76 憩いの夜、セイナより
長い休息ののち、一行は来た道を戻った。ヘルミはまだ足取りが覚束ないため、荷物ごとゼンドラングが背負っていくことになった。
「くっ……ボクの体が大きければ、ヘルミを自力で運べたのに……! いやでも、大きいとヘルミによしよししてもらえない……!」
「何ふざけてやがる、白チビ。置いてくぞ」
悩ましげに体をくねらせるリリアレフィルネに、ノクスが冷たい視線を注ぐ。さっさと歩き出した彼に向けて、少女のような精霊人は「ほんっとに目つぶししてやろうか!」と脅し文句を叩きつけた。当然、ノクスは相手にしない。
騒がしく言いあいながら歩く。彼らがのん気に振る舞っているのは、危険がないことの証左でもあった。天外界の魔物がほぼいなくなったことで、岩場を駆ける野生動物の姿も見える。
道中、ゼンドラングがふと目を瞬いた。む、と言う声を聞いて、ノクスが振り返る。
「どうした、ゼン」
「いや。ヘルミが眠ってしまったようだ」
それを聞いて、他のふたりが大男の背中を見る。彼の言う通り、ヘルミは大山のごとき背に身を預けて目を閉じていた。規則的な寝息が響いている。
ノクスは、わざとらしく「けっ」と呟いた。
「一人だけ気持ちよさそうにしやがって」
「致し方ない。心身に相当な負担がかかっておるだろうからな」
謎の人物がヘルミの眼前に立った、あのとき。何があったのかは、他の面々もよくわかっていない。それでも、彼女の身に尋常でないことが起きたのは、その後の反応からうかがい知れた。
先刻の様子を思い出してか、リリアレフィルネが顔を曇らせる。
「体の傷は治せても、疲労や心の傷は消せないからね。むしろ、たまには休んでもらわなきゃ」
「たまにはって……」
うめいたノクスは、再びゼンドラングを振り仰ぐ。彼に背負われている女性の、あどけない少女のような寝顔を見つめ――足もとの小石を蹴った。
「今回だけだぞ、白チビ」
「はあ? いきなり何さ。ていうか、なんでボク?」
「てめえがヘルミの契約相手だからに決まってんだろ」
「理由になってない。ていうか、そんな言葉、ヘルミには伝えないからね」
「はっ。好きにしろ」
ふたりは、またしても言い合いを始める。いつまでもかしましい彼らに、大地と親しい精霊人が、おおらかな視線を注いでいた。
※
ヘルミは宿で目を覚ました。窓の外は真っ暗で、眼下の通りに黄金色の光がいくつも見えた。調査日の夜かと思いきや、翌日の夜だった。しかも、途中で悪夢でも見たのか、目を開けたときには相棒を抱きしめていた。
「ごめんね、リリ……。長いことあの体勢だったわけでしょ? きつくなかった?」
ヘルミはその事実に愕然としたのち、リリアレフィルネに頭を下げる。しかし、当の本人は笑顔だ。心なしか普段より肌艶がよい。
「ぜーんぜん? むしろ、すっごく幸せだったよ」
「そ、そう? ならいいんだけどさ……」
恍惚としているリリアレフィルネに、契約者は複雑な視線を向ける。一抹の不安を覚えながらも動き出した。まだ全身に嫌なだるさは残っているが、いつまでも寝ているわけにはいかない。手櫛で髪を梳きながら、まわりを見る。
荷物はすべて、ベッド脇の邪魔にならないところにまとめられていた。さらに、サイドテーブルの端に杖も置いてあった。ちょうど、寝たままでも手が届く位置だった。
「結局、あのふたりの世話になりっぱなしだったね。何かお礼をしなきゃ」
「『命を助けてもらったから礼はいらん』だって。ノクスさんが」
リリアレフィルネが飛び回りながら言う。ヘルミは、それを聞いて目をみはった。まじまじと精霊人を見つめたのち、吹き出してしまう。
「参ったな。ま、彼らしいけどさ」
ひとしきり笑った後、汗ばんだ服を着替える。肌着の裾を下ろしたとき、ふと胸元を見下ろして――昨日のことを思い出した。
動きを止めていると、リリアレフィルネが下りてくる。
「どしたの、ヘルミ? どこか痛い?」
「ああいや。痛みとかはないんだけど……ほんとに生きてるんだよな、って思って」
ヘルミが正直な思いを口にすると、契約相手の顔が引きつる。慌てて、言葉を足した。
「昨日の……黒い奴に見られたときに、さ。アタシ、死んだんだよね。錯覚とかじゃなくて、死を体験させられた。思いっきり心臓ぶち抜かれて、そのまま体のすべてが停止した。そんな感じだった」
リリアレフィルネは何も言わない。ヘルミは、胸の上で拳を握った。
「指揮術なのか、強い殺気のなせるわざなのかは、わからない。でも、とにかくあいつはやばい。悔しいけど……アタシらだけでは対抗できない」
「そうだね。内界でやり合うとなると……大陸西部担当の四組全員でかかればなんとかなる、って感じかな」
真剣な声が、ヘルミの推測を肯定する。彼女はうなずきつつも、苦虫を噛み潰したような表情になった。
「ヒワたちをあんな奴に会わせたくないけどね」
ヘルミのささやきを聞いて、リリアレフィルネは泣きそうな顔をした。しかし、唇の隙間からこぼれた言葉は、冷徹だ。
「でも、あいつが〈穴〉と関係あるんだとしたら、そうも言ってられない」
少女が舞い上がる。純白のドレスがなびいた。
「それに、ボクらのことを知っているあいつが、〈天地の繋ぎ手〉と〈浄化の戦乙女〉を――その契約者を放っておくわけがない。何も知らないで遭遇する方が危険だよ」
ヘルミは今度、無言でうなずいた。
つかの間の、気まずい沈黙。それを破ったのは、扉を叩く音だった。
ヘルミは弾かれたように顔を上げる。肩にかけていた上着に慌てて袖を通し、「はい」と言った。
くぐもった声が返る。
『おお、ヘルミ。起きたか』
「ゼンさん?」
『左様、ゼンだ。ノクスも一緒だぞ。入っても構わんか?』
「どうぞ、入って」
ヘルミが言うと、扉が開いた。褐色肌の偉丈夫と、不機嫌そうな青年が顔をのぞかせる。「こんばんはー」と手を振ったリリアレフィルネに、ゼンドラングが拳を持ち上げて応じた。
「色々ありがとね、ふたりとも。……それはそれとして、どうしたの?」
ヘルミが率直に尋ねると、ノクスがむっつりとしたまま右手を掲げる。そこにあったのは、膨らんだ手提げ袋。中から食欲をそそる香りが漂ってきていた。
「飯、持ってきた」
「……飯?」
ヘルミが気の抜けた声で繰り返すと、ノクスはこくりとうなずく。
「どうせ、寝っぱなしでろくに食ってないんだろ」
「もしヘルミが起きていたら、今夜は四人で一緒に食うかという話になってな! 寝起きでも食えそうな物を見繕ってきた!」
ヘルミは唖然としてしまう。客人たちに何かを言う前に、相棒の方を見た。リリアレフィルネは「ボクなにもしりません」といわんばかりの表情で、膝を抱えて浮いている。その姿に、ヘルミは小さく笑った。
「ほんと、世話になりっぱなしだ」
「礼はいらねえぞ」
「リリから聞いてるよ。――ぜひ、一緒に食べよう」
ヘルミは軽く膝を叩くと、場の空気が緩んだ。
戸口近くのテーブルをゼンドラングがベッドに寄せる。そこへ、ノクスが食事を広げた。四人分のサーモンのスープ、一人分のミルク粥は、こぼれにくい容器に入っている。その隣には、イモをふんだんに使った薄パン。腸詰やトナカイの串焼き、小魚の素揚げは、ノクスたちが食べるものだろう。
さらに、ノクスが小さな容器と袋を取り出した。
「下で鍋借りてくる。先に食ってろ」
「相分かった! そちらは任せたぞ!」
ゼンドラングの言葉に、青年は手を挙げた。手荷物を持って廊下へ出る。――ふわりと漂った酒精の香りが、容器の中身を教えてくれた。
お言葉に甘えて、三人で先に食べはじめる。ヘルミは少しこそばゆさを感じつつも、スープを口に運んだ。魚の出汁とほどよい塩味、濃厚な乳の風味が舌を包む。その後に肉桂や丁子を思わせる香辛料の香りが追いついてきて、鼻から抜けた。ぬくもりが、とろりとろりと下りてゆく。丸一日何も入れていない臓腑には新鮮な刺激だ。
ヘルミが息を吐いたとき、小気味いい音が響いた。
「うむ、やはりオタヴァは魚が美味いな!」
「ほんとだ、この小魚美味しい。魚といえばヒダカ派だったけど、オタヴァも悪くないもんだ」
精霊人二人は、小魚の素揚げを躊躇なくかじっている。その姿がなんだかおかしくて、ヘルミはこっそり笑ってしまった。
ややして、ノクスが戻ってくる。行きとは打って変わって、容器を両手で大切そうに持っていた。彼は相棒の「おお、おかえり!」という呼びかけに短く答えた後、ヘルミの前に容器を置く。
「ほらよ。冷める前に飲んじまえ」
容器の中には案の定、葡萄酒が入っていた。薫り高い湯気を立てる酒を見て、ヘルミはしきりにまばたきする。
「え? これ、アタシが飲んじゃっていいのかい?」
ノクスはうなずいて、テーブルの前に腰かける。
「気にするな! そもそもおぬしのための物だからな! 串焼きの屋台の店主にノクスが『連れが体調を崩した』とこぼしたら、これを飲むとよいと教えてくれたのだよ」
ゼンドラングが、白い歯を見せて補足した。串を手に取ったノクスが「また余計なことを」とうめいたが、普段のように怒鳴りはしない。そのまま串焼きにかぶりついた。
ヘルミとリリアレフィルネは顔を見合わせる。精霊人の方が先に吹き出して、契約者がそれに釣られた。慌てて、口もとを袖で隠す。笑いをこらえてから、ヘルミは温かい葡萄酒に向き合った。
「それじゃあ、ありがたく」
星々より降りた精霊たちに祈りを捧げ、小さな容器を両手で包む。ノクスは横目でそれを見ていたが、リリアレフィルネに肩をつつかれると、鬱陶しそうに払いのける。
ざっくばらんな精霊人たちのおかげで、食卓はそれなりに和やかだった。だが、話題が昨日の調査のことになると、空気がやや引き締まる。
「リリよ。昨日の奴については〈塔〉に報告するのか?」
「するしかないでしょ。だって――あいつ、どう考えても精霊人だ」
小さく切った薄パンを平らげて、リリアレフィルネはそうこぼす。魚の皮を指で拭ったゼンドラングは、珍しく眉をしかめた。
一方、人間たちは目をみはる。ノクスがまっさきに口を開いた。
「精霊人だぁ?」
「……だな。あの魔力、それにわしらのことを『同胞』と呼んだことから考えても、間違いなかろう」
「なんで精霊人が俺らを殺そうとするんだよ」
「わからん」
契約者の問いかけに、ゼンドラングはかぶりを振る。リリアレフィルネも、反応は同じ。碌な答えをえられなかったからか、ノクスが忌々しげに舌打ちをする。
「そもそも、あの精霊人が〈穴〉のことを知っているのかどうかもわからない。偶然あそこにいたっていう可能性もある。けど、だとしても――これは重大事案だ。〈塔〉に報告しないわけにはいかないよ」
「用もなしに精霊人が内界におるのはおかしいからな。しかも、人間に危害を加えようとした、ときておる」
ゼンドラングが見解を述べる。リリアレフィルネも「その通り」とばかりにうなずく。ヘルミとノクスは思わず顔を見合わせた。
ノクスが、やけに神妙な表情になる。
「しかたねえ。〈銀星の塔〉にチクる前に、あいつらに話すか。……しかたねえからな」
「そうだねー。っていうか、もうちょっとで約束の時間じゃない? ヘルミが起きたし、連絡してそのまま始める?」
「そうだな」
宙返りした少女の言葉に、舌打ち混じりの答えを返していた。
ヘルミは首をかしげた。
「約束? 連絡? なんの話?」
尋ねると、やや乾いた空気が漂う。
結局、口を開いたのはノクスだった。
「……昨日、こいつと話してたんだよ。作戦会議をしないかって」
彼は、リリアレフィルネを指さして、詳細を語る。それを聞いて、ヘルミは両目をいっぱいに見開いた。




