78 魔の足音
刻一刻と色が移ろう空を、銀色の輝きが貫く。見る者が見れば異様なその光景はしかし、精霊人にとって親の顔より見る風景であった。
天外界・〈銀星の塔〉。精霊人社会の中枢であり、『外の仕事』に従事する者の中継地でもある。塔の内部、白銀色の通路には今日も精霊人たちが行き交うが、人数に対して塔の通路が長すぎるため、相変わらず閑散とした印象だった。
〈天地の繋ぎ手〉の二つ名を負うエルメルアリアも、やはり閑散とした通路を飛んでいる。先の〈閉穴〉の報告を終えて、白門の間へと向かっているところだった。
今日は、報告を受け取る事務官がいつもと違う人だった。それだけで、エルメルアリアの心には凄まじい負荷がかかっている。正直なところ、早く天地内界に戻りたくてしかたがなかった。
彼の願いに反して、後ろから足音と彼を呼ぶ声が追ってくる。エルメルアリアは最初、顔をしかめたが、ふと思い直して耳を澄ませた。両目を見開き、振り返る。
「エラ!」
「よかった、まだ戻っていなかったか」
こちらへ歩いてきていたのは、二人の青年だ。少し前に会った親友と、先ほど報告の場にいなかった事務官。安堵した様子の彼らを見て、エルメルアリアは腰に手を当てた。
「なんだ、珍しい取り合わせだな」
「面倒事を押し付ける気はないから、安心して」
親友――クロードシャリスは、やわらかく笑う。心を読まれたエルメルアリアは、そっぽを向いた。
事務官のステアルティードが親友を連れてくるときは、大抵エルメルアリアに言うことを聞かせたいときである。だが、今回は少し様子が違った。そのステアルティードが、説教するでもなく、済まなさそうにするでもなく、ただ口を開いたのだ。
「エルメルアリアに知らせておきたいことがあってな。クロードシャリスに居所を聞いた。間に合ってよかった」
「知らせておきたいこと? オレに?」
エルメルアリアが繰り返すと、ステアルティードはうなずく。
「天地内界から天外界に送還されてきた魔物。その、新たな解析結果が出た」
エルメルアリアは眉を上げる。今回、彼が報告を受け取らなかったのは、その解析結果を聞きにいっていたからなのだろう。そうとわかれば心の波も落ち着いた。
「……わざわざ知らせにきたってことは、相当嫌な結果が出たな?」
「ああ。結論から言うと――地下魔界の魔物が、天外界の魔物の集団にまぎれていた。現時点で確認できているのは、二種だ」
事務官の青年が口にしたのは、おおむねエルメルアリアの予想通りの内容だ。しかし、続いた言葉に目を細める。
「二種? カント森林にいた鹿の骨だけじゃねえの?」
「うち一種はそうだな。地下魔界でよく見られる、白骨化した魔鹿だ。幸か不幸か、先日送還されてきた、同種の魔物たちと照合することで判明した。ただ、異常に大きい個体である上に、複雑な――いや、これはあとで話そう」
ステアルティードは、軽くかぶりを振る。
「問題はもう一種の方だ」
金色の瞳が左右に動く。この静かな通路で、まるで人目を気にするように。そして彼は言葉を継いだ。
「もう一種は、黒炎龍。アルクス王国王都に突如出現した、黒い龍だ」
声が一気に暗くなる。エルメルアリアも思わずうなった。あえて尊大に腕を組んで、事務官の青年をにらむ。
「それはオレじゃなくて、フラムリーヴェに報告するべきじゃねえか?」
夏頃、アルクス王国の王都に突如開いた二つの〈穴〉。それと魔物の対処に当たったのは、確かにエルメルアリアたち二組だ。だが、件の龍と直接戦ったのは、〈浄化の戦乙女〉フラムリーヴェと彼女の契約者である。エルメルアリアたちは、あとから話を聞いただけだ。
だからこその言葉に対し、ステアルティードは苦笑する。
「今は報告を交代制にしているのだろう? フラムリーヴェ殿を待っていたら、間が空きすぎる。貴様から伝えてくれ」
「……しょうがねえな」
エルメルアリアはため息をつく。しかし、すぐに真剣な顔を青年たちに向けた。
「〈穴〉が自然現象の産物って線は、限りなく薄くなったな」
「やっぱり、エラもそう思う?」
クロードシャリスがどこか嬉しそうに問う。エルメルアリアは「そうとしか思えねえって」と返した。そのまま三人揃ってため息をつく。
この地に地下魔界の魔物がいること自体は、不思議でもなんでもない。成り行き上、そうなるからだ。
世界の境目に開いた〈穴〉を通じて天地内界へ流れ込んだ魔物が帰る先は、決まっている。天外界か故郷だ。
門によって送還された魔物たちは、例外なく天外界へ行き着く。対して、〈閉穴〉と同時に吸い込まれた魔物たちは、〈穴〉の向こうへ帰っていく。
前者の魔物は魔力の様子などを解析後、『出身地』に改めて帰される。つい先日、ジラソーレでエルメルアリアが送還した地下魔界の魔物も、一旦〈銀星の塔〉で預かられていた。
問題なのは、天外界と天地内界を繋ぐ〈穴〉から他世界の魔物が出現したという点である。サーレ洞窟の一件のように、通り道がわかっているのならまだいいが、骨と龍についてはそれが一切不明なのだ。誰かがわざと混ぜていると考えるのが自然である。
「地下魔界の魔物が直接他世界に出る事例は、百年以上、確認されていなかった」
ステアルティードがうっそりと呟く。それに対し、クロードシャリスがのほほんと合いの手を入れた。
「『未遂』を入れても六十年以上、ですもんね。あれだって、あちらの精霊人が従えていた魔物なわけですし」
親友の静かな言葉は、しかしエルメルアリアの胸をざらりと撫ぜる。うつむいて、聞かなかったふりをして、顔を上げた。
「となると……やっぱり今回も、向こうの奴が操ってんのか。いや、そう決めつけるのは、さすがに短絡的か?」
「そうでもない。少なくとも、その可能性は考えておいた方がいい。骨の魔物にも黒炎龍にも、指揮術の痕跡があったしな」
「――は?」
エルメルアリアは、素っ頓狂な声を上げる。まさか、と言うように青年たちを見たが、二人とも見事なまでのしかめっ面だ。彼も釣られて顔を歪める。
ステアルティードが眉間を揉んだ。
「先ほど言いかけたのはこのことだ。どちらの魔物にも複雑な指揮術がかけられていた。天地内界へ渡る前にかけられたものではないかということだ」
エルメルアリアは床をにらんで考え込む。それから、事務官の青年を見た。
「どんな術だ?」
「どちらにもかけられていたのは、精神高揚と契約。契約の方は、すでに解除されている。加えて、魔鹿にはもう一種類別の術がかけられていたらしい。これについては解析中だが……」
「幻視の指揮術じゃないか――と、僕と解析室の皆様は考えているよ」
クロードシャリスが静かに言った。エルメルアリアは、疑問を視線に乗せて、振り返る。親友はやわらかく瞼を狭めた。
「あの魔鹿、小鹿の姿から骨に変化したんだよね?」
「おう」
「あれに、そんな高度な擬態ができる知能はないみたいなんだ。凶暴すぎて『芸』を仕込むのも不可能に近い」
「だから、小鹿に見せかけるために幻視の術をかけたってことか」
エルメルアリアがまとめると、クロードシャリスは「そういうこと」とほほ笑んだ。そのまま事務官の青年に目配せする。彼もまた、重々しくうなずいた。
エルメルアリアは顎に指をかける。
「地下魔界でそんな難しい術が使えるのは、あっちに適応した精霊人だけだ。ゼンたちに接触してきた奴の話もあるし……どうも臭うな」
ふと、ステアルティードを見る。彼はまだ謎の精霊人の話を知らないのではないか、と思い至ったのだ。しかし、予想に反してステアルティードは落ち着いていた。
「ゼンドラング殿から聞いた。できる限りの協力はするが……絶対に無理はするなよ、エルメルアリア」
名を呼ばれた少年は、唇を尖らせて宙返りする。
「わかってるって。話はそんだけか?」
「……そうだな。引き留めて悪かった」
青年の表情は、やや硬い。憂いの気配はあるが、強く言い募るつもりもないようだ。気まずそうな彼を、クロードシャリスが振り返る。
「ステアルティード。先に戻っていてくれませんか?」
「わかりました」
ためらいがちに答えたステアルティードは、どちらへともなく「それでは」と告げて背を向ける。その姿が通路の先へ消えると、青い瞳がエルメルアリアを見た。――見られた側は、動き回るのをやめて、尋ねる。
「どうしたんだ、クロ? ほかに何かあったか?」
「いや? ただ、エラが辛いことを思い出しているんじゃないかなあ、と思っただけ」
エルメルアリアは目をみはる。耳元の髪を、顔の方へ寄せた。
「……クロは騙せねえな」
「当然だよ。あの件の話を出した途端、顔色が変わったもの」
少年が小さな肩をすくめると、親友は銀色の柱に寄りかかった。
「内界に潜んでいる精霊人が『奴』なんじゃないかとか、考えてるでしょ」
「そりゃ、まあな。どうしたって結び付けちまうよ。地下魔界の精霊人で会ったことがあるの、あいつだけだし」
〈幽闇隧道〉で遭遇した精霊人。エルメルアリアのすべてをひっくり返した、堕ちた人。顔は覚えていないが、声は耳にこびりついている。
エルメルアリアは、ぎゅっと目を閉じた。
そのとき、清流のような声が彼を包む。
「思い詰めないでね。必ずしも『奴』とは限らない」
「……うん」
「地下魔界で暮らしている精霊人は、一人だけじゃないんだし」
「それもそうだな」
クロードシャリスが、ふっと笑う。エルメルアリアも釣られて吹き出した。
少しの間、笑いあって。クロードシャリスが身を起こす。エルメルアリアは親友に背を向けた。
「内界に戻るんでしょう? 引き留めてごめんね」
「おう。……ありがとな」
エルメルアリアがほほ笑むと、青年もわずかに口角を上げて、目を細めた。
「〈閉穴〉、引き続き頑張って。ヒワさんたちによろしくね」
「伝えとくよ。またな」
「うん。また」
お互いに手を振って、別れる。
深呼吸、一回。心を静めたエルメルアリアは、白門の間を目指して飛び出した。




