82 轟雷の庭(1)
ヒワは、呆気にとられて青年を見つめていた。
ノクス。大地と親しい精霊人・ゼンドラングと契約し、ヒワたちと同じ使命を負った精霊指揮士。先の作戦会議で言葉は交わしたが、直接会うのは〈銀星臨時会合〉以来だ。
「おい」と再び剣呑な声がかかる。我に返ったヒワは、質問に答えていないことに気が付いた。謝りかけたが、その前にノクスが荒っぽく手招きする。
「ぼさっと突っ立ってんな。また『狼』が来るだろ」
「あ、す、すみません!」
結局謝って、ヒワは目抜き通りに戻る。旅行者らしき一団の笑い声を聞くと、身心の力がふっと抜けた。
青年の背中を見て、エルメルアリアがため息をつく。
「相変わらずだな、あんた。『こんにちは』のひとつくらい言ったらどうだ」
「言ったらなんかくれんのかよ、お姫様?」
皮肉っぽい返答に、ヒワはぽかんと口を開けてしまう。対して、エルメルアリアは眉をつり上げた。
「てめ――さては聞いてたな!」
「『狼』どもがやかましかったからな」
「どうせ来るなら、もっと早く来いよ!」
「どっかの精霊人が上手くやるかと思ったんだよ。ま、舐められて終わったけどな」
「この、クソガキ!」
再会して早々、青年と精霊人が言い合いを始めてしまう。ヒワは「まあまあ」となだめようとしたが、ふたりの耳には入っていないようだ。しかたなく、子供の喧嘩のような応酬が落ち着くのを待つ。お互いがそっぽを向いたところで、ヒワは改めて息を吸った。
「ノクスさん。助けてくださって、ありがとうございました」
エルメルアリアが、ぴくりと震える。かと思えば、視線だけをノクスの方へ向けて、小さく口を動かした。
「…………まあ、礼は言っとくよ。面倒なのを追っ払ってくれたのは事実だしな」
ヒワはそれを聞いて、つい笑みをこぼす。一方ノクスは、どうでもいいと言わんばかりに鼻を鳴らした。ズボンのポケットに左手を突っ込んで、ふたりをにらむ。
「そんなことより。何してやがる、てめえら」
最初の質問に戻ってきた。気づいたヒワは、慌てて答えを口にする。
「〈穴〉の調査です。〈銀星の塔〉からの、緊急指令で」
「〈穴〉?」
ノクスの眉が、跳ねた。
「もしかして、あいた場所も、どこと繋がってるかもわかんねえ〈穴〉のことか」
「ご存知なんですか?」
尋ねる声が、少しうわずった。ノクスは、むっつりとうなずいて、続ける。
「その〈穴〉を探し回ってたんだよ、こっちも」
「じゃあ、〈穴〉はこのあたりにあるのか? それらしい気配は感じねえけど」
エルメルアリアが問うと、ノクスはかぶりを振った。
「違う。調査を途中で止めて、ここまで飛んできた。フォンゼル師に言われて、しかたなく――」
呟くように言った青年は、そこではたと言葉を止める。ヒワたちをじっと見つめた後、乱暴に頭をかいた。
「くそ、そういうことかよ。嵌められた!」
いきなりの怒鳴り声に驚いて、ヒワは相棒を抱く腕に力を込める。腕の圧を受け止めたエルメルアリアは、渋い顔で首をひねっていた。
ひとしきり悪態をついたノクスは、出てきたばかりの路地をにらんで叫ぶ。
「しかたねえな。――ゼン!」
鋭い声が消えてから、ややあって。路地の方から足音が聞こえた。かと思えば、褐色肌の偉丈夫がひょいと顔をのぞかせる。
「ノクス! おぬしの方から呼び出すとは、珍しいではないか」
背後から大声を浴びせられたヒワは、悲鳴を上げて文字通り飛び上がった。ノクスは彼女を一瞥してから、契約相手に視線を戻す。
「妙に時間かかったな」
「すまんすまん。ひと気のない通りに跳んでから、ここまで走ってきたのでな」
「走ってきたにしては、早すぎ……いやまあ、今さらか」
ノクスがため息をつく。それを見ていた偉丈夫――ゼンドラングは、しかし途中で瞳を動かした。やっとヒワたちに気づいたらしい。
「む? エルメルアリアに、ヒワではないか」
「しばらくぶりだな、ゼン」
エルメルアリアが親しげに手を挙げる。おう、と嬉しそうに返したゼンドラングは、言葉を繋げた。
「ヒューゲルで出会うとは思わなんだ。もしや、〈穴〉の調査か?」
「そう。観測結果が曖昧だから、直接行って調べてこいと」
それを聞くと、ゼンドラングは目をみはる。さらにノクスが小声で何事かを話した。しばし耳を澄ませた彼は――豪快に笑いだす。
「がははは! なるほどな! つまり、わしらはいいように使われたわけだ。いや、『使われる』と言うべきか」
「笑い事じゃねえよ」
ノクスが刺々しく吐き捨てる。
まだ話がのみこめないヒワは、すがるようにゼンドラングを見上げた。
「あの……どういうことですか?」
「む、そうか。おぬしらは何も知らんのだな」
ヒワがこっくりうなずくと、ゼンドラングが詳しい話を教えてくれる。
まず、ノクスたちのもとにも使い鳥がやってきた。指令の内容はヒワたちとほぼ同じだった。
ちょうどヒューゲル王国にいたふたりは、しばらく〈穴〉探しをしていた。しかし、昨日の朝に突如伝霊が飛んできて、「大至急、アーホルンへ向かうように」とだけ告げた。
「この伝霊の送り主が、フォンゼル・ゾンネンシュトック。精霊指揮士協会ヒューゲル王国支部の支部長だ」
「支部長……」
『ヒューゲルの政府と協会支部にも話を通しておこう』
ヒワは、一昨日のインヴェルノ支部長の言葉を思い出す。途端、頭の中で情報が繋がった。
「もしかして……」
「わしらに『エルメルアリアたちと協力しろ』と言いたかったのだろうな、フォンゼルの坊主は。だが、ノクスにそれを直接言うとひねくれるので、行先だけを伝えたわけだ」
ゼンドラングは、契約者の頭に手を置いた。指先が茶色い頭からはみ出している。
「実のところ、無所属のノクスが支部長の指示に従う必要はないのだがな。フォンゼルには逆らえんらしい」
「悪いかよ」
ノクスが噛みついても、精霊人は動じない。まあまあ、と言わんばかりに頭を撫でまわして、手を離した。
「せっかく再会できたのだし、共に行こうではないか」
友を遊びに誘うような、軽やかな提案だ。ヒワはバックパックの紐を握りしめてうなずいた。
「ご、ご迷惑でなければ、ぜひ」
「そっちの契約者の意向次第だな」
エルメルアリアはすまし顔だ。同胞の言いたいことを察したのだろう。ゼンドラングはノクスに目配せする。見られた方は、舌打ちをひとつして、杖で左の手のひらを叩いた。
「蹴ったら後が面倒だからな。しかたねえ」
遠回しな返答を聞くやいなや、ゼンドラングが歯を見せて笑う。了承なのだと気づいたヒワも、ほっと肩の力を抜いた。
杖を腰の革帯に引っかけたノクスが、荒々しく歩き出す。
「来い。さっさと部屋取るぞ」
「え?」
「アーホルンの宿の中じゃ、あそこが一番まともだ」
そう言ったノクスが指さしたのは、先ほどヒワが見つけた梟の看板だった。
ヒワは大きくうなずいて、後を追う。それを一瞥したノクスが「おい、素人」と呼びかけた。
「しゃべれる言語はいくつある?」
唐突な質問である。ヒワは答えに詰まったが、ノクスは黙って待っていた。ひとまず、訊かれたことに答える。
「三つです。西部共通語と、ヒダカ語と、アルクス語」
「一番上手く話せるのは?」
「えっと……ヒダカ語かな。母語ですし」
ふうん、と呟いたノクスの、片方の眉が上がる。ヒワが首をかしげると、彼はひらりと手を振った。
「なら、今度『狼』どもに絡まれたら、ヒダカ語で言い返せ」
へ、とこぼしたヒワの顔に、人差し指が突きつけられる。
「あの手の連中は、自分が聞き取れない言葉で詰められるとビビる。必ず追っ払えるわけじゃねえけど、お守りくらいにはなるだろ」
言うだけ言って、ノクスは再び歩き出した。少ししてから、ヒワは助言されたのだと察した。小走りで追いついて、返事をする。
「ありがとうございます。やってみます」
ノクスは答えない。ただ、ほんの少しだけ、歩みを遅くしたようだった。




