ぼくらはなぜ、小説を読まずに、漫画を読むのか?
毎度、どこで何を書いているのだ、お前は。
筆者は、ほとんど小説を読まない。
一方、マンガは山ほど読む。
それは、なぜか?
答えは、やはり「時間がもったいない」からだろう。
たとえば、コミカライズされている作品とその原作。
10分で「消化できるエピソード数」を比較する。
マンガになった作品は、作中で長々と語られる人物の容貌や、景色の描写などが、画で一目瞭然。また読む必要のまったくない「テンプレ説明文」も、その配置によって、軽々と読み飛ばすことが出来る。これらの効果もあり、1エピソードを読むのに要する時間は大幅に短縮され、一時間もあれば、複数冊も読めてしまう。なろう系のコミカライズの場合、特に。
マンガでも、一冊読むのに小一時間は要する作品がある。だが、こちらも「ノベライズ換算」したとき、いったい読了までに、どれくらいの時間を割かねばならぬのかを想像すれば、マンガで読むのも当然のことといえる。
かつては、スポーツ漫画が担っていたポジションを、現在では、テンプレ漫画たちも担うようになった。どちらも作者と読者の「共通のルール認識」があり、「あっという間に読める」「物語を読んだ気になれる」というお手軽さが、売りと言える。
筆者が、一日の終わりに漫画を読むのは、ひと時でも、現実とは別の世界に浸かることによって、一日をリセットするためだ。アニメではテンポが遅すぎる。自分のスピードで、高速で物語を消化することによって、一日の様々な感情を平らに均す儀式ともいえる。
―― とはいえ、これらは所詮、ファストフードでの食事と同じ。
本来であれば、もう少し余力を持って、「意味のある作品」を読みたいものだが、それらを読み切るだけのエネルギーは、残念ながら平日の夜には残っていない。平日の消しゴム役としてのファスト漫画の吸入。そんなところか。
筆者が小説版を読むことがあるとすれば、よほど先が気になる作品か、文学性の高いものに限られるが、それに関しては、熱病を起こすようなレベルの作品に限られるし、熱病は平日のリセットには不適でもある(読むのに小一時間を要するような漫画もね)。
それなら、エッセイや新書でも読んで、眠気を誘われている方がマシだろう(ひでえオチだな)。
日々、情報の洪水に晒されながら、情報を打ち消すために、また別の軽い情報をインプットする。
情報中毒者のような悪循環にも思えるが、それがすでに長年の習慣になってしまっているのだから、仕方がない。SNSよりはまだマシだろう。作品という形になっているだけ。