第1話
更新遅いです。
「くくく、あはははははははっ!」
閑静な住宅街で、馬鹿みたいな高笑いが轟いた。まあ俺のだけど。
俺はこのところ、ずっと悩まされ続けていたのだ。ストーカーという存在に。
俺のスペックはというと、容姿にしても身体的能力にしても、決して優れているとは言えないものだ。だから、ストーキングされるなんてまずあり得ないなと思っていた矢先、エキセルと名乗る、見知らぬ女の子につきまとわれるようになった。
どうやら彼女は究血姫らしいのだ。
なんでも、俺の血は想像を絶するほどに優れているらしい。正直、そう言って口内の牙をちらつかせるエキセルの言っていることが、俺にはよく理解できなかった。初めの内は、だが。
人間を超越する腕力なんかを見せつけられた日には、信じるしかなかったけれど。
究血姫なんて、字面からしてすでにおかしいじゃないか。違和感ありまくり。
美味しそうということ、異常なほどに優れた珍しいものであることから、彼女は俺の血を欲している。ただの人間である俺が、本気を出したエキセルにあらがえるはずなどないのだが、彼女は無理矢理ことを為そうとしない。吸血には尋常ではない痛みが伴うらしいのだ。だからこそ、俺が同意した場合に限り、吸うのだと言う。果たして、それは優しさなのか。
嫌な奴ではないのだと思う。
エキセルは俺の同意が得られるまでしつこく勧誘活動に励むらしい。悪徳業者の勧誘以上にしつこいね。
そんなエキセルが今日はいない。単純にまくことに成功したのか、それとも彼女が僕に対する興味をなくしたのかは知らないが、久しく訪れた安寧の時である。
俺は晴れ晴れとした気分で帰宅するのだった。
「お帰りなさい」
心地よい音色と一陣の風、さらには厄介な存在が俺を出迎えた。
「なんでお前がここに……! 俺の安寧の地は、楽園はどこへ消えたって言うんだ!?」
自宅のドアを押し開けた俺は、ドアノブに手をかけたまま愕然とした面持ちで叫んだ。俺が安らげる唯一の場所である自宅で顔を合わすことになろうとは思いもしなかったのだ。
エキセルが廊下で寝転がっていた。くつろいでやがる。
「楽園なんてこの星にない」
エキセルが言うと冗談に聞こえないから怖い。
黒衣に身を包んだ彼女は背が低く、容姿だけを見れば幼いと言える。整いすぎている相貌を鑑みても、人形めいた子供と言い切ることができた。ただ一点を除けば、だが。
腰の辺りまでのびた髪の色が判然としない。黒であることは判る、しかし銀であることも判る。赤、黄、茶、緑、白……ありとあらゆる毛色であることが判るのだ。
だからこそ、この色だ――なんて断言できない。
これを初めて見たときは、自分の目がおかしくなったのだと思った。いや、元からおかしかったのかもしれないが。
まあでも、流石に慣れた。注視しなければ違和感は感じない。ぱっと見ただけなら、あっ可愛い女の子! っていう感じなのだ。
「今はそんなことでどうでもいい。一体どこから入ってきたんだよ。きちんと施錠してたし、窓だって閉めてたんだぞ?」
「そこからだけど」
そう言って寝ころんだままのエキセルが気だるげに指さす方向は、ちょうど俺の位置からは見えなかったので、靴を脱いで移動する。
すると、外が見えた。
息を呑む。綺麗な茜の空がのぞいている。不意に、強い風が俺の頬をなで上げた。同時に、玄関のドアがけたたましい音を立てて閉まったのが判った。
目をつむり、ゆっくりと深呼吸をする。
それを数回繰り返してから、目を開く。そして惨状から目を背けた。
「なんでこんなところに穴が開いてるんだよ!?」
壁に穴が開いていたのだ。ちょうどエキセルの身長くらいの大穴が。
「入る場所がなかったから、仕方なく」
「お前は仕方なく人の家に穴を開けるのか!?」
「普通に訪れても入れてくれなかったでしょう?」
「くっ……!」
よく判っていらっしゃるようだ。
「そのときに壁に穴を開けるとまずいかな、と思って。アキトが怪我したら困るもの」
「心配するところはそこか、そこなのか!? 穴を開ける時点でまずいと思え!」
「もう手遅れ」
ごろごろと転がりながら言ってくる。なんか腹立たしいな。
「言われなくても判ってるよ!」
とはいえ、困った。こんな大穴を開けた責任をエキセルが取ってくれるとは思えないし。
呆然とした俺が穴を眺めていると、エキセルが口を開いた。
「私がここに住むとすべて解決」
あくまで寝転がったままのエキセルが、そのままで胸を張る。
「そうすると穴がふさがるとでも?」
「ふさがらない」
「どこが解決!? むしろ俺にとっては状況が悪化してるんだけど……」
「私がいると、寒くない雨風が入り込まない外からは穴が開いているように見えない、と豪華三大特典が得られる。しかも目の保養になるという隠し要素まで付随する」
すごくオープンな隠し要素だな、おい。しかし……豪華三大特典とかいう装飾過多な言葉に騙されたが、それは以前から実現されていたという……。
「最後は余計すぎるけど、他は本当なのか?」
「全部、本当」
あくまでも目の保養を含めたいらしい。
だからといって、エキセルが家にいると非常に迷惑なことになりかねないから、反対に決まってる。
「お前は住み着いてどうしたいんだよ?」
「アキトが吸血を許諾するまで催促を続ける。何度でも、そう何度でも」
「お前は悪徳セールスマンか! ……しっかしお前さ、嘘でもいいから、適当になにか言っておけばうまく丸め込めたかもしれないのに、そういうとこで損をしていると思うよ」
それに、エキセルは首を傾げてみせる。
「その方がよかったの?」
「……いや、そんなことはないけど」
じっとこちらの目を見つめてくるエキセルに、俺はいたたまれない気持ちになってくる。
言葉にできない、気持ちの悪いもどかしさ。俺はたぶん汚い人間だ。であれば、彼女は少なくとも俺なんかよりは綺麗だと思った。
「というかだな、お前に血を吸われると俺はどうなるんだ?」
ここ数日つきまとわれはしたが、そのことだけは不明瞭でいた。
「私の言いなりになる」
「いや、ちょっと待て! それはもっと初めの方に提供されてなきゃいけない情報だろ!? そんなの嫌すぎるわ!」
「でもそれで万事解決。私はうれしい。アキトもどういうわけかうれしくなる」
「どういうわけかって、洗脳されている気がしてならんわ! しかもそれって結局俺に利点がないだろ!?」
「私に愛される。服従するアキトを私は絶対に見捨てない。それだけで十分」
「どこがっ!?」
「全部?」
……俺に聞くなよ。
エキセルは俺が許諾するまで言い続ける腹積もりらしいが、外でだけならまだしも、家の中でまでは耐えられない。それはさすがの俺も苛立ちが募る。
「とりあえずな、言うならたまに言ってくれ。極たまに、な。考えなんてそれほどすぐには変わらない」
「……判った」
俺は彼女の意外な素直さに驚いた。
これまでとは打って変わった従順さだ。何か裏があるのではと疑いたくなる。とはいえ、これまでの行動を見ている限りではそういった計略を考えつくようにも思えなかったが。
「それで同居はどうするの? 実は私、家がないのです。夜は寒いです。死んでしまいそうです。アキト様の優しさに甘えたいです」
媚びるように上目遣いになったエキセルを見て、俺は目を細める。
こいつは一体何を言っているんだ……?
「お前がいると寒さが防げたりとかするんだろ? なら一人でも大丈夫じゃないのか?」
媚びることをやめたのか、再びごろごろと転がって俺に背を向ける。
「寒くないけど、寒いよ」
それはどこか押し殺したような、無機質な声だった。俺はその言葉の真意を量りかねる。
ただ、彼女の背からは寂しさのようなものが感じられた。もしかしたら気のせいかもしれない。その可能性は高い。
だけど、そんな風に見えてしまっては、無視することが躊躇われた。
元々、最初に声をかけたのは俺なんだから――それが厄介事に繋がるかもしれないことは頭のどこかで理解していたけれど、どうにも見過ごせなかった。俺の悪い癖だ。だから自業自得かもしれない。
それに、追い返すのはたやすい。エキセルも強引に留まるつもりはないのだろう。だからこそ、俺に対して許可を取ろうとしている。
悪い奴ではないのだと思う。
だからこそ、俺も困っているのだ。
エキセルが本当に嫌な奴で、どこまでも傍若無人、自分勝手なのであれば、俺は全力をもって排除に臨んだだろう。
けれど、違ったから。
嫌なことは嫌だ。それは変わらない。しかし、元々言いだしっぺは俺なのである。
俺は背を向けて動かないエキセルに向けて、声をかける。
「判った判った。じゃあ今日からここに住め」
渋々といった様子を演出して、言った。
その言葉に、弾かれるようにしてエキセルがごろごろと僕の前に転がってくる。
「本当に?」
その顔は少しばかり興奮しているのか、ほんのりと赤みを帯びていた。普通なら見落としてしまいそうなほどの些細な変化だが、夜空を舞う雪に似ている抜けるような白い肌だからこそ、それが判った。
「ただし、試験的な意味でだけどな」
あまりに横暴がすぎたりするなら、追い出すことも辞さない。それを心に決めて、俺は言う。
「普通だったら、他人を家に住まわせるなんてしない。今回は特別だ。いつ追い出されるとも判らない。だから、それだけは覚悟しておいた方がいい」
エキセルは興奮したようにガクガクと首を縦に振って、それからごろごろと別室へ転がっていった。
多少気が早いんじゃないだろうか?
まあいいか。
とりあえず、
「この穴どうするんだ……?」
いずれ埋めなきゃいけないだろう。エキセルがどうやって豪華三大特典を実現させるのかは判らないが、それで穴は埋まらない。
エキセルが身を削ることによって為されることなら、俺は望まない。
まあでも、修理するにしても数日は穴が開いたままだな。こればっかりはどうしようもないから目をつむるとしよう。
ご飯にしろ寝床にしろ、どうするかね……。
俺は新たに増えた悩みの種に頭を抱えて苦笑する。それからエキセルの後を追って歩きだした。
そんなこんなで、俺の新しい生活が始まりを告げた。




