72 旧市街の邂逅
数刻前より濃さを増した青地に、綿をちぎったような雲が浮かぶ空。秋晴れの下、淡い色彩に塗られた木造の建物が並ぶ通りには、人々のざわめきが満ちる。そして時々、車輪と蹄の音。隣国や南方諸国ほど指揮術が身近でないこの国では、馬車や橇が主な移動手段だ。町中では、寒さに強い種の馬や驢馬が、木製の車をたくましく引いている。
大陸北方の小国・オタヴァ共和国。その南部に位置するセイナの町に、ヘルミ・ライネはいた。薪とイモと酒の臭いが満ちた通りを、涼しい顔で歩いている。時折、左手に持った手帳を開いて何かを確かめていた。
「こおーりのもりへ ゆーくとーきはー
てっこーのごーふを わーすれるなー
さもなきゃ まっさおクズリにー
こーらされくだかれくわれるぞー」
物騒ながら陽気な唄が聞こえてくる。懐かしそうに目を細めたヘルミは、音の方を見た。昼間から営業している酒場の屋外席で、真っ赤な顔の男たちが歌っている。服装や唄の内容からして、猟師であろう。
荒っぽい笑い声を聞いても、酒臭い風をまともに浴びても、ヘルミは苦笑とともに受け流す。すいすいと人混みをすり抜けて、さらに細い通りへ入った。
喧騒が遠ざかる。空が狭まり、暗がりが迫る。立ち止まったヘルミは、甘い花の香りに誘われて、顔を上げた。
白い光が灯って、渦を巻く。次の瞬間、その中から小さな少女が現れた。先ほどの光を写し取ったような純白のドレスが、風をはらんで舞ってから、やはり白い足に吸い付く。
「やっほー。戻ったよ、ヘルミ」
「おかえり、リリ」
おどけて手を振る少女――精霊人に、ヘルミはからりとした笑みを向ける。
「どうだった?」
彼女が言葉少なに尋ねると、リリアレフィルネは高度を下げた。空中で気だるげに足を組む。
「ヘルミの読み通り。ケイユ山周辺に、〈穴〉っぽい魔力が漂ってるね」
「やっぱりか」
「町の人たちの反応は? どんな感じ?」
桃色の瞳が契約者を見つめる。ヘルミは手帳を開いて、聞き込みの成果を披露した。
「住民や観光客の大半は、あまり異変を感じていないみたいだ。ただ、猟師や山の案内役なんかは、最近動物の様子が変だって言っていたよ。勘のいい人は、ケイユ山のあたりに行くと気持ち悪くなるって」
それを聞いたリリアレフィルネは「あたりだねー」と呟いて、組んでいた足を解く。
「どうする? これから行ってみる?」
相棒の問いかけに、ヘルミはゆるくかぶりを振った。
「いや。出発は明日にしよう。今から行くと夜になっちゃうからね」
ケイユ山はただでさえ『妖精が棲む』――すなわち、奇妙な遭難者や失踪者が後を絶たない――山だ。夜に近づくのは自殺行為である。
ヘルミの表情から胸中を読み取ったのか、リリアレフィルネがあでやかにほほ笑む。
「山の『妖精』なんか、怖がることないよ。あなたは今、そんなものよりよっぽど恐ろしい『人』と契約しているんだから」
甘い誘惑にも似たささやきに、女は乾いた笑声を返す。
「だとしても、警戒するに越したことはないよ。精霊人の契約者だからって、うぬぼれてたらいつか足もとを掬われる」
「用心深いことで」と、唇を尖らせるリリアレフィルネ。だが、すぐに無邪気な笑みを浮かべた。
「ま、そこがいいんだけどね。――今日は旅支度でもしますか、契約者様?」
「そうだね。しっかり備えて、たらふく食って、たっぷり寝ようじゃないか」
ヘルミは手帳をしまって、分厚いコートに覆われた胸を叩く。リリアレフィルネもくすりと笑って、彼女の隣に降り立った。
ふたりはその足で西側の旧市街へ向かった。宿がそちらにあるからだ。
保存食や飲み水はもちろん、柑橘を使った香水、『鉄鋼の護符』などを買いそろえる。ヘルミがつい、小さな宝飾品や小動物をかたどった置物の方へ吸い寄せられそうになったときは、相棒が引き戻した。
「今日はいろいろ買うんだね、ヘルミお姉ちゃん?」
手を繋いで歩くリリアレフィルネが、露のごとき瞳を上向ける。にやりと笑ったヘルミは、買い物袋を掲げた。
「今回は、普段通りにやればいいってわけじゃないからね。長い戦いになることも考えて、いつもより多めに買ってみた」
「なるほどね。さすがー」
繋いだ手を勢いよく振るリリアレフィルネ。その動作は、少しわざとらしかった。ただ、町などで使っている設定――『年の離れたヘルミの従妹・リリ』――は気に入っているらしい。ヘルミは、安堵すると同時、そこそこ名の通った精霊人がそれでいいのか、とも思う。微笑は少しばかり引きつった。
準備のついでに屋台などものぞき見しながら、宿の方へ向かう。従姉妹を演じていると、出会う人々からほほ笑ましそうな視線を向けられた。時には、試食をさせてもらったり、おまけをつけてもらえたりするから得である。
その途中、リリアレフィルネが顔を上げた。どことなく、驚いているふうである。ヘルミが首をかしげたとき、当人が通りの反対側を指さした。
「お姉ちゃん。あっちから、土のにおいがする」
「土のにおい?」
ヘルミは、舗装された町中にそぐわない言葉を繰り返す。それから、通りの反対側を見て――灰青の目を見開いた。
赤い壁の酒場兼食堂、その屋外席。他の席と植木の陰になっているところに、やたらと目立つ男性が座っていた。何が目立つかというと、まず体格だ。オタヴァの男はおしなべて大柄だが、それと比べてもなお大きく、筋骨隆々としている。さらに、見ている側が寒くなりそうな服装も目を引いた。
そして――精霊指揮士たるヘルミとしては、絶対に見逃せない点がひとつ。大地の精霊たちの気配が、彼にまとわりついている。
「……ゼンさん?」
ヘルミは、半分疑いながらも呟いた。
次の時。目立つ男性が顔を上げて、彼女たちの方を見た。聞こえる声で呼ばれたわけではないのに、だ。
彼――ゼンドラングは、いかつい顔に笑みを咲かせる。太い腕をぶんぶん振った。
「おお! 誰かと思えば、ヘルミにリリではないか!」
喧騒に負けない大声が響く。ヘルミとリリアレフィルネは、顔を見合わせてため息をついた。
こうなっては、行かないわけにはいくまい。人波を上手くすり抜け、馬車に注意して通りを横断した。そんなふたりを、陽気な笑い声が迎える。
「久しいな! 直接会うのは〈銀星臨時会合〉以来か?」
「そうだね。そちらの契約者さんが、共同任務を嫌がるもんだから」
「がははは、すまんな! わしとしては、むしろどんどん共闘していきたいところなのだが」
豪快に笑い飛ばすものだから、あまり残念そうに聞こえない。
苦笑いしたヘルミをよそに、リリアレフィルネがふわりと浮き上がった。腰に手を当て、同胞をながめている。
「わあ、ゼンがいつもより小さい。何それ、変化? それとも幻視の指揮術?」
「どちらかと言えば前者だな! 人間並みに体を縮めておるのだよ」
「へええ。意外と器用だね。もしかして、身長自由自在?」
「いや、そうでもない。縮められるのはここまでだ。自前の魔力でやっておるから、魔力切れを起こしたら終わりだしな」
その会話で、ヘルミは初めて気が付いた。ゼンドラングが、〈銀星の塔〉で会ったときより小さいことに。神話の巨人かと思うほどの大男が、今は人間にまぎれられる程度の偉丈夫となっている。
「身長を変える指揮術なんて聞いたことないよ。無茶苦茶だね、精霊人ってやつは」
ため息をついたヘルミはそこで、ゼンドラングの向かい側の席に視線を投げた。
「で? ゼンさんの契約者さんは、いつまでだんまり決め込んでるつもりだい?」
「……うっせえババア。気安く話しかけんな」
ライ麦パンをちびちびかじっていた青年が、やっと口を開く。相変わらずの態度であった。失礼な呼び方をされたヘルミは、大仰に両手を挙げてかぶりを振る。
「つれないねえ。精霊人の契約者同士、親睦を深めようという気持ちはないの?」
「あるわけねえだろ。ゼンと上手くやれてりゃそれでいいんだ、邪魔すんな」
「へえ」ヘルミは、松の実形の目を見開いた。
「ゼンさんとは上手くやる気があるのか。少しはかわいいところがあるじゃん、ノクス」
「気安く話しかけんなつってんだろ」
ノクスのまなざしが、より剣呑になる。しかしそこに、彼の契約相手が割り込んできた。
「そうだろう、ヘルミ! ノクスはこれで、なかなかに愛い奴なのだよ」
「余計なこと言うなよ!」
当然、ノクスはすかさず噛みつく。しかし、ゼンドラングはそよ風に吹かれたほどにも動じない。「まあまあ、食え。これも美味だぞ」とサーモンのスープを契約者に勧めていた。
通常運転のふたりを見て、ヘルミは改めて話を切り出す。
「それで――お二人さんはなんでこんなところにいるの? ノクスの地元からはだいぶ離れているだろうに」
「そのノクスの仕事だ。この町に住む知り合いとやらから頼まれごとをしてな」
ゼンドラングがあっさり答える。ノクスが彼をにらんだが、当然のように黙殺されていた。
ヘルミは顎に指をかける。
「つまり、普通の依頼か」
「〈穴〉の調査指令が下りたわけじゃないんだね」
リリアレフィルネも、ふわりと契約者のもとへ戻ってきた。
彼女たちの反応を見て、ノクスとゼンドラングが顔を見合わせる。
「〈穴〉があんのか」
「わしは知らんぞ。リリのところには、使い鳥が来たのか?」
顔を上向けるゼンドラング。リリアレフィルネは彼らに向けて、得意げに人差し指を立てた。
「うん。レグンでの〈閉穴〉が終わったすぐ後にね。『次の〈穴〉の捜索と調査を頼みたい』って言われたんだ。それで、魔力を辿ってお隣の国へやってきた、ってわけ」
淡々と語ったリリアレフィルネを見て、ゼンドラングが腕を組む。
「捜索と調査、か。これまでとはやや趣が異なるな」
「そろそろ原因究明に乗り出そう、ってことだと思ってるけどね。〈塔〉にも多少余裕が出てきたんじゃないの?」
ヘルミは、使い鳥が来たときから思っていたことを口に出す。対する大男は、ぽりぽりと頬をかいた。
「余裕……なようには思えんがなあ。ステアは相変わらず寝不足のようだし」
「それは……ちゃんと寝てください、って伝えて」
「うむ。わしからも言っておいたが、今度改めて伝えておこう」
褐色の相貌に、再び明るい笑みが広がる。ヘルミはそれに安堵しつつも、ゼンドラングの言葉と現状を重ね合わせて、頭の中でまとめた。
〈銀星の塔〉から精霊人たちに課せられた任務の内容は、大きく分けて二つ。ひとつは、〈穴〉を通じて天地内界に流れ込んだ魔物への対処。もうひとつは、〈穴〉の調査と〈閉穴〉。
初期の段階でエルメルアリアが術を編み出したこともあり、これまでは魔物の送還と〈閉穴〉に重きが置かれていた。だが、ここへ来て少しばかり方針を変えるつもりらしい。なぜか。
「原因究明に人員を割く余裕ができたっていう見方も、できなくはないけど……逆に状況がひっ迫しているって可能性もあるよねー」
リリアレフィルネが、屋外席の上を飛び回りながら呟く。同じ結論に至ったヘルミは、眉を寄せてうなずいた。
「アルクスの王都で、二つ〈穴〉が開いたなんて話もあるしね。元を絶たないとまずい、って〈塔〉側も判断したのかも」
そのために、〈穴〉周辺の様子などをより細かく調べる。これが今回の仕事というわけだ。眉間にしわを寄せたヘルミは、ふとあることを思いついて、目の前の男ふたりを見つめる。
「ねえ。ノクスの仕事はこれから? それとも、終わったの?」
「無事終わった。今は、慰労会も兼ねて遅めの昼食をとっておったところだ」
ゼンドラングが白い歯を見せて笑う。
期待していた答えを得て、ヘルミは灰青の瞳をきらめかせた。
「じゃあさ。アタシらの調査、手伝ってくれないかなー……なんて」
ゼンドラングが眉を上げた。その向かいで、ノクスが「あ?」と濁った声を上げる。
「ふざけんなよ。なんで俺らがそっちの仕事を手伝わなきゃ――」
「わあ、名案! 粗暴な人間さんはともかく、ゼンはとっても頼りになるもんねー」
ノクスの抗弁をさえぎって、リリアレフィルネが空中で手を叩く。当然、青年は「白チビてめえ!」と怒鳴ったが、怒鳴られた側は涼しい顔だ。
ヘルミは軽く肩をすくめて、言葉を繋げる。
「ただ魔物を送還して〈穴〉をふさぐだけなら、アタシらだけでも問題ないんだけどさ。今回はそうじゃないから……人手は多ければ多いほどいいんだ。報酬よこせって言うんなら、適正価格を支払うけど、どう?」
にやりと笑って、右手で丸を作ってみせる。すると、ノクスの頬がさらに引きつった。いらだたしげにテーブルを指で叩いている。逆効果だったか、とヘルミは苦笑して、右手を下ろした。
少し張りつめた空気の中、ゼンドラングが腕を組む。
「わしは構わんぞ。元より、わしらが内界にいるのは〈穴〉への対処のためだからな」
一切の気負いなく言った精霊人は、視線を対面の青年に向けた。
「あとは契約者殿の意向次第だが……どうする?」
問いかける声には、愉快そうな響きが混じっている。
ノクスはむっつりと黙っていた。彼方から近づいてきた馬車が店の前を横切った頃、ライ麦パンの最後のひとかけらを口に放り込む。それを噛みしめて、椅子の背もたれに片肘を引っかけた。
「わぁったよ。手伝えばいいんだろ、手伝えば」
契約者の答えを聞いて、ゼンドラングが少年のように笑った。リリアレフィルネが、その後ろで口笛を吹く。
ヘルミは契約相手を手振りで窘めて、ノクスに向き直った。
「ありがとね、ノクス」
「勘違いすんなよ、ババア。てめえらのためじゃねえ。今日はゼンを俺の仕事に付き合わせたから、今度は俺がゼンの仕事に付き合う。そんだけだ」
「なるほど。そりゃいい心がけだ」
ヘルミは自然と目を細める。ゼンドラングも「いやはや、かたじけない!」と大げさに己の頭を叩いた。二人を見たノクスは、荒々しく鼻を鳴らす。それから木製の匙を手に取り、サーモンのスープに突っ込んだ。
「金もいらねえ。てめえらに借りは作りたくないからな」
「貸し借りじゃなくて、正当な取引のつもりだったんだけどね。ま、それならありがたく、力だけお借りするよ」
ヘルミの言葉にノクスは答えない。どこか野性味を感じる手つきで、スープを食べはじめた。それを見たリリアレフィルネが空中で踊って、ヘルミを振り返る。
「ねえヘルミ。ボクらもここで何か食べようよ。どうせ、打ち合わせするんでしょ?」
「そうだね。軽食でも頼むか」
うなずいたヘルミは、地に足をつけた相棒の手を取って、酒場兼食堂の扉を開いた。




