80 旅の支度
「今度はヒューゲル王国か。まさに東奔西走って感じだね」
「しかも、今回は一日や二日じゃ帰ってこられなさそうなんだよ。『探し物』からしなきゃなんねえからな」
「うわ。もしかして、国中駆けずり回る感じ? それは嫌だな」
夜――スノハラ家の食卓。ヒワたちのヒューゲル王国行を知ったコノメが、鶏の照り焼きをつまみながら顔をしかめる。姉の反応に苦笑いしつつ、ヒワは汁椀を置いた。
「それで、学校を休まなきゃいけなさそうなんだけど……なんて説明したらいいか、わからなくて……」
「何日かかるか読めないっていうのが難しいところだね。単位の問題もあるし」
対面の母が茶碗を置いて考え込む。青菜を箸でつまんで、目を瞬いた。
「でも確か、休んでも単位もらえる制度なかったっけ? 社会学習支援制度とかいうやつ」
「あー。そういや、あるねえ。留学とか家業の手伝いとかする人が使うやつ」
コノメの緩い言葉が、母の記憶の正しさを証明する。家業、と繰り返した母が、誰も座っていない椅子を見る。コノメも同じ方を見た。
「ヒワ。お父さんの仕事継ぐ?」
「いきなり何!?」
「いや。そういうことにしたらいいかなーと思ったんだけど。ほら、ヒューゲル王国のキーファって町に知り合いの先生がいるから、そこで修行するって感じで」
「無理があるよ! レポート出せって言われたらどうするの!」
ただでさえ、理系科目の成績が低空飛行――本人基準――なのだ。レポート提出など求められた日には、絶望して泣きじゃくることになるだろう。頭を抱えたヒワに、小さく切った鶏肉を頬張ったエルメルアリアが憐憫の視線を注ぐ。
「ごめん、ごめん」
肩を揺らして笑った母が箸を置いた。
「修行は冗談としても。なんとかならないか、学校に相談してみよう」
「休む理由はどうしようか?」
「うーん……異文化学習とでも言えば大丈夫じゃない?」
「適当な……」
ヒワはまたしても頭を抱えたが、そこでコノメが「だね。うちの学校、意外と緩いし」と同調する。ヒワは、ため息を堪えて味噌汁をすすった。
「大丈夫かなあ……」
「ま、なんとかなるんじゃねえの」
隣で聞いていたエルメルアリアが、あっけらかんと答えて、小さなおにぎりを頬張った。
※
結果として、スノハラ一家の企みは成功した。ヒューゲル王国に行く期間は、公休扱いにしてもらえることとなったのだ。
まさか本当に『異文化学習』で通ると思っていなかったヒワは、複雑な気持ちで手続きのための書類を書いた。
準備期間は五日間。ヒワは荷造りや調べ物、手続きに追われた。調べ物についてはシルヴィーも協力してくれて、比較的治安のいい町や主要都市への経路をまとめた資料を作ってくれた。
そして、準備期間四日目。ヒワとエルメルアリアは王都へ降り立った。
「うう……お腹痛くなってきた……」
「気張るなって。マッテオに会うだけなんだから」
精霊指揮士協会・アルクス王国支部。その立派な建物を見上げたヒワは、蒼い顔で腹を押さえる。対するエルメルアリアは、いつもの調子で浮いていた。
「ほれ、とっとと終わらせようぜ。まだ荷造りが途中なんだろ」
「わかったよ……」
エルメルアリアにせっつかれ、ヒワはしぶしぶ歩き出す。
すれ違う精霊指揮士の反応は様々だ。ぎょっとして振り返る人もいれば、あ、と小さく声を上げる人もいる。
「ヒワさんじゃないか。久しぶり」
扉の前に立ったところで、後ろから声をかけられる。振り向いたヒワは、眉を上げた。
「えっと……カルロさん」
「そうそう。名前、覚えててくれたんだ」
小走りでやってきたのは、栗色の髪の青年。その隣を、白い狼のような獣が走っていた。額の石が日光を弾いて輝いている。
精霊指揮士のカルロと、使い魔のナルー。以前、王都に開いた〈穴〉の対処に協力してくれた一組である。
ヒワとカルロが再会の握手を交わす横で、ナルーはエルメルアリアに興味を示した。彼が手振りで指示すると、ナルーは美しい「おすわり」を披露する。
ほほ笑ましそうにそれを見たカルロは、ヒワの方へ視線を戻した。
「手続きでもしに来たの? よかったら案内するよ」
「あ、いえ。ちょっと、支部長さんと話がしたくて……」
ヒワがおずおずと切り出すと、青年の表情が硬くなる。彼は、ナルーと顔を見合わせたのち、ヒワに手招きした。
扉の前から離れ、柱の陰に身を寄せる。そこで、カルロが尋ねた。
「ヒワさん。面会予約、取った?」
「予約?」
彼の言葉を繰り返したヒワは、息をのむ。青年が言わんとしていることに気づいたのだ。
「もしかして……予約を取らないとお会いできない感じですか……?」
「そう。何しろ、支部長はお忙しいからね」
「うっ。そりゃそうですよね。どうしよう」
「レグンに行ったときは、ロレンスがエリゼオに繋いでくれたもんな。今回もそうすればよかったか?」
ナルーにじゃれつかれながら、エルメルアリアが呟く。それを聞いたカルロが「ああ、グラネスタ家繋がりか」と呟いた。
「副支部長は外回り中のはず……いや、でも、確か今日には帰ってくるって……」
支部の正面部の方を見ながら呟いたカルロは、そこで目を見開く。背伸びしたかと思えば、いきなり駆け出した。ナルーも精霊人から離れて、ついていく。
「あ、カルロさん!?」
「ちょうどよかった。グラネスタ副支部長!」
青年の口から放たれた名前に、ヒワたちは目をみはる。慌てて柱の陰から飛び出した。
確かに、濃紺のローブを着た男性が支部に向かって歩いている。多くの精霊指揮士は、尊敬のまなざしを注ぎつつも、彼から距離を取っていた。それだけに、すすんで話しかけたカルロが目立つ。
男性――エリゼオ・グラネスタはわずかに顎を動かした。自分に向かって一礼する青年の姿を認めると、返礼する。
「お忙しいところ、申し訳ありません」
「構わない。困りごとかね」
「あっ、いえ。実は、急ぎで支部長にお会いしたいっていう子がいまして――」
そこまで言って、カルロはヒワたちの方を振り返る。二人分の視線を浴びたヒワは、慌てて会釈した。一方、エルメルアリアは親しげに手を振る。
「よう、エリゼオ。帰って早々、悪いな」
「……いえ。こちらこそ、ご足労をおかけしました」
エルメルアリアの名を口にしなかったのは、彼なりの配慮だろう。低い声で答えたエリゼオは、ふたりの方へ歩いてくる。好奇の視線がつきまとったが、カルロとナルーが通行人を遠ざけると、それも薄らぐ。
「ヒワ殿。息災で何より」
「は、はい。あの、レグン行のときはお世話になりました」
ヒワがぎこちなく返すと、エリゼオは小さく顎を動かす。
「今日はどうなされた。てっきり、愚息を通じて連絡してくるものかと思っていたが」
「毎回お願いするのは申し訳ないかな、と思いまして……」
ヒワは、うるさい心音を聞きながら、訪問の理由を明かした。それを聞いたエリゼオは、顎に指をかける。
「なるほど。ヒューゲル王国での任務、期間は不明。それで、支部長に話を通しにきたわけか」
「は、はい」
エリゼオは、しばらく考え込んだ。かと思えば、ふたりに背を向ける。ヒワが戸惑っていると、少しだけ顔が動いた。
「中へ。少し待っていなさい」
短く告げて、歩き出す。ヒワは慌てて後を追った。エルメルアリアが、斜め後ろからついてくる。
支部に入る直前、「頑張ってね」というカルロの声と、ナルーの鳴き声が聞こえた。
支部の広間で椅子に腰かけて待つこと、しばし。奥へ行ったエリゼオが戻ってきた。「お会いになるそうだ」と告げて、ヒワたちを支部長執務室まで案内してくれる。
そして――マッテオ・インヴェルノ支部長は、ふたりを朗らかに出迎えた。
「やあ、スノハラ嬢、エルメルアリア殿。聴き取り調査以来だな」
挨拶の後、彼はふたりに椅子を勧める。ヒワは、革張りの椅子におずおずと腰を下ろした。エルメルアリアは浮いたままだ。
インヴェルノは、嫌な顔ひとつせずに切り出す。
「さて。副支部長から簡単には聞いたが、改めて今度の任務について話してくれるかね」
「はい」と答えて、ヒワは改めて説明した。ところどころでエルメルアリアが補足する。話を聞いたインヴェルノは、ふっくらとした手で顎をなでた。
「詳細不明の〈穴〉か。なるほど、〈天地の繋ぎ手〉に白羽の矢が立つわけだ」
「面倒事を押し付けられただけだ」
エルメルアリアは小さく鼻を鳴らす。ヒワは、どう反応したらよいかわからず、口をつぐんでいた。
笑声を立てたインヴェルノが、膝を叩く。
「話はわかった。〈穴〉の正体を突き止めて、ふさいでくれたまえ。私からもお願いするよ」
「は――はい!」
力強い言葉を受け止めて、ヒワは背筋を伸ばす。エルメルアリアも、さすがに神妙な表情でうなずいた。
「念のため、ヒューゲルの政府と協会支部にも話を通しておこう」
「ありがとうございます。あの、出発は話がつくまで待った方がいいですか?」
「いや、その必要はない。伝霊を使うからね」
なるほど、とヒワは肩をすくめる。未だ緊張している彼女に対し、支部長は態度を変えず続けた。
「ところでスノハラ嬢、ヒューゲル王国への訪問経験はあるかね? なに、ない? それなら予習が必要だな。ふうむ、確かあちらの本棚に……」
にこやかに話しながら、インヴェルノが立ち上がる。壁際に並ぶ本棚の中から、一冊の冊子を引き抜いて、ヒワに手渡した。
「精霊指揮士向けの『ヒューゲル王国地誌・簡易版』だ。観光案内書には書かれていない情報もあるから、一度目を通しておくといい」
「え、あの、もらっちゃっていいんですか!?」
慌てふためくヒワを見て、インヴェルノは再び笑声を立てた。
「遠慮はいらんよ。もともと会員に配布しているものだからね」
それならば、と、ヒワは恐縮しつつ冊子を受け取った。執務机の方に戻ったインヴェルノは、それから思い出したように机の下を探る。
「あとは、これだな。長旅になるだろうから、お供に持っていきなさい。腹が減っては戦はできぬと言うからね」
そう言って彼が差し出したのは、小さな箱だった。さほど重くはなく、中からほんのり甘い香りが漂ってくる。
さすがに仰天したヒワだったが、目の前の男性があまりにいい笑顔なものだから、箱を突き返すこともできなかった。隣で、エルメルアリアも目を丸くしている。すると、インヴェルノはいたずら小僧のような笑みを浮かべた。
「あ、お店で買った未開封の品ですから。毒の心配は不要ですよ」
「なんでオレを見るんだよ」
エルメルアリアが腰に手を当てると、インヴェルノは老爺のように笑う。
――ヒワたちは終始、部屋の主の勢いに押されっぱなしであった。
退室すると、扉のそばで待っていたエリゼオが振り返る。氷海のような視線を感じて、ヒワは身を縮めた。
「お、お待たせしました。……あと、あの、支部長さんから色々頂いてしまって……」
なぜか言い訳がましくなってしまう。ヒワが目を泳がせていると、エリゼオは背を向けた。それから、ちらとふたりの方を振り返る。無表情かと思われた相貌には、かすかに申し訳なさそうな色が見えた。
「重荷でなければ、受け取ってくれ」
それだけ言って、彼は静々と歩き出す。はあ、と生返事をして、ヒワたちもついていった。
ふたりは、その日のうちにジラソーレへ戻った。残り一日で入念に支度を整える。
そして、翌朝早く。ヒューゲル王国へ向けて飛び立った。




