航空母艦【鳳翔】~二つの国家の興亡と新生を見つめた全ての空母のмать~
この話はサスルナ様の作品【最古の空母】から許可を頂き、執筆しました。
作品アドレスはhttp://ncode.syosetu.com/n0592dc/
作中の鳳翔の名前は鳳翔に統一しております。そして鳳翔のソ連艦名〈ポレオット〉はスターリン様と艦名について話の中、決め手となるヒントを頂きました。他、ご相談にのって頂いた皆様方に感謝です。
日本海軍初の空母にして世界で初めて最初から空母として計画されて航空母艦「鳳翔」大正11年、1922年にデビューし、日本の空母航空戦力の育成に大きく貢献した鳳翔。
だが、太平洋戦争開戦時には既に旧式化。ミッドウェー海戦以降は瀬戸内海で練習艦として運用され、終戦を迎えた。
終戦後、復員船として活躍した鳳翔は解体となる筈だったが、ソコに目を付けたのがソビエト連邦海軍。
ソ連海軍は次の敵をアメリカと想定。強大で世界最強のアメリカ海軍。しかも日本、イギリスという世界ベスト3海軍国を相手に如何にどう戦うかが急務となっていた。
当時のソヴィエト海軍はマトモな海上戦力が皆無の状態。旧ソ連時代もスターリンによる凄惨な粛清による人材払底や対独戦で海軍の補強は進まず、幾ら陸ではT-34やスターリン戦車群で性能と数の面では上とはいえ、空軍は数の上では拮抗だが戦闘機とパイロットの質ではお粗末なレベル。
その上、海軍はお話にならない、漁民海軍・沿岸海軍と揶揄されるレベル。
火急速やかに早急に戦力化を行う為、ソ連海軍は手っ取り早く敗戦国から艦艇や人員を接収することを開始。捕虜になったドイツ人やイタリア人を協力者に引き抜き、終戦により職に焙れたなど海軍将兵を雇い、人員面の拡充を図った。
艦艇はまず空母機動部隊を創設する下準備のためにまず日本へ鳳翔や響など賠償艦として要求。他、ドイツ・イタリアの未完成空母も艦艇も賠償艦として接収。
それぞれドイツ空母〈グラーフ・ツェッペリン〉を≪ツェッペリン≫軽空母〈ザイドリッツ〉を≪ポルタワ≫
イタリア空母「アキラ」はロシア語で鷲の≪オリョール(Орёл)≫軽空母〈スパルヴィエーロ〉はロシア語で鷹の≪ソーカル(сокол)≫と命名。
戦艦は財政の逼迫するイギリスから〈ロイアル・サブリン〉(ソ連名:アルハンゲリスク)などR級戦艦を購入。
続いてイタリアから戦艦〈コンテ・ディ・カブール〉(ソ連名:デカブリスト)〈ジュリオ・チェザーレ〉(ソ連名:ノヴォロシースク)を戦利艦として接収。
元々、保有してたアドミラル・ヒッパー級重巡洋艦〈リュッツオウ〉も〈ドニエプル〉と新たに命名し直し、建造中止となったスターリングラード級重巡洋艦(82型巡洋艦)の偽装や装備を流用して再改装。55口径30.5cm連装砲4基8門搭載した超巡洋艦となり、これ等の艦を北方艦隊 ・太平洋艦隊を中心に配備を行った。
この一連のソ連海軍大拡張に待ったをかけたのがアメリカ。ソ連に海軍力を持っては困るアメリカは当然の如く難色を示した。
が、ソ連側はまず終戦により財政が困窮するイギリスとフランスに経済支援を行い、内部の共産主義者に働きかけて抱き込み、アメリカには共産主義者によるロビー活動とKGBによる熱心な硬軟交えた交渉(恐喝)を続けた結果、旧式空母と未完成空母ならと、何とか鳳翔を含めたドイツ・イタリアの空母を筆頭とした賠償艦の接収に成功。
取得後、ソヴィエト海軍は≪鳳翔≫に‟飛翔”の意味のполет、ポレオットと命名。
≪ポレオット≫と命名された鳳翔を徹底的に調査・研究を行った。この際のデータを大いに活用され『プロジェクト71軽空母』を筆頭に後にソ連航空母艦建造の雛型となった。
一通りの調査後、大規模な大改装の後、ソ連海軍は鳳翔を練習空母として運用。艦載機にはやポリカルポフPo-2、I-153〈チャイカ〉など操縦し易く、下方視界が良好な単発複葉の練習機を使用。他、輸送機にアントノフAn-2も使用。航空母艦の乗員並びにパイロットの養成を行った。
1960年代中期に入るとヘリコプターを海上で運用するコマンド母艦・ヘリ空母に鳳翔の名が挙がった。結果、ヘリ空母〈鳳翔〉に改装された鳳翔は再び実戦へと投入。
冷戦中、ある時は艦隊に随伴して海中の敵潜水艦を警戒する対潜哨戒を行い、ある時は輸送任務に付きヘリによる物資輸送を勤め、ある時は特殊部隊を運び、攻撃ヘリを出撃して戦果を挙げた。
何故、ソビエト連海軍は旧式の鳳翔を使い続けたのか?それは当時のソ連の海軍事情にある。
冷戦初期、ソ連海軍は<数は力>の方針の元に生産し易い軽空母・潜水艦・駆逐艦を大量生産し、数の上ではアメリカ海軍の互角の海軍力を持つ。
その後、乗員の育成と運用・建造のノウハウの習得後、戦艦や大型空母の量産を行い、数から質へとシフトする予定だった。
しかし、核戦力への傾倒、空軍と陸軍の予算獲得の横槍、原子力潜水艦への研究・生産の優先、水上艦族と潜水艦族との派閥荒い、斜め飛行甲板・蒸気カタパルトなどの開発遅れと大型ジェット機への対応遅れ、造船技術の限界、計画者であるスターリンの死去など、様々な要因から空母の開発・建造ペースは遅れた。
しかし80年代になるとモスクワ級ヘリコプター巡洋艦やキエフ級重航空巡洋艦の量産、改キエフ級やアドミラル・クズネツォフ級などの大型空母が建造され、プロジェクト71軽空母が鳳翔の任務に付く事でようやく鳳翔は第一線から外れる。
だが、万年艦艇不足のソ連海軍は最古の空母〈鳳翔〉を三度目の練習空母として引き続き使用。流石にジュット機は無理だがレシプロ練習機Yak-52やヘリなどの離発着艦は可能。
こうして鳳翔はソ連海軍パイロットの訓練を行い、数々の船員やパイロットを育て上げ、巣立って行き、ヘリコプター巡洋艦や航空母艦などに配属され、鳳翔での訓練で培った技術を発揮した。
そして1992年。鳳翔は再び大きな転機を迎える。冷戦終結に伴うソ連崩壊。それに伴い北方領土を日本への返還である。
この時、ソ連に接収された鳳翔・響が日本側へ返還される事が決定。日本初にしてソ連初の空母でもあり、二つの国家の興亡を見つめた世界最古の航空母艦「鳳翔」は日本に再び戻って帰って来た。
現在は記念艦となり、船体には旭日旗とソ連海軍旗が掲げられ、多くの人々が訪れている。二つの海軍と国家を見つめたお艦は今も静かに海を見守っている。
≪要目≫(ソ連海軍編入<ポレオット>第一次改装時)
排水量10,500トン
全長180m
全幅20m
速力28.0ノット
航続距離10,000カイリ / 14ノット
乗員500名
〈兵装〉
57mm 4連装両用砲×4基
RBU-6000 スメルチ-2対潜迫撃砲×2基
搭載機15機(Po-2、I-153、アントノフAn-2)
<第二次改装時(ヘリ空母改装)>
〈兵装〉
30 mm連装機関砲AK-230×2基(のちAK-630M 30mmCIWS×2基)
RBU-6000 スメルチ-2対潜迫撃砲×2基
4K33 オサーM 短SAM連装発射機×2基
搭載機15機(Ka-25哨戒ヘリコプター、Mi-24攻撃ヘリコプター、Mi-4輸送ヘリコプター、Mi-14哨戒ヘリコプター)
<第三次改装時(近代化・練習空母改装)>
〈兵装〉
コールチク複合CIWS×4基
搭載機15機(Yak-52、Ka-27艦載ヘリコプター)
ソ連艦娘化した鳳翔さんが同志書記長の艦隊に着任しました。