79 奇妙な指令
その朝、ヒワ・スノハラは不思議な音に起こされた。
しゃらしゃらしゃら。鈴のような、細かな金属がこすれ合っているような、音。
なんだろう、と寝ぼけた頭で考えながら、仰向けになる。――天井付近を飛んでいる、銀色の鳥が目に入った。
「…………んえ?」
開いた口からこぼれ出たのは、寝起きのかすれ声。
ヒワが呆けている間に、銀色の鳥は旋回しながら下りてくる。まるで、彼女の視線に気づいたかのようだった。
しゃらしゃらしゃら。音に重ねて、声がする。
『緊急指令。緊急指令。ヒューゲル王国にて、〈穴〉を観測。調査に向かわれたし。調査に向かわれたし』
それを聞いた瞬間、ヒワの意識は一気に覚醒した。「うわっ!?」と叫んで飛び起きる。鳥は、彼女のまわりを旋回しながら同じことを言い続けていた。
『緊急指令。緊急指令。ヒューゲル王国にて、〈穴〉を観測――』
「使い鳥じゃねえか。内界に来るなんて、珍しいこともあるもんだ」
ベッド下からひょっこりと、少年が顔を出す。澄んだ緑の瞳が、銀の鳥を見上げた。ヒワは、彼――エルメルアリアを振り返る。
「あ、おはよう。エラ」
「おはよう」
「これ、使い鳥っていうんだ」
「そ。〈銀星の塔〉の連中が、呼び出しとか伝言とかに使う鳥。一応、伝霊と違って生き物だ」
「へえ……」
ヒワは銀色の鳥を目で追う。細かな光を振りまきながら、ひたすらに同じ言葉を繰り返す様は、伝霊と大差ないように思えた。そのうち、エルメルアリアが軽やかに飛びあがって、鳥の額を弾いた。
「はいはい。内容はわかったから、天外界に戻れ。あと、できれば次は詳細を持ってきてくれ」
すると、鳥はぴたりと言葉を止めた。返事はない。空中を滑るように飛び上がると、閉め切っているはずの窓を通り抜けて、遥かな空へと飛び出していった。
ヒワは呆然とそれを見送った。鳥の余韻すら消えた頃、相棒を振り返る。
「あの鳥さん、ヒューゲル王国で〈穴〉を観測って言ってたね」
「言ってたな」
「……でもエラ、この間天外界に行ったとき、国外の〈穴〉の話は聞かなかったって言ってたよね」
「言ったな」
任務のためにこの世界――天地内界へ下りてきているエルメルアリアは、何日か前に、報告のため故郷へ戻っていた。そして、その際聞いた話などをヒワに教えてくれたのだ。
「本当に最近……昨日か一昨日あたりに観測されたんだろ。にしても、わざわざオレたちのところへ来たのが気になるけど」
エルメルアリアの言葉に、ヒワもうなずく。
確かに、今後国外へ出向くことが増えるだろうとは言われていた。だが、ヒワたちがアルクス王国の学生であることに変わりはない。学業を邪魔しすぎないためにも、他国の案件は比較的自由に動ける二組に回されることが多かった。レグン王国へ赴いてからさほど経っていないのに、もう他国の案件が回ってくるとは、どういう風の吹き回しか。
ヒワが考え込んでいたとき、布のはためく音がする。エルメルアリアが、膝を抱えて浮いていた。
「よし。オレの方で詳細を探ってみよう。ヒワはとりあえず、学校行ってこい」
「いいの?」
「どうせ、今すぐ出国なんかできないだろ」
「それはそうだけど……」もごもごと呟いたヒワは、しかし思い直してうなずく。相棒の言う通りだ。
「わかった。そっちはお願いしていい、エラ?」
「任せとけ」
エルメルアリアは誇らしげに笑って、小さな拳で胸を叩く。顔をほころばせたヒワは、気合を入れてベッドから飛び降りた。
※
言われた通り、ヒワは学校に行った。そして、昼休み。生徒たちでごった返す廊下を歩きながら、友人のシルヴィー・ローザに今朝のことを打ち明けた。
「へえ。じゃ、ふたりでヒューゲルに行くんだ」
「うん……。なんか、そういうことになりそう」
好奇心に目を輝かせる友人に、ヒワはしぼんだ声を返す。制服の袖をいじりながら、ため息をついた。
「うう……大丈夫かなあ。ヒューゲルなんて行ったことないよ……」
「何しょぼくれてんの。レグン王国まで行って帰ってこられたなら、大丈夫だって」
「あのときは、ヘルミさん――現地の精霊指揮士がいたんだよ。今回は多分、わたしたちだけだからさ」
距離だけ見れば、レグン王国よりヒューゲル王国の方が近い。ただ、その国に明るい同行者がいないというだけで、魔境のように思えてしまうのだった。
「んー……ヒューゲルか。よし、ちょっと調べてみよう」
不安の輪を広げていたヒワの隣で、シルヴィーが指を鳴らす。友人の言葉に、少女は「えっ?」と顔を上げた。
「調べるって、何を?」
「地理とか今の情勢とか。あと、あっちの方に馴染みの案内人がいるはずだから、連絡取ってみる」
ヒワは黄緑色の目を丸くした。
「えっ……そんな、いいの?」
「もちろん。言ったでしょ、あんたたちの手助けするって」
ひょんなことからヒワたちの活動を知った少女は、得意げに片目をつぶる。ヒワは息をのんだ後、彼女に深々と頭を下げた。
「ありがとう! 本当にありがとう、シルヴィー」
「もう。そういうのいいってば!」
シルヴィーは、からりと笑ってヒワの肩を小突いた。
――そして、放課後。ヒワとシルヴィーは、連れだってソーラス院の近くまでやってきた。エルメルアリアとそこで落ち合う約束なのだ。
「ヒワ、シルヴィー」
最初に彼女たちを呼んだのは、エルメルアリアではなかった。ローブの群れから出てきた少年である。綿のような黒髪を見つけて、シルヴィーが勢いよく手を振る。
「よっ、ロレンス。体力づくり、さぼってないでしょうね?」
遠慮のない呼びかけに、少年――ロレンス・グラネスタは苦笑する。
「ちゃんとやってるよ……ノリノリのトビーに見張られながら……」
「そりゃ結構。トビアスくんが協力してくれるなんて、助かるわあ」
幼馴染らしいやり取りに、ヒワは微笑をこぼした。
ロレンスと寮の相部屋だというトビアスは、彼らの活動を知らないはずだ。単純に、突然始まった同居人の体力づくりをおもしろがりつつ応援している、というところだろう。
「ところで、今日はどうしたの? 俺に用事?」
ロレンスが、眠そうな表情で首をかしげる。
「えっと、実は――」
ヒワが慌てて口を開いたとき。爽やかな風が頬をなでた。
眼前に光が灯る。その中から少年が飛び出した。ヒワたちの体を使って上手く隠れたのだろう。まわりの学生たちは、精霊人に気づいていない。
「待たせたな、ヒワ」
「エラ!」
エルメルアリアは悪戯っぽく笑う。だが、まわりを見ると目を丸くした。
「なんだ。全員集合か?」
「――そうですね。私もおりますので」
ロレンスの背後から、女性の声が響く。人間三人が、ぎょっとしてそちらを振り返った。毛先にかけて緩やかに色が変わる、炎のような長髪を持つ女性が、少年のすぐ後ろに立っていた。
「うわっ!? いつからいたの、フラムリーヴェ!」
「ヒワ様とシルヴィー様が到着なさったときからです」
「俺より先に着いてた!?」
驚く契約者を見て、もう一人の精霊人――フラムリーヴェは小首をかしげる。それから、同胞を見上げた。
「それより、エルメルアリア。何があったのですか。わざわざ近くまで来たということは、私たちにも聞かせたい話なのでしょう」
「おう。今朝、使い鳥が来てな。ヒューゲル王国に行けと言われた」
エルメルアリアはあっさり答える。ロレンスとフラムリーヴェは、小さくない驚きを露わにした。
彼らを映した緑の瞳が、そのままヒワの方へと動く。
「で、あれから追加情報が来なかったんで、こっちから探りを入れてみた。……どうも、今回は観測結果が曖昧らしい」
「曖昧?」
ヒワとロレンスが繰り返す。エルメルアリアはうなずいて、人差し指を立てた。
「ヒューゲル王国内に〈穴〉が開いたのは間違いない。けど、それ以上場所が絞り込めない。大きさも、どこの世界と繋がっているのかもわからない。だから、直接出向いて探ってこい、ということらしい」
「なにそれ……」
ヒワは思わずうめいた。今まで以上に謎めいた〈穴〉。想像するだけで恐ろしい。エルメルアリアはともかく、自分には荷が勝ちすぎる――そんなことを考えてしまう。
ヒワの内心を察したわけではなかろうが、そこでシルヴィーが挙手する。
「でも、なんでヒワたちに話が回ってきたの? ほかにも、精霊人とその契約者はいるんでしょ? アルクスの学生にやらせることじゃなくない?」
「……違います、シルヴィー様」
フラムリーヴェが、珍しくため息まじりに口を挟む。白い眉間に深いしわが刻まれていた。
「エルメルアリアに面倒な調査をやらせよう、という魂胆でしょう」
「はあ?」
シルヴィーの声がひっくり返る。元より気の強さを示している眦が、さらにつりあがった。
「ヒワはどうでもいいって言うの? ってかそれ、ふたりに対して失礼でしょ」
「そうだそうだ。じじいどもに言ってやれ、シルヴィー」
エルメルアリアが腕組みしてはやし立てる。一方のヒワは苦笑しつつ、〈銀星の塔〉で会った二人――筆頭事務官と〈主〉の側近の顔を思い出していた。氷塊が落ちてきたかのように、胸のあたりがひやりとする。それを悟られる前に、契約相手の方を見た。
「でも、行くんでしょ、エラ」
「ヒワがその気ならな」
宙返りしたエルメルアリアの答えは、揺るぎない。ヒワも、力強くうなずいた。
「行こう、ヒューゲル王国。……正直言うと、前から興味はあったしね」
「承った」
エルメルアリアは歯を見せて笑う。宙を蹴って、ヒワのすぐそばまで下りてきた。
それを見ていたシルヴィーが肩をすくめる。赤茶色の瞳が、幼馴染を捉えた。
「ロレンスもついてったら?」
「行きたいのは山々だけど……国内でも〈穴〉が見つかってるからさ。俺たちはそっちの対処をしなきゃ」
ロレンスは、ローブに覆われた背中を丸める。彼の契約相手も、腰に手を当ててうなずいた。
「ですが、何かあったら呼んでくださいね、エルメルアリア」
「おう。でも、無理すんなよ。ロレンスを留年させたくはないだろ」
「うん、留年は俺も嫌かな……」
ロレンスの背中がますます丸くなる。ヒワはそれを温かく見守っていたが――あることに気づいて、表情を凍りつかせた。
「……ヒワ?」
シルヴィーが、怪訝そうに振り返る。
全員の視線を一身に浴びたヒワは、機械のように口を開けた。
「学校、どうしよう」
あ、と言ったのは、果たして誰だっただろう。
その一声を最後に、固形物のような沈黙が落ちた。




