84 青に浮かぶ
「結局、収穫なしか」
宿の一階。窓辺のソファに座って、ノクスがため息をついた。ヒワの膝の上に座るエルメルアリアが、わかりやすくうなだれる。
一方、ゼンドラングは豪快に笑った。
「魔力のことがわかっただけでも、十分な収穫であろう。わしらだけでは気づけなかったと思うぞ」
慰めにしてはからりとした言葉に、しかしエルメルアリアが顔を曇らせた。
「……でも、正体はわからずじまいだ」
「そんなものは、これから探っていけばよい!」
ぱん、と大きな両手が空気を叩く。珍しく沈んでいたエルメルアリアは、ようやく顔を上げた。ヒワは安堵して、口を開く。
「明日から、ノクスさんたちが調べた場所を巡りますか?」
うなずいたノクスが、いくつかの地名を挙げた。ヒワにとっては聞き覚えのない場所ばかりである。あとで地図を確認しておこう、と心に決めた。
「――では、私は明日からしばらく休暇ですかね?」
話し込んでいたところに、コーエンが顔を出す。己の顔を指さした案内人を見て、ノクスは首を横に振った。
「もし行ったことがある場所なら、ついてこいよ。近道とか、あるかもしれねえだろ」
「ええ、ええ、ごもっともです! 南部州は私のお庭ですので、お任せください。あ、ただし、『そっち方面』は期待しないでくださいね」
「安心しろ。最初から期待してねえ」
ノクスが軽く杖を振る。コーエンは、怒るどころか陽気に笑った。一行を見回すまなざしは、初夏の陽光のようだ。
「さてさて。食堂が開くまで、少しばかり時間がございますが……一度、お部屋に戻られますか?」
「そうだな。さすがに寝てえわ」
「あ……わたしも……」
ノクスに便乗する形で、ヒワも主張する。精霊人たちはまだまだ元気そうだったが、反対はしなかった。契約者の意向に沿うつもりらしい。
「わかりました。それでは、お部屋の前で解散ということで」
コーエンは、歌うように告げた。
その後、一行はそれぞれ客室に入った。ヒワは最初、地図などを確認しようと思っていたのだが、旅装を解いてひと息ついた後、そのまま眠ってしまった。慌てて飛び起きたとき、窓の外には青と橙色の幻想的な色彩が広がっていた。夕闇が落ちかかった町に、ぽつり、ぽつりと明かりが灯る。
「うわ、やっちゃった……!」
「よく寝てたな」
窓辺の椅子に座っていたエルメルアリアが、ひょいと手を挙げる。ヒワは、髪留めの位置を直しながら彼をにらんだ。
「起こしてくれればよかったのに」
「いやあ。あんまりにも気持ちよさそうに寝てるもんだから、起こすのは悪いかと思って」
言いながら、エルメルアリアは浮き上がる。宙を泳いで、ヒワのもとへやってきた。
「どうする? 外に出てみるか?」
「うん。さすがに、食堂も開いてるだろうし。……ノクスさん、怒ってないといいな」
「大丈夫だろ。そんなに遅い時間じゃねえし」
会話しつつも、慌てて支度を整える。貴重品を持って部屋を出た。そのとき、隣室から出てきた老夫婦と視線がかち合う。
「おや、こんばんは」
――彼らは、アルクス語で話しかけてきた。ヒワは驚きつつも「こんばんは」とアルクス語で返す。抑揚がおかしなことになった気がするが、訂正するのも変な話だ。幸い、相手も気にしていないようだった。
「まあ。あなた方も二人旅ですか?」
「あ、はい。案内人さんとかは、一緒ですけど……」
「お若いのに、すごいわねえ。いえ、だからこその行動力かしら?」
老婦人がお茶目に、それでいて上品に笑う。「君も昔はお転婆だったものなあ」と返した老紳士が、ヒワの方を見た。
「これから夕食ですよね。ちょうど、食堂が開く時間ですし」
「あ、は、はい。そうなんです」
何もわからないまま出てきた、とは言えず、ヒワはうなずく。老夫婦は嬉しそうだった。
「楽しみですね。この宿は、料理がおいしいと評判ですから」
――そんな話をしていたとき。通路の奥から、コーエンがやってきた。彼がヒワに手を振っていることに気づくと、老夫婦は一礼して階段の方へ歩いていく。
「今の方々は……親しくなられたので?」
コーエンは、そちらを見て首をかしげた。ヒワも釣られてしまう。
「いえ、初対面です。お隣さんみたいで」
「ほう。気さくな方々ですねえ。……にしても、わざわざアルクス語で話しかけてくるなんて、不思議なご夫婦だ。ヒューゲル人に見えましたが、アルクス出身なんですかね?」
饒舌な案内人が、きらりと目を光らせる。ヒワは驚きつつも、先のやり取りを振り返った。
ヒダカ人の血が濃いヒワは、顔を見ただけでは出身地も住んでいる場所も見抜きにくい。実際、初対面の人には「どこの人?」と尋ねられることが多かった。そして、そのような人には西部共通語で話しかけるのが、この地域では一般的な対応だ。――けれど、あの老夫婦は最初から最後までアルクス語で話していた。
「いろんな人がいるなあ」
老夫婦のことは気になったが、すぐにノクスたちがやってきたので、推理を放棄する。腹をすかせた人間たちと、好奇心旺盛な精霊人たちは、共に食堂へ向かった。
※
翌日からしばらく、一行は南部州の各地を巡った。一日一か所を訪れて、陽が沈む頃に〈精霊姫の歌声〉へ戻る。この繰り返しだ。
コーエンもついてきた。さすがに精霊人たちの能力は隠し通せない。ふたりの正体を明かさねばならなくなるかと、ヒワは肝を冷やしたが、杞憂に終わった。
ゼンドラングの俊足や、エルメルアリアの飛ぶ姿を見て、コーエンは確かに驚き、目を輝かせた。が、本当にそれだけだった。あえて追及しないでくれているのか、「精霊指揮士とはこういうものか」と勘違いしているのかは、判然としないが。
余計な心配事がなくなった一行は、深い森や大きな滝、洞窟など探索した。そして――
「わっ…………かんねえな、くそ!」
――洞窟の前で、エルメルアリアが爆発した。
ここは『暗くて狭いところ』なので、安易には踏み込めない。というわけで、入口から魔力を探るだけに留めていたのだが――謎が深まっただけだった。
「だいたい、おかしいだろ! なんでこんな広範囲に〈穴〉の魔力が分散してんだ! そのくせ本体はどこにもねえし!」
「がははは! そうであろう、奇妙であろう」
めいっぱい叫んでいるエルメルアリアの隣で、大男が天まで届く笑声を立てる。「よくわかりませんが、笑って済ませられるゼン様は大物ですねえ」と、さすがのコーエンも苦笑していた。
「しかも、本当に他世界の魔物と出会わなかったね。見事に、一回も」
「ああ。まるで〈穴〉の魔力だけをそこらじゅうにばらまいてるみたいだ。腹が立つ」
吐き捨てたエルメルアリアが、やや細長い岩穴をにらむ。
「こうなったら、中も調べて――」
「だ、だめだよ! 前みたいに体調崩したらどうするの!」
ヒワは慌てて止めに入った。今にも飛び出しそうなエルメルアリアを、後ろから抱きすくめる。それを見ていたノクスが、ぱしぱしとまばたきした。
「そいつ、こういう場所がだめなのか?」
こういう場所、と杖の先で洞窟を示す。ヒワは「そんな感じです」と曖昧に答えておいた。意外にも、ノクスの反応は淡白だ。
「なら、入んな。てめえが使い物にならなくなったら意味ねえだろうが」
痛いところを突かれて、エルメルアリアが声を詰まらせる。花がしおれるように大人しくなった。
成り行きを見守っていたコーエンが、洞窟をのぞきこむ。
「私が代わりに見てまいりましょうか? 入ったことがありますので、変わった物があればわかると思いますよ」
「しかし、コーエンよ。魔物がいる恐れがあるぞ」
「ですので、ほら、ノクス様かゼン様についてきていただいて――」
なぜか得意げに語っていたコーエン。しかし彼は、そこで言葉を止めた。前のめりになったかと思えば、「おやおや?」と洞窟に踏み込む。入り口近くの岩壁をしばらく見つめると、手袋を装着してそこを触りはじめた。
「む? どうした?」
「ふむふむふむ。この感じは、もしかして」
呟いたコーエンは、その場から入口の人々に呼びかける。
「どなたか、ここの壁を照らせませんかね? できれば、寒色の光で」
ゼンドラングの後ろからのぞきこんでいたノクスが、首をひねった。
「かんしょく?」
「青などの、冷たい印象を与える色のことだな」
「なるほど。それなら――」
うなずいたノクスが、相棒をよじ登って越え、洞窟へ踏み込む。コーエンの隣に行くと、杖を振った。
「『ミーレル』」
詠唱の後、青い光が岩壁を照らした。男性陣がそれぞれに驚きを示す。
「わお、これは大発見ですねえ」
「ちょっと待てよ、これって――」
外からそれを聞いていたヒワは、たまらず叫ぶ。
「何か、あったんですか?」
「絵がありました。特殊な塗料で描かれたもののようです。寒色の光で照らさないとわからないので、見逃されていたのでしょうね」
コーエンの叫び声が反響しながら返ってくる。その内容を聞いて、ヒワとエルメルアリアは顔を見合わせた。
「絵って……どんな?」
「直接見ていただくのが、早いかと思います」
そう言われて、ヒワは再び相棒を見る。彼は、少し悩んだのち、「まあ、入口までなら」と呟いた。
慎重に洞窟へ踏み込む。エルメルアリアが顔を伏せたのを見て、ヒワはすぐにささやいた。
「大丈夫。右腕はついてるよ」
小さなうなずきが、返ってくる。
ノクスが怪訝そうにしたが、すぐに顔を背けた。ヒワたちに道を譲るように足を動かす。もちろん、杖は岩壁に向けたままだが。
ヒワは、ぶつからないように気をつけながら岩壁を見た。そして――ひゅっと息をのむ。
そこに描かれていたのは、風変わりな紋章だ。小さな星が円形に並び、その中心に変わった記号がある。――精霊と天地内界を示す記号。
「これって、〈精霊の輪の会〉の……?」
ヒワのささやきに対して、誰も、何も言わない。
だが、その沈黙こそが答えだった。




