装備・兵器
発足当時、装備などアメリカや他の西側諸国が供給。当初の装備はアメリカ製を中心に使用していたが多種多様で後にM1カービンとコルトガバメントなどを標準装備統一してスタート。
また武装解除により連合国軍が押収した九九式短小銃なども旧帝国軍銃器も支給された。
これらは薬室・弾倉を改造して使用。特に九九式短小銃は九九式狙撃銃して狙撃手などに供給された。
拳銃は主にFN ブローニングM1910や十四年式拳銃を中心に旧日本軍の武装解除により連合国軍が押収した拳銃が支給された。
後に旧日本軍の拳銃に代えてコルト・ガバメントやコルトM1917がアメリカ軍から大量に払い下げられた。これらは現在でも使用され続けている。後にM2カービンと9mm口径ブローニングM1910に更新された。
日本警察特車部隊にはアメリカ軍から供与されたM4A3E8戦車(通称「M4シャーマン・イージーエイト」)などが配備された。
だがM4シャーマンではソビエト連邦のT-54/55、T-62などの無敵赤軍機構軍団のスチームローラーの前には対抗する事など不可能、自殺行為、戦時中のチハVS M4シャーマンの再現でしかない。
しかし当時アメリカ軍の最新戦車であるM47、M48パットンは日本の輸送・道路事情などの面であまりにヘビー級の運用が難しいと云う事情があった。
また戦車と云う戦争を連想させる国民の反戦感情(軍事アレルギー)などにも配慮。
これ等の事情により戦後初の国産戦車《61式突撃砲》(後の1962年に駆逐戦車と改名)が開発・配備される(61式突撃砲については後ほど詳しく説明)
航空機はP-51などアメリカ軍の機体が提供されたが朝鮮戦争が勃発。日本に供給する航空機の供給が間に合わず、連合国に接収されたり国内に残っていた旧帝国陸海軍の航空機や試作機なども配備され、また日本企業による飛行機の運航や製造の禁止も解除されることになり日本の航空産業が復活した。
艦船はタコマ級フリゲートなど提供されたが後に旧帝国海軍の戦艦“長門”伊勢型航空戦艦や空母“葛城”装甲巡洋艦“八雲”重巡洋艦“高雄”‟妙高”軽巡洋艦“酒匂”‟鹿島”駆逐艦“潮”‟初霜”などなどを筆頭とした戦後賠償艦と引き渡された艦艇を除く旧帝国海軍の残存艦艇を集めて編成した(重巡洋艦“高雄”‟妙高”は英国に接収されたが日本に返還された)
当初は戦後からの復興への関係上や大蔵省や政治家の反対が有った為、それ程予算を割けず微笑ましいレベルの装備だったが冷戦期の激化や日米貿易機摩擦などにより大量の最新兵器を購入したりライセンス生産、国産開発を行った。
特に航空機や艦船などではF-14“トムキャット”やフォレスタル級、ミッドウェー級航空母艦を購入して国産化した。
また親日家のシラク大統領の訪日交渉によりフランス兵器の共同開発・国産ライセンスも行い、武器の輸出も行っている。主なお得意先は台湾やインドやブラジルなどのアジア中小諸国や親日国やスイスなどの中立国など。
近年では自動拳銃を採用し、回転式拳銃は採用していないが現役で使用されている。更に近年、主要都市の交番などにMP5も配備している。
防弾・防護具についても防刃・防弾衣が導入され、多くが着用するようになった。また銃器による犯罪現場や抗争事件、要人警護の現場等で戦闘用ヘルメットやライオットシールドを着用して捜査・警戒にあたる姿がみられるようになっている。
これらについては後述の各話で詳しく解説。