断罪フラグを回避せよ!
「スカーレット様、お目覚めですか?」
豪奢な天蓋付きベッドの向こう、扉越しに聞こえるメイドの声。
目を覚ました私は、瞬時に現実を思い出した。
――そう、私は今、「天使の王国」という乙女ゲームの世界で、悪役令嬢・スカーレットとして生きている。
しかも、ラファエルに胸を刺されるという衝撃のバッドエンドを見たばかり。
その死をどうにか回避しなければ、私に明日はない。
(運がいいのか悪いのか、今は断罪イベントの一ヶ月前……!)
「ええ、今起きたところよ。入って」
震える気持ちを隠しながら、高慢な口調で応じる。スカーレットの“仮面”はまだ必要だ。
(私の記憶が正しければ……この一ヶ月の間に“マリアいじめ”とされるイベントがいくつか起こる)
そのどれか一つでも関われば、王子の心証は地に落ち、ラファエルの殺意ゲージが溜まっていく。
(断罪フラグ回避の基本、それは――)
何もしない、目立たない、関わらない。
だが、それが最も難しい。なぜならスカーレットは“目立ってこそ華”の悪役令嬢だからだ。
「朝食の用意ができております。今日は第一皇子殿下とのお茶会も――」
「断るわ」
「……えっ?」
メイドが一瞬戸惑う。
「体調が優れないの。今日の予定は全てキャンセルしてちょうだい」
「し、承知しました……!」
(ふう……)
まずは王子との接触を最小限に。それから、聖女マリアと絶対に関わらないこと。
彼女に近づかなければ、取り巻きとのトラブルも避けられる。セシル王子との仲を邪魔する必要もない。何よりラファエルの逆鱗に触れることもない。
(地味でもなんでもいい。生き残るためなら、悪役令嬢だってモブになってやるわ!)
***
――が、現実はそううまくいかない。
「やあ、スカーレット。体調が悪いと聞いたが…。」
現れたのは、金の髪を優雅に揺らす第一皇子・セシル。
太陽の光の加護を受ける、完璧な“王子様”そのものの男。
「どうしても話したいことがあってな」
(しつこいわね……この顔面太陽男……!)
「“マリア”を知っているか?」
(でた。聖女ワード……!)
「ええ、月の力を持つ庶民の少女でしょう?最近よく噂を耳にしますわ」
できるだけ感情を乗せず、事務的に答える。
「彼女に命を救われた。君のような……誰かを見下す女とは違って、彼女はとても優しい人だ」
(……いや、こっちが命の危機なんだけど!?)
思わず心の中で叫びそうになったが、ぐっと堪える。
「それは光栄なことですわね。では、体調も優れませんので、今日はこの辺で失礼を」
にこりともせず、扉を閉めた。
“悪役ムーブ”に見えかねない態度だったかもしれないが、あれ以上話していたら確実に怒りで断罪フラグを自ら積み上げる羽目になっていた。
その日、貴族令嬢らしく午後のティータイムを……などという優雅な時間を取る余裕もなく、自室で「目立たず生き延びるための行動リスト」をノートにまとめていた。
(この一ヶ月の流れを整理しよう……マリアと出会わない、セシル王子に逆らわない、取り巻きの挑発に乗らない……)
そして何より――
「婚約破棄されたら、即座に離縁状にサインして婚約式をぶっちぎる!!」
そう、それがスカーレットの最終目標だった。
(婚約式には絶対に出ない。出なければ、ラファエルに殺される未来も、断罪の場も訪れない!)
「スカーレット様、お茶の準備ができました」
「ありがとう。そこに置いておいて」
メイドが退出するのを待っていると、扉の向こうから別のメイドたちのひそひそ声が聞こえてきた。
「ねえ、聞いた? 陛下がとうとう“あの方”を廃太子にしたらしいわよ……」
「本当に? でも仕方がないわよ。この世にとっては、あの方の存在自体が“穢れ”として扱われてるんですもの……」
「いくら王族でも、闇属性なんて――魔物と変わらないじゃない」
「名前を出すのも恐ろしいわ。何をされるか……」
(……っ!?)
スカーレットの手から、ティーカップがかすかに震える。
その会話が指す人物の名を、私はよく知っていた。
――オスベリア・マンルース・ラファエル。
光の加護を受けた王族の中で、唯一“闇”を宿して生まれた王子。
忌まわしき力の象徴として恐れられ、王都から遠く離れた地に追放された存在。
(そうよ……この時期にラファエルは“廃太子”にされるんだった……!)
ゲームでもわずかに描かれていた、ルート外のサブイベント。
彼が王宮から完全に追放され、魔王と共に生きるきっかけとなった“転落の始まり”。
そして――最終的に、私を殺す男。
(待って、もしかして……私の断罪エンドって、ラファエルが廃太子になった後に発生するんじゃ……?)
頭の中でパズルのピースが揃っていく。
セシルとマリアの婚約→スカーレットの追放→ラファエルとの対峙→断罪――そして死。
(マズい。完全に詰んでるじゃない……!)
スカーレットは顔を覆い、深く息を吐いた。
「……まだ登場すらしてないのに、なんで名前だけでラスボス感こんなにあるのよ……!」
彼女はまだ知らない。
その“ラスボス”と、まさかこの先婚姻関係になるなど、筋書きには一切存在しない運命が待っていることを――。