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春風のサーガ  作者: 蒼井七海
第六章 表と裏のフォーリン・トリップ
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85 不思議と謎と

 洞窟を訪れた翌日。ノクス、ゼンドラング、コーエンの三人で、今まで巡った場所をもう一度見にいった。もちろん、例の紋章が描かれているかどうかを確かめるのだ。コーエンが同行したのは、塗料の感触などに気づけるためだった。


 ヒワとエルメルアリアは、宿に残った。ノクスに「素人がいると動きが遅くなる」と言われたのが一番の理由だが、それだけではない。ラヴェンデルに異変が起きないか、見張るためでもあった。町に漂う嫌な魔力にいち早く気づいたエルメルアリアが適任なのは、言うまでもない。


 幸い、昼頃までに大きな異変は起きなかった。昼食を軽く済ませたヒワとエルメルアリアは、宿の中をそぞろ歩きする。案内人のコーエンがいないため、町へ出るのはやめておいた。


 二階の通路を一巡。それから、一階へ下りた。昼時を少し過ぎ、食堂から出てきた宿泊客たちが予定を話し合ったり、長椅子でくつろいだりしている。


 そそくさとあいた長椅子に座ったヒワは、なんとなく窓の外を見た。硝子(がらす)の向こうを、白い列が横切る。


「あれって……」


 思わず呟くと、膝の上にいたエルメルアリアが身を乗り出す。格子状の窓に、精霊人のしかめっ面が映った。


「〈精霊の輪の会〉、ねえ……」


 ヒワもまた、顔を曇らせる。


 重苦しい沈黙。それを、ふいに響いた足音と声とが打ち破った。


「あら、まあ。お隣の部屋のお嬢さん?」


 ヒワは弾かれたように振り返る。見覚えのある老婦人が、すぐそばに立っていた。連れであろう紳士もいる。


「こ、こんにちは」まごつきながらもヒワが挨拶すると、老婦人は「ごきげんよう」と挨拶を返してくれる。やはり、流暢なアルクス語であった。道を開けるようにさりげなく動いた彼女の隣に、老紳士が立つ。


「またお会いできて嬉しいです」

「どうも……」


 ぎこちなく頭を下げたところで、ヒワは黙ってしまった。相手をなんと呼べばよいのかわからなかったのだ。それを察したのだろう、眉を上げた老紳士は、丁寧に一礼した。


「これは失礼。私は、ジェイ・フックスと申します。こちらは妻のクラーラです」


 しわの目立つ手が、かたわらの女性を示す。彼女もまた、優雅にお辞儀した。


「よろしくお願いします」

「は、はい。ヒワ……といいます」


 ヒワも慌てて頭を下げて、名乗る。どうして姓をのみこんだのかは、彼女自身にもよくわからなかった。「こっちは――」と続けてエルメルアリアを見たが、彼は目にもとまらぬ速さでヒワの背後へ逃げ込む。


「ちょ、どうしたの、エ――」


 戸惑ったヒワは、相棒に声をかける。しかし、しっ、という空気の音が、それをさえぎった。老夫婦を見つめる瞳には、ヒワでもわかるほど強い警戒の色がある。


 息をのんだヒワは、それをそっと吐き出す。笑みを貼り付けて、ジェイとクラーラに向き直った。


「すみません。普段は人見知りなんてしないんですけど……」


 そんなことを言ってみせると、クラーラが「あらあら」と口もとに手をやった。ジェイの方も、優しく目を細めている。


「驚かせてしまって申し訳ない。旅先ですから、警戒心が強くなることもあるでしょう」

「そうですかね」

「ええ、ええ。悪いことではありませんよ」


 温かな笑声を立てながら、二人はヒワの隣に座る。


 それからしばらく、他愛もない話をしていた。大半が、夫婦の話にヒワが答える形だったが、ひとつだけヒワの方から質問したこともあった。


「お二人は、旅行ですか?」

「はい」


 ジェイがにこやかにうなずくと、クラーラが続きを引き取った。


「夫婦揃って、不思議な話と旅が好きなんですよ。だから、色んな場所を回って、その地の不思議を集めているんです」

「不思議、かあ。言い伝えとか、おとぎ話とかですか?」

「そういうものも、もちろん見聞きします。ですけれど、ラヴェンデルのような町では、『今時』の不思議なお話もたくさん聞けるんですよ」


 クラーラは嬉しそうに、今まで集めた話をいくつか披露してくれた。ヒューゲルの北部では、夏至の頃に〈輝きの乙女〉が村々を飛び回るのだとか、ラヴェンデルで近頃、何語かわからない奇妙な歌が流行っているのだ、とか。小さな噂から地域の伝承まで、『不思議』の幅は広い。


 そんなふうに話し込んでいると、エルメルアリアがわずかに身を乗り出して、宿の正面入口を見た。気づいたヒワは、彼の視線を追う。そして、あっ、と声を上げた。


「ノクスさん、コーエンさん!」

「おや、ヒワ様。一階にいらっしゃったのですね」


 ちょうど、ほかの三人が帰ってきた。「わしもいるぞ!」と、ゼンドラングが身をかがめてみせる。


――ちなみにコーエンは、二日目にヒワが「名前呼びでも大丈夫です」と控えめに伝えたところ、要望通りに接してくれている。


 男衆を見たフックス夫妻が、長椅子から立ち上がった。


「では、私たちはこれで」


 ジェイはそう告げると、優雅に一礼した。クラーラの方は「またお話しましょう」と嬉しそうに言う。ヒワは会釈で応えて、去りゆく夫婦を見送った。


 軽やかな足取りでやってきたコーエンも、彼らを振り返る。


「隣室のご夫婦ですね。よく会いますねえ」

「まあ、お隣さんですし」

「それもそうだ。――ところで、エラ様はどうされたんです? まずい酢漬けでも食べたみたいなお顔をなさって」


 帽子を取ったコーエンが、しかめっ面のエルメルアリアに目線を合わせる。彼は、細長く息を吐くと、ようやくヒワの背後から出てきた。


「あの二人がそばにいると、落ち着かなくてな……」

「先ほどのご夫婦ですか?」

「ああ。なんか、検分されてる気がして」


 思いがけない言葉に、ヒワはしきりにまばたきする。一方のコーエンは「難しい言葉をご存知ですねえ」と、のん気な反応だ。


「おい、何してんだよ」


 刺々しい声が飛んでくる。ノクスとゼンドラングは、すでに階段の方へ足を向けていた。コーエンが「おっと、失礼しました」と笑う。ヒワたちも、慌てて立ち上がった。



     ※



「結論から申し上げましょう。今まで訪れたすべての場所に、〈精霊の輪の会〉の紋章がありました」


 案内人の声が、つややかな木のテーブルに落ちた。


 二階、ノクスとゼンドラングが使っている客室。一行はそこでテーブルを囲み、紙を見下ろしていた。それは、コーエンが出先で見たもののメモである。件の紋章があった場所の状況が書かれていた。


「倒木に、大きな岩、放棄された小屋の壁……結構目立ちそうなところにあるんだな」

「ええ。ですが、すべてに同じ塗料が使われていました。意識して探さないと気づけません」


 エルメルアリアが上からメモをながめる。コーエンは、彼に目を合わせて答えた。


「寒色の光で照らさないと見えないっていう、あれですね」


 ヒワが昨日のことを思い出して呟くと、案内人がうなずく。そのそばで、ノクスが青い光を灯した。杖の先で弄ぶように揺らす。


「不良集団みてえなことしやがって」


 はは、と苦笑したコーエンが、紙に指を滑らせた。


「縄張りを主張するというより、足跡を残す意味合いが強いのでしょうね。〈精霊の輪の会〉がこんなことをしているというのは、初めて知りましたが」

「自然保護をしてる団体がやることじゃねえだろ」


 エルメルアリアが、空中で足を組む。呆れている同胞の下で、ゼンドラングが紙をながめまわした。


「なんにせよ、妙だな。〈穴〉の臭いがある場所にその紋章が刻まれているとは」

「まあ、妙ってのは同感だ」

「〈精霊の輪の会〉とやらが〈穴〉に悪さをしておるのか?」

「さあな。本人たちに悪気がなくても、気づかないうちに〈穴〉に影響を与えてる可能性もある」


 ヒワは、エルメルアリアの動きを追いながら、その会話を聞いていた。しかし、ふと思いついてコーエンを振り返る。


「そういえば……その〈精霊の輪の会〉は、古い指揮術の研究もしているって話でしたよね。具体的にはどんな術なんですか?」

「詳しいことはわかりません」


 コーエンはかぶりを振る。しかし、すぐに上着の胸ポケットから手帳を取り出した。


「一応調べてはみたのですが、ちっとも理解できなくて。いや、参った参った」

「調べたのかよ」

「調べておるではないか」


 精霊人たちの指摘――あるいはツッコミ――が重なる。豪快に笑ったゼンドラングの真似をして、コーエンが手帳を開いた。


「お二人とも、内容、わかります?」


 そう言って見せられたページに、ヒワとノクスは顔を近づける。はからずも、同時に眉をひそめた。


「……わかりません」

「わかるか。こんなもん」


 ()()せの儀式、擬似開門(ぎじかいもん)、精霊(とど)めの陣と儀式、等々。精霊指揮士(コンダクター)ですら見慣れなさそうな言葉の数々が、乱雑に書き留められている。


 ヒワは思わず額を押さえる。言語としては読めるが理解できない――そんなものに出遭うのは、久々だった。


「お二人でもだめですか」


 笑いながら手帳を閉じたコーエンを、ノクスがぎろりとねめつける。


「俺たちに何を求めてんだ。そういうのは、お行儀よく勉強してる連中に訊け」

「ヒワをおまえと一緒にすんなよ」


 横で聞いていたエルメルアリアが噛みつく。ノクスはそれを黙殺し、いらだたしげにメモ紙をにらんでいた。さらに眉をつり上げたエルメルアリアを、ゼンドラングがなだめる。


 騒がしい精霊人(スピリヤ)たちを見ながら、ヒワは、勉強、と胸中で繰り返した。しばらく考えて、はっとする。


「――ロレンス!」

「あ?」


 いきなり叫んだヒワを見て、ノクスが顔をゆがめる。一方で、エルメルアリアは手を叩いた。契約者の言わんとすることを察したのだ。


「あ、そうか。こういう話はロレンスの方が詳しいかもな」

「なるほど! ソーラス院なら、人間の指揮術に関する資料も山ほどありそうだ」


 ゼンドラングも茶色い瞳を輝かせる。精霊人たちの盛り上がりに背を押され、ヒワはノクスを見つめた。


「あの、ロレンスに連絡を取ってもらうことって、できませんか?」

「ふざけんな。なんで俺があの見習いに伝霊(でんれい)飛ばさなきゃなんねえんだよ」


 返答はやはり刺々しい。ひるんだヒワの横で、エルメルアリアが口を尖らせた。


「この前はやってたじゃねえか」

「あれは、調子悪いヘルミの代わりに飛ばしたんだ。素人の面倒見るのとはわけが違う」


 言い募ろうとしたのか、エルメルアリアが口を開く。だが、彼が発言する前に、別の声が割り込んだ。


「ソーラス院の学生さんとお知り合いなんですか!? ソーラス院といえば、大陸屈指の精霊指揮士の学び舎ではないですか。その知識と知恵の一端に触れる機会を得られるとは! ぜひともお話をうかがいたいものです!」


 コーエン・シュミットである。未知の場所を訪れた子供のように両目を輝かせ、拳を握りしめていた。


 言葉の激流にのまれたノクスは、口を半開きにして彼を見つめる。やがて、純真無垢な好奇心と視線に敗北し、盛大なため息をついた。


「やりゃいいんだろ!」


 ――そんなわけで、不満そうなノクスをなだめながら、夕方まで待った。ぶつくさ文句を言いながら彼が黄金色の龍を飛ばすと、さほど経たずに白い鳥が現れる。


 ロレンスは、伝霊越しでもわかるほどにおびえていた。突然ノクスから連絡が来た上に、知らない男性――コーエン――に話しかけられたのだから、当然である。だが、ヒワたちから話を聞くと、幾分か冷静になった。


『〈精霊の輪の会〉……こっちじゃ聞いたことないな』

「まあ、山岳地帯の国々を越えてまで活動しようという人は、かの会の中にもいないのでしょうねえ。まして、アルクス王国は指揮術先進国ですし」


 コーエンが、ちっちっ、と指を振る。対してロレンスは、少し考えこんだようだった。


『繰り寄せはともかく、擬似開門に精霊留めって……ろくなことしてなさそうだな』

「何か知ってるの、ロレンス?」


 ヒワは、黄緑色の瞳を輝かせる。ロレンスの声は眠たげで、いつもより若干低かった。


『なんとなくは知ってる。ただ、古代指揮術には詳しくないからな……うかつなことは言いたくない……。調べ直してから、折り返し連絡してもいい?』

「わたしはいいけど……」


 ヒワは、ノクスの方へ視線を流す。青年は、不機嫌そうに光の鳥の額をつついた。


「ぐずぐずすんなよ。こっちは時間がねえんだ」

『そうですね。〈穴〉が開いたままなら、のんびりしてられない』

「わかってんならとっとと調べろ」

『はい、すみません。頑張ります。でも、学生が見られる資料って限られてるんで、あんまり期待はしないでください……』


 ロレンスの声が尻すぼみに消える。そして、伝霊もハープのような音を立てて消えた。心なしかいつもより消えるのが早かった。


 自身の伝霊が戻ってくると、ノクスは杖を一振りする。黄金色の龍は光の集合体となって、彼の鞄の中に吸い込まれていった。


 不機嫌そうなノクスを見て、ヒワは肩をすくめる。疲れた様子の人間二人と精霊人のかたわらで、コーエンは未だに興奮していた。


「まさかグラネスタ家のご子息だとは! 貴重な経験をさせていただきました」

「指揮術はからっきし、などと言う割に、凄まじい食いつきだったな!」

「好奇心と舌の回る早さはヒューゲル随一と自負しております」


 豪快な笑い声に、誰かのうなり声が重なる。元気なのは、ゼンドラングとコーエンだけであった。

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