83 表と裏の外国旅
翌日。町を出た四人はラヴェンデルへ向かう。急ぎの旅であるため、移動は精霊人頼みだ。
「ねえエラ、やっぱりこれやめない!?」
今日も今日とて空を飛ぶヒワは、命綱、もとい相棒にすがるような視線を向ける。その相棒は、彼女を振り返って頭を傾けた。
「なんだよ。いつもよりはゆっくりだろ?」
「そうだけど! 中途半端に遅い分、かえって辛いというか!」
ヒワは呼吸を整えながら抗弁する。しかし、人間の辛さは精霊人には上手く伝わらなかったらしい。「しばらく我慢してくれ」と返されてしまった。
そのとき、下から陽気な声がかかる。
「空の上が辛いなら、わしに乗っても構わんぞ!」
声の主は、本来の大きさに戻っているゼンドラングだ。列車と並走できそうな勢いで走っている。肩に乗っているノクスは涼しい顔だが、契約相手の言葉を聞くと眉をひそめた。
「やめとけ。いきなり乗ったら吐くぞ」
「わかりました! お気持ちだけ受け取っておきます!」
「そうか、そうか! 乗りたくなったらいつでも言え!」
ゼンドラングは丸太のごとき腕をぶんぶんと振った。そのとき、ノクスがぎょっと目をみはる。
「おい、ゼン! 前、前! どうすんだよあれ!」
彼が指さした先には、川が流れていた。しかも、かなりの川幅がある。ゼンドラングは「おっと」と眉を上げた。
「走って渡れぬこともないが、住民たちに迷惑がかかるな。――どれ」
言葉が終わらぬうちに、巨大な足が地を蹴った。エルメルアリアがさりげなく高度を上げる。巻き込まれたヒワは、慌てて口を閉じ、悲鳴をのみこんだ。
巨人が空へと舞い上がる。数秒の浮遊ののち、対岸に着地した。近くの木々に止まっていた鳥たちが、一斉に飛び立つ。
ヒワは、口と両目を力なく開いた。
「……なんか、すごいものを見た」
「あれで俊敏なんだよな、ゼン」
のんびりと呟いたエルメルアリアが、彼女の手を引いて下降する。ヒワは、再び自分の手に意識を集中させた。巨人にしがみついている青年の表情は、見なかったことにした。
刺激的な移動の甲斐あって、数時間でラヴェンデル近郊に辿り着く。契約者たちがあまりに憔悴していたため、町に入る前に一休みした。
「……おまえ、毎回あれをやってんのか?」
「普段は倍速です……」
「……よく生きてんな」
「……ノクスさんこそ……」
妙なところでわかり合う少女と青年を、ゼンドラングが座って見守る。そして、エルメルアリアは、契約者の荷物の中から小さな衣服を引っ張り出していた。
――ヒワとノクスが歩ける程度に回復したところで、改めてラヴェンデルに入った。町の正門前では検問が行われていたが、基本的な質問に答えるだけで通してもらえた。
「国から話が行ってんな、こりゃ」
「わかるんですか?」
「衛兵の態度が違う」
そんなやり取りをしつつ、旅行客や荷馬車に混じって町へ入る。ヒワは、心の中でマッテオ・インヴェルノに感謝した。
大通りを行く。建物は石造りだったりレンガ造りだったりするが、屋根は青色で統一されている。そして意外に、と言うべきか、やはり、と言うべきか、緑豊かだ。少し歩くだけでも、木々や整備された草地が目に入る。
人と馬車、時折魔動車。その激流に、ヒワは圧倒されていた。飛び交う言語と音にのまれかけていたところ、荒々しい声に意識を引き戻される。
「案内人ってのは、どこにいんだよ」
「た、確か、正門前広場の近くで宿を取ってるって――」
我に返ったヒワは、慌てて記憶を引っ張り出す。「広場って、あれか?」と、隣を歩くエルメルアリアが行く手を指さした。確かに、円形に開けた空間がある。
ひとまずそこへ踏み込むと、右手に『正門前広場』と書かれた看板が立っていた。
「うーむ。梟はおるか?」
ゼンドラングが目陰をさす。ヒワも、宿を示す看板を探してあたりを見た。そんなとき――明るい声が、ざわめきを割る。
「失礼、そちらの小さい子連れのお嬢さん」
なめらかな西部共通語に誘われて、ヒワは思わず振り向いた。つばつきの帽子をかぶった人物が歩いてくるところだった。
「そうそう、あなた。大きな荷物を背負った、きれいな髪留めをつけたあなた」
「わ……わたし? ですか」
ヒワがつい答えると、その人物は「そう!」と言って指を鳴らす。
ノクスが舌打ちした。
「おい。軽々しく返事すんな。昨日のこと、もう忘れたのか」
「あっ――すみません!」
ヒワが反射的に謝ると、帽子の人物が笑声を立てた。
「おや。警戒させてしまったようですね。申し訳ありません。お嬢さん、ヒワ・スノハラ様で間違いありませんか?」
少し声を落として尋ねてくる。ヒワはためらいがちにうなずいた。すると相手は、帽子のつばを持ち上げる。陽気な男性の顔が現れた。小動物を思わせる灰色の瞳が、一行を見据える。
「私、コーエン・シュミットと申します。主にヒューゲル南部州で、観光やお仕事のための案内人をしております」
「あっ――もしかして、シルヴィーのお知り合いの……?」
「その通り! シルヴィーお嬢様からご連絡いただきまして、スノハラ様をお待ちしておりました」
コーエン・シュミットは、帽子を取って一礼する。その姿は、さながら貴族のようだった。気後れしつつ、ヒワも名乗る。エルメルアリアの方は――念のため、愛称を伝えておいた。
小さな精霊人を見たコーエンは、大げさな動きで驚きを示す。
「『相棒さん』が一緒だと伺っておりましたが……まさか妹さんだとは」
「やっぱり娘に見えるのか」
ぼやいたエルメルアリアが、ズボンをつまむ。ちなみに、今の彼は真珠色のシャツにゆとりある灰色のズボンを合わせ、同色の吊り革帯でそれを固定している。普段と比べれば、人に溶け込みやすい服装のはずだ。その格好で胸を張る。
「シルヴィーの言う通り、妹じゃなくて相棒だ。子供扱いは程々で頼む」
「おおっ、早熟の天才ですね。失礼しました」
「ま、そういうことにしといてくれ。オレが天才なのは事実だしな」
エルメルアリアは得意げに笑う。ヒワは黙ってうなずいたが、顔は少し引きつっていた。幸い、コーエンの興味はすぐにあとのふたりへ移る。
「そちらのお二人も、お連れ様ですか?」
眉をひそめたノクスの代わりに、ゼンドラングが口を開く。
「そうだ! 南でばったり再会して、共に行動することになった。迷惑でなければ、よろしく頼む!」
「迷惑だなんてとんでもない。ぜひとも、私を使ってくださいませ」
そんな調子で自己紹介が済むと、コーエンがおすすめの宿に案内してくれることになった。道中、ヒワは彼に尋ねる。
「あの……コーエンさんは、わたしたちのこと、どこまでご存知なんですか?」
「シルヴィーお嬢様のご友人で、精霊指揮士だとうかがっておりますよ。この地で調査をなさるとか」
ヒワは、軽く目をみはった。思ったよりも事情を把握している。
彼女の変化に気づいたのか、コーエンは悪戯っぽく目を細めた。
「詮索も、無用な手出しも致しませんので、ご安心を。私、指揮術はからっきしですので。――その代わり、私にできることは協力させていただきます」
ヒワは両目をしばたたく。つい、相棒を見下ろした。小さなうなずきが返ってくる。心のこわばりがほどけるのを感じたヒワは、コーエンに向き直る。
「よろしくお願いします」
深々と頭を下げると、案内人は「こちらこそ」と陽気に答えた。
※
コーエンおすすめの宿、〈精霊姫の歌声〉で手続きを済ませる。二組それぞれの部屋を確認したところで、エルメルアリアが挙手した。
「まずは、この町を見ておきたいんだけど」
ヒワとノクスは目を丸め、ゼンドラングは「ほう」と腕を組む。任務の詳細を知らないコーエンだけが、笑みを咲かせた。
「おや、ラヴェンデルにご興味がおありで?」
「それもあるけど――調査の一環だ」
「なるほど、なるほど。でしたら、道案内は私にお任せください」
案内人はすでにやる気満々だ。ヒワは、もう一組を振り返った。視線を受け止めたノクスもまた、相棒の方を見る。
「こやつなりに確かめておきたいことがあるのだろう。悪いことではないと思うぞ。それに――わしも、この都市には興味がある」
ゼンドラングはにやりと笑った。ノクスはあからさまにため息をつく。
「わぁったよ。好きにしろ」
「では、身を軽くしてから参りましょう!」
ノクスたちが使う部屋の扉を指さして、コーエンが声高く言う。そして、ついでのように言葉を繋いだ。
「あ、貴重品はお手元に。それ以外のお荷物も、鍵付きの収納に入れることをおすすめします」
一行は町へ繰り出した。宣言通り、コーエンが事細かに通りの名前やおすすめの店などを解説してくれる。加えて、『善良な人が近づいてはいけない場所』も教えてくれた。ヒワは、必死でそれを頭に叩き込んだ。
ヒワの手を握って歩くエルメルアリアは、真剣な表情であたりをうかがっている。気づいたヒワは、そっと顔を近づけた。
「エラ、何か気になるの?」
「ああ。――町全体に、うっすらと嫌な魔力が漂ってる。それが、〈穴〉の魔力に似てると思って」
「え?」
思わず叫んでしまった一瞬、コーエンが振り返ったが、素知らぬふりをして前を向く。ヒワは胸中で感謝を述べて、ノクスたちを呼んだ。魔力の話をすると、ゼンドラングがしきりに鼻を動かす。
「うーむ……それらしい臭いはせんがな」
「『嗅ぎ取る』のは難しいと思うぞ。使い魔や魔動車の気配にまぎれちまってるし。オレも、かなり集中しないと感じ取れない」
エルメルアリアの白い指が、こめかみをつつく。
それを見ていたノクスが、いらだたしげに腰の革帯を叩いた。――左側に吊るされた杖が揺れる。
「町中でも〈穴〉の気配がするって、やべえんじゃねえの?」
「うむ。ますますきな臭いな。他世界の魔物が出てこぬのも、気味が悪い」
ヒワは、二人のやり取りを聞きながら町を見回す。
行き交う旅行者。立ち並ぶ瀟洒な店。荷物を満載した馬車が通って、街灯の下で派手な格好をした二人組が笛を吹いている。平和そのそもな、都市の景色。それが、妙に浮いて見えた。
いくら話し合っても答えは出ない。しかたなく、コーエンについて歩いた。途中、ヒワは一瞬足を止める。通りの向かいから、白いローブをまとった一団がやってきた。
「……? なんだろ」
「おっと。端に避けますか」
コーエンが、華麗な手振りで退避を促した。一行は、店の軒先に身を寄せる。ほどなくして、すぐ前を白い行列が進んでいった。――よく見ると、ローブの背中側に紋章のようなものが刺繍されている。小さな星が円形に配置され、その内側に奇妙な記号があった。
「なんだなんだ。面妖な者どもだな」
「〈精霊の輪の会〉の方々ですねえ。ここで出くわすのは珍しい」
ゼンドラングのささやきに、コーエンが答える。
「〈精霊の輪の会〉?」
ヒワは、耳慣れない言葉を繰り返した。思わずノクスの方を見る。彼もかぶりを振った。答えをくれたのは、やはり案内人である。
「古い指揮術の研究をしたり、自然保護の活動をしたりしている団体です。何と言ったか――『あらゆる種族の共存』みたいな思想を掲げています。まあ、最近ではそれを名目に色んなことをやりすぎて、若干迷走しているところがありますね。あ、ちなみに、あの紋章の変わった記号は『精霊と天地内界』を表しているそうです」
「つまり――変な奴らってことだな」
ノクスが吐き捨てている間にも、白い行列は通り過ぎていった。そろりと歩道に出たところで、ヒワは首をかしげた。すん、と鼻を動かす。
「……ん? んん?」
「どうした、ヒワ。ゼンみたいなことして」
エルメルアリアが下から尋ねてくる。ヒワは、ひとしきり考え込んだ末に、かぶりを振った。
「なんか、変な臭いがした気がしたんだけど……気のせいかなあ?」
「臭い? なんの臭いだ?」
「うーん。なんだろ。なんとなく、馴染みがあるような気も、するんだけど……」
もう一度空気の臭いを嗅いでみたが、色々な臭いが混ざっていてわけがわからない。ヒワはあきらめて、相棒の手を握った。
――それが獣と血の臭いだったと気づいたのは、宿に戻った後のことである。




