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北方日露特別行政区~北の聖地と言われる凍土のカナン~

もし北方領土が返還されてもインフラ整備や殖産興業をちゃんとしないと発展しないので奇策、ブチ上げてみた。

【北方日露特別行政区】別名〈北の聖地〉〈ミリオタの聖地〉〈凍土のカナン〉とも言われる日本とロシアの特別行政区。その設立は1991年12月25日≪ソ連崩壊≫がキッカケとなった。


ソビエト連邦が崩壊後の1990年代、政治・社会の混乱と経済の急速な悪化に悩まされたロシア連邦。


この時を千載一遇のチャンスと、日本はロシアに対して1000億単位の多額の円借款を提案(現実では総額45億ドル融資。1ドル=100円で計算すると凡そ4500憶円)


代わりに永らくソビエト連邦が実効支配していた択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の島々、北方4島の日本に返還を求め、ロシアに北方領土問題への決着をつける事を提案。


ロシア側はソ連崩壊後の混乱と財政の悪化で青吐息状態。極東の僻地の小島4島を日本への返還案を飲めば多額の円借款が行われる事で財政の立て直しが図られ、しかも日本に恩を売れるという思惑から提案に‟一部の土地を租借と云う形で保有”と云うロシア側の要望を入れた一部、修正案の上で合意。


ここに半世紀以上、実行支配されていた択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の島々、北方領土が日本側に返還された。


日本に返還後、主権は日本に移り日本の国土となったが定住しているロシア人、行政・インフラ整備・殖産興業、国境防衛など様々な問題が山積み。


行政面では日本に編入された為、日本国土となっており、ロシア租借地を除き、日本の法律が適用とされた。


国籍では多重国籍のロシア側と国籍単一の原則の日本で協議がもたれ、編入時に日本国籍も取得可能。


編入後、日本の国籍法が適用されるため〈血統主義〉を採用。父系母系どちらの国籍でも選べるようになった。


言語面では日本語とロシア語が標準言語の混在地帯。学校でも日本語とロシア語の2ヵ国語を教育。


国境防衛面では1978年より択捉島と国後島に駐屯するロシア陸軍第18機関銃砲兵師団をそのまま駐留することをロシア側から要求され、日本側は合意。


返還後に警察庁・海上保安庁・航空警備庁の3庁が新たに部隊を編成し、同地に展開。


警察庁は≪北方警備隊≫という部隊を新たに編制。ロシア陸軍第18機関銃砲兵師団と同じ基地内に駐留。


海上保安庁はオホーツク海、北洋警備の為に氷海域の航路啓開と警備救難活動を任務とした新たに砕氷能力を備えた警備艦を建造・配備。択捉島にあるベルタルベ山に潜水艦基地を建設した噂も・・・


同じく航空警備庁も択捉島ブレヴェスニク空港(旧天寧海軍飛行場)に駐留する第101独立回転翼機隊と同地にして共同駐屯開始。


合わせてレーダーサイトの設営、北部航空方面隊の隷下に北方4島方面担当の新たに戦闘機・輸送機・ヘリコプター・高射部隊の部隊を新設し、配備を開始。


近年には在日米軍の一部部隊も同じく展開。日米露が同じ基地内に居るという類を見ない基地となった。


またロシアからの借款返済の一環として現物支給でT-80U、Su-33、Mi-26、An-124などを受け取り、その中から独自改修などを行い採用。本家ロシアに逆売り込みしたモノもある。


一番の問題はインフラ整備や産業復興は難航を極めた。北海道より更に北の僻地地域。


企業誘致も道路を引くのも鉄道を敷くのも一苦労。特に千島列島一帯は船の難所として有名。


インフラ整備では地熱発電所を建築。軍民共用の空港も拡張整備され、択捉島のブレヴェスニク空港(天寧飛行場)は2000m、イトゥルップ空港と国後島にあるメンデレーエフ空港は2500mまで拡張。


各島の港湾設備も大幅に整備し、特に択捉島には大型タンカーや揚陸艦、原子力砕氷船クラスが接舷可能な規模に拡張。


産業面ではまず主力の漁業に力を入れ、その一環で日露共同の捕鯨基地が作られた。余談ながら某反捕鯨団体も手を出してこない。


が、漁業のみでは危うくやっていけないので海底資源開発も行うも採掘から生産の軌道に乗せるのは多額の費用が掛かり、頭を悩ます官邸や官庁は民間に広く意見を求め、その中から1つの妙案を捻り出す。


≪手付かずの自然と温泉がある国後島は国立公園化。そして択捉島に軍事博物館を作ろう!≫


提案者はミリオタな議員で「触れて・触れて・動かせて・撃てる。そんな博物館が日本にあれば必ず大挙して行く!」と言って政官の双方を動かした。


この案、ロシア側の雇用捻出も計算に入れられており、ロシア側はいちにもなく賛同。


ロシア側は軍の倉庫に眠っていた第二次大戦中の戦闘機や戦車の他に鹵獲したドイツ軍・日本軍の戦車や戦闘機も提供。


博物館建設場所もロシアが日本から租借した場所なので基本、ロシア内と同一の法律の為、撃ち放題・動かしたい放題。


ココに世界でも珍しい‟触って・動かして・撃てる”がコンセプトの博物館が設立された。


設立当初は第二次大戦中の日ソの兵器が中心で主にT-34、Yak-1、九七式中戦車〈チハ〉一式戦闘機〈隼〉などを所蔵。


他に戦後のT-55やT-10、珍しい所でマッキMC.200〈サエッタ〉やチャーチル歩兵戦車などだったが、後にタ○ヤやス○ソニアンが協力。


特にタミ○は自社博物館の如く出資と所蔵品の収集を行い、様々な戦車や戦闘機を収集。


スミソ○アン側もポール・E.ガーバー復元施設に収蔵しているレストア前の〈銀河〉GHQが接収した帝国陸軍試作戦車、四式中戦車チト・五式中戦車チリなどを提供し、規模が拡大。


その中でも異色なのが実寸大のサボイアS.21試作戦闘飛行艇〈フォルゴーレ号〉カーチスR3C-0非公然水上戦闘機、M-02/M-02J〈メーヴェ〉なども所蔵されてる。


レストアの為に新たに部品製造や新造などを行い、所蔵するほぼ全てが動態保存され実際に動き、また射撃場には大戦中の日本の銃器を撃て、多数の資料を所蔵する図書館などマニアを唸らせる。


所蔵されている戦車・飛行機・軍艦に‟触る”‟乗る”‟撃とう”と日本からはもとい、世界各国からマニアが来場。


特に射撃場では日本人のマニアはもとい民間警備会社が訓練場代わりに使用するのもしばし。


またレストア用の部品製造工場があり、レストアを持ち込む業者やマニア、部品・オーダーメイドの依頼をしにくる業者も多くと来訪。極東北方圏内でも有数の産業都市として発展。


規制の緩さやうるさいマスコミや市民団体が居ない利点を生かし、日本最大の武器展示会や航空ショー、エアレースやヒストリカルゲーム、映画の撮影なども開かれている。


また日本国内では難しい大規模演習・試作兵器のテストなども行ってもいる。


それ以外にも法的に曖昧な点を目をつけ、多国籍企業や公安・CIA・FSBなどスパイ組織、ロシアン・マフィアやヤクザなど犯罪組織の巣窟・見本市状態になってもいる。


この辺りの由縁から〈リアル・ロア○プラ〉とも呼ばれることもしばしだが、治安はそんな怖面並さんが目を光らしている事もありすこぶる良い。


インフラ投資と整備より北極海航路の中継地点となってもおり、海外のコンテナ船、タンカー、客船クルーズの利用の他にも日本のフェリー船や高速フェリー改ナッチャン型≪曙≫≪朝日丸≫による定期航路も開始された。


そして「サハリンパイプライン計画」の一環として〈日露天然ガスパイプライン〉がスタート。

サハリンと北方4島を中継地点にして北海道を結ぶ天然ガス・パイプラインの建設のこの計画。パイプライン建設によって、日本とロシアはより密接な関係が築かれた。


一方、国後島の方は国立公園化し、知床と共に世界自然遺産に登録。最近の生態調査によれば国後島と択捉島だけに生息するとされる白いヒグマの個体群の他にエゾオオカミや二ホンアシカの痕跡があるとされている。

*こんな博物館、あれば行きたい!そして募集。博物館名、何か良い案があればお送りください。要望を書くとロシア語な感じで。また所蔵して欲しい兵器も。

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