表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/6

第二章 偽りの時刻表

 昼の雑音が、詰所の壁でいったん弱まり、また内側に返ってくる。柊は窓格子の影が机上の紙片にかかるのを見つめ、指の腹で紙のざらつきを確かめた。机の上には三つ――封じた懐中時計、煤けた切符、そして駅長・柏原が押収した**“異様な時刻表”**。


「まずはこの表からだな」  滋丘が紙をひと揃い、指先で滑らせる。紙は新しいのに記されている記法が古い。日付欄には「十五夜」「朔」「既望」の朱記、時刻欄の端には、三日月を模した符号が均等ではなく挟まっていた。 「……これは時刻を“月”で刻んでいる」  柊は呟き、針先ほどの点を指で追う。「望」「朔」。印の並びは鉄道のダイヤのはずが、潮汐表のように膨らんだり痩せたりしている。

「満ち欠けの強い夜に、便数が増える。しかも“増える”のは深夜二時前後――二時四分を中心にして揺れている」 「時の継ぎ目を、月の引力で撚っているのだ」  滋丘は表の下段を指した。そこには、正規の記載にはない、細い字で「慰霊運行(いれいうんこう)」と読める文言が挟まっている。筆致は几帳面だが、所々、墨がわずかに滲む。 「“慰霊運行”……本来は鎮めの儀。通すのではなく、休ませるための運びだ」 「それを“改札の内側”に人を引く式に、改竄した者がいる」


 柏原駅長が汗を拭いながら、帳場から別の紙束を持ってきた。 「これは、昨夜までの運行記録と、改札印の台帳です。書式が乱れてる日が何日か」  柊は台帳を繰り、印影の形を追う。丸の中に日付のはずが、昨夜の欄だけ月の切れ目のような刻印が押されていた。 「やはり。昨夜の切符についたのと同じ“月印”だ。これ、誰の手で」 「改札は交代制ですが……昨夜の担当は操車掛・早見。ただ、早見は三日前から姿が見えません」 「姿が、見えない」  滋丘は視線だけで柊に合図し、切符の封筒を開けさせる。印面を布で軽く拭うと、やはり昨夜の印は月齢に連動した特別印だった。駅務では使わぬはずのもの。


 柊は硝子越しの懐中時計を手元に引き寄せた。針は二時四分。白井いとの証言どおり、婚約者は普段、針を二分進める癖があった――ならば昨夜の“開き”は二時二分に始まり、二時四分に“固定”された可能性が高い。

 紙を重ね、数字を置き、月の印と照らす。

「二分の揺れは、月相の“振れ”を式に足しているせいだ。望が近づけば“開き”は長く、朔に寄れば短い。昨夜は望の手前、だから二時四分で揃った」 「つまり、今夜も二時四分が“穴”になる」


 柊は視線を切り替え、机の端に置いてあった金属片の包みを取った。検札鋏の刃の欠け――白井が差し出した婚約者の遺していった品だ。紙を解くと、鋭い刃の端に、ほとんど見分けがつかないほど微かに樹脂がこびりついている。  鼻先で香りを確かめる。榊に似た、すんと澄んだ香り――神前の樹脂。 「榊の樹脂です」 「仮祀かりまつりの補修に使うやり口だ。場の“気”を上書きするのに用いる」  滋丘はため息をひとつ。「“慰霊運行”の経路を、鉄の気に従わせるために、(さかき)油煙(ゆえん)、それに鉄粉で稲荷の結界を改造したのだろう。狐の口に鉄粉を詰めたのも、その一環だ」


 理屈は整い始めた。だが、誰がこれをやったのか。

 柊は時刻表の下に、もう一枚、机の中から引き抜いた紙を重ねた。柏原が「操車掛の机に挟まっていた」という図面の切れ端だ。薄い鉛筆線で描かれた、保線のための増設軌条(じょうせつきじょう)の案――その余白に、達筆の花押がある。

 柊は眉を寄せる。「この花押……見覚えが」

 滋丘も身を乗り出した。

鴉羽玄造あばね げんぞう。旧幕の工部系で、今は行方知れずの工学者だ。陰陽の術理に触れ、鉄に“気”を通す霊導の実験を重ねていたと記録がある」 「“鉄に気を通す”……霊導軌条(れいどうきじょう)」  柊の脳裏に、現の軌条と影の軌条の二重像が重なる。昨夜見た“ずれ”は、保線のミスでも自然現象でもなく、意図して重ねられたものだ。

 滋丘は図面の余白を指で軽く叩いた。 「花押は偽れる。しかし、筆圧と墨の置きは隠せん。この紙は、同じ手の仕事だ」


 机上に集まった点が、徐々に線になっていく。

 旧暦で組まれた偽の時刻表。月印の改札。狐の口の鉄粉。検札鋏に付いた樹脂。そして、鴉羽玄造の跡。

「……“慰霊運行”を、乗客をさらう列車に替える理由は、何だ」  柊の問いに、滋丘は短く答えた。 「試運転だ。帝都の下に敷く“怨霊導線(おんりょうどうせん)”の。兵も物資も、幽都を経由すれば熱も音もなく運べる――あの連中は、そう考える」


 詰所を出ると、午後の陽が斜めにホームに差し、朝よりいっそう白い温度の段差が目に見えた。柊は小型の羅針盤を取り出し、線路の上に置く。針は一瞬ためらい、線路に沿ってわずかに振れる。

「鉄の上で針が揺れるのは当然です。ただ、いまの揺れは、線路の“外側”でも起きている」  柊は一尺半、ホーム寄りに移し替える。針が、また同じ方向に微かに踊る。

「影の軌条に反応している」  柏原が背筋をぞっとさせた。「線路でないところで、針が振れている……」


 石狐の祠まで行くと、朝よりもはっきりと油煙のにおいがした。榊の小枝にまとわりつく、粘る匂い。それは祠を正面にした時より、横から嗅ぐと濃い。

「風の向きで匂いが濃淡する。外から吹き込んだ匂いじゃない。中に塗ってある」  柊が狐の口に差し込んでいた紙垂の根本をわずかに浮かせると、指先に細かな黒光りが付いた。砂鉄だ。

 滋丘が短く頷く。 「狐の口は“口寄せ”の座だ。そこに鉄粉を詰め、“鉄寄せ”に書き換えた。稲荷の道は本来、人を守り、外のものを内に入れぬための道だ。それを逆さにした」 「改札の内側へ吸い込む道に、ですか」 「そうだ。駅という結界の構造を、悪用している」


 そのとき、ホームの端から声がした。「柊さま!」

 白井いとが小走りで近づいてきた。額には汗、手には布で大事に包んだ小箱。

「詰所の棚を片付けていたら、これが……早見さんの机の裏に、貼り付けてありました」  小箱をあけると、中には小さな印章が二つ。ひとつは駅の印と同じ丸印、もうひとつは月に似せた欠けの入った印だ。さらに、薄い紙片が一枚。

 柊は紙片をそっと開いた。朔・弦・望の文字と、“二時二分—二時四分”という細い記述。その端に、見覚えのある花押。

「鴉羽の花押……!」  柏原が青ざめる。「早見は、巻き込まれたのか、それとも……」 「いずれにせよ、早見の印章を使って改札を通した者がいる。夜勤交代の隙に、“月印(げついん)”を紛れ込ませるのは容易い」


 詰所に戻り、柊は印章の刻みをルーペで確かめた。月印の縁は新品の鋭さ。駅の丸印は使い込まれて角が落ちている。二つを重ね、紙に試し押しをする。

 滋丘は、その上にさらりと塩を撒き、榊の微片で押し拭った。塩が印影の外側へ滲む。

「“外”の印だ。結界の内側へ入るものではない。内外を反転させる式に挿し込まれている」 「改札という“関”、狐という“口”、印という“鍵”……全部が“内に誘う”ための並びに組み替えられている」


 いとの顔色がさらに青くなるのを見て、柊は言葉を選んだ。 「構造がわかれば、逆にできます。誘いは偽装できる。今夜、改札の内側に“空席”を作る。列車はそこへ座り、鋏を鳴らすはずです」 「そして、そこで止める」  滋丘は短く言い、詰所の隅に置いてあった防火用の砂箱から砂を掬い、塩と混ぜた。「油煙と樹脂は嗅いで記憶した。こちらで清浄な匂いを作る。偽物の気配だ。狐の口にわずかに塗り、鉄の寄せを清めの寄せに転じる」 「“客のない列車”に、空席を見せる……」


 机の上に、今夜の段取りが次々に書き込まれていく。  二時半、改札閉鎖。二時四分、外結界=滋丘の八重環。内結界=柊の視線結界。石狐の口へは、油煙と榊樹脂の“逆気配”を少量。羅針盤と温度計を継ぎ目に配置。

 柏原は頷き、詰所の鍵束を握りしめる。 「ホームには、私も立ちます。誰も入れません。……早見のことは、私が責任を」 「責めるのは、仕組んだ者だ」  滋丘の声は低いが、はっきりしていた。「人は、構造に従う。構造を作る者を止めるのが、われらの役目だ」


 夕刻。電灯が入る前の薄闇が、駅舎の木肌に張り付く。風は昼より冷たく、線路の上はやはり二度ほど低い。

 柊はホーム中央――昨夜、高畠が最後に視られた位置に立ち、視線結界の支点を心中に立てる。目を細め、二本の軌条が重なる継ぎ目を“見る”。そこに、紙片で引いた細い線をそっと置く。

 滋丘は祠の前で榊を整え、塩を薄く敷き、油煙の匂いに清浄の気配を被せる。仮祀の上書きだ。

「白井殿」  呼ばれたいとは、胸元から小さな鈴を取り出した。「彼の荷物に入っていました。旅の安全のお守りだそうで……ここに掛けて、いいですか」 「いい。音は境界を記す」  滋丘が微笑の影を作り、鈴を祠の端に下げた。わずかな風に、鈴は鳴らない。境界の外に掛けたからだ。


 準備は整った。

 詰所の壁時計が、午後十時を指す。夜は深くなるほど、足音を飲み込む。

「鴉羽は、来るでしょうか」  柏原の問いに、柊は首を振る。 「来なくても、列車は来ます。彼の式が、走らせるから」  いとが静かに息を吸う。

「戻ってきたら、叱ります。刃の欠けを直せって」 「ええ。叱ってください」  柊は頷き、懐中の時計を胸の上で軽く押さえた。止まった針が、夜に緊張を渡す。


 外では、工夫の声も止み、駅の灯だけが島のように浮かぶ。線路は黒い水路のように、どこまでも冷たい。

 柊は継ぎ目に視線を置いたまま、瞼の裏で月の欠けを数えた。朔と望のあいだ。

 二時四分――穴は同じところで開くはずだ。

 その穴の内側に、今夜は先に座る。

 列車より先に。

 鋏より先に。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ