福島サテライト
「福島サテライト」(演劇脚本)
◆梗概
東日本大震災の大地震と津波で発生した原発事故により、福島県浜通りの高校生たちは避難を余儀なくされました。友人との突然の別れ、放射線への不安、見知らぬ場所での学習など、さまざまな困難に見舞われた高校生たち。この物語は、南相馬市から福島市へ避難した生徒たちの様子を描いたものです。「福島サテライト」とは、福島市の高校に急遽設置された、南相馬高校の分校です。当時の高校生のリアルを描きました。
◆キャスト
小林先生
生徒1・門馬えま
生徒2・遠藤りん
生徒3・影山れおな
影アナ
開幕(照明はついている)
【生徒たちのガヤ、フェードイン】
◆一場(南相馬高校の教室)
りんは舞台中央で成績表を眺めている。足元にはバックが置かれている。
えま (雑巾を持ち、上手から入ってきて)はぁー、掃除終わったー! やっと春休みに突入できるーー!。 何見てんの?
【生徒のガヤ、フェードアウト】
りん 成績表。
えま 学年末、どうだった?
りん まあまあかな。ロッカー清掃、終わったの?
えま (雑巾をくるくる振り回しながら)完璧! 下の学年の人たちは幸せだねぇ。私が隅々までぜーんぶきれいにしたから。雑巾がけまでしたんだよ!(エラそう。りんの成績表をのぞき込む)
りん (成績表を慌てて隠しながら) えまはどうだった?
えま 私はやばい。あれじゃあお母さんに怒られる。大学に行けないって。
りん 私も、第一志望には程遠いなぁ。
えま でも私はいいの。3年に進級できれば。(雑巾を丁寧に伸ばし、しわを取っている)
りん えまは、いつも気楽でいいね。うらやましい。
えま 人をバカみたいに言わないで! 私は私で、これでも苦労はあるのよ~。
りん ぜんっぜんそんな風には見えない。いつもお気楽な感じがするよ。悩みなんてないって感じ。
えま 失礼な! 進路については、私だって悩んでる。なんなら、人生についても、時々考える。(悩んでいるフリ)
りん みんな、いろいろあるよね…今日は早く終わったから、高校2年終了と、受験生突入を記念して、
えま うんうん。
りん 気分転換に、どっか遊びに行こう!
えま いこいこ!
りん どこがいいかな?
えま カラオケなんかどう?
りん いいねぇ、カラオケ!
えま じゃあ、それで決まり!
えまはカバンに成績表をしまい込む。
突然、携帯から【緊急地震速報のアラーム】が鳴る。ふたりはあわてて携帯を取り出す。
りん 地震!
えま 地震だ!
【地鳴り】が聞こえてくる。次第に大きくなり、爆音へ。
ふたりは不安な表情で寄り添いしゃがみ込むと同時に、緊急地震速報と地鳴りがぴたりと止む・照明がステージサイドライトに切り替わる
ふたりは、おびえた表情のままフリーズ。
ゆっくり暗転。(ふたりは退場)
◆二場(「2011.4.6 東日本大地震から26日 サテライト開設の連絡」南相馬高校。小林が生徒にメール送信)
ステージ前部中央に単サスがさす。そこに小林登場。
小林(礼をして、用紙を読み上げる)
「『福島県相双地区県立高等学校生徒の学習機会の確保について』。平成23年4月5日に、福島県教育委員会から発表された内容を、保護者の皆様にお知らせいたします。双葉、浪江、富岡、南相馬、南相馬農業、小高商業、小高工業の各高等学校に在籍している生徒を対象に、サテライト校を開設することになりました。
サテライトとは、県内5地区の協力校の空き教室や体育館を使って授業を行う方法です。生徒数が、原則として、一つの地域において一つの学年で10名以上になれば、サテライトを開設します。私たち南相馬高校のサテライト協力校は、県北は福島西高校、県中は郡山高校、会津は会津高校、いわきは磐城高校、相双は相馬高校です。
他の学校に転校する場合は、面接等の試験があります。また、南相馬高校が通学可能となった場合は、再度転校することも可能です。現在、南相馬高校は屋内退避区域に入っており、住民は自主避難を要請されているため、学校で授業を行うことができません。したがって、生徒の皆さんは転校かサテライトかを選択する必要があります。
相談受付期間は、4/6(水)~18(月)。授業開始時期は、5/9(月)からの週の予定です。
(用紙から目を離し)なお、今後の情報につきましては、県の臨時ホームページか、担任のメールで
ご確認ください。まだ余震が続いており、原発も不安定な状況ですが、保護者の方々も、生徒の皆さんも、お体に気をつけてお過ごしください。(礼)
ステージ中央のサスが消える。小林退場。
ステージ上手と下手にサスがさす。上手にえま登場。携帯をかける。下手にりん登場。二人は私服。
えま あっ、りん。
りん えま?
えま 久しぶり。どうしてた?
りん まあまあ元気。
えま そう。
りん えまは?
えま わたしもぼちぼち。
りん そうか。
えま 直接、話したくって、電話した。
りん ありがとう。私も話したかった。
えま りん、いま、山形にいるんだって?
りん うん、家族でこっちに避難してる。えまは?
えま 私は福島市にいる。
りん そう。
えま 小林先生から、メール届いたでしょ。
りん うん。
えま りんは、どうするの?
りん サテライトと転校の話?
えま うん。どっちにする? 18日までに学校を決めなきゃいけないでしょう?
りん ……
えま そんなの急に、決められないよね。
りん うん。
えま 私も、ここでの生活がどうなるのかも、まだわからないし。
りん うん。
えま また、すぐ、避難先が変わるかもしれないし。
りん そうだね。
えま りんはどうなりそう?
りん まだ、わからない…私、剣道やってるじゃん。山形の高校にも強いチームがあって。そこに転校しちゃうかもしれない。その高校とは、前に練習試合したことがあるんだ。山形で一番強いチームだと思う。私んち、小高町なんだけど、小高はたぶん警戒区域に入っちゃうから、まだしばらくはここにいることになりそう。
えま そうなんだ。
りん 急にこっちに来ちゃったし、いまお世話になってるとこも、結構気を遣って生活してる。引っ越しも考えてる。でも、まだ、どうなるかわからない。こないだ近くの不動産屋さん、まわったんだ。
えま りんは、全国大会、目指してたもんね。
りん うん。
えま 剣道に青春、捧げてたよね。電話した時、先生が言ってた。転校する時は、避難先の教育委員会に尋ねてみるといいよって。どの県も、福島からの転校は、とても好意的に相談に乗ってくれて、受け入れてくれているみたい。教科書だけじゃなくて、制服まで支給してくれるところもあるんだって。だから、教育委員会に気軽に尋ねるといいって。
りん ……親は、残してきた田んぼが気になるみたい。あのままにしておくと、荒れちゃうんじゃないかって。
えま りんの家は、稲作農家だから田んぼが命だよね。……あっ、ごめん。勝手にいろいろ言っちゃって。
りん ううん、大丈夫。大丈夫だよ。いい情報を教えてくれて。ありがとう。
えま ほんとにごめんね。
りん うん。かえって気を遣わせちゃって、ごめん。
えま ……また、みんなに、会いたいね。
りん そうだね……私も会いたい。
えま うん。また、会おうね。
りん うん。ぜったい。
えま それじゃあ、元気でね。
りん うん。えまも、元気でね。
えま うん。またね。
2人とも退場。
上下のサス消える。りんとえま退場。
中央にサスがつく。
そこに小林登場。れおなに携帯をかける。れおな(私服、薄い化粧)、下手前部に登場。
小林 アッ、れおなさんですか?
れおな こばやん?
小林 はい、小林です。久しぶり。
れおな お久しぶりです!
小林 れおなさん、相変わらず元気ね。
れおな 私だっていま、大変なんですよ!
小林 そんな意味じゃないよ。れおなさんが変わりなくて安心したの。
れおな ありがとう、先生!
小林 れおなさんは今、会津だよね。
れおな はい、あちこち避難場所を転々として、今は会津にいます。
小林 しばらくは、そこに居そう?
れおな 多分そうなると思うんだけど、全然予測がつかないです。
小林 わかりました。体調に気をつけて、しっかり勉強は続けてください。ところで、メール届いたと思うけど、れおなさんは学校どうするの?
れおな 友達が結構地元に残ってるから、私はできれば相馬に戻りたいんだけど、親と意見が合わないんだ。
小林 そうだね。友達がいるものね。おうちの人と意見が合わないんじゃあ困ったわね。
れおな 放射線が気になるみたい…
小林 そうね。自分でよく考えて、保護者ともよく話し合って、決めるしかないわね。放射線の考え方は、おうちでそれぞれだから、先生は何とも言えません。小学校の弟さんもいるからね。まだ子供が小さいと、遠くに避難したいっていうのが、親心かもね。
れおな うん……。
小林 とにかく、おうちの人とよく相談してください。…それでね、会津は希望者が少なくて、サテライトが設置されなさそうなの。だから、もし転校するとしたら、どこがいい?
れおな ……
小林 県内の高校に転校する場合、学科試験や面接があるから、最悪の場合、落とされる可能性があります。
れおな ……
小林 先生も、こんな非常事態の時に、同じ県なのに、試験をする必要があるんだろうかって思います。むしろ他県の方が生徒の受け入れには好意的なんですもの。
れおな …試験、頑張ります……
小林 そうね、試験があるからには、それに備えるしかないわね。
れおな はい。
小林 たとえば会津あけぼの高校の場合だと、生徒の進学希望が事前に確認されて、国公立か私立か、文系か理系かで、別々に試験するみたいです。あなたは、四年制大学の文系志望だったよね。
れおな はい。
小林 国公立はどうする? 受けますか?
れおな まだ迷っています。
小林 そのあたりをはっきりさせておいてください。
れおな はい。
小林 今度連絡したときに、教えてね。
れおな はい。
小林 おうちの人にもこの話を伝えておいてね。
れおな はい。
小林 あっ、そうそう。れおなさんは、スカートが短いし、化粧もしてるから、そのあたりちゃんとするのよ。そのままでは、面接で落とされるわよ。
れおな い! がんばります!
小林 何を頑張るのか、とーっても不安だけど、ほんとに大丈夫?
れおな はい。任せてください! こばやんの期待は裏切りません!
小林 もう、いつも調子がいいんだから。でも、先生、ちょっと安心した。
れおな でしょでしょ。期待に応える女です!
小林 きりがないから、もう切るわよ。
れおな (まじめになり、小さく)せんせ……
小林 なに、急に。
【音楽小さくフェードイン】
れおな ……電話、ありがとね。
小林 れおなさん……
れおな 先生と話せて、うれしかった。
小林 そうね。先生もちょっと安心したよ。
れおな うん。
小林 お互い、この困難を乗り越えようね。
れおな はい。
小林 それじゃあ、元気でね。
れおな はい。ありがとうございました。
小林 またね。
れおな はい。さようなら。(退場)
小林は携帯を胸に、生徒たちを思う。
スポットライトからステージサイドライトにゆっくり切り替わる。
小林は上手へ移動しながら説明。
小林 4月15日。南相馬高校は自衛隊の宿営地になり、校舎わきには自衛隊の車両がたくさん並んでいます。自衛隊は、津波の被害を受けた海沿いの地域に入り、捜索活動を行っています。
原発事故の影響で立ち入りが困難になった半径10㎞圏内でも、集中的に捜索活動を行っています。校庭に自衛隊の車両がずらっと並んでいる様子は、まるで戦争が始まったかのようです……ここは戦場なんだと思いました……桜は、きれいに咲いているのに……
以上、南相馬高校の近況報告でした。サテライト申し込みの締め切りが、4月18日に迫ってい
ます。ご連絡、お待ちしています。(礼)
【音楽、大きくなる】
暗転。小林退場。
【音楽、フェードアウト】
【音楽フェードイン】
明転
◆三場 (「2011.5.9(地震から59日目)福島サテライト開校>福島サテライト教室。体育館で対面式。)
首にタオルの小林。キャスターに段ボールを乗せ、上手から重そうに押してきて、下手に置く。上手から生徒用の机2と椅子2を運び込み、配置。雑巾で丁寧に拭く。ホワイトボードを上手に運んでくる。全体を確認し、汗を拭き、キャスターを押して退場。
教室の明かり・【音楽】、消える。
下手サスつく。
ジャージ姿にカバンを持ったりんが下手から登場。
りん (緊張して)3年2組の皆さん、初めまして。南相馬高校から転校してきた遠藤りんです。私は家族で、福島市の避難所にいます。できるだけ早く勉強を再開するため、今回、思い切って西高に転校することにしました。高校3年という大切な時期を皆さんと一緒に過ごしたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。(礼・下手へ退場)
下手サス消える→全体が明るくなる。
やがてマスクをし、カバンを持ったえまが登校。入室とともにマスクを取る。
出席簿を持った笑顔の小林も入室。
小林に下手の席を指示され、えまは席に着く。
小林 それでは、久しぶりに挨拶をしましょう。起立。礼。(「おはようございます」) (真面目な顔になり)まずはじめに、震災で亡くなった方々に、黙とうをしましょう。黙とう……やめ。着席してください。
と、いうことで、えまさんとまた会うことができて、先生、とてもうれしいです。なかなか先の見通しは立ちませんが、いまはここで一緒に頑張りましょう。
えま はい!
小林 この西高にも、南相馬高校の生徒が何人か転校して在籍しています。その人たちとも仲良く、協力していってください。それと、後ろの段ボールは、全国各地から送られてきた支援物資です。中身は、ノートと鉛筆です。のちほど必要なだけ持っていってかまいません。…以上、ちょっと硬くなりましたが、先生からの挨拶でした。これからよろしくお願いします。(礼)
えま よろしくお願いします! ……それで、こばやんが担任なの?
小林 あっ、そうそう、大事なこと忘れてた。私が福島サテライト3学年の担任になりました小林です。よろしくね。
えま 他のサテライトは、どうなったんですか?
小林 会津といわきは希望者が少なくて、ほら、10人以上にならないと、サテライトは開設されないっていうきまりがあったでしょ? 希望した生徒はいたんだけど、結局ダメだったの。福島は、他の学年が10人を超えたので、開設できたんだ。3年生は、とりあえずえまさん一人ということになりました。
えま いわきにいる佐藤さんは、絶対に南相馬を卒業するんだって言ってたけど…だめだったんだ…いわきに避難してる人は多いと思ったんだけど…。
小林 いわきサテライトを希望した人は多かったんだけど、あと少しというところで10人をクリアできなかったの。
えま かわいそう…午来さんはどうしてますか? 最近、連絡取れなくて。
小林 午来さんは、結局磐城高校に転校しました。
えま そうか……牛来さん、ずいぶん迷ってた……勉強ついていけるかな……勉強は二の次で、部活に燃えるタイプだったから……
小林 大丈夫だよ。しっかりしてるから…きっと…。
えま 午来さんなら、きっと大丈夫……。
小林 サテライトは、そういうわけで、ここ福島と相馬の二か所に設置されました。郡山も人数が少なくて開設できなかったの。先生方も、福島と相馬に分かれて授業を行います。3年の担任は、二瓶先生と草野先生が相馬で、私・小林が福島になります。他の学年や教科の先生方も、二つに分かれます。
えま サテライトが設置されなかった地区の人たちは、転校しなくちゃならなかった…みんな、南相馬を離れたくないって言ってたのに。
小林 (気を取り直して)それでは、今日の予定を確認します。今日はこの後すぐ、体育館で西高の人たちとの対面式があって、その後、サテライト開校式、新入生との対面式、避難訓練、ホームルームがあります。初めての校舎で慣れないと思うから、一緒に行動しましょう。
二人は準備を始める。
小林 (えまに近づき)えまさん。こないだ頼んだ、対面式の代表挨拶は、考えておいてくれた?
えま はい。大丈夫です。準備してあります。
小林 そう。ありがとう。…それじゃあ行きましょう。
ふたりは上手へ退場。舞台前部に照明が切り替わる。
やがて上手からふたりが登場。
小林 礼。(二人で礼) 福島西高校の皆さん。こんにちは。はじめまして。私たちは、相双地区の南相馬高校から来ました。相双地区は、今回の地震に加え、津波による被害を受け、原発事故による避難者がたくさん出ました。現在、学校は原発から20㎞圏内のため、立ち入りが制限されています。突然、このような形で西高にお邪魔することになり、大変心苦しいのですが、できるだけ皆さんの迷惑にならないようにしたいと思います。
えま 南相馬高校代表の門馬えまです。皆さんも被災していらっしゃると思います。共に助け合い、励ましあって、高校生活を送ることができれば幸いです。いつか故郷に帰る日まで、南相馬高校の歴史と伝統の灯を絶やすことがないよう、皆さんと一緒に、毎日を精いっぱい生きて行きたいと思います。これからどうぞよろしくお願いいたします。(二人で礼)
ふたりは上手へ退場。
照明は次第に暗くなり、小林はサスが照らす舞台中央に立つ。
【音楽フェードイン】
小林 相馬と福島に設置されたサテライト校は、5月9日にそれぞれスタートしました。私たち教職員も、久しぶりに生徒に直接対面し、少し安心することができました。学校再開まで約2か月かかりましたが、長期休業を短縮するなどして、授業時数を確保する予定です。相馬サテライトでは、通学バスや学習環境などの課題がありますが、約300名の生徒が生活しています。福島サテライトでは、少人数による複式授業などを行っています。以上、サテライトの近況を保護者の皆様にご報告いたしました。(礼)
サス消える。
◆四場 (「2011.5.18(震災から68日目) 福島西高の福島サテライト教室」 教室の放課後)
全体が明るくなる。
カバンを持ち、西高の制服を着たりん、上手から登場。
【音楽、フェードアウト】
りん (部屋の中を見て)アレ? コバやん、まだ来てない。(部屋の中を歩きながら)狭いなぁ…それに、何もない。(下手のイスに座り、携帯を見始める)
小林 (登場し)あぁ、りんさん、待った? ごめんなさい。
りん 先生、遅いよ。約束したじゃん。
小林 ちょっと会議が長引いて。それで、質問は何?
りん 西高は、明日から中間なんだよねぇ。それで、勉強しとこうと思って。えらいっしょ。
小林 そうね。えらいえらい。急な転校だったから、大変だったね。西高のクラスはどう? みんなと、うまくやれそう?
りん うん、大丈夫だよ。みんな、よくしてくれる。
小林 そう。よかった。
りん (教科書を取り出しながら)サテライトはどう?
小林 うん、急いで準備したから、足りないものもいっぱいあるんだ。
りん たいへんだね。…それで、ここの意味がわかんないんだけど。
小林 どれ? (上手のイスをえまの近くに引き寄せる)
りん ここの部分。
小林 訳せばいいわけ?
りん そう。文法的に適切に訳すとどうなるの?
小林 …ここは、「てん」という部分が、強意プラス推量になってるのね。だから、「きっとナニナニだろう」って訳すの。
りん なにそれ。変なの。
小林 そう、変なの。変なんだけど、でもそう訳すの。そう訳すことによって、ここの部分が強意プラス推量になってるんだってことを、自分はちゃんとわかってますよーってことをあらわすの。そうすれば、マルがもらえるの。
りん でも、日本語として、どうかと思う。
小林 そうだね。でも、受験の世界ではそうなっちゃうんだなぁ。
りん フーン。じゃあ、こっちはどう? これ、この「あからさまに」ってどういう意味?
小林 「をかしげなるちごの、あからさまにいだきて遊ばしうつくしむほどに」。「かわいらしい赤ちゃんが、ちょっと抱いて遊ばせ、かわいがるうちに」。この「あからさまに」っていうのは、いまの「はっきりしている」とか「明白だ」っていう意味とは違って、「ちょっと」って意味なのね。古今異義語って言うんだけど、よく入試にも出るよ。
りん 覚えにくいなぁ。今の意味と全然違うじゃん。全然イメージできないよ。
小林 これはね、こう覚えるといいよ。
小林、ホワイトボードにア行、カ行、サ行を書き、「あ」と「さ」を囲み、線で結ぶ。
小林 「あ」から「さ」までの距離は近いでしょ。だから、「あ」から「さ」までは「ついちょっと」の
距離だって覚えるの。
りん (パラパラとした拍手をし) さすがこばやん。教え方がうまいねぇ。ホレ直したよ。
小林 そうでもないけど。乾いた拍手、ありがとう。
えまが上手から登場。
りん イヤ、ほんと、私やっぱりこばやんがいいわぁ。国語を習うなら小林先生でしょ。
小林 そんなことないよ。
えま そこ、私の席だから。
りん あぁ、そうなんだ。あともうちょっとで終わるから。
えま 私、もう帰るから、荷物どかして。
りん だから、もう終わるって言ってんじゃん。なにピリピリしてんの?
えま それに、あなたはもう、西高に転校したんだから、質問があるなら西高の先生に聞けばいいでしょ。さっさとどいて。(りんを押す)
りん なにすんだよ。
小林 二人とも、やめなさい。
二人はもみ合いになる。小林はふたりを引き離す。
えま いつまでも、こっちに来んじゃないよ! 西高に行った人間が!
りん いいじゃん、別に。こばやんは担任だったんだから。元生徒が、担任を頼っちゃいけないの?
えま ここは南相馬のサテライトだ。部外者は入ってくるな。あんたはもう、南相馬の人間じゃないって言ってんの。そんなこともわかんないの?
りん 私だって、転校したくてしたんじゃない! だから別に質問しに来るぐらい、いいでしょ!
えま 南相馬の人間が、他の学校の制服を着てんのを見ただけで、腹が立つ。私らを裏切ったやつらだ。南相馬を見捨てたやつらだ。
小林 二人とも、もうやめて! 離れなさい!
えま (小林を振り払い)小林先生もそうだ。対面式の挨拶聞いてて、私、腹が立った。私ら、好きでここに住んでるわけじゃない。好きで、この学校に通ってるわけじゃない。りんだって、そうでしょ? 原発事故のせいで、仕方なくここにいるんだ。避難してきてるんだ。被害者なんだ。「できるだけ皆さんの迷惑にならないようにしたい」ってなんなんだ。困った時には助け合うのが当然でしょ? 私たち、なんでこんなに苦しまなくちゃならないの? なんでなんだよ!
皆 ……
小林 ……あのクラス表示……
えま なに?
小林 教室の入り口にあるクラス表示。「サテライト福島」って書いてあるやつ。
りん だから、それが何なの。
小林 あれは、西高の生徒が作ってくれたの…
ふたり ……。
小林 西高の人たちは、私たちを歓迎してくれている……先生、西高に、感謝してる。先生方に感謝してる。生徒のみんなにも、感謝してる。こうして、ここにいられることに……。
ふたり ……。
【音楽フェードイン】
照明、薄暗くなる。(3人は上手へ退場)
◆五場 (「2011.5.25(震災から75日目) 福島サテライト教室」帰りのホームルーム)
舞台前部が明転。【音楽】消える。
竹刀を持ったりんが上手から登場。素振りの練習をしばらく続ける。次第に真剣になる。竹刀を持ち、じっと見つめる。
小林登場。りんの様子を見て、心配そうな表情になる。
小林 りんさん。大丈夫?
りん (ハッと我にかえり)すみません。
小林 空いてる場所が、ここしかなくて、ごめんね。
りん いいえ、大丈夫です。練習できるだけで十分です。
小林 りんさん、部活はどうする?
りん …ほとんどあきらめかけてる…
小林 高校最後のインターハイ、あきらめられるの?
りん ……。
小林 りんさん。西高の剣道部に入れるよう、先生も一緒に頼んでみるよ。
りん え、いいです、先生。
小林 西高の剣道部も、結構強いみたいよ。
りん そうですね…先生、ありがとうございます。でも、もういいんです。急に私が入っても邪魔だし…西高のみんなに、迷惑かかるし…もうすぐ、県大会の予選が始まるから…
小林 …よけいなこと言って、ごめんね。
りん (首を振る)
【音楽フェードイン】
照明、暗くなる。
ふたりは退場。
教室が明るくなる。私服のえまが登場し、帰り支度を始める。西高の夏服のりん登場。教室に入りづらそうにしているが、やがて意を決して入室する。
【音楽フェードアウト】
りん 西高は、もう、帰りのSHR終わっちゃったんだ。
えま ……。
りん 福島市って、結構暑いよね。浜通りと比べると。(えまの様子をうかがう)
えま ……。
りん …でも、あれだよね。西高は、クーラーが入るみたいだから、ラッキーだったかも。
えま …そうだね…中間テストは、どうだったの?
りん まあまあってとこかな。
えま サテライトは、いつテストやるか、わからないんだ。
りん そうなんだ…。
えま (ためらいがちに)りんは、最初、どこに避難してたんだっけ?
りん 東京。
えま フーン。
りん 足立区の綾瀬ってとこ。東京武道館ってとこがあって、そこに2週間ぐらいいて、それから山形に避難した。
えま 東京はどうだった?
りん 武道館だったから、畳があって…大広間だけど、ボランティアの人たちが段ボールで仕切りを作ってくれた。プライバシーもそこそこあったし、着るものとか、生活用品とか、必要なものはたいていそろってた。
えま お風呂とかは?
りん 近くに銭湯があって、そこのチケットが配付された。食券ももらえたし。
えま 食券?
りん うん、近所の食堂で使える券だった。
えま (もとの仲良しの雰囲気に戻って)じゃあ、だいぶよかったじゃん。
りん うん、うちはほんと何も持たないで逃げたから、助かった。でも、やっぱりこっちに帰りたかった……。
えま そうだね…。
りん こっちがいいよ…友達もいるし…。
えま そうだね。
りん えまは、どこにいたの?
えま うちは南相馬だから、地震の次の日に避難指示が出て、初めは近所の避難所にいた。それから、福島のおじさんの家にずっとお世話になってる。私は、南相馬の避難所の方がよかったんだけど…。
りん なんで? おじさんに気を遣うから?
えま そうじゃないんだ。私、地元を離れたくないんだ。地元が好きなんだ。南相馬高校が好きなんだ。ずっと憧れていた学校に入って、学校を盛り上げたいって思った。お父さんが運送会社に入社して頑張ってる。りんは?
りん うちは小高町で農業やってたんだけど、お父さんは、田んぼを諦めかけてる。二度と小高で米は作れないんじゃないかって…。
えま 剣道はどうするの?
りん ……ほとんどあきらめてる…
えま 剣道部の他の人たちは?
りん …ほかの人たちは、できるだけ相馬サテライトに集まって、南相馬高校チームとして高校生活最後のインターハイに出ようって相談してた。私もそうしたかったんだけど、でも、できなかった。この状況で、親と離れて自分ひとりだけそんな勝手なことできないよ……インターハイ、出たかった……
えま ……。
りん (雰囲気を変えようとして、えまを見て)えま、どうしてそんなかっこしてんの?
えま これ? 夏服がないの
りん えっ? なんで?
えま 津波で流されちゃって…。
りん あぁ、そうなんだ…ごめん。
えま ううん。…わたしんち、海に近いのね。お父さんは漁師なの。地震の時、船を守るため、おじさんと海に出たみたい。家に残されたおじいちゃんが津波で流されて、今も行方不明なんだ。結局船はその後沈んじゃって、何のために船を守ろうとしたのかわからないって言って、お父さん、お酒ばっかり飲んでる…。わたしも、まだおじいちゃんは見つかっていないのに、こんな遠くまで避難してきちゃって…罪悪感…ずっと持ってる。(泣く)
りん …そんなに、自分を責めないで…。泣かないで。
えま 私も南相馬高校が好きなの…ずっと、制服が憧れだった。中学の頃から、登校する南相馬の生徒の姿を見て、とてもうらやましかった。その制服が着たくて、中学の時、一生懸命勉強した…。制服が流されたのも、結構ショックなんだ…。
【チャイム】
影アナ「3年生に連絡します。4時から、3年各教室で、マーク模試を行います。時間に遅れないように、教室に戻ってください。繰り返します、4時からマーク模試が始まります。」
【チャイム】
ふたりの顔が曇る。
えま りん、教室に戻らなきゃ。
りん うん……
えま さあ、早く。
りん ごめんね。
りん、急いで立ち去る。
入れ替わりに小林登場。
えま 先生。私って、模擬試験、受けられないんですか? 3年の今の時期だと、模試がありますよね。私、それも不安で……受験のこと、何もしてないや。
小林 先生たちも、いろいろ考えて話し合っています。夏休みを短くして授業に当てたり、模試の業者に、代金の減免措置ができないか頼んでいるの。今回の模試は間に合わないんだけど、来月からは、なんとか受験できるようにしたいと思っています。できれば安くね。
えま ありがとうございます。お願いします。(少し安心した表情)
小林 えまさんは、進路、どうするの?
えま 看護師になりたいって、前はぼんやり考えてた。このひどい震災に遭って、目の前の人を助けられなくて、自分の無力さをしみじみ感じた。だから、前よりもっと、看護師になりたい気持ちが強くなった。
小林 そうね。
えま でも、いま、こんな状況で、勉強にも集中できないし、授業もやっとだし……こんなんじゃ、看護師なんて絶対無理だよ。
小林 ……。
えま 奨学金もらって看護学校行けたらって思ってたけど、この避難でたくさんお金がかかっちゃったし……親にも相談しづらくて……
小林 先生も、お家の人とよく相談したいと思います。えまさんとも、よく考えてみましょう。
えま (少し安心した表情)
小林 それでは、今日はこれで終わりにしましょう。帰りの足は大丈夫?
えま バスで帰ります。
小林 気を付けてね。
えま はい。
小林 そうだ、えまさん。
えま はい?
小林 先生、来週の水曜日、浪江に一時帰宅することになった。
えま (心配そうに小林を見て)まだ、放射線量が高いんでしょ……
小林 そうね……でも、大切なものを置いてきてしまったから……行くことにしたの。
えま 先生、気を付けて。
小林 (うなずく)
暗転。二人は退場。
◆六場(「2011.6.17(震災から3か月)南相馬の一時帰宅集合場所。りんの告白)
【音楽カットイン】
舞台中央前部に単サスがさす。
小林、ビニール袋、バインダー、パイプ椅子を持って登場。照明の下に椅子を置き、座る。
【音楽、小さくなる】
バインダーに挟まれた用紙に記入し始める。
声(影アナ) それでは、一時帰宅のバスにご乗車になる皆様にお尋ねします。以下の質問に答えて下さい。質問1「今日、体の調子はいいですか」
小林 大丈夫です。
声 質問2の1「今、治療を受けている病気がありますか」
小林 「いいえ」
声 質問2の2「服用しているお薬があれば、ご記入ください」
小林 「ありません」
声 質問3「今までに、ヨウ素のアレルギーがありましたか」
小林 「いいえ」
声 質問4「今までに、造影剤のアレルギーがありましたか」
小林 「いいえ」
声 質問5「今までに、甲状腺の病気があると言われたことがありますか」
小林 「いいえ」
声 質問6「今までに、低補体性血管炎、ジューリング疱疹状皮膚炎と言われたことがありますか」
小林 なにそれ…「いいえ」
声 質問7「今までに、安定ヨウ素剤を飲んだことがありますか」
小林 「いいえ」
声 質問8「女性の方のみお答えください。現在、妊娠されていますか」
【音楽、大きくなる】
小林、何とも言えない表情でうつむき加減になる。やがて、どちらかに記入する。
【音楽、小さくなる】
声 ご記入ありがとうございました。続きまして、お渡ししました防護服を手順に従って着用をお願いいたします。
小林、ビニール袋から防護服を取り出す。
声 はじめに、防護服の着用をお願いいたします。(小林、着用する)
次に、マスクをし、フードをかぶってください。(着用)
次に、手袋を着用してください。(着用)
以上で完成です。少し暑くなると思われますが、ご了承ください。なお、バスに乗りましたら、無線機、線量計をお渡ししますので、首から下げるようお願いいたします。また、バスの外に出られる時間は、10分以内となっています。今回は、貴重品の持ち出しに限らせていただきま
す。浪江町方面の方は、4号車のバスになります。ご移動ください。
小林、パイプ椅子を持って上手へ退場。
【音楽、フェードアウト】
下手からりんがうつむいて入ってくる。上手から小林が登場。
りん 先生。…小林先生。
小林 (気づき)りんさん?
りん いま、いいですか?
小林 いいよ。どうしたの?
りん ちょっと、相談があって。
小林 どうかした?
りん お父さん、いま、小高に帰ってる。
小林 そうだったね。田んぼの様子が心配だって。
りん お父さんから言われた……「お母さんとあやかは、おまえに頼んだぞ」って……。
小林 ……りんさん。何かあったの?
りん 先生、母が具合悪くなった…。妹も、夜になると、家に帰りたいって言って、いっつも泣いてる。母の看病とか、妹の世話とか…私、家族なんか支えられないよ。お父さんの代わりなんか、できないよ………(泣き顔)
小林 りんさん。お父さん、きっと元気に戻ってくる。お母さんもきっと回復なさる。妹さんもきっと強くなる。それを信じて、私たち、生きていきましょう。それが、今、私たちができることです。家族を信じて。そばにいる人を信じて。今を生きましょう。
【音楽フェードイン】
暗転。2人は上手へ退場。
◆七場(「2011.7.14(震災から4か月) 福島サテライト教室」朝のホームルーム)
明転 【音楽、フェードアウト】
鞄を持った、えま登場。
小林登場。えまにあいさつ。
小林 それでは、朝のSHRを始めます。今日は、まず、いいお知らせです。7月19日に、西高の球技大会がありますが、私たちサテライトチームも参加させてもらうことが決定しましたー。
えま (パチパチ)
小林 久しぶりに汗が流せるね。
えま うちらは何に出られますか?
小林 卓球にエントリーしたよ。先生たちも出場するの。合同チームで頑張りましょう!
えま こばやんも出るの?
小林 先生、こう見えて、中学の時、卓球部だったのよ。スマッシュバシバシなんだから!
えま エーー。ぜんぜん知らなかった。なんで今まで隠してたの?
小林 女性には秘密があった方が、魅力的でしょ?
えま なにそれー。どーゆーこと?
小林 まあまあ、落ち着いて。みんなで球技大会、楽しみましょう! (こぶしを握る)
えま オー! (こぶしを突き上げる)私もガンバル。
小林 そうだね。
えま 南相馬の球技大会は、すっごくもりあがったけど、西高はどうなのかな?
小林 生徒はみんな、楽しみにしてるみたいよ。
えま またいつか、南相馬の体育館に集まって、球技大会、やりたいな。
小林 そうだね…できるといいね…。
えま ……先生。南相馬高校の第二体育館は、津波で流された人たちの遺体安置所になってるって、本当ですか?
小林 …そう…検案所になってる…毎日、遺体を乗せたトラックが入ってきて、警察の人とか、お医者さんが、遺体の確認をしてくれてる…。
えま …そう…先生、見に行った?
小林 …なんて言ったらいいんだろう…作業してくれている人たちへの感謝の気持ちと、死を恐れる気持ちと…そんないろんな気持ちがあって、先生、体育館には入れなかった…この現実をしっかり見ておかなければならないという思いもあった…けど、できなかった…4月に南相馬に通ってた時は、朝と夕方には、毎日体育館の前で、手を合わせてた…。
えま ……。
南相馬高校の夏の制服を着たりんが、机と椅子を運んでくる音が、上手から聞こえてくる。
えま (気づき)なになに? (そちらの方をうかがう)
鞄を持ったりんが、机と椅子を教室に運び込もうとする。
えま りん! 何やってんの!?
りん 戻ってきましたー! 南相馬にー!
えま 何言ってんの!?
りん だからぁ、今日からサテライトの生徒っていうことで。
えま ハァ? 西高は?
りん 本日、わたくし遠藤りんは、西高から転校してきましたぁ。
えま (あきれ顔)そんなこと、そんな簡単にできるの?
りん できちゃったみたいですぅ。
えま アホか。先生、本当ですか?
小林 ホントみたいですぅ。
えま こばやん…
りん やっぱり私には、南相馬の水が合うということで。今日からまたよろしくたのんます。
えま バカじゃないの?
小林 と、いうことで、今日からふたりとも、よろしくね。
えま よろしくできませーん。
小林 ケンカしないのよー。
りん、「よろしくー」と言いながら、机と椅子をえまの下手側にせっせと配置する。
小林 ……あっ、もう一時間目の授業が始まってる。先生の授業ね。先生、授業の準備してくるから、ふたりはそのまま待ってて。(慌てて出ていく)
りん (小林を見送った後で) えまは、進路、どうするの?
えま エ、なに、突然。
りん うちら、高3じゃん。ほんとだったら、模試とか受けて、受験勉強が始まってるよね。
えま うん、でも、それどころじゃないっていうか。毎日を過ごすので精いっぱいだ。…私、友達にも言ったことないんだけど、看護師になりたいんだ。
りん (うなずく)
えま 看護師になりたいっていうのは、ずっと前からぼんやり考えてた。そしてこのひどい震災に遭って、前よりもっと、看護師になりたい気持ちが強くなった。
りん (うなずく)
えま でも、いま、こんな状況で、勉強にも集中できないし、授業もやっとだし… こないだ、西高の校内放送で、模擬試験の案内だとか、講習の案内だとかが放送されたでしょ。私らはどうしてこんなことになっちゃったんだろうってばっかり、最近考えてる…
りん そうだね…
えま りんは、どうするの?
りん 私? 私も、まだ、ぼんやりしてる。
えま (うなずく)
りん うち、小さい子が好きだから、保母さんか幼稚園の先生がいいなって思ってた。けど、うち、家計が苦しくて、姉妹いるから、うちは働かないといけないと思う。前は、奨学金をもらって短大に行けたらって考えてたけど、この避難でたくさんお金がかかって、きっと無理だと思う…親にも相談しずらくて…でも、えまはあきらめちゃだめだよ。えまはずっと学年上位だし、目標もはっきりしてるんだから、看護師になる夢は、あきらめないで。
えま うん…ありがとう…りんさんも保母さんになれるといいね。
りん うん。
えま そう…それでね、りん。…私…来月、相馬に行くことになった…
りん (「エッ。」呆然として言葉が出ない)
えま ごめん…
りん 「ごめん」て…
えま ……
りん どうして? 急に…
えま 相馬の仮設住宅が当たったんだ…それで、やっぱり実家に近いところがいいって話になって、家族で戻ることになった…
りん ……
えま ほんと、ごめん…私、みんなとここにいたかった…
りん うん…
えま それでね…福島サテライトのことなんだけど…私がいなくなったあと、りんに下級生をまとめてもらいたいなぁと思って…
りん えっ、何、急に。
えま りんなら、みんなを任せられると思って。
りん …私、頼りないし、自信ないし…できないよ…みんなをまとめるなんて。
えま そんなことない。りんなら、みんなをまとめられるよ。みんなだって、きっとそう思うと思うよ。
りん …でも…私になんか…
えまはりんに頼み続ける。
小林が段ボールを載せたキャスターを押して登場。
小林 私も、りんさんがいいと思う。
えま・りん 先生!
小林 りんさん、3年になって、ちょっと大人になった。
りん そんなことないです。(はずかしがる)
小林 はずかしがらなくていいのよ。ほんとのことなんだから。りんさんなら、みんなも頼れるし、先生も安心だわ。
えま 頼むよ。りん。
りん …わかりました。話がいろいろ急展開で、うまくまるめ込まれてる感も否めないけど、やってみます。
えま・小林 ありがとう。
りん えまも向こうでがんばって。
えま うん。相馬サテライトを盛り上げるよ。
小林 それじゃあふたり、ちょっと手伝って。
ふたりは、ダンボールを机上に置くのを手伝う。
りん 先生、これ、なんですか?
小林 支援物資よ。
えま やけに重いんですけど。
小林 さぁ、なんでしょう。…知りたい? 開けたい? …じゃあ、特別にいいよ。
生徒ふたりで開ける。
りん なーんだ、またノートか。
えま さすがに先生、もう要りません。
小林 (悪魔的な笑みを浮かべ)これでまた、死ぬほど勉強できるわね。
りん 殺さないでください。
えま でも、せんせ? 支援物資って、どうしてノートと鉛筆ばかりなんでしょう?
小林 被災地の学校への支援っていうと、そういうイメージなのかも。勉強できなくて困ってるのは、ノートと鉛筆だろうから、とりあえずそれを送っとこうかと。必要なものは、そのほかにもいろいろあるんだけどね。でも、これもいろんな人の愛の形だから、大切に使いましょう。ということで、一人ひと箱、近日中に持って帰ってください。
えま 私はひと部屋に三人で生活してるから、こんなに置けないよー。
りん うちももういっぱいだ。
小林 それと、えまさん。これを開けてみなさい。(ニコニコしながら箱を机に置く)
えま (箱の中の制服を見て驚き、服を広げる)せんせー。これ、どうしたんですか?
りん どうしたの。この制服。
小林 それは、みんなの先輩から送られてきたものです。東京にいるOBが、制服が無くて困ってる生徒がいるって聞いたみたいで、古いけど、自分のでよければ使ってくださいって言って、送ってくださった。制服を送ってくださった方は、この他にもいらっしゃるそうよ。
えま 先生。わたし、感激しました。ありがとうございます。(制服を抱きしめる)…私、津波で家も何もかも全部流されちゃったんだ。…大切な制服も…私、ずっと、南相馬高校の制服が憧れだった。(制服を広げ)この制服が着たくて、高校受験の時、一生懸命勉強した…。だから、制服が流されたことが、とてもショックだった。自分の命がもぎ取られたみたいだった。(制服を抱きしめる)…体に力が入らなくなった。先生。本当にありがとうございます。
小林 先生、この制服を見て、これが南相馬高校の伝統なんだって思った。見知らぬ後輩のために自主的に募金活動をしている人がいる。支援物資を送ってくださる。南相馬高校の制服を愛し、後輩を愛している人がたくさんいる。ほんとうにありがたい。私たちを心配して、さまざまな支援をしてくださる人が、全国にいらっしゃる。
ふたり (うなずく)
小林 よーし、それでは、だいぶ時間が過ぎてしまったけど、授業やりますよー。
ふたり エーッ。
小林 いやぁ、ふたりとも元気があってやる気満々ですね。今まで勉強できなかった分、しっかり取り戻さないとね。
ふたり そういうことじゃなくて。
小林 (無視して)授業の準備してくださーい。
ふたり (渋々準備する)
小林 今日は、教科書の124ページからです。意味がわからない語句をノートに書きだしましょう。それでははじめ。
ふたりはそれぞれ勉強を始める。小林、机間巡視し、椅子に座る。しばらくすると、うとうとしているのに生徒たちが気づく。りんが起こそうとするが、えまが制止する。りんが手招きし、2人は舞台前部下手寄りに集合。
りん こばやん、最近、疲れてるね。
えま 避難先の郡山から福島市まで、車で一時間半かかるって言ってた。4月は、南相馬市まで、2時間半かけて通勤してたんだって。
りん それじゃあ、往復で五時間だ。
えま だから、朝は早いし夜は遅いで、一日中眠くて、半分寝ながら運転してたことも何度もあったって。
りん あぶないなー。
えま もうちょっと、寝かしてあげようよ。
ふたり (うなずく)
えま こばやんのうちは、浪江でしょ。地震の次の日、津島へ避難する途中、別の車に乗ったお父さん・お母さんと離れ離れになっちゃって、携帯もつながらなくて、すごく心配したんだって。車ごと、崖から落ちたんじゃないかって。そうして、何日か後にやっと連絡が取れた時には、泣いちゃったんだって。私がその話聞いた時も、コバやん、泣いてた。
りん …こばやんも、大変だったんだ…。
照明、次第に暗くなる。
椅子に寝ている小林に照明があたる。
えま こばやん…こばやん。
小林 …あぁ。ごめん。先生、うとうとしてた。
えま こばやん。私聞いた。こばやんが7月いっぱいで転勤するって。どうして転勤するの?
【音楽フェードイン】
小林 まだ、みんなには言ってなかったわね。先生、今年の3月で転勤する予定だったの。でも、震災があって、転勤が凍結されて、サテライト勤務ってことになったんだけど、やっぱり8月に人事異動が行われることになった。私は、せめて今年度中はここにいたかった。でも、だめだった。…突然の話で、ごめんね。
えま 地震の後、急に担任が変わって、初めはどんな先生かなって思ってたんだけど…今は、小林先生でよかったって思う。ほんとだよ。
小林 ありがとう。そう言ってもらえると、先生もうれしい。ここまで頑張った甲斐もある。先生も、ふたりとの別れがさびしい。福島サテライトとの別れが、さびしい。
えま 先生…。(泣き顔)
りん 先生。
小林 (立ち上がり)でも、先生。安心してるの。サテライトの子たちは、しっかりしてるから。みんな、目の前の困難に向き合って乗り越えようとしてる。将来のことも、ちゃんと考えてる。こんなに混乱した状況で、ほんとにえらいとおもう。えまさん。りんさん。ふたりとも成長したね。
えま そんなことないです。泣き虫って言われます。
小林 いいえ、ふたりは立派になった。先生、思った。えらいなぁって。
りん 私も、まだいろいろ迷ってて…。
小林 それは、いいことなの。悪いことじゃないのよ。迷いは、成長にはつきものよ。自分でよく考えて、おうちの人や周りのみんなと相談して、そして決めればいい。それが、ふたりにはできる。
えま そうかな?
小林 大丈夫、できるよ。
三人とも笑顔で寄り添う。
えま (前を向き)2011年3月11日午後2時46分。東日本大地震によって、私のふるさとではたくさんの命が失われました。続いて起こった福島第一原発事故により、私たちは故郷を離れ、大切なともだちと離れ離れになりました。津波で流された私の祖父は、まだ見つかっていません。祖父を一人あとに残し、船を守ろうとした父は、いまだに後悔の闇の中にいます。私の大切な友達に再会できる日はいつになるのでしょうか。それとももう、ふるさとには戻れないのでしょうか。
えま 私は、南相馬高校の生徒昇降口にあるキンモクセイが好きでした。入学式の日、こんなにおっきなキンモクセイ、ほんとにあるんだなって思いました。お母さんも通った校舎。憧れだった制服。またあのキンモクセイに会いたい。おじいちゃんに会いたい。友達に会いたい。
(ふたりとも小林の方を向き)そのために私たちは、今を生きていきます。小林先生、先生も被災して大変だったのに、私たちのために力を尽くしてくださって、ほんとうにありがとうございました。
りん ありがとうございました。(ふたりで礼)
えま (後方のスクリーンにキンモクセイが映し出される。そちらを振り向き)キンモクセイ。
りん 南相馬高校のキンモクセイだ。
小林 懐かしいね。
えま 今年も秋には、いい香りが漂うんだろうなぁ。
小林 (うなずく)
えま またあのキンモクセイに会いたいな。
りん (うなずく)みんなに会いたいな。
【音楽、大きくなる】
3人は、ホリに映るキンモクセイを見あげる。
幕
◆あとがき
東日本大震災からもう14年が経ちます。しかしたとえば福島県浪江町の現在の居住住民数は、当時のまだ1割ほどです。いま浜通りを訪れると、その静けさ、更地の多さ、街ですれ違う人の少なさを実感します。
福島は震災が現在進行形なのです。