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春風のサーガ  作者: 蒼井七海
第六章 表と裏のフォーリン・トリップ
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82 轟雷の庭(1)

 ヒワは、呆気にとられて青年を見つめていた。

 ノクス。大地と親しい精霊人スピリヤ・ゼンドラングと契約し、ヒワたちと同じ使命を負った精霊指揮士コンダクター。先の作戦会議で言葉は交わしたが、直接会うのは〈銀星臨時会合〉以来だ。


「おい」と再び剣呑な声がかかる。我に返ったヒワは、質問に答えていないことに気が付いた。謝りかけたが、その前にノクスが荒っぽく手招きする。


「ぼさっと突っ立ってんな。また『狼』が来るだろ」

「あ、す、すみません!」


 結局謝って、ヒワは目抜き通りに戻る。旅行者らしき一団の笑い声を聞くと、身心の力がふっと抜けた。


 青年の背中を見て、エルメルアリアがため息をつく。


「相変わらずだな、あんた。『こんにちは』のひとつくらい言ったらどうだ」

「言ったらなんかくれんのかよ、()()()?」


 皮肉っぽい返答に、ヒワはぽかんと口を開けてしまう。対して、エルメルアリアは眉をつり上げた。


「てめ――さては聞いてたな!」

「『狼』どもがやかましかったからな」

「どうせ来るなら、もっと早く来いよ!」

「どっかの精霊人が上手くやるかと思ったんだよ。ま、舐められて終わったけどな」

「この、クソガキ!」


 再会して早々、青年と精霊人が言い合いを始めてしまう。ヒワは「まあまあ」となだめようとしたが、ふたりの耳には入っていないようだ。しかたなく、子供の喧嘩のような応酬が落ち着くのを待つ。お互いがそっぽを向いたところで、ヒワは改めて息を吸った。


「ノクスさん。助けてくださって、ありがとうございました」


 エルメルアリアが、ぴくりと震える。かと思えば、視線だけをノクスの方へ向けて、小さく口を動かした。


「…………まあ、礼は言っとくよ。面倒なのを追っ払ってくれたのは事実だしな」


 ヒワはそれを聞いて、つい笑みをこぼす。一方ノクスは、どうでもいいと言わんばかりに鼻を鳴らした。ズボンのポケットに左手を突っ込んで、ふたりをにらむ。


「そんなことより。何してやがる、てめえら」


 最初の質問に戻ってきた。気づいたヒワは、慌てて答えを口にする。


「〈穴〉の調査です。〈銀星の塔〉からの、緊急指令で」

「〈穴〉?」


 ノクスの眉が、跳ねた。


「もしかして、あいた場所も、どこと繋がってるかもわかんねえ〈穴〉のことか」

「ご存知なんですか?」


 尋ねる声が、少しうわずった。ノクスは、むっつりとうなずいて、続ける。


「その〈穴〉を探し回ってたんだよ、こっちも」

「じゃあ、〈穴〉はこのあたりにあるのか? それらしい気配は感じねえけど」


 エルメルアリアが問うと、ノクスはかぶりを振った。


「違う。調査を途中で止めて、ここまで飛んできた。フォンゼル師に言われて、しかたなく――」


 呟くように言った青年は、そこではたと言葉を止める。ヒワたちをじっと見つめた後、乱暴に頭をかいた。


「くそ、そういうことかよ。嵌められた!」


 いきなりの怒鳴り声に驚いて、ヒワは相棒を抱く腕に力を込める。腕の圧を受け止めたエルメルアリアは、渋い顔で首をひねっていた。


 ひとしきり悪態をついたノクスは、出てきたばかりの路地をにらんで叫ぶ。


「しかたねえな。――ゼン!」


 鋭い声が消えてから、ややあって。路地の方から足音が聞こえた。かと思えば、褐色肌の偉丈夫がひょいと顔をのぞかせる。


「ノクス! おぬしの方から呼び出すとは、珍しいではないか」


 背後から大声を浴びせられたヒワは、悲鳴を上げて文字通り飛び上がった。ノクスは彼女を一瞥してから、契約相手に視線を戻す。


「妙に時間かかったな」

「すまんすまん。ひと気のない通りに跳んでから、ここまで走ってきたのでな」

「走ってきたにしては、早すぎ……いやまあ、今さらか」


 ノクスがため息をつく。それを見ていた偉丈夫――ゼンドラングは、しかし途中で瞳を動かした。やっとヒワたちに気づいたらしい。


「む? エルメルアリアに、ヒワではないか」

「しばらくぶりだな、ゼン」


 エルメルアリアが親しげに手を挙げる。おう、と嬉しそうに返したゼンドラングは、言葉を繋げた。


「ヒューゲルで出会うとは思わなんだ。もしや、〈穴〉の調査か?」

「そう。観測結果が曖昧だから、直接行って調べてこいと」


 それを聞くと、ゼンドラングは目をみはる。さらにノクスが小声で何事かを話した。しばし耳を澄ませた彼は――豪快に笑いだす。


「がははは! なるほどな! つまり、わしらはいいように使われたわけだ。いや、『使われる』と言うべきか」

「笑い事じゃねえよ」


 ノクスが刺々しく吐き捨てる。


 まだ話がのみこめないヒワは、すがるようにゼンドラングを見上げた。


「あの……どういうことですか?」

「む、そうか。おぬしらは何も知らんのだな」


 ヒワがこっくりうなずくと、ゼンドラングが詳しい話を教えてくれる。


 まず、ノクスたちのもとにも使い(どり)がやってきた。指令の内容はヒワたちとほぼ同じだった。


 ちょうどヒューゲル王国にいたふたりは、しばらく〈穴〉探しをしていた。しかし、昨日の朝に突如伝霊(でんれい)が飛んできて、「大至急、アーホルンへ向かうように」とだけ告げた。


「この伝霊の送り主が、フォンゼル・ゾンネンシュトック。精霊指揮士協会ヒューゲル王国支部の支部長だ」

「支部長……」


『ヒューゲルの政府と協会支部にも話を通しておこう』


 ヒワは、一昨日のインヴェルノ支部長の言葉を思い出す。途端、頭の中で情報が繋がった。


「もしかして……」

「わしらに『エルメルアリアたちと協力しろ』と言いたかったのだろうな、フォンゼルの坊主は。だが、ノクスにそれを直接言うとひねくれるので、行先だけを伝えたわけだ」


 ゼンドラングは、契約者の頭に手を置いた。指先が茶色い頭からはみ出している。


「実のところ、無所属のノクスが支部長の指示に従う必要はないのだがな。フォンゼルには逆らえんらしい」

「悪いかよ」


 ノクスが噛みついても、精霊人は動じない。まあまあ、と言わんばかりに頭を撫でまわして、手を離した。


「せっかく再会できたのだし、共に行こうではないか」


 友を遊びに誘うような、軽やかな提案だ。ヒワはバックパックの紐を握りしめてうなずいた。


「ご、ご迷惑でなければ、ぜひ」

「そっちの契約者の意向次第だな」


 エルメルアリアはすまし顔だ。同胞の言いたいことを察したのだろう。ゼンドラングはノクスに目配せする。見られた方は、舌打ちをひとつして、杖で左の手のひらを叩いた。


「蹴ったら後が面倒だからな。しかたねえ」


 遠回しな返答を聞くやいなや、ゼンドラングが歯を見せて笑う。了承なのだと気づいたヒワも、ほっと肩の力を抜いた。


 杖を腰の革帯ベルトに引っかけたノクスが、荒々しく歩き出す。


「来い。さっさと部屋取るぞ」

「え?」

「アーホルンの宿の中じゃ、あそこが一番まともだ」


 そう言ったノクスが指さしたのは、先ほどヒワが見つけた梟の看板だった。


 ヒワは大きくうなずいて、後を追う。それを一瞥したノクスが「おい、素人」と呼びかけた。


「しゃべれる言語ことばはいくつある?」


 唐突な質問である。ヒワは答えに詰まったが、ノクスは黙って待っていた。ひとまず、訊かれたことに答える。


「三つです。西部共通語と、ヒダカ語と、アルクス語」

「一番上手く話せるのは?」

「えっと……ヒダカ語かな。母語ですし」


 ふうん、と呟いたノクスの、片方の眉が上がる。ヒワが首をかしげると、彼はひらりと手を振った。


「なら、今度『狼』どもに絡まれたら、ヒダカ語で言い返せ」


 へ、とこぼしたヒワの顔に、人差し指が突きつけられる。


「あの手の連中は、自分てめえが聞き取れない言葉で詰められるとビビる。必ず追っ払えるわけじゃねえけど、お守りくらいにはなるだろ」


 言うだけ言って、ノクスは再び歩き出した。少ししてから、ヒワは助言されたのだと察した。小走りで追いついて、返事をする。


「ありがとうございます。やってみます」


 ノクスは答えない。ただ、ほんの少しだけ、歩みを遅くしたようだった。

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