73 凍雲と轟雷の共同調査
翌朝早く。二組はケイユ山近くで落ち合うことになった。ヘルミはセイナの門前で合流するつもりだったのだが、ノクスが「会うなら町の外がいい」と主張したのだ。なぜか鬼気迫る様子であった。
ヘルミは怪訝に思ったが、疑念はすぐに氷解することとなる。
リリアレフィルネの力を借りて、山が見えるあたりまで飛ぶ。彼女の証言通り、空気はずいぶんと濁って、淀んでいた。あまり長居はしたくないな、とヘルミが思っていたところに、雷鳴のような音が近づいてくる。
ヘルミは思わず杖を構えた。が、相棒がのんびりと浮いているので、警戒を解く。そうしている間にも音は近づき、地平線に大きな影が見えた。
「おう、二人とも! おはよう!」
「おはよー、ゼン」
リリアレフィルネがひらひらと手を振る。
「おはよ……って速っ!?」
ヘルミも倣おうとしたが、気圧されて挨拶が途切れてしまった。
契約者を肩に乗せたゼンドラングは、目を見張るほどの速度でふたりの前に辿り着く。――今日の彼は、巨人という言葉がふさわしい姿だった。
「なるほど。この姿を誰かに見られたら、騒ぎになるね」
「それだけじゃねえよ。任務前に、あんまり自前の魔力を使わせたくねえだろ」
刺々しい声で言ったノクスが、慣れた様子で飛び降りる。
この青年、契約相手に対しては気遣いもできるらしい。ヘルミは妙な気分で茶色いつむじを見つめた。視線に気づいたのか、榛色の瞳がぎろりと彼女をにらむ。
ヘルミは、咳ばらいをひとつした。
「とにかく。来てくれてありがとね」
ふん、とそっぽを向いたノクスの隣で、ゼンドラングが胸を叩く。
「礼には及ばんよ。……にしても、覚えのある臭いがぷんぷんするな」
「でしょー?」
「発生地点の目星はついておるのか、リリ?」
同胞の問いに、リリアレフィルネは宙返りしながら答える。
「大体は。――ここから西北、山麓の岩場のどこかだよ」
白い指が、青く霞む山の近辺を指さす。「どこかってどこだよ」と毒づいたノクスをよそに、ゼンドラングが豪快に笑った。
「そこまでわかっておるなら上々! さっそく向かうとしようか!」
「うん。アタシらが先導するから、ついてきて」
ヘルミは山の方に足を向け、二人を振り返る。片や不服そうな、片や爽やかな返事を聞くと、荷物を担ぎ直して踏み出した。
オタヴァ南部の秋の朝。空気は凍てついているが、地上にはまだ彩がある。一帯が雪に閉ざされるのは、もう少し先のことだろう。調査指令がこの時期に下ってよかった、とヘルミは心から思っている。
「南は今の時期でも暖かいね。地面も凍ってないし、歩きやすくて結構、結構」
「これで暖かいって……レグン人の感覚はわかんねえな」
ノクスが呆れたように呟く。ヘルミはにやりと笑って、しかめっ面の青年を振り返った。
「残念。アタシはレグン人じゃなくて、オタヴァ人だよ」
相手の眉が跳ね上がる。ノクスだけでなく、精霊人の二人も目を丸くしていた。
「ヘルミ、この国の人だったの?」
「うん。ここよりずーっと北にある、ちっさな村の出だ。狩人の多い村なんだけど、うちは代々精霊指揮士を輩出する家でね。アタシも当然のように指揮術を身に着けた」
さくさくと。歩きながら、ヘルミは語る。他人の話に興味がなさそうに見えるノクスも、思うところがあるのか、黙って耳を傾けていた。
「十五になったら協会に入ろうと思っていた。けど、当時のオタヴァには協会支部がなかったからね。しかたなく、お隣のレグン支部に入会したってわけ」
「なるほどな。人間の国のことはよくわからんが……色々とやりづらくはないか?」
ゼンドラングが腕を組む。ヘルミは笑って、こぼれ落ちてきた髪をすくった。
「今のところはそうでもないかなあ。支部長が気を遣って、時々オタヴァの仕事も回してくれるし。――今、レグンとオタヴァがドンパチしてなくて助かったよ」
仮に、この二国が戦争を始めたら、自分はどちらにつくのだろう。ヘルミは時折、そんなことを考える。今も、物思いにふけりかけて――慌ててかぶりを振った。
「というわけで。この国の気候や野生動物にはそこそこ詳しいんだ。何かあったら訊いてね」
「気が向いたらな」
ノクスが低く答える。心なしか、声音がいつもより優しかった。
しばらく歩くと、右手に針葉樹林が見えてくる。それに沿って歩くと、少しずつ地面の凹凸が激しくなり、やがて岩場へと入っていく。どこか遠くで、鷲の鳴き声が響いた。
「……ほう。なかなかに活きのいい奴らがいるようだ」
ゼンドラングが不敵に笑う。ヘルミとノクスも、無言で杖を手にしていた。
岩陰から、鬼火のような輝きとともに数匹の生き物が現れる。ふわふわと浮いている、何か。白い毛玉のような体、その上部に細長い触角のようなものが生えている。彼らの周囲だけがきらきらと輝いていた。それを見て、ヘルミは眉を寄せた。
「なにあれ……虫?」
「あ、ボクの里のまわりでよく見かけるやつだよー。精霊人でも油断すると凍らされるから気を付けてー」
リリアレフィルネが、散歩のように飛びながら言う。
それを聞いたノクスが舌打ちした。
「つまり、天外界の魔物ってことじゃねえか」
その言葉が終わるか終わらないか、というとき。白い毛玉の輝きが強くなった。場の空気が一気に冷えて、氷の礫が発射される。輝きの正体は、微細な氷の粒だったのだ。
刃のようなそれを、太い腕がまとめて薙ぎ払った。
「おお、冷やっこいな! これは確かに要警戒だ」
「ゼンが言うと説得力ないねー」
大男の頭上に舞ったリリアレフィルネが、指を鳴らす。花のような白光が弾けて、魔物を次々と撃ち落とした。虫にも見える魔物は、次々と湧いてくるが、精霊人たちによって淡々と『処理』されていく。
「これ、俺ら必要か?」
ノクスがうっそりと呟く。ヘルミは彼を一瞥し、「どうだかね」と苦笑いした。だが、すぐに表情を消して杖を持ち上げる。
「……っと、残念。優雅に見物とはいかなそうだよ」
内界の精霊のものとは違う魔力が満ちる。青年が、眉を寄せて舌打ちした。
一行を囲むように魔物が現れる。白い毛玉だけでなく、赤いまだら模様の熊や、大きな結晶に目がついているようなものまでいた。
「〈雪白の里〉まわりって、魔物が個性豊かなんだね」
「全員があのあたりから来ているとも限らないけどねー。手が回らないから、そっちはよろしく」
冗談めかしたヘルミの言に、リリアレフィルネが返す。緊張感がないのはいつものことだ。ヘルミは、さりげない所作で杖を振った。
「『フリヤール・ゼスタ』」
冷気が氷の粒となり、寄り集まって氷柱のようになる。白い凶器はまっすぐ彼らに襲いかかった。魔物特有の悲鳴が響いても、ヘルミはわずかに眉を下げるだけだ。
「悪いね。冷気の活用は、あんたらの専売特許じゃないんだよ。――『ドード・ルフ』!」
彼女の後ろから吹き荒れた突風が、氷刃もろとも魔物たちを吹き飛ばした。岩や固い大地に叩きつけられた者どもが、怒りと痛みの声を上げ、魔力を荒らす。まだまだ元気そうだ。
さてどうするか。ヘルミがほんの一瞬、思考したとき。
「――『レヴレム』!」
詠唱が、空を裂く。
小さな稲妻が瞬いた、刹那。低空を駆けた雷撃が、もがく魔物たちをいっぺんにのみこんだ。
ヘルミは思わず振り返る。――驚いたのは、突然の雷撃に対してではない。
灰青の視線の先では、不機嫌そうな青年が杖を構えていた。木彫りの杖の先に貴石はない。握りの方に黄色い輝きがのぞいていた。
鼻を鳴らしたノクスは、ヘルミの視線に気づくと頬を歪める。
「何ぼさっとしてんだ。次が来るぞ」
「……あ、ああ。そうだね」
彼の言葉と、頬を撫ぜた嫌な魔力で我に返ったヘルミは、前を向きなおす。
「『フィエルタ・アーハ』」
突進してくる魔物たちを前に、わざと結界を張った。輝く砦に弾き返された彼らは、不快そうなうなり声を漏らす。そのとき、ヘルミの背後から、カン、と乾いた音がした。
「『グロート』!」
岩場を杖で叩いたノクスが唱えると同時、魔物たちの足もとが陥没する。落とし穴に嵌められる格好となった彼らの、抗議とも悲鳴ともつかぬ声が、寒風に流された。
ヘルミは動じず結界を消す。まっすぐ前に杖を構えて、踊った。
「『ミーレル・バンデ』」
紺藍の髪がふわりとなびき、雫型の貴石がちりんと鳴る。
彼女を囲むように現れた光の球たちが、その動きに合わせて飛んだ。
まばゆい光が招かれざる客をのみこんだとき。白い影が曇天に飛び出す。
魔物の群れから抜け出したリリアレフィルネは、いつもの表情で地上の巨人を見下ろした。
「ゼン、数が多いから手伝って」
「承った!」
魔物たちを端から昏倒させていたゼンドラングは、同胞の声がけで作業を中断する。
三度手を叩く音が、重なった。
「〈銀星の塔〉の名の下に、権限を行使する。門よ開け、魔の者どもを彼方へ還したまえ」
質の違う声が同じことばを唱えたとき。岩場の上空に、二つの巨大な門が現れた。ヘルミもノクスもとうに見慣れた純白の扉が同時に開く。弱った魔物たちを光の粒に変えて、まとめて吸い込む。そうしてあたりが静かになると、門は何事もなかったかのように消えていった。
リリアレフィルネが息を吐き、ゼンドラングが両方の拳を打ち合わせる。それが、初戦の終わりを告げる音だった。
ヘルミは杖を下ろしてすぐ、彼女を振り仰いだ。
「天外界の連中が出てきたってことは、このまま進んでいいってことだね?」
「うん。さっさと〈穴〉を見つけよう」
リリアレフィルネもまた、何事もなかったかのように先を見据える。
吐き気を催す魔力を辿って、彼らは歩みを再開した。
その際、ヘルミは斜め後ろを振り返る。そこにいたのは、不機嫌そうに大股で歩いている――いつも通りのノクスだった。




