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古木の翁

「熱はさがったか?」


 ひんやりとした掌が額に押しつけられる感触で目覚める。のぞきこむルーシェ越しの木漏れ日に、ディンは目をしょぼつかせた。いつ眠ったのか記憶にない寝不足の目には、木漏れ日でもまぶしすぎる。


「まだ少し熱があるな。つらいか?」


 案じる表情はまるで、昨夜のことなどなかったようだ。ディンは少し釈然としないものを感じつつ、いやと頭を振った。


「大丈夫だ。これくらいで音をあげていられない」


「無理しなくていい。とりあえず起きて朝食をすませろ。抱えて飛ぶから」


 立ちあがったルーシェは、屈託なく笑う。


「王が生まれる前から生きてる魔物がいるから、紹介してあげる。アイツならなにか知ってるかもしれない」


 ルーシェの言葉にディンは跳ね起きた。コロコロとすぐ機嫌が変わる彼女のことだ、いつやっぱりやめたと言いだすかわからない。


 大急ぎで携帯食料での朝食をすませ、仔ブタを抱きあげると、ルーシェに背負われてディンは初めて空を飛ぶという経験をした。ルーシェは木々に足先がふれそうな、森すれすれを低空飛行する。もっと上のほうを飛んでほしいと頼んだが、村が近く、人間に見られるかもしれないからいやだと却下された。それでも、足元に林冠を見おろすという経験にディンは十分興奮して、最後にはいい加減にしないと落とすからねと、冷ややかに凄まれた。


 あっという間に山を飛び越えたルーシェは、反対側に広がる森の一ヵ所に降り立った。


 ルーシェの背中からおろされたディンは、ブリリアントと荷物を素早くおろす。乱暴に扱われた仔ブタが抗議の声をあげた。構わず、ディンは背中の剣に手を伸ばした。


 複数の獣の気配を身近に感じる。荒い息づかいは決して小動物のものではない。大型の獣だ。肉食か草食かはあまり関係ない。草食獣でも鹿のように枝分かれした立派な角で突かれれば、一溜まりもないからだ。


 剣の柄を握りこみ、周囲に目を巡らせる。木の密度が他に比べ疎らで、木漏れ日が差しこんでいる。木々の頭上に広がる朝の目映い光に慣れた目にも、森の中を労なく見渡せた。


 熊や……狼もいる。


 ぐるりはすでに囲まれていた。草木に隠れ、進入者を見つめる鋭い眼差しが全身に突き刺さる。これだけの数を相手にするのはとうてい不可能だ。だがどこか一カ所突破口を開かなければ、逃げることは適わない。


 振り返ると、にやにやと笑うルーシェと目があう。魔物の王が生まれる前から存在するという魔物にあわせると、彼女は言った。会う資格があるかの試験のつもりか。それとも機嫌がよかったのはディンをだますためで、本当はまだ怒っているのだろうか。


 すくなくとも彼女が助けてくれるつもりがないのは確かだ。ディンは唇を引き結び、慎重に鯉口を切った。


「その子たちを傷つけないでおくれ」


 ゆったりとした調子のしわがれ声が、穏やかに乞う。不意の声に、ディンは目だけで声の主を探った。声が聞こえてきた方向にひとの姿はない。ただ代わりに、古い巨木が立っていた。周囲に対する警戒を解かないまま、ディンは古木を見据える。


「決しておまえさんのことを襲ったりしないから、どうか剣をしまっておくれ。その子たちは、わしのために人間を警戒しているだけなんじゃ」


 苔むした太い幹は周りと比べみても特に立派だ。ぐるりを囲むのに大人が数人がかりでなんとかという大きさだ。そこに刻まれたシワ深い老人の顔が、シワシワとした口元で明瞭としない声を発し、ディンは驚いて目をしばたたいた。


 古木は困った顔で、空に向かっていっぱいに広げた枝葉を風にそよがせながら、こちらを見つめている。深いシワに埋もれかけた目が紫であることに気づき、ディンは剣を収め、柄から手を放した。


 この古木が、ルーシェが紹介してくれようとしている魔物なのだろう。


 紹介するよと、相変わらずひとの悪い顔で笑いながら、ルーシェはディンを古木の傍に手招く。


「ジジイだ」


 紹介というにはあまりに乱暴なそれに、古木が苦笑した。


「その言いようはあんまりじゃろうて。お連れがびっくりしておるぞ。それにしても珍しいの。ルーシェが現れるだけでも十分稀なことだというに、そのおぬしがブリリアント以外の連れをとものうておるとは。それも人間の子どもをだ」


「すぐに人のことを詮索しようとする。暇を持て余してるにしても趣味が悪い」


「おぬしも年々口が悪くなるの。最初に会うたときは、はかなげな美少女だったのに」


「これだから年よりは困る。すぐに昔話をしたがるんだから」


「おぬしもひとのことはいえん歳じゃて」


 古木が笑うと、枝葉が音をたてて揺れる。突然の揺れに、小動物たちが慌てるふためく鳴き声が聞こえた。樹上を仰いで目を凝らすと、枝には栗鼠や小鳥たちの姿が見える。辺りをよくよく見まわすと、鹿や猪や兎、他にもいろんな動物たちが、狼や熊とともに古木の傍に集っていた。捕食者と非捕食者が仲良く並んでいる非常識な様子に、ディンは覚えず眉間にシワを刻んだ。だが魔物の傍にいることを考えれば、狼と兎が並んでいたところでどれほどのことでもないのかもしれない。


「やかましい。それよりこの子、ディンっていうんだ。昔、わたしに教えてくれたように、この子にもいろいろ教えてやってくれないか」


 背を押されて一歩前に出たディンと、その背を押すルーシェとを、古木は目を細めて等分に見つめる。


「少年よ、何が知りたい?」


「初めてお目にかかる、(おきな)。もしご存知なら、魔物の王を倒す方法を教えてほしい」


「なんと、魔物の王を……」


 古木は呟いてルーシェに目を向ける。つられてディンも振り返ると、彼女はしゃがみこんで仔ブタの頭をなでていた。見られていることに気づかないのか、わかっていて気づかないふりをしているのか、目をあげない彼女に息をつき、古木はディンに目を戻した。


「今は神殿とだけ呼ばれているそなたたちの教団が、昔は聖なる石の教えと名乗っていたことを知っておるかね?」


「神殿の学習会で習いました」


 昔、それは多くの信仰が存在したのだそうだ。今では並ぶもののない神殿だが、当時は有象無象の宗教の中の一つにすぎず、知名度もなく信者もほとんどいない、無名の教団だった。


 神殿を一躍有名にしたのは魔物だ。昔から魔物は存在したが、今ほど手に負えない存在ではなかった。だが魔物が強堅な肉体を得、彼らに有効なのが神殿で鍛えられた武器だけだとわかるやいなや、神殿が擁する信者の数はうなぎのぼりに増え、他の宗教は衰退していった。今でもわずかに生き残った教団が、地方でささやかに活動していると聞く。


「昔、セリシアという女がおった。彼女の父は大きな農園を持っておっての。ある日農地拡大のため原野を開拓をしておったとき、農奴がきらめきを宿した、たいそううつくしい紫の石を掘りだしたという。それが紫煌石(しこうせき)じゃ。彼女は石に触れたとき神の声を聞いたといい、教団を起こし教祖となった」


 紫煌石(しこうせき)というのは、大の男ほどもある無色透明の水晶に似た結晶で、その中心に紫色のきらめきを宿している。他には類をみないこの大変貴重な石は、神殿の象徴であり、ご神体として普段は厳重な警護のもとにある。ディンも数えるほどしか見たことがなかった。


 だが紫煌石(しこうせき)を一度見れば、忘れることなどかなわない。紫のきらめきは淡く濃く、炎のように一瞬たりとも姿をとどめることなく揺らめく。その様子はまるで、魂を宿しているようだと謳われる、とてもうつくしい石だった。


「その紫煌石(しこうせき)とともに、一振りの剣が掘りだされたのは知っておるか?」


「話しぐらいには……」


「剣を抜いてごらん」


 古木の指示に、ディンは素直に従った。


「知っておるかね? そなたたち神殿が使う剣は、紫煌石と共に掘りだされた剣を模したものなのだよ」


 驚いて、まじまじと手にした剣を見つめる。神殿が使うのは、おとなの腕の長さほどの、直刀両刃の剣である。おとな用と子ども用があるわけもなく、成人男子にはちょうどいいが、女や子どもが使うには少々重い代物だ。女はまだしも、子どもが使うことは端から度外視されているのだから仕方がない。成人するまで、普通は剣を貸与されることはないのである。ディンが持っているものは、祖父のものだ。もう戦場に立つことがなくなった彼のものを、こっそり拝借してきたのだ。


 すっきりとした実用一点張りの剣は、唯一の装飾のように剣身に紫色の塗料で古代の文字が刻まれている。今はもう失われた文字が何と書かれているのか、諸説があってはっきりとはしない。


「その剣が何故魔物に有効なのかは、神殿でもわかっておらんのじゃろう?」


「はい」


「これはわしの勝手な推測じゃが、もしかしたら神殿で鍛えられた剣が力を持つのは、紫煌石とともに掘りだされた剣を模したがゆえだとは考えられないじゃろうか?」


「剣を……」


「もしそうだとしたら、模倣でさえそれだけの力を持つんじゃ。本物なら……」


 確かに、とディンは剣を見おろした。紫煌石と対になる剣だ。特別な力を持っていたとしても、不思議はない。


 ディンは剣を鞘に収めると、古木に目を戻した。


「現在剣は、神殿の手元にはありません。神殿がまだ、聖なる石の教えと名乗っていたころに失われたのだと聞きました。今どこにあるのか、翁はご存知だろうか?」


「残念じゃが」


「なら、魔物の王がどんな魔物なのかは?」


「すまんの。わしにわかるのは昔のことだけじゃ。見ての通り、ここから動けんからの」


「他になにか知っていそうな方を、ご存じないだろうか?」


「昔は、わしやルーシェのように話すことができる魔物も、いなくはなかったんじゃがのぉ。みんな人間に狩られてしもうた。最近はとんと見かけん」


「そう……ですか」


「わたしたちみたいなのは少数派だ。でき損ないなんだ。普通のやつらはみんな、狂気に取りつかれてる。諦めるんだね」


 肩を落としたディンに、相変わらず仔ブタをなでながら顔もあげないルーシェが素っ気無くいい放つ。


「申しわけないことじゃ、たいした助けにもならんで」


 古木が謝罪する。ルーシェに向けていた目を戻すと、ディンは頭を振った。


「いいえ。少なくとも、進むべき道の指標ができた。翁、心から感謝する。ルーシェにも、翁を紹介してくれたこと、感謝する」


 振り返って礼を述べると、ルーシェがブリリアントからようやく顔をあげ、首を傾げた。


「これからどうするの? 剣を探すっても、あて、ないんだろ?」


「とりあえずガリエラに行く。もともとガリエラに現れた大物魔物の討伐隊に加わるための旅だったから。その途中であちこちの神殿に立ちよって、話を聞ければと思っている」


「じゃあ、ガリエラまで送ってやるよ。おまえ、ひとりでほっとくとどうも危険だし。ね、ブヒコさん」


 同意を求めたルーシェに、ブリリアントがしっかりと頷く。仔ブタにまで頼りなく思われているのかと思うと、どうにも情けない話しだ。


 けれど、とディンは、古木に声をかけるルーシェを見やった。何故ここまで彼女は、ディンによくしてくれるのだろう。彼女のことだから、気まぐれということも考えられなくはない。だが、果たしてそれだけなのか。


 単に、ディンに彼らの王を倒せるはずはないという、余裕の表れなのだろうか。それとも、仲間意識などないといっていたから、王や仲間が倒されたところで、痛痒を感じないということなのか。


 ふと、視線に気づいたのか、ディンに目を向けたルーシェがやわらかく微笑む。彼女のことが、ディンにはよくわからなかった。

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