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祭―エイユウサイ

 かつて聖騎士であった男は宣言した。あの天空に浮かぶ魔王の城へと行こう。そして、王国を闇に陥れる魔王をこの手で打ち破って見せよう。


 彼の仲間たちは皆、口々に賛同した。こうして彼らは、天空に浮かぶ魔王の城へと向かうための秘策を練った。

 向かうは、神秘なる山の頂にある、神鳥の巣。大いなるかの鳥は、きっとその翼で大空を裂き、魔王の城へと連れていってくれるであろう。



 ――赤の英雄譚第八部『勇者の決意』より






 金鹿こんろくノ月の二十一日め。目に痛いほど眩しい日の光に瞼を刺激されて、目が覚めた。

 のろのろと硬いベッドから上半身を起こし、窓の外に視線を送る。薄くて安っぽいカーテンの向こうからは、遮りきれていない朝の日光が、燦々と差し込んでいる。明るい外界と、ぼろくて狭くて古い小さな部屋の中の差は歴然で、なんだか無性に惨めだ。

 段々と寝ぼけていた意識が覚醒してくる。すると、外から聞こえる楽しげな笑い声や歓声が厭に耳についた。

 朝っぱらから近所迷惑な奴らだな、一体誰だよ。――……ああ、そうか。今日はそれが許される日だったか。

 物が溢れてごちゃつく部屋の中で、ひっそりと存在感を主張する、壁に掛けられたカレンダーの日付を見て合点がいく。そうだ、今日からあの祭りが始まるのだ。

 喧騒の理由を知ると共に、気分は一気に下降した。ただでさえ悪かった気分が落ちたのだ、地に落ちるどころか穴を掘って地中に到達してしまう。

 今日はもう、何もしないまま部屋に閉じこもっていたい。それで、いなくなりたい。いなくなる気分って、どんなだろう。

 ぼうっとそんなことを考えたが、それは許されないことだということを僕は知っている。何故なら、既に扉の向こうから、ぼろい木造住居の床を大胆に軋ませながら迫ってくる足音が聞こえているからだ。その足音の主は、この部屋の前でぴたりと止まり、次の瞬間にはノックもなしに扉を開け放った。


「トーマ」


 現れた銀髪の男の鋭い声音に、びくりと身体が震えた。しかし、ここで素直に従うわけにはいかない。僕は起こしていた上半身を投げ出し、ベッドへと逆戻りした。


「……やだね。今日はローに何を言われようと外に出ない」


 毛布に包まり、拒絶の意を示す。

 彼は毎日のように足繁くこの部屋に通い、僕を外へと誘う。気遣わせてしまうのも当然だ。僕はこの二年間、働いていないどころか、ろくに外へすら出ていないのだから。彼は僕を心配して、ここへ来てくれる。

 でも、駄目だ。今日は絶対に、駄目なんだ。

 頑なな僕の態度に呆れたのか、毛布の向こうから彼の溜息が聞こえた。僕に飽き飽きしたか。なら、頼むから帰ってくれ。祭りの間は外に出たくないんだ。賑やかで楽しげで幸せそうな祭りの風景なんて見た日には、僕は何を仕出かすか分かったものではない。

 僕のそんな切実な願いを感じ取ったのか、彼は「仕方ねえな……」と呟いた。そうだ、仕方ないんだ。だからもう、今日は出て行って――


「……なんて言うわけないだろうがこのニートっ!」

「わっ!?」


 不意打ちで毛布を引っ手繰られて、僕は勢いよくベッドから落下した。ごんっ、という鈍い音と共に、背中に痛みが走る。落ちる拍子に思わず掴んでしまったサイドテーブルのクロースがずれて、積み上がっていた本が派手な音を立てて散らばった。凄い音が出てしまった、後で下にいる大家に文句を言われることは明白だ。何か言われたらローのせいだと言っておこう。


「いってて……いきなり何すんだよ!」


 床に投げ出された僕を偉そうに見下ろす彼を睨みつける。すると彼――ローヴェンは、それに対抗するように冷ややかに僕を睨めつけた。


「馬鹿だろお前。何すんだじゃない。俺に言わせればお前の方こそ何してんだ、だ」

「はあ?どういう意味だよ」

「だから、いつまでも引き篭もって腐ってんなよって言ってんだ。情けねえな」

「なっ……」


 きつい物言いに眉を顰めると、ローは突然、こちらに顔を寄せてきた。思わずたじろぐが、ローの紅の目の中に映り込んでいた自分の表情はあまりにも子供っぽくて、閉口するしかなかった。

 ローは暫くの間、感情の読みにくい目で僕を眺めていたが、何を思ったのか、急にクローゼットを漁り始めた。


「ちょ、ロー、何してんだよ」

「探し物」

「はあ?大体、何の用だよ。凄腕剣士のローヴェンサマは毎日依頼で忙しいんじゃなかったのか?」

「俺にだって休みくらいある。この国の労働法を知らねえのか」

「おいっ、ロー」


 いきなり人の部屋のクローゼットを漁るなんて、非常識ではないか。労働法がどうのと言う以前の問題である。

咎める意味も込めて声を掛けると、振り返ったローは何かをこちらに放った。条件反射で受け止めたそれは、クローゼットの奥深くで眠っていた衣服。

 赤い生地に金の糸で刺繍が施された、人目を引く鮮やかな色の外套だ。

 一瞬、顔を顰めた。かつて大切なものだったこの外套も、今や不快感を感じるアイテムでしかない。脳裏を駆け巡るのは、忘れてしまいたいと何度も願ったあの日々の記憶、あの人たちの姿。


「何、これ」

「怒るな、別にこれを着ろって言ってるわけじゃない」


 僕の言葉の続きを予知したらしい、ローは予めそう断った。そして、今度は雑然とした部屋の隅に落ちていた肩掛けバッグを拾い、僕へと投げて寄越した。


「だが、持ってけ。そんで、早く着替えろ。出掛けるぞ」

「はああ?ロー、話聞いてなかっただろ。今日は出掛けないって言ったじゃん」

「つべこべ言うな。面倒な奴だな」

「だって」

「ただ持って行けって言ってるだけだろうが」

「でも」

「ああっ!ごちゃごちゃうるせえな!でもとだっては禁止だ!女々しいこと言ってんじゃねえ!」

「め、女々しいだと……!?」

「そうだろ。下手な言い訳ばかりする暇があるなら、職でも探せ。やることがないから暗いことばかり考えるようになるんだろ、この根暗」


 根暗は幾ら何でも、言い過ぎではないか。でも暗くなっても仕方がない。何せ、ほぼ毎日をこの狭く雑然とした部屋で過ごしているのだから。だったら外に出て、ローが言うように仕事に就けば良いのかもしれないが、どうしても自分から外に出たいとは思えない。なんという悪循環だろう。――いや、ただ僕が怠惰の権化であるというだけか。


「……でも、やっぱ仕方ないじゃないか。外に出たって、何もいいことなんてない。むしろ、良くないことが起こる。悪いことだらけだ。外は嫌いだ。遠くに行ったら戻ってこれなくなる気がしてならないんだよ。逆に聞くけどさ、ローはどうして外に出られるんだ?ローだって、」

「トーマ」


 永遠と続くような僕の怨言を遮ったローは、外套を翻して背を向けた。僕が手に持っているそれと同じ、金の刺繍が施された赤い外套。


「明日も明後日も、暫くの間は外に出ろって口煩く言うのはやめてやる。好きなだけ惰眠を貪って過ごせばいい。けど、今日だけは俺に付き合ってくれ」


 そのときのローは、いつも高圧的な彼には珍しく妙に静かで穏やかで、声音には懇願にも似た響きが宿っていた。


「墓参りに行くぞ。今日は命日だ」


 そう言い残して部屋を去って行ったロー。腰に二振りの剣を携えたその後ろ姿は、喪服を着ているわけでもないのに、葬式の最中のように見えた。外套は真っ赤なのに、何だか変な錯覚だ。

 僕はもう一度、窓の外を覗いた。相変わらず聞こえてくるのは、笑い声という名の不協和音。今日は絶対に出たくない。……でも、仕方ない。ローが来いと言ったら、僕は行く。

 人間は絶対だの必ずだのとよく使いたがるが、本当の絶対というものは、皆一つずつしか持ち合わせていない。少なくとも僕はそう思う。

 そして、僕の中にある絶対では、外に出ないこととローの頼みごとだったら、後者の方が優先される。ローからの命令は大した力を持たなくても、ローからの頼みは僕の中で絶対的な優先度を誇っているのだ。ローは、ローヴェンは何を賭しても守り抜くべき仲間だから。もう、ただ一人となってしまった仲間。

 僕はローの赤い背中を追うため、素早く着替えを済ませて部屋を出た。

 古びた廊下を突っ切り、ギシギシと鳴る階段を降りた先には、賑わいを見せる食堂、『白兎の星時計亭』があった。僕が下宿している二階とは違い、改装してある一階の店は清潔感が保たれている。

 テーブルを囲む男たちは、まだ昼間だというのに、酒を片手に盛り上がっている。子供たちも甘い菓子をもらってご機嫌だ。看板娘である少女は、あちこちと駆け回り忙殺されている。

 そんな人々の間を縫って外に出ようとしたところで、カウンターの奥からエプロン姿の女性が顔を出した。


「こら、トーマ!待ちな!」


 僕の名を呼びながらつかつかと歩み寄ってくるのは、『白兎の星時計亭』の主人であり、僕の大家でもある、コーラルさんだ。

 女性で、しかもまだ二十代後半だというのに妙な貫禄を持っている彼女は、僕の隣に立つなり、遠慮なく頭を叩いてきた。


「いった!?い、いきなり何で」


 ローといいコーラルさんといい、僕の周りの人間は皆僕に暴力的だ。頭を抑えていると、コーラルさんからの第二の怒声が飛ぶ。


「馬鹿かいあんたは!お客がいる時間にギシギシ天井を鳴らせるなんて、何考えてんだい!」

「ちょ、違いますって。僕じゃなくて、あれはローのせいで……」

「言い訳するんじゃないよ!」

「え、えー、理不尽……」


 コーラルさんの迫力に、僕の身は竦むばかりだ。

 ここまで怒鳴り散らしていれば、天井の軋みよりもむしろこちらの方が迷惑なような気もするが、顔馴染みの常連客たちは、コーラルさんに怒られる僕という図式を楽しんでいるようだ。まさに孤立無援。四面楚歌。店内を恨めしげに見回していると、ふと、ローの姿がないことに気がついた。


「あれ……ロー、何処行きました?」


 店内を探しても、それらしき人影は見当たらない。すると、カウンター席に座っていた、常連である手品師の男性が教えてくれた。


「ローヴェン君なら、さっき店の外に出て行ったよ」


 その言葉に僕は心中、舌打ちをする。自分から付き合ってくれと言い出したくせに、置いていくとは何事だ。憤然として店を出ようとすると、今度は数人の子供たちが僕の足や腰に絡みついてきた。


「トーマぁ、どこいくのー?」

「外だよ」

「うっそ、トーマがそといくの?」

「行くの」

「ひきこもりなのにー?」

「ひきこもりー!」

「トーマのニート!」

「ああ!五月蝿いってのっ」


 何気なく胸に刺さる、引きこもり、ニートという声。耐えきれなくなって子供たちを振り払うと、彼等は「やーいおこったー!」と笑いながら店の奥へと走り去っていった。親の教育が全くもってなっていない。しかも、親たちまで一緒になって面白がり、困る僕を酒の肴にしているのだから頂けない。常連客ばかりの気安い雰囲気はこの店の良いところだが、こういうときは嫌になる。

 それに僕は、確かに引きこもりで職を持たない身だが、誰の世話にもなっていない。貯まりに貯まっている財産で生活しているのだから、文句を言われる筋合いはないのだ。

 今度こそ外に出ようとする僕を見送ったのは、コーラルさんの「帰ったら皿洗い手伝うんだよ!」という人使いの荒い言葉だった。

 とりあえずこの雑用はローにやらせよう。そう心に決めつつ、『白兎の星時計亭』を後にする。

 普段は、どちらかというと夜の方が人通りの多い店の前。しかし、今日のこの通りは午前中から人の往来が激しかった。当然だ、今日は祭りの日なのだから。僕にとっては忌まわしい、あの祭り。

 気を取り直してローの姿を探すが、彼が着ていた赤い外套は目印にならないことに気がついた。道を歩く子供や若者、それだけでなく大人もちらほらと、道行く人々は皆、赤い外套に身を包んでいるのだ。大通りに出ると、赤い外套の人口は更に増した。おまけに通りに出ている屋台では、同じ外套が何着も揃っている。


「ルーンベルト王国の英雄!勇者アレンと天才魔導師リリアーヌの着ていた外套、一着七百リドだよ!」


 一着七百リドとは、随分と安価だ。これだけ大量生産していれば、安くなるのは当然なのかもしれないが、勇者様の外套はそんなに安いものなんだと思うと、何だか妙な気持ちになった。


「そこのお兄さんも一つどうだい?これさえあればあんたも英雄の仲間だよ!」


 何の話をされているのか分からなかった。一瞬、間を置いてから、それが僕に対する売り文句なのだと理解する。


「……いや、僕はいいです」


 僕は笑みを浮かべてながら断って、その屋台の前を離れた。

 今のは心からの笑顔だ。心からのの嘲笑。ああ、なんて滑稽。“英雄の仲間”にたった七百リド払えばなれるなら、とっくの昔にそうしている。

 ……駄目だ。一人でいると、余計なことばかり考えてしまう。早くローと合流してしまおう。

 そう思い至り、僕は大通りの雑踏の中を歩き出した。




 魔術というものは、巧妙なトリックがある手品だと異国の人々は言う。また他のある国の人々は、魔女と呼ばれる悪女が使うまやかしだと言う。

 しかしこの国、ルーンベルトでは、魔術は確立し学問の一つにすらなっている。そんなルーンベルト王国は、今まで数多の優秀な魔導師を生み出してきた。ルーンベルト王国は近隣諸国では魔導王国と呼ばれる程に、魔術に精通する国であった。

 そんなルーンベルト王国には、とある英雄譚が存在する。二年程前に本が売り出されて以来飛ぶように売れ、劇団も吟遊詩人もそれを題材にして舞台や詩を作る――そんな人気を誇るその英雄譚の主役は、ひとりの騎士崩れとひとりの魔導師。

 ことのあらましはこうだ。

 ある所に、元聖女仕えの腕の立つ騎士がいた。彼には、頼れる女魔導師、二刀流剣士、それから魔導師見習いの少年という、三人の仲間がいた。

 その頃の王国の空には、魔王の侵略によって暗雲が立ち込めていた。日光がないため作物は育たず、魔力の糧である月光も届かない。星明かりすらもない暗い世界。国民は絶望の淵にいた。

 そんな現状を打破せんと動き出したのが、騎士崩れの男率いる面々。彼らは揃いの赤い外套を着ていたため、いつの間にか『赤の師団』と呼ばれるようになる。

 そんな赤の師団は神鳥の力を借り、天空に浮かぶ魔王の城へ行く手段を手に入れる。そのとき、彼らの前に現れたのは、大神殿の巫女。

 彼女は言う、「魔王の城へと行く資格を持つのは、勇者とその片割れのみ。二人だけが、魔王の城への切符をお持ちになられています」

 勇者となった騎士崩れの男は、一番の信頼を置いていた女魔導師を連れて、魔王の城へと乗り込んでいった。

 すると、やがて王国を覆っていた分厚い黒雲は消え去り、蒼天が広がった。勇者が魔王に打ち勝ったのだ。人々は歓喜しその日、金鹿ノ月の二十一日めを祭りの日として定めた。

 ――しかし、勇者と女魔導師が魔王の城から戻ることはなかった。金鹿ノ月の二十一日めは、感謝の祭りの日であると同時に、彼らの命日でもある。そして、王国の平和の礎となり散った二人は英雄と讃えられ、国民の憧れの的となっていた。

 ……こんな英雄譚、三流もいい所、駄作中の駄作だ。僕はそう思うが、ルーンベルト国民の大半はこの反吐が出るような英雄譚が大好きだし、趣味の悪い英雄感謝祭も大好きだ。

 現に国民たちは、勇者と女魔導師を讃える祭りの間は、赤の師団にあやかり、赤い外套を着込む。僕からしてみれば、あれらは粗悪な模造品以外の何物でもない。


「ったく、何処行ったんだよローは」


 大通りの一角にあるカフェのテラスで直射日光を避けつつ、僕は呟いた。

 『白兎の星時計亭』を出てからずっと、ローを探し歩いているが、一向に見つかる気配がない。それもそうだ、ただでさえ人の多い祭りの日に、群衆と同じ赤い外套を着たたった一人を、何のあてもなく探しているのだから。

 ローは見つからない、人は多い、おまけに秋晴れの今日は普段に比べて日差しが強い。よって暑い。踏んだり蹴ったりだ。

 日陰に身を寄せながら、少し日に焼けた腕を摩る。外に出るときに適当に選んだ服は、黒い五分袖だ。人より白い肌は日にあまり強くない。だから日が照るときは、必ず上に何かを羽織るのだが、今日は久しぶりの外出で気を抜いてしまっていた。

 上着といえば、斜め掛けバッグの中からは赤い外套が覗いているのだが、これを着る気にはどうしてもなれない。

 今日は厄日だ。果てには――ストーカーに後をつけられているのだから、運がないにも程がある。

 僕はテラスの柵に肘をつき大通りを眺める姿勢を崩さないまま、視線を微妙にずらして斜め後ろを盗み見た。やはり、人影がある。

 外套売りの屋台を後にした辺りから、どうにも落ち着かなかった。誰かに見られているかのような気配。久しぶりに人ごみの中を歩いたせいで気が立っているのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。本当に、誰かが僕の後をつけている。

 誰かにつけられる。狙われる。

 緊張と隣り合わせなこの感覚は、懐かしい。ぞくぞく、と背筋に何かが走った。

 高揚感に思わず釣り上がる口角を手で隠しつつ、僕はゆっくりとテラスから出て歩き出した。途端に焦り追ってくる誰かの足音。

 この慌てよう、恐らく追跡の素人だろう。なら簡単だ、軽くいなしてしまえばいい。

 大通りから外れて、人のいない方、いない方へと歩いていく。少し後ろから僕の足跡を辿る誰か。石畳の地面を僕はゆっくりと進む。すた、すた、すた、すた。……そして意表を突き唐突に強く地面を蹴って走る!

 いきなり走りだした僕に驚いたのか、足音は一瞬硬直した後、隠密行動を捨てて追いかけてきた。

 掛かったな、と僕は内心ほくそ笑みつつ、更に人気のない狭い路地裏に駆け込んだ。突然の乱入者である僕に驚いたのか、黒猫はぎゃっと醜い声を上げて走り去っていく。


「……はぁっ、この!待てっ!」


 背後から息も絶え絶えな制止の声が飛んできた。意外にも、その声はまだ幼い少女のものだった。待てと言われて待つ者など普通はいない。しかし僕は立ち止まった。それを好機と見たのか、追跡者は一気に距離を詰めようと迫ってくる。

 そう、それでいい。掛かってきなよ、相手してあげるから。

 僕は振り返ると同時に背中に手を伸ばし――


「……あれ」


 空を切る右手。何もない僕の背中。まずい。


「今日、僕武器持ってなかった……!」

「このぉおおおっ!」

「や、ちょっと待って、ストップ、タンマ、ちょ、うわぁっ!?」


 ごんっ、と棒状の何かで力任せに頭を叩かれた。次いで、脳天を突き抜けるような鈍痛。ぐにゃりと歪曲する世界。

 ローやコーラルさんの暴力って可愛いものだったんだな、あれは愛情表現の内だ、なんてことを思いながら、僕は意識を手放した。



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