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第1章 ― 緋燈ノ禍(ひとうのまが) ― 第3話

午後の帝都は、湿った白光に溺れていた。


空は高く昇った太陽を押し返すかのように、なお重く、色を持たないままだ。

熱と湿気に膨れ上がる都市の“気”――それに、一馬は不快な胸騒ぎを覚えた。


軍医局への連絡を終えたばかりだった。

記憶を失った青年は療養棟に預けられたが、名前は、どこにもなかった。

記録簿にも戸籍にも、まるで最初から存在しなかったかのように。


「名を失い、記録を失い、人との繋がりを失えば――人は、痕跡ごと社会から消える」


滋丘の言葉が、一馬の耳に残っている。


人を人たらしめるものは、戸籍でも階級でもない。

“誰かに思い出されていること”。

名を呼ばれることで、自我は世界に輪郭を取り戻す。


だが――

この都市は、名も知らぬ者を、いとも容易く飲み込む。

都市そのものが、“何か”の胎となりつつあるかのように。



「“黒禍(こっか)”って、何ですか」


病院からの帰り道、一馬は滋丘に尋ねた。


「……お前、あの夢を覚えていたか」


黒い月。仮面の火影たち。

そして、低く響くあの声。


《黒禍の扉は、すでに開いているのだよ》


「夢じゃない……。誰かに“見せられた”ような感覚でした」


滋丘は、しばし考え込んだ末に口を開く。


「“黒禍ノ(こっかのえ)”――正式な記録には残っていないが、古い陰陽寮の文献には痕跡がある。


国家による《異能の管理体制》に抗った、思想結社だったと言われている」


「異能に抗った……?」


「違う。“異能を解き放とう”としたんだ。


国家に管理される力を拒み、都市そのものに“怪異”を組み込もうとした。


呪術でも兵器でもない、“生きた都市構造”として育てようとしたんだ」


背中に、冷たい汗が伝った。


祓導官として学んできた“怪異は異物である”という前提を根底から覆す思想。

都市そのものが、怪異と融合していく――そんな光景が脳裏にちらつく。


「まさか……“緋燈ノ(ひとうのまが)”も」


「奴らが作ったとは言えない。ただ、あれは“思想に反応する”存在だ。


都市の底に、共鳴する感情の群れがあれば、それを核に自らを形成する」


滋丘は古びた巻物を鞄から取り出した。


煤けた筆でこう書かれている。


> ――記憶ヲ喰ラフ火影ハ、名ナキ都市ノ哭キ也。


> 仮面ノ下ハ、記録ニ遺ラズ。


> 焦土ヲ以テ、幽世ノ扉ヲ穿ツベシ。


「これは、“黒禍文書”の断章。


仮面の火影、記憶の焦土、幽世の扉――すべて、今お前が直面していることに通じている」


「じゃあ、俺たちは……」


「……“都市そのもの”と、戦うことになるのかもしれない」


滋丘の瞳には、静かな恐怖が宿っていた。


一馬は振り返る。

昨日“緋燈ノ禍”が現れた長屋があった一角を――


だが、そこにはもう、ただの空き地しか残っていなかった。


「……確かに、あそこに家があったはずですよね」


「ああ。“忘れられた”んだ。記憶の焦土に、焼かれてな」


「家ごと……?」


「名も、記録も、人の思いも。全てが都市に拒絶されれば、存在自体が消える。


その跡地に、また別の“怪異”が静かに棲みつく」


沈黙が落ちた。


帝都という都市は、文明の名の下に怪異を抑圧し続けてきた。

だが、表層の下では、祓いきれなかった怨念と記憶の泥が堆積している。


誰かが、その泥に火を点けた。


都市は今、名なき者たちの記憶で、再び燃えはじめている。


誰もまだ気づかぬまま――

だが確かに、その熱は高まっていた。

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