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春風のサーガ  作者: 蒼井七海
第五章 異変と秘密のディテクション
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76 憩いの夜、セイナより

 長い休息ののち、一行は来た道を戻った。ヘルミはまだ足取りが覚束ないため、荷物ごとゼンドラングが背負っていくことになった。


「くっ……ボクの体が大きければ、ヘルミを自力で運べたのに……! いやでも、大きいとヘルミによしよししてもらえない……!」

「何ふざけてやがる、白チビ。置いてくぞ」


 悩ましげに体をくねらせるリリアレフィルネに、ノクスが冷たい視線を注ぐ。さっさと歩き出した彼に向けて、少女のような精霊人(スピリヤ)は「ほんっとに目つぶししてやろうか!」と脅し文句を叩きつけた。当然、ノクスは相手にしない。


 騒がしく言いあいながら歩く。彼らがのん気に振る舞っているのは、危険がないことの証左でもあった。天外界の魔物がほぼいなくなったことで、岩場を駆ける野生動物の姿も見える。


 道中、ゼンドラングがふと目を瞬いた。む、と言う声を聞いて、ノクスが振り返る。


「どうした、ゼン」

「いや。ヘルミが眠ってしまったようだ」


 それを聞いて、他のふたりが大男の背中を見る。彼の言う通り、ヘルミは大山たいざんのごとき背に身を預けて目を閉じていた。規則的な寝息が響いている。


 ノクスは、わざとらしく「けっ」と呟いた。


「一人だけ気持ちよさそうにしやがって」

「致し方ない。心身に相当な負担がかかっておるだろうからな」


 謎の人物がヘルミの眼前に立った、あのとき。何があったのかは、他の面々もよくわかっていない。それでも、彼女の身に尋常でないことが起きたのは、その後の反応からうかがい知れた。


 先刻の様子を思い出してか、リリアレフィルネが顔を曇らせる。


「体の傷は治せても、疲労や心の傷は消せないからね。むしろ、たまには休んでもらわなきゃ」

「たまにはって……」


 うめいたノクスは、再びゼンドラングを振り仰ぐ。彼に背負われている女性の、あどけない少女のような寝顔を見つめ――足もとの小石を蹴った。


「今回だけだぞ、白チビ」

「はあ? いきなり何さ。ていうか、なんでボク?」

「てめえがヘルミの契約相手だからに決まってんだろ」

「理由になってない。ていうか、そんな言葉、ヘルミには伝えないからね」

「はっ。好きにしろ」


 ふたりは、またしても言い合いを始める。いつまでもかしましい彼らに、大地と親しい精霊人が、おおらかな視線を注いでいた。



     ※



 ヘルミは宿で目を覚ました。窓の外は真っ暗で、眼下の通りに黄金色の光がいくつも見えた。調査日の夜かと思いきや、翌日の夜だった。しかも、途中で悪夢でも見たのか、目を開けたときには相棒を抱きしめていた。


「ごめんね、リリ……。長いことあの体勢だったわけでしょ? きつくなかった?」


 ヘルミはその事実に愕然としたのち、リリアレフィルネに頭を下げる。しかし、当の本人は笑顔だ。心なしか普段より肌艶がよい。


「ぜーんぜん? むしろ、すっごく幸せだったよ」

「そ、そう? ならいいんだけどさ……」


 恍惚としているリリアレフィルネに、契約者は複雑な視線を向ける。一抹の不安を覚えながらも動き出した。まだ全身に嫌なだるさは残っているが、いつまでも寝ているわけにはいかない。手櫛で髪を梳きながら、まわりを見る。


 荷物はすべて、ベッド脇の邪魔にならないところにまとめられていた。さらに、サイドテーブルの端に杖も置いてあった。ちょうど、寝たままでも手が届く位置だった。


「結局、あのふたりの世話になりっぱなしだったね。何かお礼をしなきゃ」

「『命を助けてもらったから礼はいらん』だって。ノクスさんが」


 リリアレフィルネが飛び回りながら言う。ヘルミは、それを聞いて目をみはった。まじまじと精霊人を見つめたのち、吹き出してしまう。


「参ったな。ま、彼らしいけどさ」


 ひとしきり笑った後、汗ばんだ服を着替える。肌着の裾を下ろしたとき、ふと胸元を見下ろして――昨日のことを思い出した。

 動きを止めていると、リリアレフィルネが下りてくる。


「どしたの、ヘルミ? どこか痛い?」

「ああいや。痛みとかはないんだけど……ほんとに生きてるんだよな、って思って」


 ヘルミが正直な思いを口にすると、契約相手の顔が引きつる。慌てて、言葉を足した。


「昨日の……黒い奴に見られたときに、さ。アタシ、死んだんだよね。錯覚とかじゃなくて、死を体験させられた。思いっきり心臓ぶち抜かれて、そのまま体のすべてが停止した。そんな感じだった」


 リリアレフィルネは何も言わない。ヘルミは、胸の上で拳を握った。


「指揮術なのか、強い殺気のなせるわざなのかは、わからない。でも、とにかくあいつはやばい。悔しいけど……アタシらだけでは対抗できない」

「そうだね。内界でやり合うとなると……大陸西部担当の四組全員でかかればなんとかなる、って感じかな」


 真剣な声が、ヘルミの推測を肯定する。彼女はうなずきつつも、苦虫を噛み潰したような表情になった。


「ヒワたちをあんな奴に会わせたくないけどね」


 ヘルミのささやきを聞いて、リリアレフィルネは泣きそうな顔をした。しかし、唇の隙間からこぼれた言葉は、冷徹だ。


「でも、あいつが〈穴〉と関係あるんだとしたら、そうも言ってられない」


 少女が舞い上がる。純白のドレスがなびいた。


「それに、ボクらのことを知っているあいつが、〈天地(あめつち)の繋ぎ手〉と〈浄化の戦乙女〉を――その契約者を放っておくわけがない。何も知らないで遭遇する方が危険だよ」


 ヘルミは今度、無言でうなずいた。


 つかの間の、気まずい沈黙。それを破ったのは、扉を叩く音だった。


 ヘルミは弾かれたように顔を上げる。肩にかけていた上着に慌てて袖を通し、「はい」と言った。


 くぐもった声が返る。


『おお、ヘルミ。起きたか』

「ゼンさん?」

『左様、ゼンだ。ノクスも一緒だぞ。入っても構わんか?』

「どうぞ、入って」


 ヘルミが言うと、扉が開いた。褐色肌の偉丈夫と、不機嫌そうな青年が顔をのぞかせる。「こんばんはー」と手を振ったリリアレフィルネに、ゼンドラングが拳を持ち上げて応じた。


「色々ありがとね、ふたりとも。……それはそれとして、どうしたの?」


 ヘルミが率直に尋ねると、ノクスがむっつりとしたまま右手を掲げる。そこにあったのは、膨らんだ手提げ袋。中から食欲をそそる香りが漂ってきていた。


「飯、持ってきた」

「……飯?」


 ヘルミが気の抜けた声で繰り返すと、ノクスはこくりとうなずく。


「どうせ、寝っぱなしでろくに食ってないんだろ」

「もしヘルミが起きていたら、今夜は四人で一緒に食うかという話になってな! 寝起きでも食えそうな物を見繕ってきた!」


 ヘルミは唖然としてしまう。客人たちに何かを言う前に、相棒の方を見た。リリアレフィルネは「ボクなにもしりません」といわんばかりの表情で、膝を抱えて浮いている。その姿に、ヘルミは小さく笑った。


「ほんと、世話になりっぱなしだ」

「礼はいらねえぞ」

「リリから聞いてるよ。――ぜひ、一緒に食べよう」


 ヘルミは軽く膝を叩くと、場の空気が緩んだ。


 戸口近くのテーブルをゼンドラングがベッドに寄せる。そこへ、ノクスが食事を広げた。四人分のサーモンのスープ、一人分のミルク粥は、こぼれにくい容器に入っている。その隣には、イモをふんだんに使った薄パン。腸詰ソーセージやトナカイの串焼き、小魚の素揚げは、ノクスたちが食べるものだろう。


 さらに、ノクスが小さな容器と袋を取り出した。


「下で鍋借りてくる。先に食ってろ」

(あい)()かった! そちらは任せたぞ!」


 ゼンドラングの言葉に、青年は手を挙げた。手荷物を持って廊下へ出る。――ふわりと漂った酒精アルコールの香りが、容器の中身を教えてくれた。


 お言葉に甘えて、三人で先に食べはじめる。ヘルミは少しこそばゆさを感じつつも、スープを口に運んだ。魚の出汁(だし)とほどよい塩味、濃厚な乳の風味が舌を包む。その後に肉桂シナモン丁子クローブを思わせる香辛料の香りが追いついてきて、鼻から抜けた。ぬくもりが、とろりとろりと下りてゆく。丸一日何も入れていない臓腑には新鮮な刺激だ。


 ヘルミが息を吐いたとき、小気味いい音が響いた。


「うむ、やはりオタヴァは魚が美味いな!」

「ほんとだ、この小魚美味しい。魚といえばヒダカ派だったけど、オタヴァも悪くないもんだ」


 精霊人(スピリヤ)二人は、小魚の素揚げを躊躇なくかじっている。その姿がなんだかおかしくて、ヘルミはこっそり笑ってしまった。


 ややして、ノクスが戻ってくる。行きとは打って変わって、容器を両手で大切そうに持っていた。彼は相棒の「おお、おかえり!」という呼びかけに短く答えた後、ヘルミの前に容器を置く。


「ほらよ。冷める前に飲んじまえ」


 容器の中には案の定、葡萄酒が入っていた。薫り高い湯気を立てる酒を見て、ヘルミはしきりにまばたきする。


「え? これ、アタシが飲んじゃっていいのかい?」


 ノクスはうなずいて、テーブルの前に腰かける。


「気にするな! そもそもおぬしのための物だからな! 串焼きの屋台の店主にノクスが『連れが体調を崩した』とこぼしたら、これを飲むとよいと教えてくれたのだよ」


 ゼンドラングが、白い歯を見せて補足した。串を手に取ったノクスが「また余計なことを」とうめいたが、普段のように怒鳴りはしない。そのまま串焼きにかぶりついた。


 ヘルミとリリアレフィルネは顔を見合わせる。精霊人の方が先に吹き出して、契約者がそれに釣られた。慌てて、口もとを袖で隠す。笑いをこらえてから、ヘルミは温かい葡萄酒に向き合った。


「それじゃあ、ありがたく」


 星々より降りた精霊たちに祈りを捧げ、小さな容器を両手で包む。ノクスは横目でそれを見ていたが、リリアレフィルネに肩をつつかれると、鬱陶しそうに払いのける。


 ざっくばらんな精霊人たちのおかげで、食卓はそれなりに和やかだった。だが、話題が昨日の調査のことになると、空気がやや引き締まる。


「リリよ。昨日の奴については〈塔〉に報告するのか?」

「するしかないでしょ。だって――あいつ、どう考えても精霊人だ」


 小さく切った薄パンを平らげて、リリアレフィルネはそうこぼす。魚の皮を指で拭ったゼンドラングは、珍しく眉をしかめた。


 一方、人間たちは目をみはる。ノクスがまっさきに口を開いた。


「精霊人だぁ?」

「……だな。あの魔力、それにわしらのことを『同胞』と呼んだことから考えても、間違いなかろう」

「なんで精霊人が俺らを殺そうとするんだよ」

「わからん」


 契約者の問いかけに、ゼンドラングはかぶりを振る。リリアレフィルネも、反応は同じ。ろくな答えをえられなかったからか、ノクスが忌々しげに舌打ちをする。


「そもそも、あの精霊人が〈穴〉のことを知っているのかどうかもわからない。偶然あそこにいたっていう可能性もある。けど、だとしても――これは重大事案だ。〈塔〉に報告しないわけにはいかないよ」

「用もなしに精霊人が内界におるのはおかしいからな。しかも、人間に危害を加えようとした、ときておる」


 ゼンドラングが見解を述べる。リリアレフィルネも「その通り」とばかりにうなずく。ヘルミとノクスは思わず顔を見合わせた。


 ノクスが、やけに神妙な表情になる。


「しかたねえ。〈銀星の塔〉にチクる前に、あいつらに話すか。……しかたねえからな」

「そうだねー。っていうか、もうちょっとで約束の時間じゃない? ヘルミが起きたし、連絡してそのまま始める?」

「そうだな」


 宙返りした少女の言葉に、舌打ち混じりの答えを返していた。


 ヘルミは首をかしげた。


「約束? 連絡? なんの話?」


 尋ねると、やや乾いた空気が漂う。


 結局、口を開いたのはノクスだった。


「……昨日、こいつと話してたんだよ。作戦会議をしないかって」


 彼は、リリアレフィルネを指さして、詳細を語る。それを聞いて、ヘルミは両目をいっぱいに見開いた。

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― 新着の感想 ―
ヘルミさんの心の傷がとても心配です。たとえ一瞬でも自分が死んだと認識した恐怖はとても大きなトラウマになると思います(;´・ω・) 私だったらもう一度あの人と戦うなんて怖くて無理……! ノクスさんが素…
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