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春風のサーガ  作者: 蒼井七海
第五章 異変と秘密のディテクション
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74 指揮術の理想形

 ヘルミは最初、偶然かと思っていた。だが、違う。初戦で感じた驚きと違和感は、偶然でも気のせいでもなかった。


「『レヴレム』!」


 叫ぶと同時、ノクスは杖を振り上げる。今度は二条の雷が落ちて、異端の獣の群れを撃つ。運よく雷から逃れたものたちが、怒りを全身にたぎらせて殺到した。ノクスはさざ波ほどの動揺も見せない。


 細い音を立てて、杖が風を切る。


「『カルヤ』『ルフ』!」


 ごく小規模の吹雪が来る。魔物たちは、青年に食らいつく前に、白い風にのみこまれた。


 ヘルミは、自分に群がってくる魔物たちを淡々と仕留めながら、それを観察している。まだら模様の熊たちを氷漬けにしたところへ、甘い香りをまとった精霊人がやってきた。


「〈銀星の塔〉の名の下に、権限を行使する。門よ開け、魔の者どもを彼方へ還したまえ」


 冷ややかなことばに門が応える。


 リリアレフィルネは、送還を終えると、契約者のもとに舞い下りた。


「何考えてるか、当ててあげようか。彼の詠唱が気になってるんでしょ」

「……ご名答」


 ヘルミは軽く肩をすくめる。


 間もなく、ノクスたちの方も静かになった。サウナを満喫した後のように額をぬぐっているゼンドラングに、ノクスが湿っぽい視線を注いでいる。


 ヘルミは「お疲れ様」と二人を労ってから、青年の方を見た。


「ところで、ノクス。あの詠唱でよく術が暴発しないね」

「あ? 暴発?」


 ノクスはわかりやすく眉をしかめた。が、すぐにヘルミの言いたいことを察したようだ。杖を手元で回しながら、口を開いた。


「ガキの頃はしょっちゅうしてたけどな。今はさすがに加減できる」

「加減って……そう簡単にできることじゃないよ」


 ヘルミが頬を引きつらせていると、彼は露骨に嫌そうな顔をした。


「んだよ。馬鹿にしてんのか?」

「いや、むしろ褒めてる。心から」


 真剣な声音で返すと、青年の眉間のしわが少し薄くなる。


 目を泳がせたノクスは、重く黙り込んでしまった。他の三人に背を向けて、大股で歩き出す。


 ヘルミは、精霊人たちと目を合わせる。それから、青年を追って歩き出した。


 ――詠唱は簡潔に。細かい指示は、杖の動きとイメージで。指揮術の基本だ。だがそれは、「言うのは容易いが実行するのは難しい」ことでもある。


 例えば、『レヴレム』一語だけでは、雷雲を呼んで雷を落とすのか、杖の先に雷の力を集めて放つのかが判然としない。さらに、威力や規模も精霊たちに伝わりづらい。


 それを補うのが、杖による指示と、精霊指揮士(コンダクター)の想像力だが、精霊の声を直接聞くことが叶わない人間には限界がある。だから詠唱ことばに形容詞をつけたり、短文にしたりして術を安定させるのだ。


 一方ノクスは、そういった工夫を捨てている。詠唱は最低限、あとは杖の動きと己の想像だけで魔力を動かし、術にする。基礎を極めに極めたやり方だった。ある意味、指揮術の理想形である。


 ヘルミのような精霊指揮士から見れば、誇るべき才能だ。だが、本人の感じ方はまた違うのかもしれない。


 髪のひと房を指ですくい、後ろに払う。それからヘルミは歩幅を広げた。青年に追いつくと、努めて穏やかに声をかける。


「ノクス。気分を害したなら謝るよ」


 榛色ヘーゼルの瞳がちらと動いた。唇が小さく開く。


「そんなんじゃねえ。ババアに褒められたのが気色悪かっただけだ」

「……言うねえ坊ちゃん。気を遣って損した」


 ヘルミは一転、眉をひそめた。青年の背中を思いっきり叩く。「いって!」という叫びを無視して、彼の隣に並ぶ。


「ほーら構えて。次のお客様がお見えになったよ」

「てめえに言われなくてもわかってら」


 杖を掲げたヘルミをにらんで、彼も倣う。二人の人間は、精霊人たちが生温かい視線を注いでいることに気づかない。


 どんよりとした魔力が揺らめく。リリアレフィルネの尖った耳が、わずかに動いた。


 人々が見つめた道の先から現れたのは――イタチか(たぬき)のような動物だった。


「……あ?」


 ノクスがひっくり返った声を出す。彼の後ろで、ゼンドラングが目陰をさした。


「あれは――イタチか?」

「半分正解。イタチの仲間、クズリだね。このあたりにはよくいる」

「ということは、野生の獣か?」


 野太い声を聞きながら、ヘルミはクズリを観察する。近くの針葉樹林から出てきたのだろうか――その考えを、精霊指揮士の直感が否定した。


「みんな、構えを解かないでよ」

「うん。こいつは――」


 リリアレフィルネが飛んできて、契約者を守るように立つ。


 その、次の瞬間。


 クズリの体毛の色が変化した。茶色を基調としたものから、青を基調としたものへ。さらに、両目が茫洋とした光を帯びる。魔力をまとった冷気が、靄のようにクズリのまわりを漂った。


 天地の魔力が躍る。精霊たちはご機嫌なようだ。ヘルミは舌打ちしたいのを堪えて、片手を防寒着のポケットに突っ込んだ。かたわらで、ノクスもいらだたしげに杖を握りしめている。


「なんだよこれ。魔物じゃねえか」

「高度な擬態だね。これだから、『ヒョウケツクズリ』は厄介なんだよ」


 言いながら、ヘルミはポケットから物を引っ張り出す。そして、それをクズリに見せつけるように掲げた。


「ほーれ。氷の森へお帰りよ」


 手の中にあるのは、黒々とした金属の板だ。表面には古いオタヴァ語と、防御結界を示す幾何学模様が彫られている。


 青いクズリが、びくりと全身を震わせた。一方、何も知らないノクスとゼンドラングは怪訝そうにそれを見る。


「……なんだそれ?」


 ヘルミは口角を上げて、青年を見た。


「『氷の森へ行くときは、鉄鋼の護符を忘れるな』――ってね」

「本当にそんなもんでアレが退散すんのかよ?」


 刺々しい視線の先では、今なおクズリが震えている。護符を――それから、もしかしたら精霊人も――警戒しているのは間違いない。正常なヒョウケツクズリなら、これで人間側が背中を見せなければ、そのうち諦めて逃げていく。


 が、今回はそうならなかった。


 クズリが牙をむき出しにする。滅茶苦茶な弦楽器の演奏のような音が、その場に響いた。顔をしかめたゼンドラングが拳を打ち合わせる。


「内界の魔物だ。戦わずに済めばそれでよし、と思っておったが……そうはいかぬか」

「まあまあ。もうちょっと待って、ゼンさん」


 臨戦態勢に入ったゼンドラングを、ヘルミは手と護符で制する。もう一方の手で杖を振った。


「『ヤーナ・ヤーナ・スピルード』『アールム・ファーゼム・アールム・ファーゼム』」


 詠唱が終わると同時、護符が淡く光り出す。目をみはっている男たちをよそに、ヘルミはそれを持つ手を振り上げた。


「鉄鋼の護符はね――こうやって使うんだよ!」


 叫びとともに、護符を投げた。鉄鋼の板は、彼女とクズリの間の地面に叩きつけられる。その瞬間、光があふれ、けたたましい音を立てて護符が砕け散った。


 凄まじい勢いで金属片が飛び散る。それをまともに浴びたクズリは、魔物特有の悲鳴をまき散らしながら逃げ出した。


 ふさふさの尾が遠ざかる頃、光も収まる。後に残されたのは護符の破片とやり切った表情の女性が一人。そして、呆然としている他の面々だった。


「……人間は面白いものを作るな」


 ゼンドラングがうめくように言う。ヘルミは笑声を立てた。


「ぜひ、アタシらのご先祖様に言ってあげて。あと、護符の破片回収するから、ちょっと待ってて」


 我に返ったノクスが、気だるげに体を揺する。


「回収すんのか」

「当然。護符の後始末も精霊指揮士の仕事だよ」


 言って、ヘルミは目に見える範囲の破片を集めはじめた。


 その後ろで、精霊人たちが話し出す。


「リリよ。怖い顔をして、どうした?」

「……ゼン。あのクズリが出てきたくらいから、魔力の質が変わってない?」

「ふむ。……言われてみれば、ちと臭い気はするな。〈穴〉の影響か?」

「それを加味しても、何か変だ。ヒョウケツクズリの様子も普通じゃなかったし」


 ヘルミは黙々と破片を集め、護符が入っていた袋へ戻していく。そうしながらも、二人の会話を聞き逃さなかった。


 さて、あとは――と小さく呟いて、上半身を起こす。そのとき「おい」と声がかかる。背後にノクスが立っていた。


「これでいいのか?」


 彼はぶっきらぼうに言って、右手を広げる。手袋に覆われた手のひらには、金属片の山が乗っていた。


 ヘルミは思わずまばたきして、金属片と青年の顔を見比べる。


「手伝ってくれたの? 休んでてよかったのに」

「――精霊指揮士の仕事なんだろ」


 答える声は小さい。しかし、対面の女性の耳にはしっかり届いていた。


「ありがと。助かったよ」


 ヘルミはほほ笑んで感謝を述べる。ノクスの手から破片を受け取り、護符の袋へ戻した。


「さて。人の手で回収できる分は、あらかた拾ったかな。それじゃあ――」


 袋の口を閉めて荷物へねじ込むと、次は手帳とペンを取り出す。そして、周囲の魔力を探っている相棒を振り返った。


「リリ。さっきの魔力の話、詳しく聞かせて」


 リリアレフィルネは、弾かれたように顔を上げる。それから「了解」とあでやかに笑った。

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― 新着の感想 ―
じわじわとノクスさんへの好感度が上がっていきます!(*'ω'*) 指揮術のすごさは才能もあるだろうけど、きっとすごく真面目に努力もしてると思います。 護符の欠片集めを手伝ったり……いやふうにいいヤツ…
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