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春風のサーガ  作者: 蒼井七海
第六章 表と裏のフォーリン・トリップ
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81 丘の国、楓の町

 ヒューゲル王国は、アルクス王国の北西に位置する国だ。山岳地帯にひしめく小国を越えた先、広大な丘陵地帯を主な領土としている。


 エルメルアリアが着地点に選んだのは、南部国境付近の特に開けた一帯だった。周囲に人影がないことを確かめ、低木の(かげ)へ慎重に着地する。


「よし、到着」


 そう告げたエルメルアリアは、再度飛翔した。その下で、ヒワは呼吸を整える。今回は距離があったため、休憩を挟みつつ飛んできたが、疲れることに変わりはない。


「エ、エラ……ちょっと、休憩していい……?」

「ん? いいぜ」


 契約者の様子に気づいたのだろう。エルメルアリアが高度を下げる。ヒワは、荷物の無事を確かめてから木陰に座り込んだ。水分補給の後、インヴェルノ支部長からもらった箱を恐る恐る開ける。


 中に入っていたのは、手のひらよりも小さい、球状の焼き菓子だった。かみ砕くと、口の中で空気のようにほどけて消える。甘みの後にはほのかな苦味。アルクスの民にとっては、なじみ深い味だった。ヒワも例外ではない。


 焼き菓子を噛みしめながら、協会支部でもらった冊子に目を通す。さらに、シルヴィーがまとめてくれた資料とも照らし合わせた。


「今って、どこにいるの? 目印になるものが何もないんだけど……」


 見上げて尋ねると、精霊人が下りてきた。地誌の最初に描かれている簡易の地図へ、細い指を滑らせる。


「んーと……南部国境あたりの……さっき、でっかい湖が見えたから……このへんだな」


 指が、ある一帯に小さな丸を描く。それを見ていたヒワは、近くにある文字に気づいて声を漏らした。


「あ、近くに町がある。えっと、アーホルン? で、いいのかな」

「聞いたことあるな。村だった記録きおくがあるけど……でっかくなったのか?」


 その名は、シルヴィーの資料の中にもあった。小さな町だが、人の往来はそれなりにあって、観光客も訪れるという。


「様子見にはうってつけかも。ひとまず、ここを目指そうか」

「そうだな」


 目的地が決まったからか、エルメルアリアが飛び上がる。ヒワも資料とお菓子の箱をバックパックにしまうと、弾みをつけて立ち上がった。


『ヒューゲル王国地誌・簡易版』の地図を頼りに歩く。しばらくすると、畑と人影が見えた。エルメルアリアが俊敏に下降し、ヒワが彼を抱きとめる。


 畑に近づき、最初に見たのは、籠を背負ってせかせかと歩く女性であった。ヒワは、大きく息を吸う。


「こ――こんにちは!」


 恐る恐る、西部共通語で話しかけた。


 女性は弾かれたように顔を上げる。やや垂れ気味の瞼が、大きく持ち上がった。ヒワが身を縮めた瞬間、太い声が返ってきた。


「おや、こんにちは!」


 共通語だ。アルクス王国で聞くのとは少し響きが違うが、問題なく聞き取れる。安堵したヒワは、それでも慎重に続けた。


「あの、お尋ねしたいことがあるのですが」

「なんだい?」

「アーホルンって、こっちで合ってますか?」

「合ってるよ。畑に沿って十分も行けばアーホルンだ」


 ヒワの肩から力が抜ける。「ありがとうございます」と大声で返して、教えられた通りに進もうとした。しかし。


「あっ。ちょっと。……ちょっと待ちな!」


 女性の声が近づいてきた。ヒワは慌てて振り返る。女性が大股で歩いてくるところだった。彼女はヒワたちの眼前で足を止めると、両目を見開いて、ふたりを凝視する。


「あ、あの……?」

「このへんの子じゃないね。娘っ子が二人旅かい? 家出じゃないだろうね」


 物言いも視線も遠慮がない。しかし、悪意は感じない。ヒワは戸惑いつつも、なんとか言葉を絞り出した。


「えっと、家出ではないです。し、調べ物……野外研究といいますか……」

「研究? 学生さんかい? にしちゃあ、そっちの子は幼い気がするが」

「それは――」


 ヒワは返答に窮する。言い訳を考えていなかったことを、心底後悔した。全身から汗が吹き出すのを感じつつ、言葉を探す。そうしているうちに、女性が遠くの方を見た。


「いた! ハンス、ハンス! ちょっと、こっち来な!」


 大声で誰かを呼ぶ。すると、長身痩躯の男性が駆けてきた。首にひっかけたタオルで、忙しなく汗をぬぐっている。


「なんだよ、ユーネばあさん。鹿でもいたか」

「いるように見えるかい?」


 腕組みした女性は、ヒワたちの方にちらと顔を向ける。


「それよりあんた、このらを町まで案内してやりな」


 それを聞いて、ハンスと呼ばれている男性が眉を上げた。


「は? なんだ、いきなり。ってか、誰?」

「調べ物中の旅人さん。でっかい男が一緒にいた方が、変なのに絡まれにくいだろ。ついてやんな」

「ええ……俺、仕事中なんだが」

「何言ってんだい。どうせ、さぼってたんだろう」


 女性がぴしゃりと言い返すと、ハンスはわかりやすく目を泳がせた。手元でタオルをいじる彼の肩を、小さいながらも分厚い手が叩く。


「あんたが行かないってんなら、あたしが行くさ。その代わり、この区画の収穫はあんたに任せるけどね」


 ハンスは沈黙し、やや乱暴に頭をかいた。「しかたねえなあ」と呟いて、ヒワたちを振り返る。


「こっちだよ、娘さん(がた)。ちんたら歩いてたら置いてくからな」

「こら、ハンス! なんて言いぐさだい!」――すぐさま女性の叱声が飛んだが、ハンスは聞き流していた。


 ヒワは、言葉が乱舞する脳内から、なんとか必要な一言を引っ張り出す。


「えと、その……ありがとう、ございます」

「いいから。来な」


 異国の男性は、足早に歩きだした。


 女性の言葉通り、およそ十分後には人家(じんか)の群れが見えてきた。こぎれいな看板を境に、足もとが草と土から、でこぼことした石畳に変わる。人の声、金属音や靴音が、風に乗って響いてくる。確かにそこは、町だった。


 目抜き通りに踏み込んですぐ、ハンスは町の外へとつま先を向ける。


「じゃ、俺は仕事に戻る」


 素っ気ない挨拶に、ヒワたちは目を白黒させる。ヒワがどもっていると、ハンスはわずかに頭を傾けた。


「宿なら目抜き通りに三軒あるから、そのどれかにしておきな。絶対に、細い道に入るんじゃないぞ。あと、妹と荷物から目を離すな。――じゃあな」


 言うだけ言って、ハンスは去っていった。ヒワはとっさに「ありがとうございました!」と叫んだが、届いたかどうかはわからない。


 さざ波のような音の中、ふたりに戻る。彼らは顔を見合わせた。


「びっくりしたね」

「おう。娘扱いされたのは、久しぶりだ」

「でも、親切な人たちだった」

「だな」


 笑声を立てるエルメルアリアに釣られて、ヒワも頬を緩める。気持ちを切り替えて、目抜き通りの先を見た。


「さて、と。宿を確保してから、これからのことを決めよっか。この通りに三軒あるんだっけ?」


 ヒワが呟くと、エルメルアリアがうなずいた。


「オレの記録きおくによれば、ヒューゲルの宿の目印は、羽を畳んだ(ふくろう)の看板だ」

「あ。それ、地誌でも見たかも」


 そんなわけで、羽を畳んだ梟を探して歩き出す。


 一軒目はすぐに見つかったが、お世辞にも清潔とは言い難く、静かすぎて入りづらかったため、泣く泣く素通りした。


 その後は、なかなか見つからない。イモと油の匂いに腹の虫を起こされながらも、黙々と歩きつづけた。


 ヒワの足が重さを増した頃、ようやく次の梟を見つける。やった、とこぼしたヒワは、つい小走りになった。


 直後、そんな彼女の襟首を引っ張るような声がかかる。陽気な低音が、馴染みのない言葉を奏でていた。


 ヒワは反射的に振り返る。背の高い男女が笑顔で近づいてきていた。馴染みのない言葉――ヒューゲル語で声をかけてきたのは、男性の方だろう。ヒワが固まっていると、今度は女性の方が口を開いた。


「あなた、旅行?」


 これまた明るい声が紡いだのは、たどたどしい西部共通語。ヒワが驚いていると、衣服が軽く引っ張られた。緑の瞳が、少女を映す。


「ヒワ。無視した方がいい」


 相棒のささやきは鋭い。ヒワはうなずいて、言う通りにしようとした。しかし、男性が笑顔で回り込んできた。よどみなく言葉を発しているが、上手く聞き取れない。ヒワは、さすがに戸惑った。


 ヒューゲル語はきちんと学んでいないが、まったくわからないわけではない。文法や単語の一部に、西部共通語と似た部分があるからだ。それを手掛かりにすれば、大意はつかめる。


 ――そのはずなのだが、この男性の言葉はまったくわからない。早口だから、というのもあるだろうが、一番の理由は訛りだろう。こればかりは、ヒワの知識ではどうにもならない。


「旅行、いい、宿、こっち」


 さらに悪いことに、女性も変わらぬ調子で話しかけてくる。白い指が、右手に伸びる路地を示していた。


『絶対に、細い道に入るんじゃないぞ』


 ぶっきらぼうな男性の言葉が、ヒワの脳裏にこだました。


 ちぎれんばかりに首を振る。知っている言語を総動員して「いらない」と「いいえ」を繰り返す。それでも男女は退かなかった。勢いに押されて、ヒワの足は路地の方へと進んでしまう。


 何度目かの否定の言葉が、震えた。直後、腕の中の精霊人スピリヤが口を開く。透明な声が、ヒューゲル語を奏でた。


 ヒワは驚いて下を見る。エルメルアリアは、まっすぐに男性をにらんで、同じ言葉を繰り返した。


 さすがに男女も呆然とする。――だが、すぐに失笑した。男性の方が大声で何かを言うと、エルメルアリアは顔をしかめる。


「くっ……こいつら、舐めてやがる……!」

「そ、そうなの?」

「『ヒューゲル語がお上手だね、お姫様』だってよ。完全に子供扱いだ」


 相棒のささやきに、ヒワは「あー」と平板な声をこぼしてしまう。


 彼を子供だと思っていたのは、畑で出会った二人も同じだろうが、それとはまた別種の『子供扱い』だ。おそらく、真剣に言葉を聞いていない。もしくは聞く気がない。


「ど、どうしよう」

「魔力で圧かけるか? いや、一度精霊人ってばれると面倒だし……丸腰の一般人にやるのはちょっとな……」


 そんなことを言い合っている間にも、男女はにこにこと詰め寄ってくる。――それだけではない。知らぬ間に、『気弱な旅行者』を囲む人が増えていた。


 ヒワの口から、引きつった音が漏れる。肌が粟立つ。心が悲鳴を上げ、思考が焼ききれそうになったとき――また別の声が響いた。


 ヒワが聞いてきた中で、一番乱暴なヒューゲル語だ。その音量と荒さに驚いて、誰もがそちらに目を向けた。


 声の主はよく見えない。人の壁がヒワを取り囲んでいるせいだ。彼らと闖入者(ちんにゅうしゃ)が言い合う声だけが聞こえた。


「な、な、なに……?」


 混乱に陥ったヒワの腕の中で、エルメルアリアが眉を上げる。


「この声――」


 彼のささやきと、闖入者の怒声が重なる。


 ヒワを囲んでいた人々は縮みあがった。最初に話しかけてきた男女が、露骨に眉を寄せる。男性が、大声で何事かを吐き捨てた。


 それが合図だったかのように、人々はじりじりとヒワから距離を取る。そして、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。


 ヒワは、遠ざかる人々の背中を呆然と見送る。ふわふわしていた意識を、荒々しい足音が引き戻した。


「おい」


 突然、共通語を叩きつけられる。ヒワは、慌てて声の方を見て――相棒を落としそうになった。


 前方に立っているのは、小柄な青年。不機嫌そうに狭まった瞼の間で、榛色ヘーゼルの瞳が鋭く光っている。その右手には、木彫りの杖が握られていた。


「ノクス、さん?」


 ヒワは、恐る恐る名を呼ぶ。やはりというか、返答は舌打ちだった。


「こんな場所で何してやがる、素人」

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