第4話「砂糖の戦争」
王都商会は、紙より速く甘さを落とす。
翌朝、広場の掲示板に貼られた小さな札——「精製砂糖・一袋、食券十枚」。昨日の相場の半値だ。
禁輸で塩を縛り、甘味で値崩し攻撃。屋台の原価計算を壊し、食券の信用をごっそり奪うつもりだ。
「砂糖が安いのは助かるけど……」と屋台の若者が眉を寄せる。
助かる顔は、長くは続かない。依存したあとで価格を跳ね上げるのが手口だ。
私は屋台の列を一度止め、鐘を三つ鳴らした。
「蜂蜜連合の招集です」
昼前、倉の裏庭に、蜂箱を持つ農夫、蜜蝋で灯りを作る職人、ハーブ師、薬草採りが集まった。
雪の庭に、ウィスプが光の輪を落とし、蜂の羽音の真似をして転がる。
「本日ここに、蜂蜜連合(仮)を立ち上げます。目的は三つ」
私は板にチョークで書いた。
――品質等級の統一/瓶の規格化/価格の“底”(フロア)設定。
「砂糖の値崩しに対し、価格は剣で応じます。ただし剣先は甘いほうがいい」
ざわめき。
年嵩の養蜂家が腕を組む。「規格化は、手間が増える」
「手間は見返りで戻します。出店枠の優先、食券の即日現金化(換金窓口)、蜜蝋の公共調達。そして——」
私は新しい札を掲げた。
——『甘味の相互関税(屋台版)』
「王都精糖は、衛生審査料として出店枠料+二割。蜂蜜・蜜蝋は相互協定に参加した屋台へ、枠料一割減。**対価は“衛生チェックの手間賃”**です」
監察官の眉が動くのを、私は見逃さない。
「税ではありません。衛生の実費です。**厨房衛生法(草)**にも明記します」
広場に向けて、もう一枚の紙を打ち出す。
——『厨房衛生法(草):甘味類の区分/混入許容/追跡台帳/出店資格』
「甘味類は四区分。精糖/糖蜜/蜂蜜/甘樹液。それぞれ混入物の許容量と台帳を決めます。今日から屋台の甘味瓶には出所札を貼ること」
監察官は紙を受け取り、筆先をぴたりと止めた。
「……台帳の写しは王都へも出せ」
「出せます。代わりに王都の精糖の台帳も、明日の屋台に貼ってください。誰の舌にも見える場所に」
紙と舌が、握手する。
紙の法を、湯気の下に引きずり出すための段取りは、整っている。
◆
午後。
王都商会の荷車が砂糖袋五十を広場に積み上げた。
袋口には“純度保証”と札がぶら下がっている。
ミリィが袋に鼻を近づけて、すぐに顔をしかめた。
「粉っぽい。甘いけど、粉の甘さ。……石灰?」
「まさか」と商会の男が笑う。
私は味覚検札の台へ袋からひと匙をすくい、舌の鈴へ。
ちりり、と微かな音。苦みが砂糖の縁に浮いた。
「石灰で乾かした糖ですね。規格外です」
私は掲示板の横で声を張る。
「台所裁判・臨時。被告:王都精糖(銘柄記載)/事実:許容外の石灰残留」
監察官は目を細め、「台帳は」と問う。
商会の男は胸を張って札を差し出したが、出所が途中で途切れている。
「倉庫間の移動が多すぎます。追跡できない」
「輸送上の秘匿だ」と男。
「秘匿は腐敗を招きます」私は鈴を掲げ、「販売停止。屋台での使用は禁止。返金は食券で。石灰砂糖回収祭を始めます」
祭と呼ぶのはわざとだ。
怒りに火をつけすぎると、暴発する。
祭にすると、行列と笑いが用意される。
行列の先に、蜂蜜の揚げ菓子を置いておけばいい。
ボルドが油鍋を据え、私が蜂蜜と薄粉の生地を落とす。
油が歌い、小さな輪がぷかりと浮く。
蜜蝋をひとかけ落とし、香りを立て、塩の粉をほんの一つまみ。
甘さの角が取れて、冬の口でも軽くなる。
石灰砂糖の袋は、屋台ギルドの受け取りで封印。
回収に応じた屋台には、蜂蜜割引券を配り、食券の換金窓口で八割現金に替える。
現金が必要な屋台は、食券の山では動けない。換金速度は、信頼の速度だ。
「相場を動かす」と私は掲示板にチョークを走らせる。
——本日の甘味相場:精糖=枠料+二割/蜂蜜=枠料一割減/蜜蝋=公共調達価
「甘味の関税は、扉の内側で決まる。屋台の扉だ」
監察官は腕を組み、短く頷いた。「衛生審査料の名目は、王法に抵触しない。……ただし過剰徴収は認めない」
「過剰はしません。必要なだけ」
私は笑って、蜂蜜輪を一つ、監察官の皿にのせた。
彼は逡巡してからかじり、わずかに目を細める。
——甘さは、紙の角を丸くする。
◆
夕刻。
数字は素直だ。
本日配膳:七六四/臨時雇用:二三名/氷路延伸:四里達成/屋台講習合格:五一名/回収砂糖袋:三十二。
回収袋は封印倉へ。台帳は広場の板へ。蜂蜜連合は印章を作り、瓶口に押して回る。
ウィスプは屋台の上をころがり、蜜でべとべとになって、子どもに笑われる。
「砂糖の値崩しは明日も来る」とライナー。
「来ます。だからこちらは甘味の“合奏”にする。蜂蜜だけにしない。糖蜜と甘樹液も加える。味の選択肢は、価格の自由です」
私は糖蜜酒の小瓶を掲げる。「大人の屋台が増えれば、夜の滞留時間が伸びる。治安は灯りで保つ。蜜蝋の街灯を増やそう」
ライナーは帳簿の端に指を置く。「砂糖戦争の“勝利条件”は?」
「食券の信用維持と、屋台の黒字。蜂蜜連合の予備費を積み、値崩しに耐える筋肉をつけること。……そして笑顔の数」
「笑顔?」
「数字に入れられない利益が、連載の面白さを作ります」
彼は小さく吹き出した。「“連載”とは?」
「いえ、台所の話です」
◆
夜。
酒場の扉の向こうで、商会男が机を叩いた。
「石灰砂糖回収祭だと? ふざけるな。監察、止めろ」
監察官は杯を置き、短く言った。「衛生に口を出すな。紙より先に腹だ」
男は舌打ちをして立ち上がる。「……なら、蜂を潰す」
彼の声は低いが、壁は薄い。
外の雪明りに、黒い影が四つ動いた。
同じ頃、ミリィは倉の外で匂いを嗅いでいた。
「セレス、煙の匂い。……木じゃない、藁と油。蜂箱のほう」
私は灯りを掴む。「蜂場へ!」
蜂場は森の縁、雪を被った箱が並ぶ。
黒影が火をつけた藁束を抱え、箱の裾へ投げ込もうとしていた。
ボルドの声が飛ぶ。「下がれ!」
私は匂い標識の小袋を影の足下へ投げ、ウィスプが霜の舌で火を舐める。
藁束は白い霧になり、火は鈍い霜に変わった。
影が逃げる。
匂いの輪が雪上に立ち上がり、薄青の輪郭が足跡を囲む。
私は符を抜き、輪を三重に重ねた。
輪は蜂蜜色に揺れ、追跡の印を残す。
蜂箱の一つが、がた、と震えた。
蓋を開けると、中は温かい。蜂は冬でも生きている。
養蜂家が箱を撫でる。「守ってくれてありがとう」
「甘いものの祭を約束しましたから」
私は蓋を閉じ、森を見た。
雪の向こうで、砂糖の戦争は続いている。
けれど蜂は、今日も甘さを作る。
甘さは、人の気持ちを結び、紙の角を丸める。
◆
翌朝の掲示板。
——『蜂蜜祭(仮)』開催告知
日取り:満月の夜/出店:蜂蜜×国の料理対抗/賞:甘味相互関税“最恵枠”
その下に、厨房衛生法(草)・甘味章の清書。
監察官の追記が赤字で入っている。「衛生審査料は実費に限る」
彼の筆跡はきれいだ。
紙と湯気が、ようやく同じ壁に並んだ。
配膳の列が動き出す。
本日目標:配膳七五〇/氷路維持/屋台講習合格五十。
鐘を一つ。
私は鍋の蓋を上げ、甘い湯気を冬空へ流した。
——台所は、今日も勝ちにいく。
――――
次回予告:第5話「等級と価格」
蜂蜜連合の等級規格を制定し、農と屋台の価格の言葉を共有。王都側は砂糖券で再反撃、こちらは食券の信用強化で迎撃。数字目標:配膳八二〇/回収砂糖袋五十/講習合格七十。