82 轟雷の庭(2)
目抜き通り二軒目の宿は、〈星の角灯亭〉といった。一階が酒場になっている、昔ながらの宿である。だが、荒っぽい印象はなかった。店内は清潔で、宿泊客たちが朗らかに会話と食事を楽しんでいる。
受付を兼ねる酒場のカウンターで手続きを済ませる。ヒワはいちいち手間取ってしまったが、宿の主人は嫌な顔ひとつせず、やり方を教えてくれた。
部屋の場所を確かめた後、一階に戻る。早めの夕食を摂ることになったのだ。
酒場のやや奥まったところにある、広い席を陣取った。
注文して、待つことしばし。腸詰と黄色い団子の盛り合わせや、蒸し野菜などが運ばれてくる。異国の料理の数々に、ヒワたちは思わず顔を輝かせた。ノクスはいら立つでも呆れるでもなく、隣に座る偉丈夫を見やる。
「今日は、酒はいいのかよ」
「一応、任務中だからな。未成年者が同席しておることだし」
ゼンドラングは腕を組んで笑う。そうしていると、体が一回り大きくなったようだった。
それぞれに食前の挨拶を済ませ、食べはじめる。ヒワは恐る恐る、大きな腸詰の山に挑んだ。数本を皿に取り分ける。かじってみると、ぱちりと皮が弾けた。脂のうまみが口いっぱいに広がった後、胡椒や肉荳蔲が押し寄せてくる。想像よりも、香りが強かった。
ヒワがいちいち感動しながら食べ進めていると、豪快な食べっぷりを披露していたゼンドラングがその手を止める。にやりと笑って、切り出した。
「おぬしら、ヒューゲルに入ったばかりであろう」
「ああ。ひとまず町に行ってみようってことで、ここに来た」
黄色い団子、もとい茹でて潰したイモの団子を頬張っていたエルメルアリアがうなずく。
「せっかくだ。わしらが得た情報を共有しておかぬか」
「つっても、大してわかってねえけどな」
ノクスがぼやいて、顔を上げる。「地図は?」と尋ねられたので、ヒワは地誌を広げてみせた。ノクスは一瞬顔をしかめたが、すぐに表情を消して、地図に指を置いた。
「〈穴〉があるのは、多分このへんだ。……ここまでは、絞り込めた」
青年の指が、アーホルンより少し上に大きな丸を描く。南部州の西側にあたる部分だ。ヒワは、そこを真剣に見つめる。彼女と同じく地図をのぞきこんだゼンドラングが、口をひん曲げた。
「そんなわけで、南部州を巡っておったのだが……上手いこと〈穴〉の臭いが追えんでな」
「追えない? どういうことだ」
エルメルアリアが身を乗り出す。ゼンドラングは、ぼりぼりと頬をかいた。
「出所がはっきりしない、と言ったらいいのか。まるで〈穴〉に蓋がされているかのように、臭いが薄いのだ。しかも、それが、あちこちから漂ってきておる」
盛大なため息が、楓材のテーブルに落ちる。
「それだけではない。天外界や他世界の魔物をまるで見かけんのだ」
ヒワとエルメルアリアは、えっ、と固まる。腸詰と蒸し野菜を小皿に取っていたノクスが、彼らを一瞥した。
「内界の魔物はいつもより荒れてるけどな。それも精霊指揮士どもがどうにかしてるから、精霊指揮士じゃない地元の連中は、おかしいとすら思ってねえ」
「なんだろうな。相当見つけにくい場所にあるのか、〈穴〉のまわりに結界でも張ってあるのか……」
思考をまとめていたらしいエルメルアリアが、ふいに眉をひそめる。ゼンドラングも何かに気づいたようで、同胞と顔を見合わせていた。だが、その胸中を語ることはしない。代わりに大きな手を叩いた。
「エルメルアリアに来てもらえば、わかることもあるやもしれん。わしらが巡った場所にふたりを案内するのはどうか、ノクス?」
「それは別にいいけどよ。拠点はどうすんだ。野宿ってわけにもいかねえだろ」
俺らだけならそれでもいいけど、と呟いた青年は、地図とにらみ合う。
「このあたりで一番ましな町は……ラヴェンデルか。あんま詳しくねえぞ、俺」
「そうなのか? 有名な都市だろうに」
舌打ち混じりに呟いた契約者を見て、ゼンドラングが目を丸くする。その契約者は、太い腸詰を噛みちぎりながらぼやいた。
「なるべく近づかねえようにしてんだ。道がややこしい上に、やばい連中の溜まり場があるから」
「なるほど。ま、都市とはえてしてそういうものよな」
ゼンドラングは言いながら、薄切りのライ麦パンを数枚まとめてつかみ取る。ヒワは、それを見ながら都市の名前を心の中で繰り返していた。話が途切れたその瞬間、ひらめく。
「あっ。ラヴェンデルって、何か見覚えがあると思ったら――」
ヒワは急いで荷物を探った。シルヴィー作の資料を取り出し、素早くめくる。ラヴェンデルの名を見つけて、手を止めた。
「やっぱり、あった! 案内人さんがいるところだ!」
ヒワたちのヒューゲル行が決まってすぐ、シルヴィーが『馴染みの案内人』に連絡を取ってくれた。その時は折り悪く、相手が仕事中だった。のちに、『すぐに合流することは難しいが、今の仕事が終わったらラヴェンデルで待機している。困ったことがあったら訪ねてくれ』との知らせがあったのだ。
「お、ちょうどいいじゃねえか」
「決まりだな!」
精霊人たちが上機嫌になる。それを見て、ノクスが小さく鼻を鳴らした。
「案内人がいるならいいか。……明日、ラヴェンデルに向かう。その後の行先は着いてから決める。いいな」
ヒワは気合を入れて「はい!」と答えた。資料をしまって、バックパックを抱えたとき、すぐ近くでヒューゲル語が響く。ヒワは思わず身を縮めたが、対面のノクスは大して驚きもせず振り返った。
四人が使っている席の前に、若い男性の集団が来ていた。彼らはノクスを見て、明るい声を上げる。当のノクスは、いつも通り不機嫌そうに応じていた。
その後も騒がしいやり取りが続く。早口のヒューゲル語で、ヒワが聞き取るのは難しかった。
「えっと……何事?」
「知人同士の会話って感じだ。こいつら、ノクスの知り合いか」
ヒワのささやきに、腸詰を食べていたエルメルアリアが返す。彼らの前で若者集団の笑い声が弾け、さらに会話が続いた。ゼンドラングが乗っかったようだが、聞き取れたのは彼の自己紹介だけ。話の全容は見えなかった。
少しして、彼らはノクスに「また会おう」というようなことを告げて去っていく。ノクスは返事をしなかった。
客が増えてきた宿の一角。グラスのぶつかる音を聞くともなしに聞きながら、ヒワは精霊指揮士の青年を見つめた。
「あの、今の人たちは――」
「ガキの頃の知り合い」
彼は、むっつりとそれだけ答えた。ライ麦パンをつまんだエルメルアリアが目を瞬く。
「なんだ。あんた、このへんの出身なのか?」
ヒワは思わず、あっ、とこぼす。不思議なことではない。流暢なヒューゲル語、まともな宿を知っていること――そう思わせる部分は、いくつもあった。
しかし、ノクスは荒々しくかぶりを振る。
「どの町の出かなんて、知らねえよ。ヒューゲル人ではあるんだろうけどな」
榛色の瞳は、どこか遠くを見つめているようで。ヒワはその横顔にひととき見入っていた。一瞬、誰かと重なった気がする。
少女の視線に気づいたのか、青年はすぐに前を向いた。三人を見回して、鋭く舌打ちする。
「どうでもいいだろ、俺のことは。とっとと食って、とっとと寝るぞ」
「おう、今日は英気を養うとしよう!」
ゼンドラングが豪快に笑ったことで、その場に明るい空気が戻る。ヒワも笑みをつくって、残りの料理に意識を集中した。
最後に食べたイモ団子は、やけにしょっぱかった。




