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魔物と仔ブタの説教

「ばっかじゃないの?」


「ぶーひぶーひ」


 背中にトゲある言葉が刺さる。よろめいて、ディンは手近な木に縋った。ルーシェの容赦のない言葉も胸に痛い。だが、なお痛いのが、もっともだといわんばかりの仔ブタの頷きだ。


 バイナス山を懐に抱いて広がる森は深く、道を外れると慣れた者でも迷う。狼や熊など危険な獣も多く、森の奥まで踏みこむ者は少ないらしい。しかし街道を行くより早く隣りの村につけると、森を突っ切り山越えする者も多かったそうだ。


 ただ数年前、山に魔物が封印されてからというもの、山越えの道は使われていないという。


 山越えを選択する羽目になったのは、先日までの長雨のためだ。街道の橋が川の氾濫で落ちたそうだ。迂回路では日数がかかりすぎる。渡し船をだすには水かさが引くまでまだ幾日か待たねばならない。通行可能になるまで待てるほど、のんきな旅ではなかった。


 朝、日の出の前に立てば日が暮れるころには山向こうの村につけるという、村人の勧めに従って出発してきた。だが魔物に襲われたときに時間をくったのか、慣れない山道のせいか、頂上も見ないうちにすでに日が傾いていた。


 暗くなる前に野宿の算段をするべきか、それともこのまま夜通し歩いて山を越えたほうがいいのだろうか。危険な獣のいるようなところで野宿なんて、襲ってくれといっているようなものだという気もする。だが、昼でさえ暗いようなところを、夜歩くのも無謀だとも思える。どうしたらいいのか、教えてくれるはずの大人はもういない。


 だから自分で考えるしかない。そう思いつつも、ディンは眉間にシワを刻みこんだ。


 どうにも後ろがうるさくて、思考がまとまらないのだ。頼んだ覚えもないのについてきたひとりと一匹が、片側が下へと急斜面になっている山道を歩きながら、一瞬も黙ることなく無謀な子どもへの批判を続けている。その延々と刺さり続けるトゲの毒が、とうとう足にもまわってきたようだ。足取りが覚束なくなってきていた。


 けれど、一向に容赦してくれる気がないらしい魔物と仔ブタは、なお言葉を重ねる。


「だいたい、さっきだっておまえになにができたって? 震えてただけでしょ」


「ぶひひぶひぷぎ、ぶぶひぶひぶひ」


「だよね、わたしが助けなかったら絶対死んでた。ほら、ブヒコさんだってこういってる」


「ぶぶっひぶひぶひ」


「言えてる。あのさ、いったいどんな英雄譚を寝物語に聞いてその気になったか知らないけど、おまえ、絶対無謀だって」


 果たしてブタにどの程度の知能があるものなのか。重い足を引きずって歩きながら、ディンは考える。犬猫程度にならあるものなのか、それとも幼児ほどにはあるのだろうか。残念ながらブタと親交を深めたことがないのでわからない。


 果たして通訳が正確なのか創作なのかはどうかとしても、声音や口調の感じから仔ブタに説教されていることだけはよくわかる。ディンとしては非常に複雑だった。


「ぶぶひぶひぶひぶひひひひ、ぶひぶひぶぶひぷぎぶひ」


「子どものころは多少無茶したほうがいいけど、おまえのは範囲を超えてるって。ブヒコさんのいう通りだぞ。大志を抱くのはいいけど、死んだら終わりなんだから」


「ぶひぶひ」


「せめてもう少し成長してからにしたら」


「ぶひひぶひぶひぶぶひ」


「あたら若い命を散らすなって。どうしてもっていうならせめて、いざというときに剣を構えるくらいできなきゃ話にならないでしょ」


 ぐさりと特大のトゲが背中に刺さって、ディンは思わずへたりこみたくなった。心配してくれているのだと思っていたから今まで黙って拝聴していたが、単にバカにされているだけかもしれない。だいたい魔物の王を倒すの倒さないのと、魔物とする会話ではないはずだ。


「いいから、これ以上構わないでくれないか」


 振り返って重い溜息をついた傷心のディンに、彼女たちはふんと鼻を鳴らした。


「これしきの山道で肩で息してるんじゃ、魔物の王を倒すなんて夢のまた夢だと思うけど」


「ぶひぶひ」


 歩き慣れない山道のせいで、すっかり息があがっていた。何年も使っていないという山道は、道があってなきがごとしだ。足場が悪く歩きにくい。村人の話では馬も通れるということだったが、実際に馬を連れていればかなりの苦労を強いられただろう。


 やけに汗が噴きだす。それでいて震えがくるほど寒いのは、かいた汗が冷えたせいなのか、日暮れが近いからなのか。ずいぶん暖かくなってきたとはいえ、夜はまだ冷えこむ。


 疲れと寒さで、ディンはもう足があがらなくなりかけている。だというのに、ずっと喋り通しのルーシェとブリリアントは息一つ乱していなかった。まあ宙に浮いているし、魔物なのだからルーシェは関係ないかもしれないが、仔ブタのほうは短い足でかなりの健脚である。


 これくらいで根をあげていては確かに、ルーシェの言葉を否定できない。ディンは荷物を担ぎ直すと、気合いをいれて歩きだした。


 その背に、ルーシェがなお言葉を重ねた。


「だいたい、魔物の一匹も倒せないヤツが、敵う相手だと思ってるの?」


「魔物の王を倒したいとは思う。でも最終目的じゃない。昔は魔物を倒すのに、今ほどの苦労はなかったそうだ。王が現われて、魔物があれほど強堅になったのではないかという話を聞いた。だから王を倒せば、魔物ももっと倒しやすくなるんじゃないかと思ったんだ」


「それじゃあなに? 魔物の王を倒すのではなく、魔物をすべてをこの世から抹殺することが最終目的だってわけ? 物語の英雄かなにかのつもり?」


「ぶぶひ……?」


 さっきまでのからかいまじりの様子とは明らかに違っていた。口調から余裕が消え、変わりに冷ややかさがまじる。唐突な変化についていけず、ディンは振り返る。ブリリアントもまた、心配げに隣りの魔物を見あげていた。


「なにをムキになっているんだ? 心配してくれるのはありがたいが……」


「誰が心配してるなんていった? わたしはね、折角助けたのに、それが無駄になるのがイヤなんだ。助けるんじゃなかった。どうせ粗末にする命なら、あそこで魔物に襲われて死んだってかわらなかったじゃないか」


「助けてもらったことにはとても感謝してる」


「してるわけない! してたらそんな無茶、考えたりしない」


「残念ながらこれは、魔物に襲われる前から考えていたんだ」


 場を和ませようと、ディンはおどけた調子で言ってみせる。しかし返ってきた刃がむき出しの鋭い視線に、降参と諸手をあげた。


「本当に感謝しているんだ。ルーシェにとっては不本意かもしれないが、おかげでこうして旅が続けられる。それに、無謀も無茶も無理も承知の上だ。それでもしなければ……いや、しようと決めたんだ」


 長文に息が続かず、立ちどまって肩で息をし、袖で額の汗を拭う。ディンに冷ややかな視線を向けながら、ルーシェは脇をすり抜け、前に立って進んでいく。つられてディンもまた歩きだした。


「だからっておまえになにができるって? 魔物の王を倒すなんていうけど、どうやって倒すつもり? 魔物の王がどんなヤツだか知ってるの? どこにいるかわかってる?」


「知るための旅でもある」


「求めよ、されば与えられん――って? 世の中ね、そんなに甘くないんだよ」


「でも求めなければ、何も手に入らない。待っていても、奇跡は起きない」


 ハッ、とルーシェが吐き捨てた。


「奇跡だって? 冗談じゃない! そんなものはね、この世のどこにも存在しないんだよ」


 仔ブタが寄り添って、心配げにずっと見あげていた。だが彼女は気づいていないだろう。


 ルーシェは盛んに煙を噴きあげる、今にも噴火しそうな火山を思わせた。それでも彼女がまだ、噴きだそうとする溶岩をこらえているのは、見ていてわかる。しかし自分のなにが、そうまで彼女を怒らせているのかがわからない。


 不意に、困惑する視線の先で、華奢な背が立ちどまって振り返る。


「わかった」


 腰を屈めてディンの目をのぞきこむと、ルーシェはくすりと笑った。ディンは顔をしかめる。蔑みと、優越感に裏打ちされた憐憫(れんびん)とが入りまじる、いやな笑みだった。


「おまえはさ、単に子どもなんだよ。偉そうなことを言ってても、なぁんにもわかってないだけの、ただの子どもだ」


 ディンは基本的に、人になにを言われたところで余り気にならない。なんと言われても自分はしたいようにするだろう。人の意見を聞くことは大切なことだと思うが、聞きいれすぎて自分を見失うのは問題だ。


 人には人の、己には己の意見があり、ひとりよがりはいけないとさえわかっていれば十分だと思っている。


 だがさすがにディンも、子どもだからという言われようだけは聞き捨てにできなかった。覚えず声が険を含む。


「子どももおとなも関係ない。誰しもみんな、自分の考えに従って行動するだけだ」


「そういうとこが子どもだっていってるの。正義感に鼻面引っかきまわされて、自分一人で突っ走って」


 ふふんと笑いながらルーシェは上体を起こす。進行方向へと向きなおりながら、ディンの額を指で突つく。たいした力ではなかった。だがディンの体は、万力に襲われたように傾いだ。均衡を崩した上体が宙を泳ぐ。浮遊感が全身を襲った。


「ブヒッ!」


 ブリリアントが鋭く鳴いた。ルーシェが振り返る。しかしルーシェが状況を認識したときには、ディンの体は背後に向かって倒れこんでいた。


 場所が悪かった。普通なら尻もちをつくだけですむことだった。が、片側が急斜面になった山道で、ディンは吸いこまれるように落下する。


 ルーシェの紫色の目が大きく見開かれる。その目をうつくしいと思った。思いながらも背中を襲った息がつまる衝撃に、ディンは意識を失った。

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