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帰還勇者は静かに暮らせない

作者: 堺久遠
掲載日:2026/05/17

白い光が視界を埋め尽くしていた。


篠宮悠人(しのみや ゆうと)は、ただ静かに目を閉じていた。


身体の感覚が薄れていく。


長かった戦いが終わったのだと、ようやく実感が湧いていた。


異世界『アルディア』。


十五年。


あまりにも長い時間だった。


魔王軍との戦争。焼け落ちた国々。死んでいった仲間たち。幾千という魔物を斬り、幾百という戦場を越え、それでも最後まで生き残ったのが自分だった。


《勇者》


そう呼ばれていた。


世界を救う存在。


だが悠人にとって、その言葉は呪いに近かった。


守れなかったものの方が多い。


救えなかった命の方が多い。


だから、魔王を討った瞬間も達成感など無かった。


ただ、終わったのだと思っただけだ。


『——帰還を承認します』


頭の中に、機械のような声が響いた。


召喚の時にも聞いた声だった。


懐かしいとは思わない。


むしろ嫌悪感に近い。


この声が、自分から平凡な人生を奪った。


『元の世界へ帰還します』


悠人は最後に一度だけ後ろを振り返った。


崩壊した魔王城。


黒い空。


砕けた大地。


その中心に、巨大な魔王の亡骸が横たわっている。


そして、銀髪の少女が立っていた。


彼女の名は《リア・エルフェルト》


十五年間を共に戦い抜いた仲間。


彼女は泣いていた。


必死に涙を堪えながら、それでも悠人を見ていた。


「……帰るのですね」


「ああ」


「こちらには、もう戻ってこられません」


「そうらしい」


短い会話だった。


もっと何か言うべきだったのかもしれない。


だが、言葉が出てこなかった。


悠人は戦い方しか知らない人間になっていた。


「悠人」


リアが一歩近づく。


青い瞳が揺れていた。


「……あなたは、生きてください」


その言葉だけが、妙に胸に残った。


次の瞬間。


世界が白く塗り潰される。


まばゆい光と浮遊感


十五年前と同じ身体が引き裂かれるような感覚。


身体が引き裂かれるような感覚。


そして、悠人はコンクリートの地面に立っていた。


夜だった。


湿った風。


信号機。


車の音。


ネオン。


行き交う人の喧騒。


見慣れた日本の街並み。


駅前だった。


「……戻ったのか」


悠人は呆然と呟いた。


制服姿だった。


高校二年の夏、召喚された時のまま。


だが身体だけは違う。


十五年戦い続けた肉体。


染み付いた殺気。


無数の戦闘経験。


平和な街並みの中で、自分だけが異物だった。


通行人たちは悠人を気にも留めず通り過ぎていく。


それが逆に不思議だった。


異世界では、自分を見る者は皆、恐怖か敬意のどちらかを向けてきたからだ。


悠人はポケットを探る。


スマートフォン。


なぜか電源は生きていた。


日付を確認する。


「……二週間?」


異世界では十五年。


だが地球では、たった二週間しか経っていなかった。


悠人は思わず笑ってしまった。


「冗談だろ」


乾いた笑いだった。


十五年だ。


生が変わるには十分すぎる時間。


なのに、この世界は何も変わっていない。


コンビニの看板も、駅前の店も、歩く人々も、全部があの日のままだ。


自分だけが別の世界に置いていかれていた。


その時だった。


ぐう、と腹が鳴る。


悠人は眉をひそめた。


最後に食べたのは三日前だった気がする。


魔王討伐戦の最中は、食事どころではなかった。


「……とりあえず飯か」


駅前のコンビニへ向かう。


自動ドアが開く。


冷房の空気。


明るい照明。


商品棚。


その全部が妙に懐かしかった。


「いらっしゃいませー」


店員の声。


悠人は少しだけ目を細めた。


泣きたくなるほど平和だ。


おにぎりとペットボトルを手に取り、レジへ向かう。


「六百三十二円でーす」


財布もちゃんとあった。


千円札を出す。


その瞬間。


店員が悠人の手を見て、一瞬だけ固まった。


無数の傷跡や剣ダコ。


戦場でできた古傷。


「……お客様、その手」


「昔の怪我です」


短く答える。


嘘ではない。


かなり昔だ。


十五年前の。


店を出ると夜風が気持ちよかった。


悠人はコンビニ前のベンチへ座り、おにぎりを開封する。


鮭おにぎりを一口食べる。


その瞬間。


「……うま」


思わず呟いていた。


異世界にも料理はあった。


だが日本の味とは違う。


塩気。


米。


海苔。


それだけで、帰ってきた実感が湧いた。


悠人は静かに空を見上げる。


黒い空ではない平和な星空。


「……終わったんだよな」


もう戦わなくていい。


もう誰も死ななくていい。


そう思った時だった。


耳鳴り。


悠人の表情が変わる。


反射的に立ち上がる。


この世界ではありえない大きさの魔力反応。


「ありえない」


この世界に存在するはずのない異質な気配が、駅裏の方角から漏れ出していた。


「なんで……」


悠人はおにぎりを落とした。


次の瞬間、身体が動いていた。


人混みを抜ける。


視線。


ざわめき。


そんなものはどうでもいい。


駅裏の路地へ飛び込む。


そこで悠人は見た。


空間が裂けていた。


黒い亀裂。


異世界と現実世界を繋ぐ《異界門》と言われる亀裂。


「……嘘だろ」


ありえない。


アルディアと地球は完全に切り離されたはずだ。


なのに裂け目は確かに存在していた。


そして。


その奥から、低い唸り声が響く。


悠人の全身から力が抜けた。


嫌になるほど聞き覚えのある音。


「帰って早々これかよ……」


裂け目が広がる。


黒い腕が現れた。


人間の三倍はある巨大な腕。


赤黒い皮膚。鋭い爪。腐臭。


次の瞬間、怪物が姿を現した。


狼と蜥蜴を混ぜたような異形。


四足歩行。


全身を覆う黒い鱗。


黄色い瞳。


魔獣グランガル。


アルディアでは中級種。


だが地球なら災害級だった。


魔獣は周囲を見回し、咆哮する。


空気が震えた。


近くにいた通行人が悲鳴を上げる。


「きゃあああっ!?」


「な、なんだあれ!?」


逃げ惑う人々。


スマホを向ける者。


まわりは混乱している。


悠人は深く息を吐いた。


知っている。


こういう時、人は簡単に死ぬ。


一瞬の判断ミスで。


たった数秒で。


魔獣が跳躍する。


標的は、腰を抜かしたサラリーマンだった。


巨大な爪が振り下ろされる。


だがその前に悠人が立っていた。


甲高い金属音が周囲に響き渡り魔獣の爪が止まる。


悠人の右手には、漆黒の剣が握られていた。


黒剣ノクス


魔王を斬った剣。


その姿を見た瞬間、魔獣が低く唸る。


本能で理解したのだ。


目の前の存在が、自分より上位の捕食者だと。


「下がってろ」


悠人はサラリーマンへ言う。


男は呆然と頷き、這うように逃げていく。


魔獣が再び咆哮した。


今度は悠人へ向かって突進してくる。


アスファルトが砕けるほどの速度。


普通の人間なら反応すらできない。


だが悠人は静かだった。


むしろ落ち着いていた。


身体が覚えている。


戦場を。


死線を。


呼吸。


重心。


視線。


全部が自然に噛み合う。


魔獣の爪が迫る。


悠人は半歩だけ動いた。


それだけで回避。


直後、黒剣が閃く。


血飛沫。


魔獣の前脚が飛んだ。


「ギャアアアアアア!!」


絶叫。


だが止まらない。


痛みより殺意が勝っている。


魔獣は口を開き、黒い炎を吐き出した。


悠人は左手を前へ出す。


「障壁」


無詠唱魔法。


透明な壁が展開され、黒炎を防ぐ。


熱風が周囲を吹き荒れた。


通行人たちの悲鳴が響く。


悠人は舌打ちした。


被害を出したくない。


だが場所が悪すぎる。


「……一撃で終わらせる」


黒い魔力が剣へ収束する。


魔獣が危険を察知した。


逃げようと後退する。


だが遅い。


悠人は踏み込んだ。


爆発的加速。


一瞬で間合いを詰める。


そして黒剣が横薙ぎに振り抜かれた。


黒雷。


漆黒の雷撃が夜の路地を裂く。


魔獣の身体が真っ二つになった。


沈黙。


次の瞬間、巨体が崩れ落ちる。


周囲は静まり返っていた。


誰も理解できなかった。


何が起きたのか。


ただ一人。


悠人だけが、静かに息を吐いていた。


「……終わった」


だがその声に、安堵は無かった。


異界門。


魔獣。


それはつまり、戦いが終わっていないということだ。


悠人は夜空を見上げる。


そこには、薄く黒い亀裂が残っていた。


平和だった世界が、静かに壊れ始めている。


そして。


その中心にいるのは、自分だ。


「……勘弁してくれ」


誰にも聞こえない声で呟いた、その時だった。


背後で気配が動く。


悠人の目が細くなる。


反射的に振り返る。


路地の入口。


そこに、一人の女が立っていた。


黒いスーツ。


長い黒髪。


鋭い視線。


腰には日本刀。


年齢は二十代前半くらいだろうか。


整った顔立ちだが、空気が普通ではない。


戦う人間の目だった。


女は倒れた魔獣の死体を見て、次に悠人を見る。


その瞳に驚きが走った。


「……本当に、単独で討伐したのですね」


悠人は無言のまま女を観察する。


魔力は弱い。


だが身体の使い方を見る限り、一般人ではない。


「誰だ」


低い声で問うと女は一歩前へ出た。


「対異界特務機関《黒鴉》所属、九条紫苑です」


黒鴉。


聞いたことのない名前だった。


だが“対異界”という単語に、悠人の眉がわずかに動く。


「……つまり、この世界にも異界絡みの組織があるのか」


「あなたは、異界の存在を知っているのですね」


「知ってるどころじゃない」


悠人は短く吐き捨てた。


紫苑は周囲を見回す。


砕けたアスファルト。


焼け焦げた壁。


真っ二つになった魔獣。


その全部が、常識外れだった。


「あなたを監視対象として保護します」


「断る」


「拒否権はありません」


「ある」


空気が張り詰める。


紫苑は悠人から目を逸らさない。


だが内心では動揺していた。


目の前の少年から感じる圧力が異常だった。


人間とは思えない。


まるで、長年戦場を生き抜いてきた怪物。


しかも恐ろしいのは、その力を完全に制御していることだった。


「あなたは何者ですか」


紫苑が問う。


悠人は少しだけ黙った。


そして一言、つぶやくように。


「……元勇者だ」


冗談のような言葉。


だがその目は本気だった。


紫苑は息を呑む。


その瞬間だった。


周囲にいた一般人たちが、ようやく騒ぎ始める。


「警察呼べ!」


「怪物がいたぞ!」


「なんだあれ……!」


サイレンの音も近づいてくる。


紫苑はすぐに通信機へ手を伸ばした。


「こちら九条紫苑。異界反応を確認。対象は討伐済みです。ですが——」


そこで一度言葉を止める。


視線は悠人へ向いていた。


「——S級危険対象を確認しました」


「おい」


悠人が嫌そうな顔をする。


紫苑は真面目な表情のまま続けた。


「至急、本部へ報告します」


「勝手にしろ」


悠人は背を向ける。


「待ってください!」


紫苑が呼び止めた。


「まだ話が——」


「疲れてる」


悠人はそれだけ言った。


「今日はもう寝たい」


その言葉が妙に現実的で、紫苑は一瞬だけ言葉を失う。


ついさっき怪物を瞬殺した男とは思えなかった。


悠人はゆっくり歩き出す。


平和な街並み。


光る自販機。


遠くの電車の音。


懐かしい日本の夜。


だが背中には、再び戦場の気配がまとわりついていた。


紫苑はその背中を見つめながら、小さく呟く。


「……帰還者」


その言葉には、わずかな震えが混じっていた。


彼女は理解してしまったのだ。


世界がこれから、大きく変わることを。

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