友情とは何かと問うてみる。
友情とは何かと問うてみる。
誰かの言葉を借りれば、得難い情だと答えるかもしれない。誰かの言葉を聞けば、大切なものだと断言するかもしれない。
ただ、私にとって友情とは酷く想像しにくい情だと思ってしまう。ある意味、憧れに近い感情と呼ぶべきかもしれない。
私が友と呼んだ人達は酷く簡単に離れていってしまう情ばかりだったからか。
「あなたとは遊ばないでと友達に言われたから」
私はあなたの『友人』ではなかったのだろうか。
「お前を友達と思っていない」
私はあなたを『友人』だと思っていたのに、そうではなかったのだろうか?
「俺のことが好きなのだろう」
何故、友情が恋愛感情だと誤解されてしまうのだろうか。友情だと伝えていた筈なのに、伝わっていなかったのだろうか?
異性だろうが同性だろうが、関係ない。どれほど、大切に思ったとしても、そうであると態度や言動で伝えたとしても、得難い情だと思っていたそれはいつの間にか掌から溢れ落ちていく虚しさ。
今日まで仲がいいと思っていた人は明日には不意に余所余所しくなってしまう悲しみや絶望は、言葉では表しきれない。
やがて、友情は絵空事だと考えて、いずれ失われる情だと諦め、溢れ落ちていったそれらを空虚な目で眺めてしまう私は麻痺しているのかもしれない。確かにあったと思った『友人』との思い出が思い出せない私は情が薄いと嘆き、指差す人もいるだろう。
一時、二次元の想像上の人物達が友情を育む姿を見ては、理解しづらくて、空想の産物だと冷めた目で見ていた私はおそらく夢がない人間なのかもしれない。
けれど、そうでも思わなければ、やってられないと思ってしまった私がいる。得難い、大切な人だと思ったのに、あれは夢幻に過ぎなかったのかと思い続けるのは、酷く感情が擦り切れていくものだった。
そんなものだと思えば、幾ばくかの安寧が得られる気がした。
だって、そうであろう。
友情を育めない私がおかしいのであれば。何故、目の前で友情を語らった人が相手を悪しざまに言う様を目撃してしまうのだろうか。友人だと言うその相手が輪に戻ってくれば、何事もなかったかのように、笑い合って語らう様は酷く異常で、悍ましささえ感じてしまい。
果たして友情とは何なのかと問うてみる。
他の友人に言われた程度で関係が絶ってしまえるぐらい軽いものなのだろうか?
先程まで笑い合っていた相手を悪しざまに罵れる程度の関係性でしかないのだろうか?
そうではないと反論する者はいるだろう。友情ではない、紛い物だと指摘する人もいるだろう。
ならばと、友情とは何なのかと問うてみる。
私は友情に対して残っているのは、想像上の産物か。あったとしても、私とは無関係の預かり知らぬ場所にあると言う認識でしかなく。ようやく、二次元の友情が感動する感情は戻ってきたという程度。
友情がトラウマと言うのもおかしな話かもしれないが、その表現以上にしっくりくるものが見つからない。
だとしても、友情に憧れを抱かないと言えば、嘘になる。ただ、あろうがなかろうが、友情が他者を痛みつけ、傷つけるものばかりではないことを願うしかない。
友情とは何なのかと問うてみる。
分かる日が来るのだろうかと思いながら、私はそっと筆を置く。




