75 迫る闇(1)
リリアレフィルネの分析結果を書き留めながら、あるいは聞きながら岩場を進む。もちろん、天外界の魔物の襲来があれば、都度無力化して送還した。大抵は、ヘルミたちが何かをする前にノクスとゼンドラングが対処する。彼女たちが話を始めて以降、もう一組は魔物退治が自分らの役割だと心得たらしかった。
「頼もしいことだ」
呟きながら、ペンをしまう。ヘルミは手帳に目を走らせてから、相棒を見上げた。
「つまり――『内界の魔力に、別の魔力が混ざっている』状態なんだね。しかも、天外界の魔物たちから感じるのとはまた別の、異質な魔力が」
「そういうこと。さっきのヒョウケツクズリも、そっちの魔力に影響を受けたのかも。ま、天外界の魔物に感化されたっていうのも、あるだろうけど」
リリアレフィルネが、飛び回りながら肯定した。ついでのように放った光の弾丸で、結晶の魔物を撃ち落とす。
ややあって、周辺の魔物たちを送還したゼンドラングが彼女を見上げた。
「第三の魔力か。源はわからぬのか?」
「今はうっすらとしか感じ取れないから、なんとも」
リリアレフィルネは、大げさに両手を挙げてかぶりを振った。それから、ふと目を細める。
「一応仮説はあるけど……あんまり言いたくないかな」
ささやく声は、普段とは比べ物にならないほど鋭い。これは、本当に嫌なときの声だ。顔を曇らせたヘルミは、無言で手帳をしまった。
岩場を進むこと、しばし。ケイユ山の山道に近づいたあたりで、魔物の襲撃が増えた。さすがに、ヘルミたちも話し込んでばかりいられない。
「『グラッカ・コード』」
銀色の杖が空を薙ぐ。魔物たちの足もとが盛り上がり、岩石が彼らの足を拘束する。寸暇をおかず、ヘルミは杖を突きだした。
「『ラズィ・シルール』!」
魔物たちの頭上すれすれで無数の火花が弾ける。激しい音と熱を浴びた魔物たちは、苦悶の声を上げた。身もだえする彼らを、白い光の雨が昏倒させた。――リリアレフィルネが降らせたものだ。
ヘルミはそれを見届けることなく、身をひるがえす。灰青の瞳が捉えたのは、岩陰から飛び出したトナカイの群れだ。もちろん、オタヴァで一般的に見られるトナカイではない。虹色に輝く角を持ち、白い体に青い文様のようなものが見える、魔物だ。
「『ルイフィオ・ネスフィ』」
ささやくように唱える。突然立ち込めた霧が、彼女とトナカイたちを隔てた。霧の向こうでトナカイたちの動きが大きく鈍る。それを確認すると同時、ヘルミは細く息を吸った。
「ノクス!」
「『レヴレム』!」
呼びかける。ほぼ同時に、白い雷撃がトナカイの群れを貫いた。ヘルミが杖を一振りすると、霧は跡形もなく消える。そこには、倒れて痙攣するトナカイの魔物たちがいた。
その向こうで、ノクスが杖を振っている。その先端が近くの小さな岩を叩いた。
「『ザクル・ザクル』」
詠唱直後、岩が細かく砕ける。ノクスは杖を跳ね上げて、斜め後ろの相棒めがけて振った。
「――おらよ、ゼン!」
「おおっ。かたじけない、ノクス!」
浮き上がった小石が、ゼンドラングの方へ飛ぶ。彼が両手を広げて握ると、小石はたちまちゼンドラングの支配下に入った。
不規則な形の小石が、弾丸のように魔物たちを撃つ。さらに、そこへゼンドラングの拳が叩き込まれた。
そうして道に魔物が積み上がったとき、リリアレフィルネが上空で門を呼び出し、彼らを送還する。――こんな具合で、招かれざる客を帰しながら進んでいた。
「きりがねえな、ったく」
ノクスが尖った声でぼやく。「ほんとにね」と同意しつつ、ヘルミは遠くへ視線を投げた。
「でも、こんだけ魔物が来てるってことは、目的地が近いってことだ」
「うん。『第三の魔力』の気配も、かなり濃くなってきた」
ヘルミのかたわらを飛ぶリリアレフィルネが、眉を寄せる。ゼンドラングも大きくうなずいた。
「わしでもはっきりわかるほど臭いぞ。そろそろ正体の見当がついているのではないか、リリ?」
――問いを向けられた精霊人は、すぐには答えない。宙を蹴って、前へ飛び出す。大きな岩の向こうへ回り込んだ。ヘルミたちも、それを追う。岩の裏をのぞきこんで、息をのんだ。
「第三の魔力は、地下魔界のものだよ」
重苦しい沈黙の中、澄んだ声が答えを落とす。
冷たい目をした精霊人の前には、濃い闇と原色の光が渦巻く〈穴〉があった。
光と闇の中から、あるいは岩陰から、異形の獣が現れる。魔物たちはまるで、一行を待ち構えていたかのようだ。彼らの視線は、一番近くにいたリリアレフィルネを射抜く。
彼女は眉ひとつ動かさず、振り返る。同時、自らの周囲に光の花を咲かせた。大輪の花はすぐさま弾け、無数の剣となって魔物たちの方へ飛ぶ。
「このボクを喰らいたかったら、千年後に出直してきな。――ま、千年後だろうが一万年後だろうが、喰わせないけどね」
〈白百合の舞姫〉は、冷たくほほ笑んで魔物たちを睥睨する。それからくるりと回転して、契約者の隣へ戻った。
呆然としていた人間たちが我に返る。リリアレフィルネはいつも通り、つかみどころのない少女の表情をしていた。
「……地下魔界の魔力って、どういうことだよ。あの〈穴〉は、天外界に繋がってるんだろ」
「うん。それは間違いない。ボクも、どういうことかわからなくて、ちょっと困ってるところー」
ノクスの問いに、リリアレフィルネは気の抜けた答えを返す。
「〈穴〉に近づいたら何かわかるかと思ったけど、だめだねーこれ。魔力が濃くなったことしかわからない」
「捜索と調査、とは言うが。この状況で何を調査しろというのだろうなあ、〈塔〉の奴らは」
ゼンドラングが頭をかく。視線の先では、〈穴〉から続々と魔物たちが這い出してきていた。
「本当は〈穴〉を間近で見て、ゆっくり成分解析とかしたかったんだけどなー」
「そんなことしてたら、魔物に頭から食われるね」
ヘルミは思わず苦笑する。リリアレフィルネも、自らの発言を嘲笑うように、唇をつり上げた。
「だね。それができるなら、エルメルアリアがとっくにやってるだろうし」
ひととき、沈黙が落ちる。ノクスが「じゃあどうすんだよ」とうめいた。リリアレフィルネは顎に指をかけて、やる気満々の魔物たちを見下ろす。
「とりあえず、こいつらをぶっ飛ばしながら〈穴〉まわりの様子を観察してー……それが済んだら〈閉穴〉かな。で、魔物の残党を送還しながらほかに痕跡がないか探そう」
「結局、やることはいつもと大して変わらないね」
ヘルミはちりん、と杖を鳴らす。気合十分のゼンドラングとともに、ノクスも前へ出た。
『〈穴〉まわりの観察』は、飛んで移動できるリリアレフィルネの担当だ。ほかの三人がやるべきは、観察の間に魔物たちを叩きのめすことである。手数の多いノクスや、まとめて魔物を殴り飛ばしてしまうゼンドラングがいるおかげで、さして時間はかからなかった。氷の鎖や岩で魔物を足止めしたヘルミは、彼らの豪快な戦いぶりに笑みを誘われる。
その上では、リリアレフィルネがひとりごちていた。
「うーん。〈穴〉自体は今まで見てきたものと変わらないね。まわりの魔力も。ほんとに、この地下魔界の魔力だけが謎だなあ」
うろうろ飛び回る彼女は、時折暇つぶしのように光弾を生み出し、魔物にぶつける。そんなことを何度か繰り返した後、ヘルミのもとへやってきた。
「だーめだ。〈穴〉を見てるだけじゃ、新しい情報は得られそうにない。さっさとふさいじゃおう」
「いいの?〈銀星の塔〉に報告しなきゃいけないでしょ」
ヘルミは思わず尋ねる。精霊人の反応は、淡白だった。
「地下魔界の魔力が観測されたってだけでも、手土産にはなるでしょ」
「まあ、リリがそう言うなら……」と、ヘルミは一度杖を下げる。魔物たちの様子を確かめながら、少しずつ後退した。一方のリリアレフィルネは、悠々と飛びながら叫んだ。
「ゼンー。〈閉穴〉、どっちがやるー?」
ユキヒョウに似た魔物との取っ組み合いに勝利したゼンドラングが、叫び返した。
「今回はリリに任せよう! 〈塔〉から指令を受けたのはおぬしらだからな!」
「それもそうだね」
小さく笑ったリリアレフィルネが、その場で契約者を振り返る。
「じゃ、ヘルミ、よろしく」
「よしきた」
言葉を受けたヘルミは、杖を両手で握って掲げる。禍々しく光る魔物の目が彼女をにらんだが、彼らはすぐ雷撃に吹っ飛ばされた。
無防備なところを突かれる心配がないのはありがたい。ヘルミは薄く笑んで、息を吸った。
「『イリュ・ドゥーテ・クランダル・ウカータ』――」
すぐ上で、魔力がうねる。雫型の貴石がまばゆく輝きだした。
「『クランダーテ・イリューア・デア・ヘルミ・ライネ
アリイネラ・イリュール・デア・リリアレフィルネ』」
凛とした詠唱は、魔物たちをも黙らせた。
刹那、リリアレフィルネの周囲が、光を浴びた水晶のように輝きだした。
魔力とともに、濃密な花の香りが広がる。同時、あちらこちらからうなり声が上がった。興奮した魔物たちが、リリアレフィルネを狙って攻撃する。彼女は冷徹なまなざしを彼らに注ぎ、指を鳴らした。ダイヤモンドのような球体が彼女を包み込み、放たれた攻撃、向かってきた魔物をすべて弾き返す。
「痛い目に遭いたくなかったら、大人しくしてなさい」
温度のない声でそう告げて、リリアレフィルネは〈穴〉に向き直る。爪の先に灯した光で、滑らかに陣を描きはじめた。
当然、魔物たちが言う通りにするはずもなく。リリアレフィルネに敵わないとわかると、今度はほかの三人に牙を剥いた。しかし、彼らもその程度で動じる性質ではない。淡々と魔物を制圧していった。
やがて陣が完成し、長大な詠唱も終わる。締めにリリアレフィルネが手を叩くと、〈穴〉は凄まじい勢いで収縮した。その場にいた魔物たちを余さず吸い込んで、消える。四人はそれを静かに見届けた。




