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最終話「結びの饗(さか)り)」

 朝の雪は薄く、城下の三つの広場は灯で金色に染まっていた。

 屋台博覧会——推し屋台投票、等級対決、冷鎖実演。これで終わらせる。終わらせて、始める。


 掲示板の最上段に、私は大きく書いた。

 ——『厨房衛生法(初版)』施行/『屋台ギルド規約』発効

 朱色の追記に、監察官の署名。もう一つ、ライナーの印。そして、最後に私の名——台所長キッチン・マスター

 紙は遅いが、今日は間に合っている。湯気と紙が、同じ板に並んだ。


「来場見込み、二千三百」とライナー。

「配膳、一一五〇を確保。推し投票の箱は三倍用意。食券回収の窓口を二つ増やして、待ち時間四分まで圧縮します」

 ミリィは味覚係の腕章をきゅっと締めた。「偽札の匂いは、もう覚えた」

 ウィスプが私の肩で小さく輪を作り、ころん、と鈴を鳴らす。甘い林檎の欠片が、序盤の祈り。



 開幕の鐘が鳴る。

 場内は甘い帯と塩の粒で満ち、屋台の四角に鑑定札の四色が光る。

 推し札には、蜂の可愛い印。人は可愛いものへ列を作る。列は秩序の形だ。


 第一広場、等級対決。

 菓子屋がA蜂蜜の薄掛けで“花鈴タルト”。燻製屋台はB蜂蜜と糖蜜で“黒照り串”。根菜粥の夫婦はC蜂蜜で“冬鈴粥”。

 味の地図がそのまま価格表になり、苦情は小さく、笑顔が大きい。

 推し投票の箱に、食券の端が音を立てて落ちていく。


 第二広場、冷鎖実演。

 保冷箱の蓋を開けると、冬の息が白く立ち上がり、鱒と小さな白身が銀に光る。

 ウィスプがとろんと滑って、箱の縁を撫でる。

「氷は法」と私は言い、氷蓄陣の心臓に手を置いた。


 第三広場、屋台裁判の台。

 臨時の審札が立ち、監察官の机が置かれる。紙は今日、湯気の真ん中に座っている。



 そのときだった。

 鑑定札の右下(価)に、見覚えのない灰白が走った。

 偽の鑑定札——遠目には本物そっくり、だが四隅の光が蜂蜜色に反応しない。

 商会の男が、群衆に紛れて偽札の束を配っている。

 「王都規格! 本場の鑑定!」と声を張る。

 ミリィが鼻をひくつかせ、舌の鈴を鳴らした。

 ちり——苦みがひとつ。

「刷毛の獣毛。灰の油。印蝋の偽物」

 私は鐘を一つ。「台所裁判・開廷。被告:偽鑑定札配布」


 台の上に、本物と偽物を並べる。

 匂い刻印が光り、蜂蜜色の輪が本物の周りに薄く立つ。偽物は沈黙。

 「紙は匂いを持てない」

 監察官が頷き、朱で書く。「偽造・営業妨害。食券剥奪+市外追放」

 商会の男が叫ぶ。「王都法では——」

「王都法は台所の法に合流した」ライナーの声が冷たい。「厨房衛生法(初版)、本日施行」

 私は聴衆へ向き直る。「表示は味で守られます。紙は湯気の下に立つ」


 人々の拍手は鍋の蓋みたいに乾いた音で響き、偽札は回収籠へ落ちた。

 祭が続く。笑いが戻る。



 甘味の相互関税・発表。

 屋台前の板に私は最後の項目を書いた。

 ——『甘味の相互関税(屋台版)・正式条項』

 精糖=衛生審査料(枠料+二割)/蜂蜜=協定枠減免(−一割)/糖蜜・樹液=用途別評価。

 台帳と鈴の二重認証で運用。

 監察官が朱で追記し、印章を押す。「実費の範囲にて承認」

 紙は冷たい。だが今日の紙は、屋台の湯気に当たって温い。


 商会の若い手先が、ついに砂糖券の束を片手にひざまずいた。

 「換えてください」

 私は相場表を指し、相場−二割で食券に替え、石灰砂糖回収祭への列を示した。

 彼は帽子を脱ぎ、列に入る。

 矯正は罰より速い。今日に間に合えば、それでいい。



 午後の山場。

 王都の使節団が広場に入ってきた。先頭の護衛の後ろに、見慣れた顔。——第一王子エルマー。

 彼の視線は、私ではなく掲示板を見て止まった。

 “断罪の真相:王宮厨房の改竄”——その下に証拠台帳の写し。

 私は声を張る。「公開弁明の席を用意しました。台所裁判の拡大版です」

 王子は短く息を吸い、前へ出た。「……認める。厨房の台帳は、商会の圧で改竄された。私は……見過ごした」

 沈黙が、雪より冷たかった。

 だが、その沈黙の中を、湯気が横切った。

 私は鍋の蓋を上げ、薄い粥を一杯、王子に差し出す。

 「腹は、今日も温かさを必要とします。罪状は紙に、更生は配膳に。——協定を結びませんか」

 「協定?」

 「厨房衛生法の王都版。屋台ギルドの王都支部。甘味相互関税の大陸標準。婚姻ではなく、同盟を」

 王子は目を閉じ、粥を一口飲んだ。

 熱が喉を降り、頬に色が戻る。

「……台所と握手しよう。紙を持ってくる」

 彼は深く頭を下げた。

 ざまぁは、侮辱を折り返すことだけではない。制度に膝をつかせることだ。



 日が西に傾く。

 推し屋台投票の箱が開かれる。

 一位:花鈴タルト/二位:黒照り串/三位:冬鈴粥。

 推し印の星が屋台札に増え、“推し”は並びを作り、道は混雑を避けるように描き直される。

 食券回収は六一二、換金窓口待ち時間は四分で収束。

 配膳:一一八六。臨時雇用:三四。蜂蜜規格印:一一三瓶。

 数字は、今日を“勝ち”と呼ぶのに十分だ。


 ライナーが婚姻の書状を持ってきた。

 彼の目は、最初から対等だった。だから、聞ける。

「婚姻で辺境と王都をひとつに」

 私は受け取り、机に置き、もう一枚の紙を出した。

 ——『厨房・氷・市場の同盟(台所同盟)』

 防衛兵站/冷鎖共有/等級規格の互換/台所裁判の相互承認。

「婚姻は後でもできる。でも、制度は今がいい」

 彼は一拍、静かに笑った。「……好きだ。君の台所が」


 私は笑って、林檎の薄焼きを一枚、彼の皿に滑らせた。

 甘さは告白を柔らかくする。

 同盟書に、彼と私と、監察官が印を押す。

 王都使節が証人。推し屋台が祝砲。ウィスプが輪で花を描く。



 夜。

 蜂蜜祭(正式版)の告知が板に立ち、街灯に蜜蝋が灯る。

 雪は細く、白い。

 広場の隅で、ミリィが合格札を二枚もらった少年少女に嗅ぐ国語を教えている。

 「鼻で読む。舌で書く。腹で覚える」

 その向こうで、かつて砂糖券を売っていた若者が、台帳を持って屋台を手伝っている。

 矯正は今日に間に合う者から、国になる。


 私は帳簿を開く。

 ——総配膳:五八四五/冷蔵庫倉:安定/氷路総延長:一六里半/講習合格:四六八/屋台登録:一二九/違反停止:一(再犯なし)

 数字の隣に、私は小さな印をいくつも押した。

 笑。拍。鈴。輪。

 数字に入らない利益は、物語の密度だ。


 監察官が静かに近づき、朱筆を差し出す。

 「紙は明日から王都版の清書に入る。遅い紙に、速い湯気を写し取る」

 「お願いします。配膳より速く、制度を」

 彼は頷き、少し照れた顔で蜂蜜輪を一つ頬張った。


 ライナーが肩を並べる。「この結びのさかりで、君は何を終わらせ、何を始める?」

 私は鍋の蓋を上げ、湯気を冬空へ放つ。

 「断罪を終わらせる。台所を始める。婚姻の代わりに、同盟を」

 ウィスプが小さく鳴き、空に輪を描いた。

 輪は少しずつ広がり、街の灯と重なって、白い花になった。


 配膳より速く、制度を回せ。

 台所は今日、国になった。


――


エピローグ(一年後・短い記録)


厨房衛生法(王都版)、施行。屋台裁判の相互承認が成立。


甘味の相互関税は大陸標準に拡張。偽鑑定札は匂い刻印で駆逐。


氷蓄陣は二十基。魚路は四筋。塩路は山越えに常設。


屋台ギルド登録三百七十六。推し屋台祭は季節の風物詩。


台所同盟は更新。婚姻はまだ。同盟は続く。


笑の印は、帳簿の余白から溢れ、街の壁に増えている。


 ——そして今日も、湯気は立つ。

 腹を満たし、紙を温め、国を回すために。

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