服を払いながら立ち上がり、溜息をついた。


「はあ……まあ信じないならそれでいいけどさ。取り敢えず、今話したことは全部内緒な。ウグイスとかベニとか、オニーサマにも言うなよ?」

「んー……まあいいぜ!男の男の約束ってやつだな!」

「そーそーそれそれ。あ。あと、その外套貸したげるからさ、祭りの間着てればいいよ」


 何気なく放ったその一言に、コハクは大きな目を更に大きくさせた。


「え!?いいのか!?」

「ん、いいよ。そいつも僕なんかが持ってるより、コハクに着てもらった方が嬉しいだろうし」

「やったぁ……!」


 これ以上ないという程に目を見開いた琥珀色の目は、今にも零れ落ちそうだ。コハクは何かを言おうと口をぱくぱくさせていたが、結局言葉が見つからなかったらしい。一言、「ウグイスとベニに見せてくる!」とだけ言って、パタパタと家の中に入っていった。赤い背中が扉に遮られて消えるまでそれを見送っていると、家の影からふっと人影が音もなく現れた。


「……ロー、いつからいたんだよ」


 その人影――ローの方を苦笑混じりに振り返る。彼は屋台で買ったのであろうパイを両手に持ってそこに立っていた。僕の隣に並んだローから、右手に持っていた方を手渡される。受け取るとパイの温かい熱が伝わってきた。


「さっきの子供……コハクだったか。あいつと話し始めた頃からずっと聞いていた」

「さらっと盗み聞きしてんなよ」

「気づかない方が悪いんだ。お前も鈍くなったな。昔はやたらと聡くて気配に機敏だったくせに」

「そりゃあ……二年もブランクがあれば仕方ないだろ」


 ローの気配の消し方は途轍もなく上手い。二年の差は大きいし、鬼の剣豪サマと引きこもりでは訳が違う。


「二年の差は、大きいよ」


 それは今日、あの部屋で拘束されウグイスと話していたときに思ったことだ。

 あと一時間もすれば橙色に染めまってしまう、残り時間の少ない今日の蒼穹を見上げながら零した僕の言葉は、思ったよりも痛切な響きを伴っていた。


「トーマ」

「何?」

「何で、コハクにあの外套を渡したんだ」

「さあ……何でだろ。自分で持ってるのがしんどくなったのかもな」


 あの外套に詰まった思い出の重さに潰されそうだったのかもしれない。或いはコハクに言ったように、自分が持っていてもあの外套は報われないと思ったのか。ただはっきりと言えることは、囚われていた過去の象徴である外套を手放したことで、僕は少しばかり自分を客観的に見れるようになったということだ。


「僕が悪かったよ」


 ローに向けて言うのは何だか癪だったので、澄み渡った秋空に向けて謝ってみた。


「何がだ」


 平坦な声で尋ねてくるローは、やはり相変わらずだ。いつもローは変わらない。怒ったり苛立ったりと感情を表現することはあっても、ローは基本的に無感動だ。今も、僕にとっての精一杯の謝罪に対して、何とも思っていないのだろう。

 昔はそんなローが気に食わなかったが、数年の時間を共に過ごした今では、ローが変わらず何に対しても動じずにいることに、何処かで安心していた。


「僕、子供だった。不貞腐れたんだ。あの人たちが僕を置いていったことが気に障ってさ」


 僕の……いや、僕とローの大切な仲間だったあの人たちは、二年前の今日、金鹿ノ月ノ二十一日めに僕らを置いていなくなった。魔王の城に行って、いなくなった。

 大切な仲間だったあの人たち――アレンさんとリリアーヌさんは、魔王討伐のために神鳥の背に乗って天空に浮かぶ魔王の城へと飛んでいった、英雄だ。

 それに対し僕――トーマは、アレンさんに憧れて彼に着いていった一人。一歩先を行くアレンさんとリリアーヌさんに追いつきたくて、隣を一緒に歩けるくらいの力が欲しくて、ローと競い張り合いながらも毎日腕を磨いていた。赤の師団の一員であることが誇らしかった。

 だけど、アレンさんとリリアーヌさんとローと僕、四人で過ごす赤の師団の時間は、長くは続かなかった。アレンさんは勇者に選ばれ、彼はリリアーヌさんと共に魔王の城へと行ってしまった。

 置いていかれた僕は、燻るやり切れない思いのやり場が分からず、引きこもって何もしなくなった。


「ローの言う通り下らないよな、僕」


 何もしないということは、最も下らない時間の過ごし方なのだと思う。分かっていたけれど、何もしたいことが見つからなかったのだ。


「置いてかれたのは、ローだって同じだ。でもローは僕と違って、アレンさんたちがいなくなってもちゃんと前に進めてる。そこが、僕とローの差だ」

「……やっと気づいたか」

「ん。兄を取り戻したいって頑張るあの子たち見てたら、なんか目が覚めた」

「気づくのが遅い。だからお前は馬鹿なんだ」

「……だよな。うん。僕って馬鹿だ、本当に」


 自嘲の笑みを浮かべてちらりとローを盗み見ると、彼は肩を竦めてパイに齧りついていた。


「お前はいつものろいし鈍臭い」

「え、そこまで言う?」

「……遅い。でも、今からでも遅くはない」


 隣に立つローの方から、甘い匂いとシナモンの香りが漂ってくる。これはアップルパイだろうか。


「ジャックとかいう奴を助けるぞ。トーマ、お前はスロースタートで怠けてた二年分もきっちり働いてもらうからな」

「……りょーかい」

「それで、今回のこの厄介ごとが全部片づいたら、仕切り直してアレンさんとリリアーヌさんの墓参りに行こう。文句はないな?」


 僕はやっと、ローと視線を合わせることができた。彼の鋭利な紅い目を見据え、微かに口角をあげることで肯定の意を示す。

 その返答に満足したらしい。ローはふっと笑みを零して「早く食え」と促してきた。


「冷めるぞ。そこの屋台で買ってきたんだ。お前、気絶させらてたんだってな、どうせ昼食ってないんだろう」

「あ、うん。ありがとな」


 ローに倣って齧りつくと案の定、パリパリとした食感の後、甘い林檎の味とシナモンの香りが広がった。後味に微かにすうっと感じるハーブ。


「美味しい」


 僕の素直な感想に、ローは小さく笑んでいた。

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